聖宮の巫女 19
© 2019 sasori_bi
「とんだ凡戦を見せてくれたな、アステリア」
寮に戻って共同の湯殿へ向かおうとする道中、クランカイトがそう呼び止められた。
つられてユージオとアーサーも振り返ると、そこには遠巻きに歓声を飛ばしていた寮長――セレスト校第伍寮、寮長イスラ・ノイシュの姿があった。傍には副寮長であるゼトが苦笑と共に控えている。よく見慣れた光景だ。
ノイシュは組んでいた腕を解くと、腰に手を当てて軽く首を傾げて見せる。飄然とした笑みとその仕草が、洗練されたものとして人目に映ることに、彼自身の自覚は及んでいるようだ。寮長という立場にあって、その名に埋もれることもなく、彼は表情一つで人心を惹き付けた。
金持ちばかりの学校の中にいて、彼らの言動に対して多少なりとも卑屈な感情がないと言えば嘘になる。そんなユージオでも、なぜか彼に対しては不思議と好意的な思いがあるのは、やはり彼の人徳なのだろう。
「おかげで小銭を手放す羽目になった。どうしてくれる」
やはり賭けていたな――と内心でユージオは思ったが、顔には出さなかった。本気で怒っているという顔ではない。はした金を手放した程度に過ぎないようで、態度にはその余裕が残っている。どちらかというと怒りよりも悪戯めかした響きが勝った。
ゼトがそんなノイシュの後ろから、詫びの言葉を投げて寄越す。
「悪いな、アステリア。寮長殿は賭けに負けた腹いせの矛先をお探しだ」
「それは大変な失礼を」
とてもそうとは思っていないようなクランカイトの返答に、ノイシュは笑みを深める。寮の代表というだけあり、人の上に立つ資質を備えた人物には違いないのだが、その笑顔からは悪戯少年の空気が拭い切れない。
曇りのない煉瓦色の瞳はにんまりと弧を描く。発せられる声は決して大声ではないはずなのに、不思議なほど朗々と響いた。
「寮の面子が掛かっていたぞ。現役ですらない、軍の高官の息子に負けるとは。嘆かわしい」
「そこまで買って頂いていたとは光栄ですが。残念です、どう汚名を返上してよいものか皆目見当がつきません」
「なるほど機会があればその心積もりがあるとな? 大いに結構」
曲解にも程があるだろうと言いたげなクランカイト達の視線を受けて、ノイシュは少しも臆した様子がない。代わりに隣のゼトが申し訳なさそうな苦笑を浮かべている。
が、どこか芝居がかった態度から一転、ノイシュは力を抜いたように軽く壁に凭れかかった。軽く肩を竦め笑う。
「とまあ、面子というのは冗談にしても。イングリッドのとこの弐番寮の寮長は気のいい友人でな。奴からイングリッドのことを直々に頼まれて、寮に入れてやったわけだ。俺たちだけの勝手な申し合わせで、お前には世話を掛けた。悪かったな」
クランカイトがああと納得したような声を漏らした。どうやらルシンを寮に入れたのはノイシュだったらしい。となると、寮から出た道中、ぞろぞろと観客が増えていったのも、彼が喧伝して回ったからだと考えるのが自然だ。どうしてそんなことをしたのかは不明だが。
「観客を集めたのは?」
「血の気の多い生徒たちの発散の場を提供してやろうという、寮長殿の素晴らしき心遣いというものだな」
「言いますねえ」
「というわけで、功労者である自寮の下級生を俺が直々に労おうじゃないかというわけだ。まあそんなのはただの建前だが」
明け透けに言い放って見せるノイシュの屈託のなさに、クランカイトは身構えることもなく笑った。何を企んでいるのかという詮索をする気も起きない。
ノイシュは懐から一通の封筒を取り出す。
「夜遊びの招待状だ。心して受け取れ、高かったんだぞ、これは」
夜遊び? と思わず後ろでユージオがアーサーと首を傾げた。受け取ったクランカイトは封を眺めながら尋ねる。
「高かったと仰いますと。具体的には」
「一枚で代返三回分ってところだな。そうすると、持っている奴が稀に礼として寄越してくれる」
「寮長が代返ですか?」
「笑えるだろう?」
笑えるも何も、教師からの覚えがめでたい寮長が代返のために出席していたら、さすがに気付かれるのでは。そんな困惑の眼差しを受け止めて、ノイシュは肩を竦めてあっさり種明かしをする。
「何、俺は人から借りを返すと貰っただけだ。代返してその対価に貰ったわけじゃない」
「なるほど」
「中身は夜間の外出許可証だ。金曜の夜に街を案内してやる。セレストの街を見て回ったのは、まだ数えるほどなんじゃないか?」
「!」
目を瞠るクランカイトが、振り返ってユージオたちを見る。ユージオは困惑が振り払えないままの面差しで、ノイシュの飄然とした笑顔を見た。
「三名様分だ。九回分にしてもいいが、どうする?」
「ご招待に甘えます」
クランカイトが同じく笑顔で答えた。ノイシュがよろしい、と満足げに答えた。悪事の相談がまとまったその様に、後ろでゼトが呆れ顔をしている。きっと街に下りて羽目を外すのが目に見えているからだろう。
それにしても、夜間の外出許可証など、どうやって手に入れるものなのだろうか。夜間は寮の中でさえ出歩きを管理されて、就寝時間後は自室から出られないよう外から錠を施される。寮に入ってからそれほど長くもないが、ずっとそんな生活だったので、夜間に外に出るという発想がなかった。ユージオたちはまだお目に掛かったことのない品だが、ノイシュの口振りからは一定数学内に出回っているようだ。
物珍しさにクランカイトの手元の封を見ていると、ノイシュはまた懐から別の封筒を取り出して、今度はユージオへと差し出した。ユージオは面食らってまじまじとノイシュを見詰める。
「これは……」
「我が校が誇るセレスター、ユージオ・シアン。君には誉れある《地の底》への招待状を。俺からじゃないぞ」
一体謎の封筒を幾つ隠し持っているのだろうかと思いながら、ユージオは差し出された封筒を受け取った。魔法避けの印が記され、魔法で中身を覗くことができない。また、勝手に開封して元通り戻しておくこともできない仕様になっている。招待状にはユージオの宛名と、やはりノイシュの言葉通り『《地の底》へのご招待状』と書かれていた。
「……《地の底》?」
「と、我々は呼んでいる。正式な名前はないから、通称名だな。学校の地下にある一階だ。地図を書いてきたから、これもだな」
「わざわざありがとうございます。……こんな場所があるんですね」
差し出された地図を覗いて、ユージオはつい眉を顰めた。
学校の地下図書の、さらに地下深くだ。もぐらじゃあるまいし、一体どんな意図があってこんな地下深くに呼ばれるのだろう――と思って警戒を顔に出すと、ノイシュが聡く気付いた。
「害はないと保証する。ただ、実際に入ったことはないから、中がどうなっているかは知らん」
「寮長でも?」
意外に思って問い返すと、ノイシュは微笑みと共に頷く。
「代々、一握りの生徒が出入りしてきた、限られた者だけの場所だ。招待状が鍵だから、招かれないと出入りできない。ここは残念だがお一人様でな」
クランカイトとアーサーが不思議そうな顔をして封筒を見る。ユージオは封筒に掛かれた文字が読めるように翳してやった。
得体の知れない招待に、どう対応していいものかと頭を悩ませていると、ノイシュはあっけらかんと意外なことを言った。
「興味がなければ行かなくてもいい」
ユージオの意思に委ねると、ノイシュは無理強いしなかった。そういうものなのだろうかとますます頭を悩ませていると、「ただ」と言葉を付け足された。
「ただ……何でしょうか」
「……そうだな。招待主には一度会っておいて欲しい。これはまったく君には関係のない、俺のごく個人的な願望ではあるのだが」
「ああ……招待主」
奇妙な《地の底》という名前に意識を引っ張られていたが、そういえばこの招待状はノイシュからではなかったのだった。そう思い出して、翳した封筒の裏側に視線を遣る。そして、案の定そこに書かれていた差出名に目を走らせたユージオは、小さく「あ」と吐息のような声を漏らした。
「彼は面白い人だよ」
あまり綺麗とは言えない筆致で書かれた差出人の名前は『ユキシロ・ヴァレンシア』。
白い便箋の中に青いインクで記されていた覚えのある名に、ユージオは微かに驚きを滲ませた。
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