サラシバ


10話 その言葉は渇きを癒す


*****

 せや、そんなこともあったわ。すっかり忘れとった。けどなんでそないなこと急に思い出したりしたんやろ。あの子、どないしとるかな。あの子も眼鏡っ子やったなぁ、眼鏡かけとらんかったけど。
 なんや、水沼さんに似とるような気ぃしてきたわ。実はこの子でした、みたいなオチやったりせぇへんのか。あはは、ほしたら運命的な再会やんなぁ、ホンマ運命的すぎるわ。せや、ホンマに水沼さんなんやったら、仕切り直ししたろ。あン時、俺ミョーにテンパっとって、名前もろくに言わんとメアド交換しよとか、おかしいわホンマ。東京来て、修学旅行で、浮かれとったんやろか。それとも、水沼さんに会うたんが嬉しすぎたんやろか。
 まぁえぇわ。せやけど水沼さん、俺みたいなん嫌いかもしれへんなぁ。教室やと「来るなオーラ」めっちゃ出とっておっかないし、今日も今日でなんやずぅーっとムスッとしてはったし。ちゃらちゃらしとるの、嫌なんやろか。やっぱり俺、嫌われとんのとちゃうか。俺もぼちぼち、キャラチェン考えなアカンかなぁ。
《さぁ、おいで》
 水沼さんの唇が、甘く誘う。
 ええなぁ、そこへキスしたら気持ちええやろなぁ。
 アタマが霞む。まどろむような、夢うつつ。蠱惑的な匂い。

*****

 そうか、あの時の。彼の声と志摩廉造の声はよく似ていた。もしかすると、そうなのかもしれない。東京の高校に通うと言っていたし。
 何の気無しに選んだ高校だけど、私が正十字学園を選んだのは、あの儀式の後だ。ほとんど駆け込みで三次募集の願書を出したのを覚えている。締め切りが本当にギリギリで、私は郵送ではなく直接、願書を持ってこの学校の事務所へ来た。
 月に、鏡に、……悪魔に導かれたとでも言うのだろうか。
 目前に迫った志摩廉造は、背格好も彼によく似ているような気がした。本当に、そうなのだろうか。志摩廉造の、顔が近付く。
 あぁ、だとしたら、どうしてこんな事になってしまったのだろう。こんなの私は望んでいない。私は………

*****

 奥村くんが俺を呼んどる。
 坊の声が、足下に転がった携帯から漏れている。
 虚ろだった水沼さんの目に、ほんの一瞬やけど、光がともり、泣きそうな顔をした、ような気がした。
 アカンわ。何しとんねん俺、何をハマっとんねん、怖すぎるわ。しっかりせぇや。
 気ぃは戻ってきたものの、身体の自由は正直微妙なとこやった。だいたい、今動いてもうたら水妖蛇に何されるか、考えただけでも恐ろしわ。ここはピンチをチャンスに変えるべきとこやろ。
 とはいえ、頼みの綱の携帯は拾われへんし、どないしよ。やるしかないか。なんやったか、どこまで唱えたか忘れてもうた。アカン、思い出せ俺。間違えたらアカン。もうちょいやねん。多分やけど。あぁ、最後の一句からどんくらいあいてもうたんやろか、わからんわ。中断してもたけど、このまま続けてちゃんと効くんかいな。
 俺は再びまどろみの世界へ引き込まれそうになるのを必死でこらえつつ、ホンマ死ぬ気で思い出し作業にかかった。
 携帯からは、坊の声が漏れとる。ホンマ、あの人の声はでかすぎるっちゅーねん。

*****

 志摩廉造が、すぐ目の前にいる。
 特徴的なタレ目は虚ろに、ぼんやりと霞んでいる。
 夢でも現でも、この状況は心底歓迎できないものだった。
 ルサルカは言った。死の接吻を、と。
 冗談じゃない。私、殺人犯になりたくなんかなりたくない。それに接吻って……
 そう思った時、志摩廉造の腕が伸び、私の身体はその腕に収まった。予期せぬ抱擁、不本意極まる抱擁。胸が詰まる、柔らかい抱擁。
 志摩廉造が、耳元で何事か、言葉を紡ぐ。そのほんの一言が、体中を駆けめぐり、我が身の内の禍々しいそれを縛り付けるのが分かった。それと同時に、水底の暗闇を青い炎が切り裂いた。そして、ぶわっと何か、得体の知れぬ圧が、身体全体にかかったかと思ったら、次の瞬間にはふわっと浮いた。いや、浮いたように感じた。
 耳に、絶望の淵を覗いたような絶叫が響いた。


- 11 -

*前次#


ページ: