聖宮の巫女 22

© 2019 sasori_bi
 検分、という穏やかでない言葉を発するユキシロは、しかし不思議とユージオに対して値踏みするような雰囲気を持っていなかった。親しい学友と茶でも飲み交わすかのような寛ぎ振りで、向けてくる視線も同様だ。
 ユージオは隠さずなぜという顔をした。

「その必要があるんですか」
「構えることはない。何も私は君に対して敵意や悪意を抱いているわけじゃないんだから」

 それは、態度を見ればわかる。
 そう答えようかとも迷って、結局止めた。未だに話は見えないし、ここがどういう意味を持つ場所なのかも知らないままだが、彼が自身の目的を果たさない以上は説明して貰えないのではという気がしたし、その直感はあながち間違いでもないだろう。
 その証拠にユキシロは短く言い切る。

「質問は終わりだ」

 指を組んで姿勢を正す。検分する、という言葉通り、彼は自分を呼び立てた目的を果たそうとしている。害されることはないだろうが、何をされるものだろうかとひたすら彼の次の言葉を待っていると。

「『青い血の人間』がいると仮定しよう」

 ユキシロが急に言い出したのは、そんな話だった。いきなりの言葉に困惑を禁じ得ない。ユージオは首を傾げる。

「現実に……ということですか」
「例え話だ。想像してくれ」

 急に言われても――という顔をするユージオを慮る様子もなく、ユキシロはひたすらに淡々と言葉を続けた。

「外見上は、私や君と同じ姿をしている。何も差異はない。中には差異があったとしても、それは君と同じ『赤い血の人間』に見られるような差異に留まり、何も取り立てて特別なことはない。言語も同じくしている。喜怒哀楽、感情表現も同様で違いはない。ただ、その肌の下に流れているものが違う」

 青い血。赤い血。赤い血の方は想像が容易い。おそらくユキシロが言いたいのはごくありふれた人間だということだろう。そして、それ以外に『青い血を持つもの』がいる。外見的には普通の人間と変わらないという。

 ――何かの比喩だろうか?

 仮定の話だ。言葉通り受け取ればいい。けれど、ざわつく胸の内をごまかしきることができない。ユキシロは一体どういう意図でその話を始めたのだろう。

「もしかしたら『青い血の人間』は君を害するかも知れないし、しないかも知れない。君と友好関係を築けるかも知れないし、違うかも知れない。ひと目でそうとわかるかも知れないし、『赤い血の人間』に混じって表面上はわからないかも知れない。今こんなことを言っている私こそが『青い血の人間』かも知れないし、やっぱり『赤い血の人間』かも知れない」

「………………」

「確実なことは、『青い血の人間』はどちらかというと少数派だということだけだ。――それで、ユージオ・シアン。質問は受けない。想像できたか」

「……たぶん」

 前提条件はこれで終わりだ。少数派の存在がある。そういう仮定の話だった。血の色などはきっと青でも黄色でも緑色でもどうでもいいのだ。ユキシロが言ったのは、ただ違いがあるということ、その違いが目で見てわかるものとも限らないということ。それだけだ。
 頷くユージオに、彼は満足そうに笑う。恵まれた環境で育った人間の、自信に照らされた笑顔ではない。仄暗い中にぽつりと灯る、燭台の火を思わせるようなもの寂しい笑顔だ。

「ならいい。本題だ」

 なぜか不思議と、クランカイトなら彼に対してどういう感想を持つのだろうと思った。ノイシュは面白い人だと言ったが、ユージオにはよくわからない。憎めないと思うが、自分の中にある彼への印象が好意的かというと、それすらも不明だった。ひたすらに――わからない。
 唇は微笑んでいても、薄紫の瞳はやはりにべもなく。

「『青い血の人間』の血が流れれば、『赤い血の人間』は餓えることなく豊かに暮らせるという。どうする?」

「――――――ッ!」

 急に、ある人の――いや、ある人たちの存在がユージオの脳に想起される。
 ヴェーダ。アドラスやシン――異端者として殺された彼らのこと。

「馬鹿な……」

 まさかと思った。けれど、胸の内が騒いだ理由は説明がつく。彼の言う『青い血の人間』。それは、この国で知らず排斥され続ける異端者のことを暗喩しているのでは。異端者を犠牲にして成り立つこのガレシアの国をどう思うかと――そう問われているのでは。そう思った。
 ユキシロは眉一つ動かさず、明らかに顔色を変えたユージオをじっと見ている。

「人道的な話を聞いているわけじゃない。ただ、豊かさのための犠牲だとして、君はそれをどう考えるかということが私は聞きたい」

 仄かな血色の唇が、淀みなく言葉を重ねる。

「セレスター・クアド。君の考えを」

 それが必要な犠牲かどうかなど、間違っても肯定などしたくない。例え首元に刃を突き付けられていたとしても、絶対に必要だなどとは言いたくない。ユキシロの望む答えがそうであったとしても、彼に期待外れと思われても。あの死を肯定することなど、その目で見たユージオにはあるはずがない。

「『青い血の人間』なんかいない」

 今にも激情に呑まれる寸前の声で、かろうじて堪えたように呟いたユージオに、ユキシロは目を細めた。

「前提条件を覆すのは、答えにならないんじゃないか?」
「俺を害するかも知れないのは『赤い血の人間』だって同じだし、友好関係を築けるかどうかだって『青い血の人間』に限らない。俺と何も差異はない。ならそれはただの『赤い血の人間』だ」

 自分と何一つ違いはない。――自分が知る彼らには、少なくともなかった。貧困にあえぐ故郷を想っていて、守ろうとした結果が、あんなことになってしまった。浅はかな自分の行動が、あの惨状を招いたと――どうしてそう責めずにいられるだろう。何かが一つ違えば救われていたかも知れない人たちだったのに。

「少数を犠牲にしながら成り立つ発展なんか、俺は望まない。倫理的とか人道的とか、そういう義憤で言っているわけでもない。もしあんたが『青い血の人間』で、殺される必要があると言われても、俺は絶対に納得できない」

「それは感情的なことか?」

「必ずどこかに歪みは生まれるし、恨みの種は深く根付いている。いつ芽を出すかもわからない。そんな綱渡りみたいな平穏はすぐに瓦解する。長くは持たない、だから犠牲があっても結果的には意味がない――最終的には無駄な犠牲でしかない」

「けれど、犠牲がなければ餓えて死ぬ。私が死ねば空腹が満たされるとわかっていて、自分が今にも餓死するという状況に置かれれば、君は私を犠牲に差し出すんじゃないか」

「そんな状況に追い詰められるまで何も手を打たない愚か者のために、流していい血なんかない。無為で、無駄だ」

「例えばある日いきなり嵐に襲われて、住処や財産の一切を失って、それでも愚か者だと切り捨てられるか?」

「何もかも失ったら、それは誰かを死なせていい理由になるのか?」

「なぜ人の命をそこまで重視する? これが獣なら? 虫なら? その犠牲で自分がまた餓えずに生きられるとしたら、それなら君は殺すんじゃないか? 人間となにが違うんだ?」

「人間は」

 ユージオは一度言葉を切った。

 そうだ、なぜ人だけがそこまで特別なのか、考えたことがないと言えば嘘だ。獣だって時に同族を傷付け、殺す。同族を糧とすることを本能に備える種だっている。なぜ人間は人間をそこまで尊重するのか。その必要があるのか、本心からユージオが理解しているわけではないけれど。
 ただ一つ、思うことはある。

「――弱い。人間の中でしか生きられない、魔法がどれほど発展しようとそれは変わらない。太古の昔から群れの中にしか安全を見出せない。人間に庇護し、庇護されながらでしか生きられない生き物だから――自分の居場所を奪うことが、できない。だから人間は人間を殺せない。そういう仕組みに――なっている」

 どれほど巫女たちを憎く思っても、結局彼女らの庇護に縋って生きてきた自分には、その弱さがわかる。ただそういう仕組みなのだとしか答えられない。その仕組みの是非はこの際問題ではない。

「獣は殺せる。虫も。けれど、人間を殺したら、人間ではいられない。それはもはや『青い血』でも『赤い血』でもない。人間ですらない、人の姿をしただけのけだものだ」

 ――あのガレシア軍の男たちは、権力に飼われて代わりにその手を汚して、それでも人の中にいたけれど。
 自分の意思で殺しているとは、できることなら思いたくない。粗末な綺麗事でしかないとしても。そして、自分がどんな状況に陥ったとしても、命で贖うことはしたくない。大事に思う人間に、顔向けできないようなことはできない。

「俺は――今は、愛しい人間がいるから。人間で――いたいと思う」

「その愛する者に害を成そうという人間がいたら、けだものに成り下がっても殺すか?」

「!」

 虚を突かれたような思いで息を呑んだ。
 遠い過去に、その彼が言った言葉を思い出す。

『……それができないなら、あの連中を殺す手段を俺にくれと思った。皆殺しにしてでもレインを生かしてやるんだって』

 フローレインを守ろうとして、誘拐犯の男たちを殺そうと、それができるならそうしていたとクランカイトは言った。その思いが――けだものと等しく軽蔑されるべきものなのか。違うと思うのに、その理由がはっきりと説明できない。それとも、ただの感情論でしかないのか。
 返事に詰まるユージオに、ユキシロはただ興味深そうな目で問いを重ねた。

「けだものに成り下がることは、なぜ悪い?」

「……人の中で生きられなくなる。いいも悪いもない、ただ、先が――なくなる、それだけだ」

「そう言い切るのは過大表現じゃないか」

「けだものに成り下がったら、同じ障害に突き当たるたびにまた人間を殺す。一度矩を踰えた以上は、確実にそうなる。他の手段を知らないから。仮に二度と同じことを起こさないとしても、それは同じ障害ともう一度向き合う機会があるかないかの差だけだ」

「……一理あるな」

 ユキシロはそこで一度押し黙り、何かを考え込んだ後、再び口を開いた。

「では質問を変える。愛する者、守るべきものが今にも死のうという時に、代わりの犠牲があれば救われるとなれば、君はどうする?」

 自分の大切なもののために、他の犠牲を差し出すか、どうか。
 ユージオは眉根を寄せた。惨い問い掛けだ。誰だって自分の周りにいる人の方が大切で、それ以外が見えないところで傷つこうが苦しもうが何も感じない。例え耳で聞いたとしても他人事のように「ひどい話だ」と言って、すぐにその場で忘れてしまうだけだ。
 それらを秤に掛けろと言われれば、誰だって前者を取る。誰もそれを責めることはできない。

「一般論や綺麗事を求めているわけじゃない。私は君自身の考えが聞きたい」

 自分はどうだろう。クランカイトやフローレインのために、無関係の誰かがどこかで命を落としていたとして、どう思うのだろう。ヴェーダたちが死んだのが、見えないどこかでの出来事で、自分はそれを人伝に聞いただけだった。そういう状況だったらどう思うのだろう。

 秤に掛けて、やはりクランカイトたちが無事であることを望まずにいることは無理だ。それだけは間違いない。けれどやはり、犠牲を想わないこともできない。

「その、代わりになる犠牲に……」

 何かを堪えるように、ユージオはきつく手のひらを握り締めた。苦渋の思いで顔を歪めながら、偽らない思いを吐き出す。

「愛する人間がいて、守りたい人間がいることを、知らないままではいたくない」

「知ってどうする?」

「知ったら――」

 仮に見ず知らずの他人であったとしても。その人となりを知って、その人を大事に思う人、その人が大事に思う人を知ったなら、きっと無関係ではいられない。

「きっと、どちらも共に救いたいと思っただろうと、その道を探そうとしただろうと――そう思う。ヴェーダたちの時も、そうだった……」

「?」

「絶対に――死ぬべきなんかじゃ、なかったのに……」

 言葉を交わせて、そこに在ることを知っているのなら、きっと救う手立てを考えることを選ぶ。これは綺麗事などではない。それが仮に不可能なことだったとしても、端から諦めて後悔を残すよりずっとましだ。少なくともあの時、クランカイトはそうしようとした。
 自分がいかに無力か痛感するだけであったとしても、何も考えない、知ることすらないよりもいい。

「犠牲があることに無知では駄目だ。犠牲に対して盲目でいることを許してはいけない。耳を塞いではいけない。そして」

 神秘で隠匿して信仰者たちを無知でいさせようとしている者がいても、それに諾々と従っていたくはない。

「それらの犠牲について無知であることを強要する者がいるのなら、その理由を、知らなければいけない。知れば……打開策を考えることだって、できるかも知れない。知らないことは、そのわずかな可能性すら消し去る恐ろしいことだ」

 ユキシロをまっすぐに見据える。クランカイトに恥じるところのない自分でいたいと思うのは、ただの私欲だ。あの時のクランカイトのように生きたいだけの我儘で、綺麗事などでもない。取り繕うことのない言葉は淀みなく口から零れる。

「餓えて死なないために必要なのは、犠牲ではなくて、理解すること、知ることだ」

 迷いのないユージオの答えに、ユキシロはほんの微かに目を眇めた。

「無知は罪か」

「どうだろう……無知であることで幸福なら、それは個人の自由じゃないか。他人がどうこう言うことじゃない」

「その無知の幸福の中に、知らず知らずの内に踏み躙っているものがあっても?」

「踏み躙られるものが泣き寝入りするのも復讐するのも、どちらも自由だ。他人がとやかく言うことじゃない」

「ずいぶん関心のない言いざまだな。それは君が当事者でも同じことか」

「俺は誰が正しいとか間違ってるとか決めたいわけじゃないし、それは自分が当事者でも同じだと思う。誰が悪いとかそういうことじゃないし、愚かでいようとする者を責めるつもりもない。ただ俺は、誰がなぜ悪いと思って、そこにどんな理由があるのかが知りたい」

 正義感や大義があるわけでもない。他人にその生き方を強制したいわけでもない。自分がそうしたいだけだ。

「……知って、何もできないとしても。知ったから救われたことも、俺はあるから」

 黒魔女アルシーナとしてその名を穢されることになっても、それでも彼女が生きようと足掻いたことを――知らなかった時の方がずっと不幸だったから。

 質問の雨がぴたりと止んだ。

 急に静まり返った室内で、何となく居心地が悪くなったユージオは思わず視線をさまよわせた。熱弁を振るったようで何となく気恥ずかしく、居た堪れない思いで「あの」と意味のない呼掛けを口に出してみる。

 と、ユキシロが急に両手で顔を覆い、長椅子の背もたれに思いっきりもたれかかった。

「はー……久々に楽しかった!」

 明朗に響いた声は、はしゃぐ子供のように屈託がなく。

 拍子抜けしたユージオは思わずじっとりとした視線をユキシロに向けた。

「……はあ」
「驚いた。大人しそうなのに、とんだ知識欲の塊だな、君は」

 大人しそうなのはあんたも同じだろうが――と内心で思ったが、さすがに自制心が邪魔して言葉に出せなかった。大人しく物静かそうに見えて平然と惨たらしい質問を掛けてきたユキシロは、しかし先ほどまでの泰然とした空気が今やどこにも残っていなかった。

「どう答えて欲しかったんですか」
「別に決まった正解なんかない。答えている間の反応が見たかっただけだ」
「試してたんですか」
「すぐ検分は済んだんだが。後半から楽しくなって、熱中してしまった」

 無駄に追い詰められて余計なことを言ってしまった気がする――とユージオはがっくりと肩を落とした。初対面でよくもここまで語らされたものだと思う。他人との垣根が決して低くないはずのユージオだが、先に彼から自分の身上を打ち明けられていたせいだろうか。それとも彼の質問がまさに核心を突いていたからか、取り繕うことすらできなかった。
 なんだかひどく疲れたような気持ちで深く息を吐いていると、立ち上がったユキシロが棚の、茶葉が入っているらしき入れ物を出してきて、茶を淹れてくれた。
 顔を上げると、ユキシロが微かに目を細めて微笑んだ。

「君をこの《地の底》の会員に迎えよう」

 ユージオは疲れてそれに対する答えもなく、ただ出された風変わりな匂いのする茶を一息に飲み干した。


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