涙と意地と願い事




心のどこかですぐにポケモンたちが駆け寄って来てくれることを期待した。自惚れではないがポケモンたちとは家族のような関係であると思っている。私の声が届いていないはずもなく、この状況を察していないはずもない。それでも今、私は1人だ。1人で白もじゃと見つめ合っている。どうして。涙に悲しみが混ざり込み、ついに目を逸らして俯いてしまった。 すぐに襲いかかってきた逃げ出したいという感情は白もじゃが私の腕を掴んできたので行動に移せず、感情だけがまた涙に変わる。

「離してください」

「離さねえ」

「放って置いてください」

「それもきけねえ。諦めろ。泣いたおまえの負けだ。天下の負けなしチャンピオン様がざまあねえな」

何を言っているの。言い返そうと息を吸い込んでも涙のせいで上手く言葉に出来ない。挑戦者の涙は幾度となく見てきたが、私自身が泣くなんて行為は久しぶりだ。こんなにも自分のコントロールを失うものだっただろうか。瞳から溢れ出した涙が砂浜に跡を残していく。

「全部白状してもらうからな」

聞こえた声があまりにも悲しみを含んでいたから、思わず視界の端に白もじゃを映す。その表情は声よりもずっと悲しそうに見えた。そんな顔知らない。泣く事しか出来ない私がそんなにも哀れなのか、それとも泣かせてしまったという情の表れか。

「いつからそうしてた」

「……」

「いつからそんな顔をしなきゃいけなくなった」

「……」

いつから、そんなのチャンピオンになった時からずっとだ。掴んだ達成感よりも与えられた責任感ばかりが膨らみ続け、私はそれを保つためにチャンピオンとしての行動と笑顔で自分を守った。手探りでも上手くいっていたような気がして、それでもこれが正解だと、私は間違っていないと認めてくれる証はない。力不足だと言われるのが怖い。アローラの顔として集められた期待を裏切りたくなかった。

「あなたには関係ない」

「まあそうだろうな。でも関係なくないんだよ」

「なに、じゃあ、どうすればいいんですか」

自嘲の笑みを浮かべた私は理想のチャンピオンから最も遠い場所にいた。とても醜い、やつ当たりだ。頭では理解していても溢れてしまった真っ黒な感情は止まらない。

「真顔でいればよかった?それとも常に保たなければいけない緊張感に震えていればよかった?そんな事許されない。どこにいても私はチャンピオンでなければいけなかったんです。たとえ嘘の笑顔でも…!」

「知ってる。んな事、随分前から気付いてた。さっきのだってそういう意味じゃなかったんだよ」

どうして白もじゃが戸惑うの。私の前で首を傾げる白もじゃは必死に言葉を選んでいるように見えた。どんな言葉も今となっては意味なんて成さないのに。

「わっかんねえ!!」

「は…?」

「こういう時に何を言えばいいのかわかんねえんだよ!!」

「なんと無計画な」

「悪かったな!だから!」

白もじゃが大きな凛とした声で呼んだ、なまえは、そうだ、私の名前だ。思わず背筋が伸びた。それと同時にまた視界が涙で歪んでいく。白もじゃが確かに呼んだ私の名前。いつ以来だろうか、チャンピオンではないただの私を呼ぶ声は。

「おまえは今、俺に何をして欲しい」

「この腕を」

「離せとかは聞けねえからな。わかってるだろ。チャンピオンじゃねえ、おまえに聞いてるんだぞ」

真っ直ぐな瞳。全てが見透かされているような気がした。私の弱さ、偽り、そしてどこかで求めていた救い。その全てにいつから気付いていたのだろう。そもそも今日だって最初から気まぐれにしてはおかしかった。私の予定に付き合うというのは建前で、隙あらばバトルを仕掛けてくるのではないかと思っていたほど。けれど違う。きっと白もじゃの目的は私を。

「グズマさん」

初めて、一度、その名を呼ぶ。情けないな、声が震えている。私の言葉は予想していないものだったのか腕を掴む腕に一瞬、強い力が込もった。

「1人が怖かった時はありますか」

「ある」

「周りの期待に押しつぶされそうになった時もありますか」

「ある」

「その時、誰かにして欲しかったことはありますか」

「……ある」

「じゃあそのときあなたがして欲しかったこと、それが私のして欲しいこと」

「俺は」

僅かな時間の後、腕を掴んでいた手がゆっくりと私の背中にまわる。私のものではない温度と全身に伝わる力はグズマさんの存在と私の存在を確かめることが出来るように思えた。ずっと背負ってきた荷物を少しだけ降ろしてもいい時間。その安心感に身を任せて私もグズマさんの背中に腕を回す。

「私そんなに下手だったかなあ」

「おまえは上手にやってたよ」

「さっき胡散臭いって言ったじゃないですか」

「俺はそう思ったんだよ。他の奴らはそんな事、微塵も思っちゃいねえだろうけどな」

「どうして?」

「知るかよ」

「変なの」

「変だよな」

大きな手が私の頭を包む。こんなにもボロボロの姿を見れてしまった。その上、何もかも見抜かれていたならばもういいや。諦めに似た感情が私をとても素直にさせる。涙をそのままにしてしまおう。泣き止むまで離れないで。それから、我が儘をもう一つ叶えて欲しい。

「グズマさん、もう一度だけ、私の名前を」

今だけでいい。明日からはまた嘘を塗り固めたって構わない。またアローラの地に望まれるチャンピオンに戻るから、どうか今だけはただの私を認めて。