予期せぬ事態


※物語の進行、展開上、原作キャラクターが食べ物を粗末に扱う描写があります。ご容赦ください。



夕刻に待ち合わせた五人と一人は一度別れた。萩原たちは目的の用事を済ませに、結加理は客人を迎えるための準備に取り掛かりに。
萩原がちゃっかり料理のリクエストをしていた事には誰もが目を瞑った。

──時と場所は変わり、マンションの一室。
家主に促されて入ったリビングで五人は借りてきた猫のようにおとなしくなっていた。
座布団に腰を下ろした降谷は、料理を出すまでの暇つぶしに、と結加理の気遣いで点けられたTV画面を意味もなく見つめる。内容など頭に入ってこない。
彼女がケーキであることを自覚しているのか、していないのか、降谷には分からない。だがこのマンションは非常にセキュリティがしっかりしている。ここまでの物件ならば問題ないだろう。
そんなことを頭の隅で考えるのはある種の現実逃避なのかもしれない。

(……ケーキの人の部屋、か。流石に匂いで溢れている。……やっぱり、辞退すべきだったかな……)

どうにも居心地が悪い。決して結加理に原因があるわけではなく、降谷の事情がそうさせているのだ。

フォークになってしまったのだと気付いた時、降谷は思ったことがある。──自分は、本当に警察官になれるのだろうか、と。
警察官は取り締まる側だ。だが、フォークは要観察対象と成り得る存在。最悪の場合は殺人事件やその他凶悪犯罪を引き起こし、警察官に捕らえられる側。……ああ、だが逆に、すぐに抑えられる位置に居た方が都合が良いのかもしれない。
そんな自虐的なことを最近の降谷は考えるようになっていた。
降谷の成績は非常に良い。技量、知識量、どちらも誰に負けるつもりはない。しかし最近では精彩を欠いているのは事実。このままでは駄目だと分かってはいるのだが、解決策が見つからない。
味を感じられないことから食事が苦痛になり、食事で満足に英気が養えないせいで勉学にも悪影響が出てきている。精神的なものなのか、栄養を満足に取り切れていない身体的なものなのか、常に体調も万全ではない。
更には警察学校の生徒の中にもチラホラと居る、無自覚であろうケーキの存在。
彼、彼女等から感じる匂いを「美味しそう」だと感じてしまう度に、降谷の心は悲鳴を上げる。──降谷は真っ当な思考を持つ人間だった。清廉にして堅実、いつだって正しくあろうとする心を持ち続けている。だからこそ余計に耐えがたい苦痛を感じるのだ。
残念ながら薬でどうにかなるものではない。世界的にも強く望まれているフォークの性質を消す手段は未だ発見されていない。
噂で聞こえてくるフォークが生きていく手段として最も強く囁かれているのが「ケーキを囲う」または「ケーキと契約する」というもの。体の一部、体液などと引き換えに身の安全を確保する、または巨額の金品を用意するといった契約。実際に例が無いわけではないらしい。
──しかしそれを知ってもなお、降谷はその考えを受け入れられなかった。
そこに合意があるならば他者がとる行動に口出しをしようとは思わない。だが降谷個人としては、自分が生きていくために誰かの身体を犠牲にする。そんな生き方など、真っ平ごめんだった。
それ以前に誰かの体の一部を「食事」として身体に取り込むという非人間じみた行為を、受け入れられない。
とはいえ、これといって良い解決策など浮かぶわけもない。八方ふさがりの現状。
沈んだ気持ちと思考を悟られないよう、深く静かに息を吐き降谷は視線を床に落とした。

「ゼロ、コップちょっと端に寄せて」
「……あ、ああ。分かった」

不意に声を掛けられてハッと顔を上げる。いつの間にか諸伏が大きな深皿を持って移動していた。おそらく自ら手伝いを買って出たのだろう。
降谷が言われた通り素直にグラスをどけると、諸伏は運んできた深皿をテーブルのど真ん中に置いた。どこか真剣な面持ちで慎重に。……だというのに、器の中では角煮がふるりと揺れる。
おお、と感嘆の息をこぼしたのは松田か伊達か。もしかしたら運んできた諸伏かもしれない。
とろけた肉の端々、つやつやと光っている脂。豚肉に添えられているのは角煮の汁で煮込まれたであろう人参、蓮根、こんにゃく、そして卵。卵が半分に切られていて断面の黄身が眩しい。あしらいには絹さやが数枚。色どりも良い。
これで美味しくなさそう、と思う方が可笑しい。普通であれば。
味覚を失う前の降谷であれば目を輝かせただろう一品。しかし、どれだけ美味しそうだと視覚を刺激されても降谷は食べる気など起きなかった。どうせ今の自分には味など感じられない。虚しいだけだ、と。
どこかぼうっとした降谷を余所に、萩原が人数分の茶碗をテーブルに置いていく。中身は炊き込みご飯だ。チラリと見た限り、筍と人参、キノコが具材なのだろう。
何だか全体的に茶色いな、と思ったのは見逃してもらいたいところだ。実際に角煮も炊き込みご飯も茶色なのだから。
諸伏が人数分の汁物をテーブルの上に置いていくのを横に、いそいそと松田が座り直している。全部は揃っていないが既に食べる気満々のようだ。ちなみにこの汁物、萩原のリクエストで用意されたニラ玉汁である。
そんな中、結加理が萩原に向けて少しばかり声を張り上げた。

「別のおかずは後で順に出すから、萩ちゃんたち先に食べ始めちゃっててー」
「りょーかい! んじゃ、お先にいただきまーす!」
「「いただきます!」」
「いただきます。萩、漬物くれ」
「はいよ、っと」
「……角煮、やばい……とける……」
「ふはっ、すごいな、これ」

他の四人に倣って降谷も箸を取る。メインの角煮をいきなり食べる気にはなれなかったため汁物に手を伸ばし、口をつけた。──途端、口内に広がったのは出汁と醤油の香り。次いでニラと卵の優しい風味。舌に乗るふわふわした何かはきちんとだしを含んだ卵の味がした(・・・・・・・・・・・・)。
全く予測していなかった事態に、降谷はその身を硬直させる。

(──味が、する。何故。僕のコレ(・・)は、ただの味覚障害じゃない。フォークとなってしまったのなら、味覚が戻ることはないはずだ。なのに、なぜ、味がする)

視線が汁物に向き、大皿、自身が持つ箸、グラスに向き、そしてキッチンから再度テーブルに向ってくる彼女に向いた。
ケーキである女性。味が感じられる手作りの料理。そこから降谷が導き出した答えは一つ。

(この女、何を入れたっ!)

彼女が身体の何かしらを料理に混入させている。そうでなければフォークである降谷の舌が味を感じるはずがない。そうとしか考えられなかった。
萩原の先輩だから、彼が信頼を寄せている人物だからと気が緩んでしまったのか。初対面の相手など信用するべきでは無かったのだ。過去には、手作りの菓子に自身の一部をわざと混入させてきた、おぞましい連中が存在していたではないか。
吐き気がした。
思わずグッと口を押える。
美味しいと、思った。思ってしまったのだ。降谷は汁物を口に入れた瞬間に。
──この時の降谷は失念していた。
ケーキの味は、甘い菓子のようなものばかりであるということを。今の彼がまさしく汁物と素材そのものの味を感じ取ったということを。

(駄目だ、ヒロっ)

今まさに角煮を口に運ぼうとしていた諸伏の右手に手刀を落としたのは、最早無意識の行動だった。箸と角煮がテーブルに叩き落とされる。
既に全員が並んでいる料理の何かしらを食べてしまっている。これ以上何かを摂取させるわけにはいかない。その一心で。
このテーブルに並ぶ何もかもが、降谷は信じられなかった。

「ちょっ、ゼロ! 何を──」

手首の痛みで顔を顰めた諸伏が降谷の行動を咎める。とっさのことで手加減など出来なかったのだろう。
そんな抗議など気にする余裕もなく、降谷が手を伸ばしたのはテーブルの端に置いてあるティッシュ箱。数枚を勢い良く取り口の中に入れていたものを吐き出した。通常では考えられない降谷の行動に場の空気が張り詰める。

「──貴様、何を入れたっ!」
「は?」

何を言われたのか理解が出来なかったのか、二つ目の大皿を運んできていた結加理が怪訝そうな顔でポカンと口を開けた。そんな反応すら癪に障って降谷は立ち上がりながら角煮の大皿を持ち上げる。大股でキッチンに向かうと、それをシンクの中にぶん投げた。

──後に降谷はこの時のことを振り返ってこう言う。
あの時は正気を失っていた、思考が鈍りすぎていたところに強すぎる刺激を食らってとどめを刺されたのかもしれない、と。

ステンレスのシンクの底に陶器がぶつかる音がやけに大きく響く。ガチャンと甲高い音もしたため、もしかしたら割れているのかもしれない。
その反響が収まるまで誰も動けずにいた。誰もが唖然としていた。

「……は?」

何が起きたのか理解できないと言わんばかりに落とされた困惑の一声。言葉を探しかねて結加理がこぼした、吐息のような小さな声だった。
それを皮切りに固まっていた空気が動き出す。勢いよく振り向いた降谷の形相は険しい。眉間は深くしわが刻まれ、食いしばられた歯はぎちりと音が聴こえてきそうだ。
目を細め苦々しい顔で萩原が立ち上がったことに、異常事態によって思考と視界が狭まっていた降谷は気付かなかった。

「……いや、いい、聞きたくも無い。帰らせてもらう。行くぞヒロ」
「あー、マジか」
「質問? には答えるけど調味料以外に何か入れるものがあるわけ!? その前に食べ物粗末にしないでくれるかな!?」

表情を強張らせた松田は何かを察したのか片手で目元を覆った。両手に持ったままの大皿を避難させながら、動揺と焦燥を露に結加理が反論する。
諸伏の腕を掴んで立ち上がるように促しながら、降谷が思わずといったように肩を怒らせた。

「それを、食事に、口にするのもおぞましい何かを混ぜたお前が言うのかッ!!」
「だから何も入れちゃいないっての! ──萩!」
「っ、分かってる!」

彼女が声を掛ける前からすでに移動していたのだろう。即座に萩原が後ろから羽交い絞めにして降谷の行動を阻害する。
あっさりと拘束出来てしまったのは、最近の降谷が不調きたしていたことが関係しているのか、動揺のあまり周囲が見えていなかったせいか。恐らくはそのどちらもが原因だろう。
狼狽しきりの伊達と諸伏を横目に、松田が片膝を立てて腰を浮かせる。

「ごめんな降谷。でもちょーっと確認しなきゃならないことが出来ちまったんだわ」

普段通りのお茶らけた調子の口調ではあるが、どこか感情を抑えたような声色。

「誤魔化さずに答えてくれよ。お前、フォークだったんだな?」

その問いに降谷の瞳が凍り付いた。ハッと誰かが息を呑む音がリビングの床に落ちる。
問いかける声が震えているように聞こえたのは、萩原の感情によるものなのか、降谷が拘束を解こうと力を込めた所為で体が揺れたためか。泣きそうな声色に聴こえたのはきっと降谷が望んだ幻聴なのだろう。

「今まで先輩の料理を食べて、降谷と同じ反応をした人が何人かいた。……その人たち全員、フォークだったんだよ」
「……」
「なあ、降谷」

萩原の問いかけに応えはない。降谷の手が掴みっぱなしだった諸伏の腕を離した。両者の腕が力なくその場に落ちて垂れる。立膝を着いて腰を上げた状態だった諸伏が、ストンとその場に座り込む。
言葉なく、降谷は萩原に抑えられたまま立ち尽くしていた。完全に血の気が引いている。松田の、伊達の、諸伏の視線が、身体の至る所に突き刺さるような錯覚。
降谷は答えない。しかしこの沈黙こそが答えだった。
誰も口を開けない。身動きすら取れないでいる。──結加理以外は。

「うーん萩原ストップ。なんか責めてるみたいになってる気がする」
「……え!? ごめんそんなつもりはなかったっつーか、え、マジ?」
「うん、マジ」

緊迫した空気が一瞬で霧散する。冷静さを取り戻したように見えて若干焦っている結加理と、ワタワタ狼狽える萩原。そんな二人に松田が呆れたように半眼で溜息を吐いた。焦る気持ちは非常に理解できるのだが言葉が足りなさすぎる。
展開についていけない伊達と諸伏が目を白黒させている。

「フォークだって自己申告するなんて、ある意味で社会的な死とイコールって考えてる人も少なくないから仕方がない事なんだけど。……とりあえず、お察しの通り私は「ケーキ」です」
「っ!」

その言葉に降谷の身体が大きく揺れた。
だが同期のそんな反応よりも、伊達も諸伏も彼女が告げた内容の方に気を取られる。それが事実ならば先程の降谷が問った行動の意味も理解が出来る。そして「何を入れた」と嫌悪し激昂した意味も。サッと顔色を悪くした二人に気付いて松田が口を開いた。

「オメーら話は最後まで聞け。あと結加理サンもちゃっちゃと話せ」
「ごめん松田くん、ありがと。……今回は家庭料理だし、と素手で調理しています。おそらく味を感じた原因はそれです。誓って異物混入などしてません。確認ですが、ちゃんと料理の味がしたんですよね?」

至って真剣な顔での説明。しかし伊達も諸伏も、当事者である降谷も、ちょっと何を言われたのか理解が出来なかった。思わず無言のまま彼女に視線を送ることしかできない。
素手で料理したから何だというのだろう。
三人の反応に理解されなかったことを察した結加理は、右手で目頭を押さえる。ううん、と苦悩の声が聞こえてきそうだ。

「忘れてないかな、ケーキの人間は「甘いだけ」「お菓子のような味がするだけ」なんですよ」
「そう、ですね」
「……これ、言いたいこと分かってないな? 降谷くん、さっき口に含んだニラ玉汁はどんな味がしましたか」
「…………醤油、出汁、卵、ニラ……です」
「期待通りの答えをありがとう。例えば、ケーキの身体のうち何かしらが一定量以上混入したら、料理自体の味は感じないはずなんですよ。甘さにかき消されて。……まあ例外はありますが」

淡々と説明された降谷は一瞬納得しそうになる。しかし腑に落ちず、胡乱げな表情で首を傾げた。
そんな都合のいい話があるものか。実際ケーキとフォークいう区分が正式に発生してからかなりの年月が経っているというのに、聞いた事など無い。もしそれが本当なら、フォークにとって夢のような話なのだから浸透していてもおかしくないはずだ。
伊達、諸伏も同じ考えのようで訝し気な表情を浮かべている。
この反応も予想済みだったのだろう。結加理は小さく息を吐くとリビングの端に置きっぱなしの鞄から分厚いファイルを取り出す。目当ての資料を探し出し、降谷の目の前で開いた。

「今、私は大学院で味覚に関する研究をしています。味を感じる受容体、反応物質、あと……詳しく言うと長くなるので割愛しますが、とりあえずこれはその研究レポートの一部です。ケーキの人間の味しか感じられないのか、ケーキの人間の何かしらと同時にそれ以外の食品を口にした時は舌がどう反応するのか。この研究している人は私以外にもいます。当然、過去にも」

東都大学とまではいかないが、それなりに有名な大学の名称を見止めて降谷は僅かに目を見張った。そして目の前に広げられたレポートの内容。ざっと目を通しただけでも気になる項目が幾つもある。
この頃には既に降谷の冷静さが戻りつつあった。それを感じ取った萩原の腕にもほとんど力が入っていない。

「例えば、お寿司屋さんの職人さんがケーキだったとして。その方が普通に握ったお寿司の味を、おそらくフォークの人は感じられるはずです。先程も言いましたが、例外はあるので全部がそうとは言えませんけれど」

よいせ、と分厚い資料を閉じると結加理は言葉をつづけた。その表情は硬い。

「調理する人間が違うだけですが、一般的な調理法でもフォークの人間が味を感じられる料理になる。それだけです。そして今の状況は、それです」

音もなく目を見開いた降谷の鳩尾に、結加理は軽く握った拳をトンと当てた。萩原が彼を背後から抑えている状態のままだったため、ちょうど正面の良い位置に彼の上半身があったのだ。
急な接触にビクリと降谷の身体が跳ねる。しかも触れられたのは急所。緊張するなという方が無理な話だ。

「今、鳩尾に拳を入れました。降谷くんは吐きそうですよね?」
「……、……、……は?」

唐突な行動と問いに、降谷は素でポカンと口を開ける。意図が全く読めなかったのである。
そもそも「拳を入れた」というよりも、「そっと触れた」という表現が正しいくらいには力が全く込められていなかった。疑問符ばかりが頭に浮かぶ。

「吐きそう、ですね?」
「……えっと、あの、はい?」
「トイレはあちら。洗面台は隣。コップは適当に……あ、いや、水色が萩原で青が松田くんのです。それを使ってください」
「……はい?」

返答はすべて疑問形だというのに、結加理は構うことなく指示を出す。しかも妙な圧を感じる。萩原が苦笑いしながら腕の力を抜き降谷を解放した。

「詳しい話をする前に、まず口を漱いできて、ついでに顔も洗ってきてください。タオルは貸しますから。ケーキとフォークについて、味覚について、……話はそれからです」


──勘違いだったとはいえ、異物混入への嫌悪感を露にしたことで気を遣われた。もしかすると潔癖症だと思われたのかもしれない。
そう降谷が理解したのは言われるがままに口を漱ぎ、顔を洗い終え、松田にタオルを差し出された時だった。勝手知ったると言わんばかりに戸棚を開ける松田にギョッとなったものの、降谷は黙ってタオルを受け取る。

「……落ち着いたかよ」
「あ、ああ。……その、すまん」
「一応聞くが、その謝罪は何に対してだ?」
「フォークだと黙っていたこと、君たちの知り合いに敵意を向けたこと、かな」

警察学校へ入学した当初は発症していなかったとはいえ、自覚してからは結構な日数が経っている。
肩を落とし意気消沈した様子の降谷を一瞥して、松田はやれやれと肩をすくめる。世話が焼ける奴だ、と言わんばかりだ。普段とは立場が逆転している。

「別に、黙ってた事については何も言わねぇよ。ってか軽々と話せることじゃねーだろ」
「……すまん」
「謝んな。でも諸伏とはちゃんと話しろよ。ありゃ自分責めるぞ。何で気づいてやれなかったんだ、って。でもまあ、俺ら全員お前が食欲ねぇのと不調は気付いてたけどな」
「ああ」
「あ、だが角煮の件は別だからな! もしあれ以外で鍋とかに残ってて改めて出されても、オメーはぜってー食うなよ」

頷いた降谷をジト目で睨みつけた松田は、今までの真剣さなどその辺に放り投げて詰め寄った。
実は萩原の喜びように隠れてはいたが松田も密に角煮を楽しみにしていたのだ。まだ一切れしか食べていないのに、あの大惨事。
険しく眉間を寄せてムスッと唇を尖らせる松田に、降谷は一瞬身を竦ませ力なく笑った。そして頭の隅で呟く。しばらくこの件でチクチクと言われ続けそうだな、と。食べ物の恨みは恐ろしいのだ。
先程までテーブルに並べられていた料理について言及され、降谷は自身の暴挙を思い出して頭を抱えたくなった。ギッと唇を引き結ぶ。
全て己の勘違いだったのだ。紛らわしい状況だったとはいえ、何もあんな行動をする必要はなかった。気づいていなかっただけで余程精神的に追い詰められていたのだろう。

(普通の調理法だった。それで、味を感じられるようになるなんてな。……でも結局、ケーキである人間の何かに反応して味覚を感知する、わけで……)

ああだめだ、深く考えたらドツボに嵌ってしまう。慌てて頭を振り降谷は唇を噛む。
今の降谷は気を遣われて洗面台へ案内された身だ。異物混入された食べ物を口にしたと思いダメージを受け、他者の作った料理に嫌悪感を抱くのではないか、と。そして恐らくは気持ちを落ち着けてくるように、という言外の指示でもあるのだろう。
ジッと無言のままの松田に見据えられるが、すぐさまリビングに戻る気にはなれなかった。

「……松田は、その、知っていたのか? あの人がケーキだってこと」

苦し紛れに出てきたのはそんな問い。
思い返せば松田は夕飯時に訪問することを一度たりとも拒否しなかった。萩原までとは言わずとも親しい仲なのだろう。そう考えて浮かんだ純粋な疑問だった。

「そりゃな。結加理サンと親しくなりゃ、嫌でも知る事だ。今日の晩飯に俺等を呼んだのだって、それに関するこったろうな、って思ってたから反対しなかったんだ。まだ正式じゃないとはいえ警察官の知り合いは多い方が良いからな。ケーキってだけで様々な方面から狙われる」
「……そう、か」

良く考えずとも当然の事だ。降谷の視線が床に落ちる。

「あの人、相当危ない橋渡ってる状態なワケ。どうしようもねぇ、避けようがねぇ事態をどうにかしようとした結果なのは分かんだが、ちょっとなぁ……」

ガシガシと乱暴に後ろ頭を掻きながら困ったように言葉をこぼす松田の顔には、憂色が色濃く浮かんでいた。何かを思い出すかのように表情がじわじわと険しくなっていく。いつの間にかその口はへの字に曲がっていた。

「……正直俺ぁ、あの人がいつ、行方不明になるか、死体で上がっても可笑しくねぇと思ってる」

静かに放たれた言葉はやけに重く、降谷は返す言葉を見つけられなかった。


2023/5/10/
これ二話分で終わらせるつもりだったのに五話くらいまで行きそう。なんでや工藤。
……とか言ってたのに結局十二話になります。
2023/9/6/支部にも投稿しました。

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