8話 胸中に策あり
『志摩! 志摩! どないした、返事せぇ!』
ありえへん速度で引き戻され、俺は「現地」到着と同時に、そのまま床に放り出されてもうて、背中と後頭部をモロに強打した。意識失わんかったのは不幸中の幸いやったか。首元に冷たい不快感を覚えて探ってみると、濡れた長い髪の毛がごそっとついとって、悪寒が走った。
とにかく状況をと、痛みをこらえつつ見てみれば、奥村くんはまだ無事やったみたいで、水沼さんらしき人と対峙しとった。
水沼さんの髪は長く垂れ、床に広がっとった。その一部分に、どういうわけだか青い炎が燃えとるのが見えた。
「志摩!」
奥村くん、なんで剣抜かれへんのやろか、抜いとる余裕なかったんやろか。
「くそ、お前、はやく逃げろよ!」
「そないなこと言われても戻されてもうたからなぁ」
一応、懐に錫杖バラして仕込んどるけど、組み立てとる暇はないし。何とか隙をついて二人して逃げるっちゅう第一作戦は企画倒れになりそやな。
携帯からは、坊の、俺を呼んどる声が続いとる。アカンわ、もう腹くくるしかないわ。
人に憑いた悪魔を祓うには、憑かれた人ごとヤってまうか、そうするフリをして悪魔に自分から出て行ってもろたところをヤるか、詠唱で祓うしかない。逃げられへんのやし、水沼さんに怪我させるわけにもいかへんし、もうこれしかないわ。
「坊」
と電話に答えれば、『志摩、どないした! 平気か!』と坊のでかい声が響く。
「えぇ、まぁなんとか。それより坊、詠唱、頼んますわ。俺、復唱します」
『!…よっしゃ、分かったわ。とちるなや』
「分かってます」
さすが、変態的記憶力で有名な男、勝呂竜士や。やっぱり覚えとるらしい。
「奥村くん、なんとかサポート頼んますわ」
「? おう!」
丸腰は不安やけど、しゃあない。己の反射神経と奥村くんを信じるしかないな。
いややわ、俺ってばかっこええ。これ終わったらモテよ。
俺は身構えて、耳は坊の声に、目は水妖蛇に集中させた。
いくえ、と一言あった後に坊の詠唱が始まる。俺は一句一句の間に復唱する。手間やけど、これしかないわ。こないだの授業で水妖蛇の致死節もやっとったのはホンマ、これまた不幸中の幸いやな。まぁ、俺は一句たりとも覚えとらんけど。いや、うすらぼんやりちょっとは覚えとるけど、それじゃ全く意味ないしな。詠唱は、全文を一字一句間違えずに唱えな、効かへんし。
俺の詠唱の声を聞き、水妖蛇は水沼さんの顔を歪めた。そして俺を見据えた。来る、来んでもええものが。俺は恐怖で気を散らさんよう、必死に詠唱を続けた。
奥村くんが、俺と水妖蛇の間に割って入る。
「来い!」
せやから来んでえぇっちゅうに!
悪魔は詠唱が自分の命を絶つと知っとるから、唱え手たる
詠唱騎士はまず真っ先に標的になる。わかっとったことやけども、アカンわ、なんか変な汗がやたら出てきよるし口の中もカラカラや。こんなんでいけるんやろかと不安になるけども、不安に思っとる場合でもない。
今の俺はとにかく、「やるしかない」わけや。
《お前に用はない》
言うやいなや、濡れ髪が伸び、奥村くんを捕らえようとする。奥村くんは必至に応戦しよるけど、アカンわ、髪の方が手数も多いし何より早い。あっという間に絡め取られて、俺と水妖蛇の間を隔てるものは[#rub無_の#]ぅなってしもた。
水妖蛇が、水沼さんの顔を使て、いやな笑みを浮かべる。
アカンアカンアカン! なんやねんなその獲物を見つけた目ぇ、怖すぎるわ! わかっとったことやけど完全にロックオンされてもたわぎゃああぁぁぁああああっちょぉ待ち、詠唱あともうちょいやねんて多分!
口に出すわけにはいかへんから心の中で絶叫してみるも、悪魔がそれを聞き入れるはずもなく。漆黒の濡れ髪は、静かに、俺に伸びてきよった。慌てて逃げの体制をとると、それに反応するように髪は速度を増す。俺は必死に、そらもうホンマに死ぬ思いで避けたんやけども、あの化け物的な運動神経の奥村くんが逃げ切れんかったわけやから。
あれよあれよという間に、ドブのような悪臭を放つ濡れ髪は、俺の首やら腰やら腕やら、とにかくもう全身に巻き付けられてもうた。アカンわ、これ首か、携帯もっとる手ぇいかれたら終いやん! 大ピンチや!
と、ひんやりとしたそれは、何故かそれ以上締め上げるということもなく、ただ俺の身体の向きを水沼さんに向け直しただけで、俺の詠唱も妨げられへんかった。なんやろと不気味に思とったら、水妖蛇は水沼さんの口を借りて、俺に向かってしゃべり出しよった。
《願いは叶った。この娘はお前と再会した。そして娘は受け入れた》
再会? なんやの? いやアカンやろ、俺ナニ悪魔の話きいとんねん。でも再会ってなんや、俺と水沼さん、どっかで
会ぅとんのか? なんも覚えとらんわ。かわえぇ女の子のことやったら、俺けっこう覚えとる自信あるねんけど。
《願いは叶った。今度は私の番》
なんやの、ホンマ、ようわからん……
《愛するものよ、裏切りの王子よ。浮き草の如き己を恥じなさい、そして悔いて受け入れなさい》
浮き草ってなんやの、誰が王子やねん、もうホンマわからんわ……
《さぁ、死の接吻を》
水妖蛇は腕を広げ、妖艶な笑みで俺を誘う。詠唱が中断されて、坊が俺を呼ぶ。
アカン、行ったらアカン。詠唱続けな……
奥村くんが俺を呼び、それから吼えた。
さっきまではあんなにも悪臭に満ち満ちとったのに、どこからともなく、甘い匂いが漂ってきよった。
水妖蛇は、俺の目の前まで来ていた。
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