理由に囚われて




ピエロが持つカラフルな風船が風に漂う。その内の一つが新しい季節の絵柄に変わっている事に気付く程、随分とこの場所で時間を過ごした。毎日がお祭り騒ぎのポケモンワールドトーナメント。ここには単純に強いトレーナーしかいない。それは私にとっても学ぶ事が多く中々離れ難い場所なのだが、バトル狂のレッドくんからすればまさに絶好の場所とも言えるだろう。

心底よかったと思っている。何せこの場所がある限りレッドくんはどこにも行かないのだから。同じマサラタウンに住んでいたというだけで、幾度となくグリーンくんの変わりにシロガネ山の山頂まで食料を届けていた日々が懐かしい。さらば極寒の日々。ありがとうヤーコンさん、ありがとうホドモエシティ。

「黄色い悪魔の名は健在か…」

通りかかった電光掲示板に映し出された今日の優勝者の写真。そこには満面の笑みの黄色い悪魔ことピカチュウと最早ここまで真逆だと面白いほど真顔のレッドくん。せっかく優勝したのだからもう少し愛想よく笑えばいいのに。それでもこの愛想のなさも周りにはよく映るらしい。強くてかっこいいレッドくんは大人気だ。イケメンは何をしてもプラスになるから世の中不公正だと思う。

「口、開いてる」

「え!?」

電光掲示板が喋った!肩が大きく跳ね上がり、心臓の鼓動が慌ただしく動く。もちろん電光掲示板が喋るわけもないのでとりあえず指摘された口を閉じてから振り返る。本日の優勝者のご登場だ。電光掲示板の情報だって速報だろうに、会場から出てくるの早すぎやしませんか。足が長いのかそうか。ハイスペックが憎い。

「マダツボミみたい」

「ひどい」

「見に来てたの?」

「ううん、たまたま通りかかっただけだよ」

「そう」

よく無表情や無関心と言われるレッドくんだけど案外そうでもない。過酷な環境であるシロガネ山に通っていた努力の成果かもしれないが、レッドくんの感情はいくらか読み取れるようになっていた。強い相手とバトルをしている時は楽しい、ポケモンたちがダメージを負った時は不安と怒りが入り混じる。改めて考えてみればレッドくんの表情というよりは空気で感じ取れるという方が正しいかもしれない。だからこそ今の空気には嫌な予感がする。

「レッドくん?」

「なに」

「怒ってる?」

「別に」

「嘘だ」

「……」

とても不機嫌だ。その理由が見当たらないので私は素直に首を傾げた。怒らせる事はしていないし、むしろマダツボミに例えられた私が怒ってもいいはずなのに。自らに非がない以上、ここは粘ってみよう。私から言葉を発しないでいればレッドくんは観念したように溜息を吐き出した。

「最近、何で見に来ないの」

「あ、試合のこと?」

「うん」

「いや毎回レッドくんにボッコボコにされるグリーンくんを見るのも辛いものがあるというか」

「今回の試合はグリーンとあたってない」

「そうでした」

理由として決して嘘ではない。グリーンくんに関して、レッドくんはあまりにも情けがないからだ。旧知の仲としてお互いの手の内を知り尽くしているとはいえ、もう少しパフォーマンス要素を意識してもいい気がする。私と世間からしてみればグリーンくんだってとても強い。このトーナメントで優勝している姿だって幾度となく見ている。それでもレッドくんとの相性は最悪だ。

「他は。何の理由があるの」

珍しくレッドくんがムキになっている。私なんかが見に来なくても他に応援してくれる人はここに来てたくさん出来たじゃない。言葉は余計にレッドくんの不機嫌さを募らせるだけなので飲み込んだ。確かに以前は試合を毎回といっていいほど見に来ていた。その場でしか体感できない臨場感に手に汗を握り、結果に一喜一憂したものだ。優勝なんてしたものなら息を切らして観客席を駆け下りて、会場の入り口でレッドくんの帰りを待った。手を叩いて祝福していたあの頃が懐かしい。

「うーん…」

「言えないこと?」

「いや言えないとかじゃなくて…」

「なに」

「録画してあるから」

「……うん?」

それはレッドくんにとって予想外の答えだったようだ。もっと複雑な理由を予想していたならば申し訳ない。だからといって嘘をついても仕方がないので私はありのままの理由を並べていく。

「試合って毎回中継してるじゃない?だから後でゆっくり見れるというか…」

「中継、知らない」

「え!?何台もカメラ回ってるよ!?」

「興味ない」

「びっくりするくらい納得のいく理由…だからレッドくんの試合を見ていないわけじゃないんだよ」

むしろ誰よりも詳しい自信がある。あの試合のあの場面のピカチュウの動きが、なんて語ることは容易い。見に行っていれば一瞬の動きも録画であれば何度でも、しかもスローで見返す事が出来る。強いトレーナー同士のバトルはこれ以上ない研究資料だ。それからもう一つ。何と言ってもこれが一番の理由になるのだが、レッドくんのイケメン具合に屈するようで悔しい。悔しいけれど、レッドくんが絶対に言い返せない自信があった。

「あとレッドくんの顔、よく見えないから」

「顔……?」

「レッドくん、癖で帽子のツバを下げるでしょ?見に行くと会場の作りもあるかもしれないけど顔が見れなくて」

「……」

「テレビ局の人、上手にレッドくんの顔を映してくれるんだよ。録画だとバッチリ」

バトルをしているレッドくんはどんな時よりも楽しそうだ。漂う空気からも感じ取れるが、それとは別にはっきりと形として現れる時がある。それは自らが押されている状況の中で逆転の道筋を見つけた時、レッドくんは一瞬だけ口元に笑みを作り出す。中継が入っている事に気付いていなかったレッドくんは知らないかもしれないが、それには私もテレビ局の人も気付いていた。グッジョブ。だから必ず、テレビにはレッドくんの笑みが映し出される。挑発的であり、幼い無邪気さも込められたあの笑顔が私は大好きだ。掘り下げたところまでは伝えなかったにしても、決して試合を見たくないわけではないことは理解してもらえたはず。

「ねえ」

「ん?」

「じゃあ、こうしよ」

あまりにも自然にレッドくんが自らの帽子を渡してくるので、そのままあっさりと受け取ってしまった。レッドくんのトレードマークと言ってもいいほどの大切な帽子を、なぜ私が。疑問に思う時間はとても短かった。普段はこの帽子によって隠されているレッドくんの顔が当然ながらよく見えて、私はすぐにその事実に捕らわれる。

「それ、渡しとくから」

「え、で、でも」

「明日帰して」

「明日って…レッドくん明日も試合が…」

「問題解決。それに録画じゃ駄目な理由、出来たでしょ」

その笑みは私が大好きなものと同じだった。画面越しにしか見れなかったそれが今、私だけに向けられている。どうしようなんだかドキドキしてきた。返事を待つように見つめてくるレッドくんに思考がショート寸前の私は言葉を選べずに何度も何度も頷く。あれ、この感じ、なんだっけ。真っ赤な顔を見られまいと私はレッドくんの帽子を深く被った。