願いが叶う夜のこと




状況を瞬時に判断し、迷いを感じさせない的確な指示。そして何より揺るがないポケモンたちとの信頼。ぎゅうっと握りしめた手が痛くなるような試合の中でも、ユウキくんがチャンピオンになることは最早必然的のようにすら感じた。

「チャンピオンおめでとう、ユウキくん」

「ありがと」

久しぶりにミシロタウンに帰ってきたユウキくんに待っていたのは惜しみもない歓喜と祝福。当然だ。こんな田舎町から天下のリーグチャンピオンが誕生するだなんて誰も予想していなかっただろう。町の人々の声にどこか照れくさそうに笑うユウキくんと私がこうして向かい合って話すことができたのは夜も遅い時間になってからのことだった。

「中継みてたんだよ!ラグラージ大活躍だったね」

「あれ中継してたんだ、知らなかった」

「ばっちり映ってた。録画してあるからあとで見てみる?」

「いや、いい。というか消して。恥ずかしいから」

「だめだよ」

「俺がだめだよ」

「ケチ」

「聞こえません。わかったらちゃんと消してね」

「はーい」

気の抜けた返事はその場しのぎということくらいユウキくんにだってわかっているはず。けれどそれ以上を問い詰めないのはユウキくんの優しさだろう。優しいところも変わらない。やっと訪れたユウキくんと話せる時間に私は胸のどきどきを抑えるのに必死だ。

「チャンピオン、本当にすごいなあ」

「ポケモンたちと積み重ねてきた日々の努力の結果です」

「それは?」

「チャンピオンに用意された完璧なシナリオ。これを言っておけばいいみたいだよ、肩がこるね」

「でもポケモンたちと頑張ってきた日々は本物だよ」

「それはそうだね。みんながいなければできなかったことだ」

腰につけたボールを見つめながら薄く微笑んだユウキくんは私の知っている彼よりもずっとずっと大人びて見えた。時の流れがそうさせているだけなのか。いや、きっと違う。ユウキくんは私が知らないたくさんの経験と苦難を乗り越えてきた。チャンピオンはポケモンの強さだけがあってなれるものではない。トレーナー自身も強い精神力をもっていなければ立つことが許されない場所なのだ。

「これから忙しくなるね」

「うん、ここに戻ってこれるのもいつになるかわからない」

「そ、そうだよね」

落ち込んではいけない。そんなことくらいユウキくんがチャンピオンになった時点でわかっていたことだ。覚悟もしていた。だから笑える準備だって出来ていたのに。

「がんばってね」

やっぱり駄目じゃないか。私はちゃんと笑えているのか。それとも笑おうとして泣いているのか。瞳からぼろぼろとこぼれ落ちる涙に心底嫌気がさす。どうして泣く必要があるの。せっかくユウキくんがチャンピオンになったのに。チャンピオンだなんて誰だってなれるものではないのに。嬉しくて仕方がなくて、悲しくて仕方がない。

「名前は相変わらず不器用だね」

「そ、そんなこと、」

「泣き顔で応援されたって嬉しくないよ。それに作り笑顔がへたくそすぎる。トータル30点」

「さんじゅってん」

「嘘をつくならもっと上手くやるべきだね」

けたけたと音をたてて笑ったユウキくんに私は何も言い返すことができずに立ち尽くす。すべてがお見通し。これでもかというほどに私の意地も嘘もユウキくんには敵うはずがなかったことを思い知らされる。

「本当はどう思ってるの」

「どうって」

「嘘じゃない、名前が今思ってること。正直に俺に教えて」

「応援してる、チャンピオンのこと」

「今、ちゃんと言わないと怒るかもよ」

「………ユウキくんが遠い」

「うん」

「今までだって遠かったのにこれ以上遠くなったら、話もできなくなる」

「うん」

「だから、せめてたまにはここに」

テレビの画面を通してではなく目をみて表情を確かめてユウキくんがここにいるという実感を得たい。けれどそれは私が抱くただのわがまま。チャンピオンである彼に言うべき言葉ではなかったと私は顔を俯かせる。いざユウキくんを前にすると何もかもがうまくいかない。

「うん、よくわかった。それなら問題ないね」

あっさりとした言葉とは似つかずにユウキくんは私の頭を優しく撫でた。驚きのままに顔をあげるが髪を整えることも忘れ呆気に取られてしまう。

「ずっとこうしたいと思ってたんだけど俺には俺自身を守るだけで精一杯の中途半端な力しかなかったから。勝手に連れだして怪我させるなんて無責任なことは出来ないし」

「え、と」

「だから俺はチャンピオンになった。これで中途半端じゃないと自惚れるなんてことはしないけどひとつのけじめだね。名前の気持ちは不確かだったからまあ不安要素だったけど、結果的には俺の考え通りだ」

「ユウキくん」

「わくわくしない?ずっと欲しかったものがようやく手に入る。誰にも文句は言わせないよ」

私の思考を置いてきぼりにユウキくんは何やらとても楽しげだ。腰につけていたボールの一つを手に取れば現れたのはフライゴン。パタパタと羽を動かしたあと丸い瞳が私をとらえて、主人同様楽しげに笑ってみせた。

「フライゴン、いつもよりちょっと重たいけど頼んだよ」

「ユウキくん、何がどうなって」

「うん?簡単な話」

先ほどの大人びた表情はどこへやら。まるで悪戯を成功させた子どものように口角をあげてみせたユウキくんは私に向かって手を伸ばす。ずっとずっと遠くに感じていた。それでもユウキくんはこんなにも近くで、私が届く距離に手を差しのべてくれている。

「名前をむかえに来たんだよ」

これは夢だなんてベタなことすら考えられないほどに頭の中が真っ白になって、私はただただ涙を流す。思考が停止していても心の奥底では自然と嬉しいという感情を表しているようだ。やっとのことで震える手を伸ばしてみれば痺れをきらしたようにユウキくんは私を引き寄せた。

「まだ泣いているの?」

「うれ、し、くて……」

「ならいいけど。泣き止むまでこうしてる。名前は泣き虫だから」

仕方ないなあという柔らかいため息が聞こえたあとまるで私を安心させるかのように全身に込められた強い力。ユウキくんがここにいる証に私の涙はまだまだ止まることはなく、しばらくはこのままだろうと自分のことながら悟る。それどころかずっとこのままでいれたら、なんてユウキくんに聞かれたら呆れられそうなことを考えた。