サラシバ


7話 逃げろや、逃げろ


 目の前に、ほんの一瞬やったけども、それは確かにそこにった。ぬらりと暗い艶を放つ黒髪、蛇のような身体。ついこないだ、悪魔生態学の授業で習ったばかりの『水妖蛇ルサルカ』やった。
 その水妖蛇が、まるで煙のようになり、するすると、ほんのわずかな隙に水沼さんの口内へと吸い込まれていくのが見えたのと、へたり込んでいた横山さんが悲鳴を上げたのはほとんど同時やった。
「志摩! 晶子を連れて逃げろ、俺がオトリになる!」
 奥村くんが叫ぶ。
「ちょぉ、なんやのオトリって、アカンわ、『水妖蛇』ゆぅたら中級クラスや! 奥村くんも逃げな!」
「なんとかする!」
 なんとかってなんやねん、俺らまだ訓練生ペイジやん、アカンわ。けど確かに横山さん逃がさなアカンし。奥村くんは奥村くんで、今日も担いどった剣をカバーごと構えとるし。だいたい、悪魔、水沼さんに入ってもうたわけやし、こうなったら物理的にどうこうできる問題やあらへんわ。
 奥村くんに、水沼さんが向き合う。
『邪魔をするな』
 ありえへんくらい冷たく言い放つと、水沼さんの長い髪が揺れて、水妖蛇のそれと同じように禍々しい水気を放ち始める。
 俺はこの隙にとばかりに携帯を取り出し操作しつつ、横山さんに声をかける。腰が抜けてもぅたらしい、座り込んだままやった。耳元では、じれったい無機質の呼び出し音が続く。
「とにかく逃げよ、横山さん担ぐで、ええな?」
 怯えきった表情のままの横山さんを、俺は姫だっこして「戦線離脱」した。こないな事態やなかったら大歓迎なんやけども。と、
『逃がさない』
 ひんやりとした声が、耳元で聞こえたような気がした。何かが追ってくる気配があった。見たらアカン見たらアカン! 俺はとにかくもと来た道を引き返すことにした。それから、一秒でも早く電話が繋がることを願っとった。
 もぉホンマになんやの、コレ!
 今日は楽しいトリプルデート♪ やったんとちゃうんかい! 今日のメンツかわえぇ子ばっかりやったし、まぁ、水沼さんはなんやずーっと不機嫌そうな顔してはったけど、藤原さん楽しいし、横山さんが入場前に思い詰めた顔で「話があるんだけど」って言ぅて来た時はホンマ、一瞬甘い期待もしとったくらいやったんに、なんやの。あの鏡かて俺が見た時は何もなかったし、ホンマ普通の鏡やってんけど。なんやろか、中級悪魔出るなんてきいとらんわ。
 出口目前のところで、ようやく電話が繋がりよった。おっっっっっっそいわ! 横山さん担ぎながら走りながらで繋がる前に携帯落とすか思たわ!
「あぁ、坊ですか? いや、今遊園地来とるんですけど、あわわちゃいますて! そないな呑気な事やなくて色々ありまして悪魔出てもうたんですわ。えぇ、今、奥村くんが一人で抑えとるはずなんやけど、とにかく先生呼んでもらえますか? ミラーハウスんとこですわ。出たのは『水妖蛇ルサルカ』です。こないだの授業で言うてたのと同じやから、間違いないかと」
 たたみかけるように早口にしゃべると、電話口の向こうで坊が、誰かに何か言うてるらしいのが聞こえた。おそらく子猫さんや。今日は二人して図書館だかどこだかへ行く言うてたし。
『奥村が抑えてるて、お前は何しとんねん』
「女の子担いで逃げてます」
『志摩、お前その子逃がしたらすぐ戻れや』
「のえええぇぇえええっ、俺に死ねいうことですか!」
『ちゃうわボケぇ! 奥村一人でどないすんねん!』
「せやから先生をですね」
『アホが! 間に合われへんかったらどないすんねん! 俺も今すぐそっち向かうわ、それまで二人で堪えとけ!!』
 来るんかい! 逃げなアカン言うてる時にこン人はホンマ何考えとるんやろか。俺に対しても自分に対してもドSすぎるわ。なんで俺、先生や無ぅてこン人にかけてもぅたんやろ。
 ………わ、俺アカンわ。ホンマおっっっそろしいこと思いついてもた。これ、やらなアカンのやろか。下手したらホンマに死によるわ。俺はドMか。
「ほんなら坊、電話切らんといてもらえます?」
『なんやねん、男やったら一人でも行けや! お前の心の支えなんぞせぇへんぞ』
「ちゃいますて!」
 そうこう話とる間にようやく外へ出た。入場してからまだそんな行っとらんように思とったけど、案外かかってもうたな。俺は横山さんをおろし、座らせる。
「ほんなら横山さん、とりあえずはここにってな? 俺らすぐに戻」
 言い終わる余裕も無しに、俺は何か冷たいもので絡め取られてもうた。そしてすぐさま引っ張られ、さらわれるようにしてまた場内へと引き返す羽目になった。俺は、携帯を離さんようにするんが精一杯やった。


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