秘密の場面にいこう
秘密の場所があるんだ。そう言った彼が連れてきてくれたのは茂みの中。外からみればただの茂みだったが、その中には秘密基地のような小さな空間が広がっていた。本来ならばポケモンの隠れ家であることを教えて貰い、ポケモンが留守の今は少しだけこの場を借りるらしい。
「寒くない?」
「大丈夫です」
「なら、まず怪我見せて」
僅かな躊躇いのあと血が流れている膝をそっと差し出せば彼はその傷をしばらく見つめたあと、腰につけているボールの一つに手をかけた。眩い光を放ちながらボールから現れたのはラプラス。本物は思っていたよりもずっと大きい。
「ラプラス、血と砂を」
彼の指示に頷いたラプラスは口から傷口に響かない威力で水を出してくれた。ツンと刺さる痛みに少しだけ顔を歪める。あらかじめ持ってきていたのだろうか。ポケットから包帯を取り出した彼は慣れた手つきで私にそれを巻いていく。視線のやり場に困りラプラスを見れば、自らの主人の隣にいる見たこともない私が珍しいのか不思議そうに首を傾げていた。
「痛い?」
「少し…」
「帰ったらちゃんと消毒しよう。ラプラスありがとう」
大きな体のラプラスが一瞬でボールの中に収まっていく。目の前で起こっている出来事なのに未だに信じられない。
「……さっきは、グリーンがごめん。あ、グリーンってあのツンツン頭のやつ。俺の名前はレッド」
「レッド……くん」
「ん。きみの名前は?言える?言いたくなかったらそれでもいい」
「私は、名前です」
「名前、じゃあ名前、俺からきみに話せることは……たくさんあるけど、きみから俺に話せることはある?」
「私から…?」
「なんでもいいよ。ゆっくりでいい。伝えるのは難しいけれど言わなきゃわからないこともある。わからないことがあるなら、そのわからないことを話せばいい」
大丈夫、話すのは俺もあまり得意じゃない。あれこれと私に話してくれたあとに真剣な顔でそんなことを言うものだからあまりの矛盾に少しだけ可笑しくなってしまった。確かに出会ったとき、レッドくんは一言も私に言葉を発しなかった。今はきっと私のために考えて考えて言葉を紡いでくれていることだろう。
「何もわからないんです。気づいたらここに、レッドくんたちがバトルをしていたあの場面にいました。ポケモンのことは知っています。それでもここは私のいた世界ではないんです。あの、ほんと何を言ってるかわからないと思うんですけど私もわからないんです」
「そう」
「レッドくんたちのバトルを邪魔してしまってごめんなさい…面倒を見させてしまいましたよね、それに勝手に逃げ出してきて、また迷惑かけて、あ、いや泣きたいわけじゃないのでこれは、気にしないでもらって」
「うん、だいたいわかった。もう大丈夫」
レッドくんの手が慣れてない手つきで帽子の上から私の頭を撫でる。何がわかったのか、何が大丈夫なのか。聞かなくてはいけないのに涙は止まらない。泣いてしまったその時に頭を撫でられるだなんて、涙を止めたいときには逆効果だ。これ以上迷惑をかけられないという考えと、1人にしないで見捨てないでという浅はかな欲。
「ここは不思議な世界だよ。代わりにどんなに不思議なことも受け入れる。俺はそんな不思議をたくさんみてきた。きみもその一つ」
帽子をさらに深く深く被り直されて、レッドくんは私をぎゅうっと抱きしめてくれた。全身の痛みが伝わる熱に溶けていく。もういいや。わがままに身を任せて私は小さな子どものように涙を隠すことなく泣いた。ぽん、ぽんと定期的な速度で背中を叩いてくれる。落ち着くまでそうしてくれると、泣き止んだあとも傍にいると、私が何も言わずともレッドくんはそう言ってくれた。たとえそれが自らのバトルによって怪我をさせてしまった罪悪感からだと知っていても私はそれに縋るしかなかった。