世界の損失


マグカップを片手に持ち戻ってきた結加理は、ソロッと五人の顔を窺いながら小さく声を上げた。

「……話が長引いちゃったけど、相談したかったことも言っていい……?」
「「……あ」」

色々ありすぎてすっかり忘れかけていたが、今回萩原たちがこのアパートを訪れたのはただ食事をご馳走になりに来ただけでは無い。報告と相談が目的の半分を占めていたはずだったのだ。

「ごめんごめん。相談って何?」
「いや、うーん、今までの話とあんま変わんないかもなんだけど……実は最近、何か色々とキナ臭くてね?」
「うん?」

色々キナ臭い、とは。
非常にはっきりしない物言いに疑問符が浮かぶ。何とも良い感じがする言葉ではない。若干眉を寄せた萩原が首を傾げ、松田がスッと目を細めた。

「可能なら、たまにウチに来てもらいたいんだよね。人の出入りと常にココに居ない人の目が欲しい」

正確に言うならば、警戒し、異変に気付くための目が欲しい。と言ったところだろうか。
一人暮らしという点で、一人になった瞬間などを狙われやすい。常に誰かの目や存在が近くにあるわけでは無いという点で格好の的になってしまうのだ。警察の定期パトロールという目があるにしても、防犯面でどれだけ気を張っていようとも。
そう告げる彼女は至って真剣かつどこか苦々しい表情だ。何かしらの確証を持っているようにも見える。

「フォークの中に、何か、……あー、何て言ったらいいだろ」

どう言って良いものかと言葉を探す結加理の思考が纏まるのを萩原たちは黙って待っていた。その表情からは全くいい予感がしなかったのだ。

「コレクターが、居るらしいっていう情報がね、降りてきたんだ」

フォークによる犯罪を主に扱う部署からの情報。当事者であるケーキ数名へ注意喚起のために情報が降ろされたのだという。──主に、ケーキだと多方面から認知されてしまっている者たちに。
彼女の置かれた状況、立場、抱えているものを鑑みると、あまり歓迎できない響きの言葉だ。

「……だから今日、相談したいって言ったわけか……」
「うん、大体はそういうこと。……まあ、コレクターがどんな傾向なのか、とかの詳細は知らないんだけどね」

神妙な顔で深く息をついた萩原に頷いて、結加理は肩を落とした。
諸伏と伊達が難しい顔のまま固まっている。フォークが空腹と生存本能を抑えきれずにケーキを付け狙うのは知っているが、頭の中でそれ等と収集家の意味が上手く繋がらなかったらしい。今まであまりフォークとケーキについての詳細までは知らなかったため直ぐに思い到らなかったのだ。
それに気づいた松田がすかさず補足を付け加える。

「ケーキによって味が違ぇって、ちょっと前に言ってただろ。……恐らくそういうこった」

たったそれだけの言葉ではあるが、二人とも理解したようでハッと顔つきが変わった。
──同じケーキばかりでは物足りない。同じ味ばかりでは飽きる。そう思ったフォークが居るのだろう。
あまりにも一般から逸脱した思考と行動の一端を示唆され、誰しも顔を強張らせた。
話を聞く限りは衝動的にケーキを欲するわけではなさそうだ。……理性と思考を正しく保ったまま、ケーキを食物として認識し、求めているフォークが存在している。思考が短絡化した状態では無く、正常に働き悪知恵をも巡らせるフォークが。
正直、背筋が凍るような心地だ。

「ケーキのコレクションって、何……。いったい何を集めてるんだよ……パーツ? 人間の体の? 猟奇殺人案件?」
「……さあ? でも殺しちゃったらそれ以上は得られないだろうし、限りなく利用するつもりなら……生かさず殺さずって状態にするんじゃないかな? ……拉致監禁での一生飼い殺し?」
「……エグイ予想するじゃん……」

一般人のはずの彼女が、一番えげつない予想を立てていた。
上げたのは拉致監禁の末に一生飼い殺しの可能性。猟奇的な事件がまず頭に浮かんだ彼等とはまた別の視点からこの一件を見ている。
人間を何人も養うとなると非常に大金がかかるはずだ。それゆえに頭に浮かびはしたものの打ち消した、可能性の一つ。
それを彼女も分からないはずはない。それでいて真っ先にこの可能性を上げたということは……つまりは、そういうことなのだろうか。
──金に糸目を付けない良からぬ輩というのは、時として金に物を言わせて圧をかけて来る。

「だって、ケーキを人間じゃなくて食物の認識してるなら、真っ当な人間の扱いはされないよね。……、……食べるために飼育する……?」

んん? と首を傾げながら呟かれた言葉に降谷の顔が引きつった。ボソッと家畜? なんて単語も聞こえてしまって胃が痛む。
周囲に妙なダメージを与えつつも、難しい表情のまま結加理は口をキュッと引き結んだ。可能ならば足を運んでほしい、と願いはしたものの彼等にも生活がある。今は警察学校に身を置いていて、寮生活なのだから尚の事。
だから、変に気負わせないように一言断りを入れておこうと考えたのは自然な事だった。

「……相談しておいてなんだけ、断ってもらっても大丈夫だから」
「大丈夫なわけないよね」
「いや断るわけねぇだろ」
「ってかあのさ、ちょーっと忘れちゃってるかもしれないんだけどさ、俺たち警察学校に居るわけ。そんで数か月後には職務に就くわけ。……それで頼るのを躊躇われちまったら、正直立つ瀬無いんですけど?」

まあそれも、当の本人たちからは速攻で一蹴されたわけだが。
ジトリとした目の松田と萩原から口々にそう言われて結加理はグッと息を詰めた。
実は過去に一度、彼女は萩原を怒らせたことがある。その時と似たような空気を感じた為だ。
フォークから逃げる事態に陥った時、逃げた先に萩原と松田が居たにもかかわらず彼等を頼らなかったことが一因。いや正確には、頼るに頼れなかった、と言うべきだろう。──相手のフォークは長い棒のようなもの、つまり凶器に成り得るものを持っていたのだ。
萩原たちを頼り怪我をさせてしまう可能性と、自分が逃げ回り警察官の到着を待つこと。この二つで結加理は迷わず後者を選んだ。
当然だ。ただの一学生であり後輩である彼等を巻き込むことなど出来なかった。警備員でもなければ警察でもないのだから。
そして、結加理個人の感情として萩原たちに危険が及ぶことがどうしても耐えられなかったのだ。萩原と松田を視界に入れた瞬間、パルクールの要領で塀へ飛び乗りフォークからの逃避を図った。
後から聞いた話だが、松田はこの時「マジか」と呟きポカンと口を開けていたとかなんとか。事実そうであったか定かではない。
閑話休題。
一通りの逃避と警察によるフォークの身柄確保。身の安全が確実に取れたところで合流するに至った萩原の顔からは表情がキレイに抜け落ちていた。それこそ共に合流した松田が無言で視線を逸らすくらいには。
だが、そんな顔をされても結加理は最善の選択をしたとしか思っていないわけで。なぜそのような顔をされるのかと腑に落ちないわけで。……まあ、最終的に軽く冷戦に陥りかけた。
あまり思い出したくはない出来事の一つである。

「いや、みんな寮生活だろうから、ってこと。色々制限あるでしょ」

両手を小さく横に振って結加理は僅かに眉尻を下げた。その言も尤もであるため、萩原は納得したわけでは無いが引き下がる。頬杖をつくのをやめて姿勢を正した。
携帯端末は預ける決まり。外出、外泊も届け出が必要。何かと制限が多いというのは結加理へも事前に伝えていた事だった。
だがしかし、それを加味しても遠慮しすぎなのだ。律儀というかなんというか。萩原や松田が進んでやっていることなのだから、ただ受け取れば良いものを。
若干ムムッとした表情の萩原に小さく笑って、結加理は両手を下ろす。

そんな二人の様子に松田は軽く肩を竦めた。
実はこの二人、物腰の柔らかさから勘違いされがちなのだが、時に頑として譲らない所がある。
今しがた結加理が思い出していた一件では、見かねた松田が間に割って入る選択をした程、話は平行線の一途を辿ったのだ。
衝突という衝突自体が珍しい。互いに大切に思い遣っていることなど誰の目にも明らか。そのためか普段から些細な口喧嘩すらほとんど無い。
だからこそ、いざこの二人の意見が真っ向からぶつかるとなると、とてつもなく大事に感じて松田も一瞬身構えてしまうのだ。
そして普段温和な人物から表情が消える、浮かんだ表情が凍り付くようなものばかりというのは単純に背筋が冷える。
……松田としてはこの二人の滅多にない衝突時に関しては別の懸念もあるのだが、それはまた別の話である。

グイッとグラスに残った麦茶を飲みほして、松田は氷がほぼ溶けてなくなっていることに小さく口を尖らせた。
勝手に氷を貰ってきても良いものかと僅かに逡巡する。幾度となく訪れ、時に調理の手伝いとしてキッチンに入ることがあるとはいえ、他人の家だ。しかも女性の。
更に言うならば今は至極真面目な話の真っ最中。好き勝手動くのは正直憚られた。流石の松田もそのあたりの空気を読むくらいはできる。

「……氷もらってきても良いか」
「いいよ。ついでに補充分まとめて持ってきちゃったら?」

とりあえず一声かけておけば良いだろう、と腰を上げながら顔を向ければ快諾される。のそのそと冷蔵庫へ向かう松田の背に萩原の声が投げかけられた。

「陣平ちゃん俺のもよろしく〜」
「オメーは自分でやれ」

ジトッと半眼でそう返して松田は冷凍庫を開けた。ガラガラ、カランカランと氷とグラスがぶつかる音がリビングの方まで響いてくる。
棚から自身のマグカップを手に取り、こちらにも氷を入れていく。同じように氷が無くなりかけている四人の分である。萩原にああ言ってはいるが、こうして用意するのだから何だかんだとやはり優しいのだ。
実は結加理の了承を得て、萩原と松田は自分用のマグカップを持ち込んでいたりする。それ程までに訪問頻度が高い。
離れた場所から響く氷の涼しげな音をBGMに話は続いていく。

「──今日、萩ちゃんと松田くんとみんなが遊んでる時に、私と出会った事、ただの偶然、ただ話を聞くきっかけだった、って思おうとしないで良いから」
「い、や、それは」

投げかけられた言葉へと瞬時に反応しきれず、降谷は一瞬返答に窮した。

「……先輩」
「おい、結加理サン」

一拍遅れて萩原が目を細めて制止の声を上げ、両手にグラスとマグカップを持ちながら戻ってくる途中だった松田も眉を顰めた。
二人とも降谷がフォークだから難色を示したわけでは無い。──例外を作るつもりか、という意味合いで反応したのだ。今の話の流れでは、まるで制度に関する面での協力を許可するような言い方に思えた。
実は既に一度、失敗している前例がある。
結加理はそれもあって今は個人として誰にも協力関係を築いていない。たった一人で関わってきたフォーク全てを相手に出来るわけなど無いのだから当然である。
そこに一人、例外など作ってしまえばどうなるか。そんなこと火を見るより明らかだろう。
フォークもギリギリで耐えている者が多い。己と同じ境遇の誰かがたった一人だけ結加理(ケーキ)から優遇される。それを知ったとして、ギリギリで耐えていた最後の理性の糸にトドメを刺しかねない。
フォークが同じフォークを認知できない分、周知されることも気づかれることも滅多なことでは無いだろう。だがそれでも、リスクなど負わないに越したことはない。
そんな深くまで巡らされている二人の思考に気付けずに一瞬降谷の顔が強張り両肩に力が入った。
降谷の様子に気付いてか気付かずしてか、結加理は片手と目で二人を制して言葉を続ける。

「さっき「萩ちゃんと一緒ならまたココに来て良い」って言ったじゃん。……ココに定期的に来てもらうついでにご飯食べてもらうってのは一石二鳥にならない? 萩ちゃんと一緒に複数人で、ってなれば他の目も誤魔化せるし」
「降谷の事を考えれば賛成したいところではあるよ。でも、自分のことをまず考えてよ。例外は作らない方が良いと思うんだけど」

難色を示された意味を正確に理解しての提案。だが萩原が頷くはずがない。
これは決して同期である降谷を蔑ろにしているわけでは無く、今に至るまで関わってきた数々のフォーク案件が頭から離れないでいる所為でもあった。
そこでようやく萩原たちが渋った理由を察して、当人である降谷も静観する他なかった諸伏と伊達も深く納得する。
ほんのり困ったように小さく肩を竦めて、結加理は喉を潤そうとマグカップを持ち上げた。しかしまだ熱い。先程淹れてからさほど時間が経っていない。その所為でまたもや少し冷めるまで待つ羽目になってしまった。
ムムッと口を歪ませた結加理を一瞥し、松田は無言のまま持ってきたばかりの氷を一つ彼女のマグカップの中に落としてやる。そしてそのまま自分の場所に座り直した。
さりげなくそういうことをやってのける、この男のずるいところである。

「ありがとー」
「おー。……いくら降谷(コイツ)が出来た人間だろうが理性が鋼だろうが、他のフォークがそうとは限んねぇだろ」
「まあ、そりゃそうなんだけど」

言いたいことは分からないでもないが全肯定もできない。
降谷の手前、言葉を選びながらも松田は諭すように言い募る。うーんと首を傾げながらも考えを改める様子のない結加理に、萩原は深く考え込むように重い息を吐いた。
そんな彼をしり目に結加理は降谷の方へと向き直る。

「私はフォークに食べ物扱いされるのも、誰かに物みたいに扱われるのも、真っ平ごめん」

これは彼女がケーキだと発覚してから割と早い段階から思い続けてきたことだ。そして今も変わらず心の底で燻ぶっていることだった。

「今まで関わりのあったフォークは、殆どみんな私を食べ物認識してた。そうじゃない場合でもケーキとしてしか私を見ない。後から『理性が戻ってきました〜仲良くして〜』なんて言われても、それが演技の可能性だってあるし信用できるわけない。……でも降谷くんは違うでしょ」
「……僕も、演技してるだけかもしれませんよ?」
「さっきのアレが演技ならマカデミー賞もんじゃない?」

何故そこまで全幅の信頼を寄せられるのか、全く理解できずに降谷は思わず怯む。目の前の人物が考えていることが読めない。分からない。
甘い話には裏がある、どうしてもその言葉がちらついてならないのだ。
結加理と付き合いの長い萩原と松田も予想外だったようで表情が硬い。
彼等の不信感を感じ取ったのか、彼女は困ったように右手で乱雑に前髪を掻き上げた。その目は若干据わっている。

「ってか、あのねぇ、コレ(・・)はフォークなのが降谷くんじゃなくて君らの誰であっても言ったからね?」

結加理がそう明言したのは理由がある。彼等の反応から、もしかすると降谷に対して特別な情を持ったように捉えられたのかもしれない、と判断した為だ。
無意識なのだろうが細められた目にほんのり苛立ちすら滲んでいる。

「萩ちゃんの友人が、将来有望なお巡りさんが、こんなところで潰れるなんて、最大限に能力を活かせなくなるなんて…………世界の損失でしかないじゃん。無理。耐えらんない」

そしてこの言である。
誇大表現とも取れる言葉選びに虚を突かれたのは何も降谷だけではない。その隣で諸伏もきょとりと目を丸くさせていた。

「……世界の損失、は、言いすぎじゃ」
「いーや、全く言いすぎなんかじゃない」

大袈裟な表現と言うなかれ。彼女にとっては言葉通りなのだ。深く考えて頭痛がしたのか右手でこめかみを抑えている。
この世界の誰が知らなくとも、結加理だけは知っている。彼等が大きな役割を担っている者たちであることを。詳細は曖昧になってしまっているが、それでも認識として根強いのだから余程なのだ、と。
……そんなことなど露知らず、向けられる無条件の信頼に対して逆に身構えられてしまっているのだから皮肉と言うもの。
どちらも必死だ。必死だからこそ常ならば気づけること、配慮出来ること、考え至れることまで思考が及ばない。ジリジリと喉元が詰まっていくような息苦しさを感じて焦燥ばかりが募る。

──ピンポーン

何とも張り詰めかけた空気を破ったのはインターホンの音だった。
リビングに落ちる無機質な電子音。結加理の表情が硬質なものに変わり、きつく眉間にしわが寄せられる。

(こんな時間に、誰……?)

夕方近くに彼らを招いてから時間も経過し、既に夜も深まっている。配送も頼んでいない。
訪れるような親戚も居ない。前触れも無く訪ねてくるような知り合いも居ない。そもそも結加理の立場や置かれている状況からして、訪問、来客などは珍しい。ましてやこんな時間になどありえない事だった。そのことを知っている萩原もまた表情を険しく立ち上がる。
女性の一人暮らし。ケーキ。この二つのどちらもが夜中の訪問者に対する不信感と警戒心を否応なしに跳ね上げさせた。

「俺が出るよ」
「ゴメン、頼んだ」

瞬時にピリついた空気が漂ったことに、松田はもちろん、降谷たちの意識も警察官側としての物に切り替わる。萩原に続いて立ち上がった松田はその背を追ってリビングに備え付けているモニターの元へ向かった。
部屋の鍵とは別に、専用の鍵が無ければマンション自体に出入りできないような仕組みになっている。そのため基本的に関係者以外はエントランスから中へ入ることが出来ないのだ。今しがたインターホンを鳴らした訪問者は玄関先ではなくマンションの一階にいる。

「……心当たりは?」
「全くない」

通話ボタンに手を伸ばした萩原から少し距離を取り、松田はその後ろからモニターを覗き込んでいる。視線を鋭くさせながら彼女へ問いかけた。
それに首を横に振りながら結加理も立ち上がろうとするが、片手で制される。

「はーい、どちらさんですか」
『っ、え、あ、まちがいましたぁ』

朗らかな声で応答した萩原は、口元こそ笑みを模ってはいるが目は真剣そのもの。
対して、モニター越しの人物はビクリと肩を跳ね上げた。視線を泳がせ早口でそう告げると足早に立ち去っていく。
酷く焦った様子で消えた人影。映っていた人物の姿を、萩原と松田は確かに見た。画質も荒く鮮明ではないが特徴を把握できるくらいには、しっかりと。
深くかぶった帽子に眼鏡とマスク。長い髪。ベージュのトップス。インターホン越しの声は高く、おそらくは女性であろう事が予測できる。

「……へぇ」
「女か」

薄暗がりに消えた暫定女性の姿に、萩原はスッと目を細め小さく呟いた。何かを見極めるかのような眼差しは真っ暗になったモニターから動かない。
反応から見て想定外の人物に驚いていたのは確かだろう。しかし本当に、単なる押し間違いであるかどうかまでは分からない。
だが、萩原の中で何かが引っ掛かっている。

(今のは、もしかして……)

顎に手を当て記憶を辿る萩原の横で、眉を顰めたまま松田は息を吐いた。完全に安心できたわけでは無いが、結加理の事を考えるとインターホンを鳴らしたのが男では無かっただけ多少はマシというもの。そう、多少は。

「先輩、ちょっと電話してくる」
「……うん」

一言断りを入れて萩原はリビングを出て洗面所へと向かった。
その背を見送り、結加理は意識して深く息を吐く。まさかこの話題の最中に不穏な空気になるとは全く考えていなかったのだ。
今しがたの訪問者が誰だったのかは、二人が結加理に見せようとしなかったためモニターに映った姿すら見ていない。しかし機械越しの音声は聞こえていた。思い当たる人物がいないわけでは無いのだが、たったそれだけで相手を特定など出来るわけがない。
なお思い当たる人物と言うのはフォークであり結加理に接触しようと動き続けている者たち数名のことである。

「お待たせ、とりあえず元の話に戻さねぇ?」

物の数分で戻ってきた萩原の眉が若干寄っていた。そして急とも思える話題転換。あまりこの一件について長引かせるつもりがないのは明らかだった。
この場に居るのは観察眼や洞察力の優れた者たちなわけで、そのことに気付かないわけがない。そして結加理もまた親しい者の微妙な変化には敏感だった。故に、萩原がどこに電話をかけたのかを正確に理解して嘆息する。察せないほど鈍くはない。
気遣わし気な色を含んだ萩原の視線を受けて、結加理は小さく頷く。しかし静かに瞑目したのち脱力した。

「……直前の話が何だったか、吹っ飛んじゃった……」

衝撃によって直前までの会話が吹っ飛んでいく現象は本日二度目である。項垂れた彼女に、萩原がまだ硬さが残っていた表情を若干やわらげた。

「あー、直前ねぇ」
「……なんでゼロに対して協力的なのか?」
「世界の損失って言っていた気がするな」
「「それだ」」

諸伏と伊達からそれぞれ声を上がる。居心地悪げに降谷の肩が僅かに揺れた。発言しようと口を開いてはそのまま噤む、この繰り返し。自身が渦中にいる所為か中々口を挟めずにいたのだ。

「……うん、そうだね。世界の損失だよね」
「……、……、まだそれを言うんですか……?」
「まあ、それはさて置いて」
「置いておくんですね……」

思わずといったように降谷、諸伏から口々にツッコミを入れられながらも結加理は顔を上げる。
こうも軽く言葉を向けてくれるようになったのは彼等が結加理に慣れてきたからなのか、それとも空気を少しでも和ませようとしてくれたのか。もしかしたらどちらもなのだろうか。

「あのね、何も私だってボランティアとか慈善的な考えで降谷くんに提案したんじゃないの。……こんなところで、フォークだからって理由で、将来有望なお巡りさんが潰れてくなんて断固、お断り」

顔を歪め、耐えがたいと連呼するその声色に滲む苦渋。先程と似たような言葉を連ねながら彼女は組んだ両手に力を込めた。

「フォーク発症した人間の味覚を取り戻す研究とか、いつになったら成果が出るのか分からないわけでしょ。だって今の今まで進展なしだよ? これから先、本当にまともな研究結果が出るとも限らない」

彼女の眼に影が落ちる。とうとう疲れを隠し切れず滲み出てきてしまっていた。
八方ふさがりな現状。それはフォークもケーキも同じことだ。
……まあ、それが上手くいっていないから世の中に凄惨な事件が溢れているのだと結加理は思っている。

「そんな、現時点でほとんど希望が持てないような分野に縋って、ただ待つだけなんて謹んでお断りするわ」

今取れる手段が限られているなら、その中でどうにかやり繰りしていくしかない。
限りなく正論だった。そして、長年ケーキとフォークに振り回され続けてきただけ、その言葉には重みがあった。

「私にとっても死活問題なワケよ。いい? この提案は私自身の為でもあるの」

力強い瞳で萩原を一瞥し、結加理は降谷へと視線を滑らせる。真っ直ぐにその眼差しを受けた降谷はグッと息を詰めた。動揺を隠しきれずに揺れる薄青の瞳を捕らえて決して逸らさせはしない。

「無理強いはしないから。でも、私は君に手を貸すことに抵抗はない、ということは忘れないでほしい。定期的に食事を取りに来る、って選択肢は視野に入れておいて」
「……はい」

お巡りさんが足を運んでくれるって、本当に安全面で効果抜群なんだからさ。そう告げて結加理は肩を竦める。
だから最初に「一石二鳥にならないか」と言ったのだ。

「あ、でも部署によっては他人の手料理とかダメな所あるんだっけ? それも踏まえて考えてね」
(((((いや多分、それは相当特殊な部署)))))

何かを思い出したように付け加えられた言葉に、五人の思考が重なる。
まず初っ端からそんな特殊な部署に引き抜かれるだろう事はないだろうことから、おそらく彼女の心配は無用なものだ。……などという降谷の考えは数か月後に覆される。
そして、特殊な部署の関係により、別な意味で協力者としての必要性が浮上するというのも、今はまだ知らない話だ。


2023/10/3/
本当にマジで終わらない。メイン軸と言うか本編で書いていないような夢主と萩原くんの関係性をここぞとばかりに番外編で先に書くなお前〜、と言う気持ちで書いている。


- 27 -

前次

いずれ散り逝く命としても
トップページへ