サラシバ


bug-3 02


※夢主目線※


 羽宮一虎に見つかったのは、わたしの自業自得だった。
 転校が決まった時、友人には、打たれる前にしゃべってほしいと伝えておいた。わたしの転校先なんて、職員室にでも行けば分かってしまうだろうし、何より、もうあんな思いをするのは嫌だった。
 引っ越し先は他県だし、都心からも少し離れていたから、上手くすれば逃げ切れるかもしれない。そんな甘い考えでいたのも事実だ。
 だから、不良グループに拉致されて、道中でその名を聞いた時にも、それほど驚きはしなかった。
 約二年振りに会った彼は髪形が変わっていて、背もだいぶ伸びていた。彼が動くたびに、その左耳にぶら下がった鈴が冷たく小さな音を立てていた。

 捕まってしまった。

 息苦しくて、口の中も乾いていた。
 冷えた指先は少し震えていた。
 肩や背中の辺りを、ヒリヒリとした何かが這い廻っていた。
 彼はわたしを「今の仲間」に引き合わせた。今はもう営業していないゲームセンター。紫煙の満ちた、嫌な臭いのするその場所で、わたしは再び、羽宮一虎のカノジョとして紹介された。
 誰か、わたしが攫われたことに気付いているだろうか。
 自宅近くの道路には、わたしの私物が散乱している筈だった。生徒手帳も携帯電話も、全てその中に入っていた。派手な道中だったので、きっと目撃者には事欠かないだろう。けれど、誰が探してくれるにしても、今すぐに、とは行くまい。
 わたしの不安を余所に、彼はずっと上機嫌だった。わたしを気遣い、彼の自宅へと招き入れた。そこはきれいな七階建てのマンションで、こざっぱりとした印象の部屋だった。生活レベルはうちと同じくらいだろうか。「不良は貧乏」という勝手なイメージがあったわたしは、ほんの少しだけ驚いた。
 彼はわたしを自室へ通すと、ベッドの上に座らせ、自分はその後ろ側から挟み込むようにして座った。
 耳元に彼の息遣いが聞こえる。
 わたしの腹の辺りに手を回し、
「お前、ちょっと太ったよな」
 とふざけた声でそう言った。
 事実だ。
 睡眠導入剤、抗うつ剤、抗不安剤、安定剤、頭痛薬、胃薬、いくつかの薬がその原因と思われた。
 彼はわたしの頬に自分の頬を擦り付け、さも愛おし気な声音でわたしの名前を呼んだ。
「夢子ちゃん、会いたかった」
 体温を含んだ吐息。首筋をなぞる唇。彼の心音を、背中に感じる。
 彼が動くたびに、チリチリと無機質な音が耳に障った。
「電話したんだ、何回も。家にも行ったんだぜ? 花持ってさ。けど全部お前の親に邪魔された」
 何度か、ゴミ箱の中に押し込められた花束を見たことがあった。玄関の前で親が彼と揉めているのも聞いたことがあった。警察署に相談して、巡回を増やしてもらった。彼が来なくなったのは、そのせいなのか、それとも少年院に入ったからなのか、よく分からない。
「会えないまんまでオレ、少年院入っちゃったし。ずっと会いたくてさ。手紙も書こうと思ったんだけど、全然うまく書けなくて」
 彼が少年院に入る頃、わたしの方は転校が決まって、引っ越しの準備に追われていた。移動したところで彼の影が霧散するわけではなかったけれど、教室内は既に針の筵(むしろ)と化していたし、県境を越えるのであれば少しはマシかもしれない、そう思っていた。
 ごめんなぁ、と切ないような声で言い、わたしを抱え込む腕に力を込めた。
 服越しに伝わる体温が、抱きしめられる時の息苦しさが、ほんの少しだけ心地よく、だからこそ酷く気分が悪くなった。
「オレ、今すっごく幸せ。オレがドキドキしてるの、分かる?」
「……うん」
「夢子ちゃんは? ドキドキしてる?」
「……うん」
 してるよ、二年振りに名前を聞いてから、ずっと。そんな皮肉めいた受け答えが脳裏を過ぎる。
 彼は制服の裾からわたしの胸元に手を差し入れ、ホントだ、と嬉しそうに言った。
「オレとおんなじ」
 無遠慮な手が不快だった。
 嫌なものは嫌と言え、いざという時は無事に帰ることだけを考えろ、二つの声が頭の中で拮抗する。
 わたしは、彼を否定するでもなく、肯定するでもなく、ただ身を硬くしていた。
「オレが怖い?」
 図星を突かれ、息を呑んだ。
「怖がらなくていいよ、一生大事にするって言ったろ?」
 大きな手が、わたしの頭を撫でる。ほんの一瞬、あの日の出来事が蘇る。
 少し身体を開いた彼に、オレの方見て、と言われ、飛びかけた意識を必死に引き戻し、モゾモゾとそれに従った。
 羽宮一虎が、わたしをじっと見つめて微笑んでいる。
 それは二年前と異質な笑みだった。
 わたしの冷え切った手を、彼が包み込む。

「オレは夢子ちゃんの事が、だぁい好き。夢子ちゃんは?」

 羽宮一虎が、試すような顔で笑う。
 これは審問だ。
 今まで一度も訊いたことなかったクセに。
 気持ちの悪い汗が、じっとりと肌を濡らしていく。
 選択肢などない。
 乾いた喉を誤魔化す為に、ありもしない唾液を飲み込んだ。
「……好きだよ、わたしも」
「本当? 嬉しいなぁ」
 へにゃりと表情を崩す。少し首を傾げ、にやにやと次の問いを放つ。
「どこが? オレのどこが好き?」
「……い、一途なところ」
「他には?」
「……明るいところ」
「他には?」
「……っ、優しいところ」
「他には?」
「……背が、高いところ」

「他には?」

「他には?」

「他には?」

 もうやめて、と泣き叫んでしまいたかった。必死にこらえた涙が、甲斐なく溢れてしまったのはいくつめの質問の時だったろうか。
 殴られる、と思った瞬間に、わたしは彼の胸にしがみついていた。
「あ、会いたかった……」
 浅い呼吸に溺れながら、声を絞り出した。
「一虎くん、好き、大好き」

 だから、……

 彼の服を、縋るように掴む。
 大きな手が、罪を生む大きなその手が、わたしの髪を撫で、肩を撫で、背中を撫でる。
「夢子ちゃん」

 わたしは何をしているのだろう。

 羽宮一虎は、手を振り上げたりなどしなかったのに。
「オレもおんなじ気持ちだよ」

 わたしはなんて卑しい人間なのだろう。

「待たせちゃってごめんね」

 噓をついた。自分の身を守る為だけに、心にもないことを口走った。

「夢子ちゃん」

 肩に手を置き、優しく引き剥がす。
 慈愛に満ちた彼の目を見て、わたしは自分の行動が正しかったと俄かに安堵した。

「マイキー殺したら、ちゃんと一緒になろ。それまではオレの部屋で我慢してね」

 血の気が引いた。
 彼の言葉の意味を処理できず、涙さえ止まって、ただ目を開いて彼の笑顔を見ていた。

「ひとつになろ、夢子ちゃん」


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