サラシバ


1話 野良公


 僕があいつに会ったのは、たしか十才の夏だった。

 酷く痩せていて、髪はだらしなくぼさぼさに伸びているし、来ているものはボロ布と言った方が早くって、それをくくりつけるようにして着ていた。泥と傷とで随分汚かったし、暑さのせいか、つんと来るような臭いもした。
「面白いやつを見つけた、こいつはものになるぞ」
 そう言って、近藤さんがあいつを拾ってきたんだ。それから風呂に入れ、食事もとらせてやった。あいつは阿呆みたいにへらへら笑って、図々しくおかわりまでしていたっけ。
 僕より背が低かったし、声もずっと子供っぽかったから、多分、年下だろうと思った。
 近藤さんの言うには、「家も名前も、自分の年もわからない」そうで、名前を訊いたら「のらこう」と答えたんだって。「最初に会ったやつが、そう呼んだ」って。

 近藤さんは、僕に「弟と思って可愛がってやれ」って、言ったんだ。
 嫌だったなぁ。

 好きなだけここにいていい、と言われて、あいつは四日いた。
 四日いて、その間にあれこれ興味深そうに眺めたり、手伝いをしたりしてた。僕は近藤さんから、あいつに手伝いを教えてやるように言われていたから、仕方なく、洗濯や掃除のやり方を教えた。自分のことは何も分からない癖に、どういうわけか仕事の覚えは早かったなぁ。
 あいつはいつでも笑っていて、皆にも「のら」と呼ばれて可愛がられていたし、食い扶持が増えて不機嫌なおかみさんにも、何故かよくなついてた。ひょっとすると、ただ餌付けされてただけなのかもしれないけど。

 それが、ふっといなくなったんだ。

 あいつは莫迦だから、きっと猫でも追っかけてるうちに、ここへ世話になってたことも、すっかり忘れてしまったんだろう。皆もだいたい同じように考えていたみたいで、けど、僕とは違って、あいつのことを心配してた。
 ひと月以上経って、皆があいつはもう戻らないだろうと思い始めた頃、あいつはまた現れた。

 相変わらず痩せていて、やっぱり手足は細かい傷と泥で汚くなっていた。でもその割に、ここで与えた着物はきれいなままだった。それから、どういうわけか、風呂敷包みを背負っていて、青々と葉の伸びた大根を三本抱えていた。

 あいつは、煮てくれ、と言ってそれをおかみさんに渡した。風呂敷を広げると、芋がらと人参が出てきた。
 おかみさんは受け取らず、盗んで来たんじゃないかってあいつを問い詰めた。あいつは、余所で手伝いをしてもらったものだと言った。

 ここを出たあの日、あいつは特に理由なく外へ出て、なんとなく歩き回ったんだそうだよ。それから畑のたくさんある辺りへ出て、畑仕事を手伝った。それで、その礼に野菜をもらって、それを煮物にしてもらおうと、ここまで運んだ。そう話してた。
「ばかだね、夏の大根なんか辛いんだから、煮たって旨かないよ。さっさと洗っといで」
 おかみさんは文句を言ってたけど、結局ふろふき大根を作った。おかみさんの言った通り、大根は辛くって、あんまり箸のすすむものじゃなかった。味噌だれが甘ければよかったんだろうけど、おかみさんはその辺の匙加減があまり上手くないからね。
 あいつはそれを、満足そうにばくばく食べてたよ。

 あいつは話すのが下手だから、始めっから最後まで、意味もないことも含めて全部しゃべるんだ。
 見かけた猫の模様がどうとか、根付の鈴の音がどうとか、どこだかの家の前で大きな音が聞こえてきて、何回鳴ったあたりで寺の鐘だと気付いただとか。一つでも省かせようとすると、途端に分からなくなってしまう。
 本当、莫迦だよね。
 あの時の話も長かったなぁ。何せ、ひと月分だから。

 けれどまぁ、あいつに嘘をつくほどの知恵もないだろうって、皆はそう納得した。

 出ていく時には誰かに言え、それからなるべく早く帰ってこい、そう言われてたのに、あいつは三日もするとまた姿を消したんだ。一応、「出かけてくる」と言い残して。
 戻ったのは七日だか八日だかそのくらいで、今度は手にいくらかの金を持っていた。それを近藤さんに渡して、大工を手伝った礼にもらった、自分は近藤さんにまだ礼をしてないと気付いたから、そのままやる、というような事を言った。
 多い金額ではなかったけど、近藤さんは随分困ってた。

 結局、金は近藤さんが預かる形になった。
 近藤さんは、長いことあいつに話をしていた。お前には素質があるだとか、ここはお前の家だと思えだとか。近藤さんの声はよく通るから、聞きたくなくても耳に入ってきたよ。
 あれこれ説教をした後、近藤さんはあいつに、日の暮れる前には帰る事、外ではなく家の手伝いをする事、それから僕と一緒に道場へ顔を出す事、この三つを約束させたみたいだった。
 いよいよ本格的に住みつくとなって、「のらこう」では不便だ、と近藤さんが名前を「正吉しょうきち」と決めた。

 近藤さんって人は本当に人が好くって優しかった。

 よせばいいのにって、僕はそう思った。

 だいたい、そんな約束があったら、僕は実質、あいつと四六時中一緒って事になるじゃない。顔を合わせるのも嫌なのに、剣の稽古まで一緒だなんて御免だったよ。

 初めて会った時からあいつが嫌いだったけど、そうして毎日毎日一緒に生活する事で、より一層、あいつが嫌いになった。

 あいつは本当に不器用で、髪を縛るのが下手で、着物を着るのも下手だった。
 寝相も酷いし、いくら教えても言葉遣いは馴れ馴れしいし、食事は遠慮せずにがつがつ食べた。何がうれしいのが、いつもへらへら笑っているし、考えが回らないから、一から十まで言わなければ伝わらなかった。それに、用を足すのが下手なようで、あいつのふんどしはいつでも汚れていて、そのせいかいつも少し臭かった。僕はそれを洗うのが嫌だったから、洗濯はなるべくあいつにやらせるようにしていたんだ。
 だから、あいつの手はいつも、僕よりボロボロだったよ。

 僕はあいつが道場へ来るのが本当に嫌だった。

 あいつは何でも覚えるのが早いし、骨と皮しかないような身体の癖に、やたらと足腰が強くて、動きは恐ろしく敏捷だった。不器用なくせに、竹刀は器用に使うんだから、本当に嫌なやつだよ。
 近藤さんはあいつを褒めた。
 あいつは野生の生き物だからだ、野山の猿だからだ、僕はそう考えてた。だから猿らしく、さっさと山へ帰ればいいって、そう思ってたよ。



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