聖宮の巫女 18
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寮を出てからの道中で、いつの間にか観客がぞろぞろと連なって着いてきていた。ルシンがクランカイトを訪ねて寮に来たという話を聞き付け、集まってきたようだ。校庭の一角には観衆と、それらに囲まれるクランカイトとルシンの姿がある。
制服から着替えもせず、上着を投げ捨てただけという装いで、それぞれ手に剣を携えていた。
ユージオは遠巻きに頬杖を突きながら座り込み、あまり関心のなさそうな口振りで呟く。
「ルシンだったか。有名人だな」
「この観客は何もイングリッドだけのせいではないが……お前がそれを言うのか」
アーサーの非難げな物言いに、説明を求める視線を向けたものの、答えはなかった。ユージオは得心がいかないというように首を捻りながらも、追求することはしないまま。
「ああ、始まった」
衆目が囲む中心に視線を戻すと、その瞬間、模擬剣を打ち合わせる鋼の音が響いた。小気味よい音だ。双方がまともに刃の芯を捉えた音だった。
周囲の歓声が俄かに大きくなる。自然、どうしても大きくなる声で、ユージオとアーサーは会話を続けた。
「軍人一族だったな。父親はガレシア国軍にいるわけか?」
「国軍、に……いることになるのか。どちらかというと、実戦的な軍人というより、政治的な位置づけが大きかった、ような」
「ならガレシア軍のどこかの部の、大臣あたりか。その息子が腕に覚えがあったところで、戦場に出ることになるわけじゃあるまいし、なんだってカイトに敵対心なんか」
この先ガレシアの軍人になるとしても、命の危険がある場所へと配属されるわけでもない。仮に実動の部隊に配属されたとしても、経験を積むための一時的なものであって、身の安全は他の軍人より保障されることになる。そういう身分なのだから、腕を磨くよりも勉学や帝王学のような学問の方がずっと必要なはずだ。
わざわざ他寮のクランカイトと手合わせをするにしても、研鑽目的ならその必要はない。腕が立つと噂のクランカイトに対して、敵対心を抱く必要も、もちろんないはずなのだが。
と、アーサーは首を横に振って、ユージオの誤解を訂正する。
「話してみたか? いい奴だ。少なくとも、怒りに駆られて同級生に喧嘩を吹っ掛けたりするような奴だとは感じなかった」
「それほど親しい関係か?」
「す……少し、話した……程度だが。クランカイトほど性根が曲がっているようには感じなかったぞ」
「比較対象が悪いな……」
「さては信じてないなお前!」
剣の打ち合う音が何度も響いている。時折間合いが広がり、金属音が止む瞬間もあるものの、手合せが終わる気配はない。
遠目にクランカイトの剣捌きを眺めながら、ユージオは首を傾げる。
先ほどからずっと、クランカイトが防戦一方という状態だ。攻撃に出る隙がない――のかと思って見ていたが、その隙があっても位置取りを変えるだけだ。その足運びは荒れていない。取り澄まして、ルシンの出方を窺っているだけに見える。
対してルシンの方も、それほど表情は変わっていないようだが、わずかに肩が動いて、呼吸が乱れている。クランカイトと比較した印象であって、実際にはどうか不明だが。
長引く手合わせにやや意識が逸れてきたのか、近くで見ていた観客がぽつりと疑問を漏らしている。
「なあ、ルシンがアステリアに勝負を吹っ掛けたのか?」
噂を聞き付けて集まってきた観客の一人だろう。
その疑問に、周りにいた生徒の一人が答える。
「どうもそうらしい」
「不仲だったか? あの二人」
「話したところも見たことはないが。接点自体がないのだから、特別に不仲ということもないんじゃないか? 仮にそうだとして、ルシンが荒っぽい行動を取るともあまり思えない。単なる腕試しだろう」
ユージオたちとそれほど変わらない所感のようだ。試合に視線を向けながら、そっと耳をそばだててユージオは思う。
やはりそうなのだろうか。勘繰るほど深い意味はないのだろうか。単にクランカイトの腕が立つせいで、彼の関心を引いたのだろうか。それならそれでいいが、なぜわざわざ他寮に来てまでと思うのは、勘繰りが過ぎるのだろうか――
「まあ、どちらが強いのかはっきりさせてくれるのなら、面白い」
それはそうだと、同意の声がぽつぽつ聞こえてくる。そうしてまた試合に意識を戻す彼らに、ユージオはつい嘆息した。
「血の気の多い連中だな」
「あそこ、寮長たちもいるぞ。案外、寮同士の名誉を掛けて吹っ掛けた線もあるかも知れないが」
「娯楽に飢えているにしたって、他にやることがあるだろうに……」
アーサーが指さした一角に、最上級生の装いを身につけた一団がいる。寮内でよく見知った顔もいた。その中には当然のように、ユージオたちの寮長の姿もある。
「? あ、おい、どうした……ユージオ」
すっくと立ち上がり、ユージオは観衆の輪へと近付いた。先ほど会話をしていた、手近な場所にいた生徒を捕まえて声を掛ける。
「なあ、聞きたいんだが」
振り返った生徒たちは、ユージオの顔を見た途端、驚いたような顔つきに変わる。
「セレスター・クアド」
ユージオが怪訝な顔をする一方、アーサーはユージオの耳に届かない声量で「そら見たことか」と小さく呟いていた。
「? 何」
「あ、いや……どうした? 何か用だったか」
振り返って改めてユージオに用件を問い質してくる生徒に、ユージオは首を捻りながらも本題を切り出した。
「イングリッドはどういう生徒だ? 荒事を好く気質でないと、先ほど言っていたようだったが」
盗み聞きしたことを悪びれもせず、ユージオは輪の中心へと視線を投げる。自分の知的欲求を満たすためだけの一方的な問い掛けに、アーサーが呆れたような視線を向けていたが、背を向けていたユージオはそれに気付いていない。
相手の生徒は幸い、気を悪くした様子は見せなかった。
「気取ったところのない、気のいい奴だ。まあ、愛想はないがな」
確かに、と周囲の生徒たちも小さく笑う。クランカイトに挑んできたルシンの、変化の少ない表情を思い出して、ああと思わず声を漏らす。どうやらあれは敵意があってそうしていたわけではなく、もともとそういう人間らしい。
「腕は立つが、鼻にかけてもいないし、むきになって誰かに挑むというのはいささか疑問が生じるな」
隣にいた学生も続けざまに答える。アーサーに聞いた話と相違なく、むしろ端々から好意的な感情が窺えた。慕われる好青年らしい――と思うと同時に、アーサーを疑ったことを心の中で少し反省した。
が、また別の学生がふと、思い出したようにまた言葉を継いだ。
「そういえばイングリッド、最近婚約破棄になったんだったか。話にはずいぶん睦まじいような印象だったし、さぞ無念だろう。それで自棄になっているとしても、無理からぬことだが――」
周囲が「おい、その話は」と窘め、慌てて口を噤んだが、すでに遅い。それに、咎めた生徒の方も、窘める言葉はどこか歯切れが悪く、彼の方でも納得がいっていないように見えた。
ユージオが怪訝な顔をする。
「婚約破棄? 貴族と?」
臣の家柄の婚約相手となると、どこかの貴族令嬢辺りになるのだろう。家同士が険悪にでもなったのだろうか――と思っていると、後ろめたい様子ながら、別の生徒がやはり黙っていられないとでも言いたげに口を開いた。
「……俺も未だに得心がいかない。あれは一体どうしてなんだ? ずいぶんと睦まじいような話だったが」
「家柄も申し分なく、互いに好意があったと聞いている。破談になってずいぶん気落ちして……あれ以来、どこか浮かない感じはするなあ」
「となると、相手側の心移りか? イングリッドのような男でも振られるのだな」
と、それぞれ好き勝手な感想を述べていたが、そのうちの一人が口を挟んだ。
「それは違う。どちらも心移りなどしていないし、あいつの家も、破談になったことをずいぶん惜しんでいたようだ」
ユージオは首を捻る。他の生徒たちも不思議そうに視線を見交わしていた。そのうち一人がもどかしそうに追求する。
「ではどうして破談になるようなことがある?」
問われた生徒は迷うように視線をさまよわせ――やがて、噤んでいられなかったとでもいうように。
「相手が巫女になることになったとか、どうとか……」
ユージオが目を瞠り、一瞬、言葉を失った。
他の生徒たちは「巫女?」と不思議そうな顔をする中で、話を聞いていたユージオと、後方に立っていたアーサーだけが、明らかな驚愕を浮かべていた。
「聖宮の巫女……?」
ようやく少し冷静さを取り戻し、ユージオがどうにか尋ねた。相手は苦渋を顔に浮かべながら、ゆるりと首を横に振る。
「? いや、巫女としか聞いていない、というか、すまない。内密の話だった……」
好き勝手な噂話に黙っていられなくなったのだろう。我慢し切れず暴露してしまったようだ。それを言わせてしまった自分の問いをいささか後ろめたく思いながら、ユージオは小さく嘆息する。
謝罪の代わりに、微笑んで見せた。
「ありがとう。彼について誤解をするところだった。内密の話というのも、承知した」
「……どういたしまして。君でも知らないことがあるのだな、ユージオ・シアン」
「そりゃ……というか、どうして俺を」
知らないことぐらいある、と言い掛けて、自分の名前を呼ばれたことに気付いたユージオが尋ねる。あれこれ質問しておいてなんだが、自分は彼らの名前を一人として知らない。
相手は冗談めかして片眉を持ち上げて見せる。
「新入試験満点の我らが学年主席を、知らない生徒がいるとでも?」
――ああ、と腑に落ちる思いで呟いた。
「そういうものか」
「そういうものだ、セレスター・クアド。自覚を持ちたまえ」
「今後はそうする」
重ねてお礼を告げると、ユージオは会話の輪から外れて元の観戦場所へと戻る。
そこに座ったままだったアーサーが、戯れのような揶揄を投げてきた。
「有名人だな。セレスター・クアド」
どうやら有名人だったのは、向こうで手合わせに勤しむ血気盛んな二人だけではなかったらしい。自分の知らない場所で、勝手な呼び名だけ一人歩きしていたようだ。
「渾名か? それ」
「セレスト校高等部の一年は、中等部から数えて四次になる。その主席というか、周囲からの敬意が込められた代々の名前らしい」
「……勝手なものだな」
伝統というものなのだというアーサーに、ユージオは退屈そうな顔をしてただ肩を竦めた。昔は黒魔女の息子と呼ばれて蔑まれてきたのに、今度はセレスター・クアドと呼ばれ、敬われる。馬鹿馬鹿しいことだ。
――いや、今のユージオにとっては、もっと気がかりがあるというだけのことだが。
「そんなことより、あいつ」
「ああ。巫女と言っていたな。貴族の娘が巫女になるなんて、聖宮でもなければ考えられないが……」
「あ」
ユージオが思わずというような声を上げた。アーサーの言葉も、ひと際大きくなった歓声にかき消された。
大きく弾かれた剣が地面に叩き付けられ、ガラガラと激しく音を立てる。落ちたのは一本だけだ。もう一本はルシンの手の中にしっかりと握られたまま――振り下ろされて、弾き飛ばしたと思しき姿勢で固まっている。
ユージオは驚きと共に思わず呟いていた。
「カイト」
負けたのはクランカイトだった。
負けた負けた、と――とてもそうとは思えない晴れやかな笑顔で戻ってきたクランカイトに、ユージオは目を眇める。やけに機嫌がよさそうだ。こちらは目的不明の手合わせにもやもやと得体の知れない思いを抱えていたというのに、どうしてその張本人がこうも楽しそうなのだろうか。
そんなユージオの胡乱げな眼差しを受け、クランカイトが怪訝な顔をした。
「? なんだ」
本気で闘った後にしては、ずいぶんと息が上がっていないように見える。胡乱げな視線はますますその色を濃くしていた。
それに、手合わせが終わった後、歓声の中でルシンとクランカイトが近づき、何か言葉を交わしているように見えた。あれは一体なんだったのだろうか。
「最後、何か言われてなかったか」
さすがに汗はかいている。ぱたぱたと制服を扇ぎながら、クランカイトは悪びれもせずけろりと言い放った。
「『身分を気にして勝ちを譲られるのは、屈辱以外の何でもない』そうだ」
「そうだったのか」
「いやあ、どうかねえ」
「…………」
この男ならやりかねない。そう思って視線はますます冷ややかになる。
軍家の息子に恥をかかせるぐらいなら、うまい具合にあしらって負けた振りをするぐらい、クランカイトにとっては屈辱でもなんでもないだろう。体面を気にするような相手なのであれば、その方が面倒は少ない。そう思うのも無理はないかも知れないが――残念ながらルシンはその類の性質ではなかったようだ。
公正な人間なのだなと、ぼんやりそんなことを思っていると。
「それから『身内が聖宮の巫女に取られたそうだな』と」
「!」
――知って、いたのか。
跳ねた心臓を押さえて言葉を失うユージオに対して、言われた張本人であるクランカイトの方がよほどあっけらかんとしている。ついでに、と歯を見せてにんまりと笑った。
「『何をこそこそしているか知らないが、個人の私情で不用意なことは考えるな』とも言ってたな」
見透かされたような言葉に、ユージオとアーサーが微妙な顔色になった。聖宮に対して思うところがあるせいで、耳に痛い言葉だった。というより、現在進行形ですでに知られてはまずいような行為を行っている。
――だが、同時にやはりと確証めいた思いを持った。
「やっぱり、あいつも……」
破談になった婚約の相手は、聖宮の巫女になったのだろう。貴族として求められる資質でもあるため、その血縁として貴族令嬢が魔力に長じていることが珍しくない。それを見込まれ、宮に入ることになった。それまでの婚約を白紙に戻す強制力というのなら、おそらくは。
それをクランカイトに説明すると、彼はああ、と納得したような声を出した。
「道理で」
クランカイトは『不用意の意味がわからないんだが』と答えたらしい。ルシンはそれならいいと素っ気なく言って、それで会話は終わったという。
解散していく観衆の隙間から、ちらりとルシンの姿が見えた。汗だくになったせいか、袖で顔を拭っている。
クランカイトはルシンがいる方向を見ながら、顔色を曇らせるユージオとアーサーとは対照的に、どこか面白そうに笑うのだった。
「まあ、いい奴だ」
何を根拠に適当なことをほざきやがって――と詰りたくなる気持ちをめいっぱい込めて、ユージオはクランカイトの上着を彼に投げつけた。
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