聖宮の巫女 23

© 2019 sasori_bi

 ユキシロは棚から菓子も出してきてユージオに差し出す。それを黙って口に運び、茶のおかわりを貰う。今度はゆっくりと茶の匂いを確かめながら、口に含んで。

「……珍しいお茶ですね」

 何気なく呟くと、ユキシロは缶を持ち上げて頷く。

「正直、誰が持ち込んだものか知らない」
「持ち主に怒られませんか」
「怒るような貴重なものなら、厳重に保管してるだろう。そういう場所だ」

 ユージオは焼き菓子をこくりと飲み下し(おそらくこれも持ち主不明の菓子だろう)、やはりと思いながら尋ねる。

「他にも出入りする人がいるんですね」

 この部屋はとても一人で使っていると思えない状態だった。机の使い方に差異が見られる。片方は片付けて片方は散らかしている、というだけではない。棚の使い方、資料の置き方、紙の保管の仕方。どうあっても真似られない特徴が見られた。
 おそらく彼が今言った『会員』に属する人たちなのだろう。
 ユキシロは頷いて肯定する。

「出入りの鍵を持っている在学生が、現在も何人かいる。正直、はっきり何人いるとは私も知らないし、皆も同じだろう。旅に出たまま半年戻ってない生徒だのもいるしな」
「ここは……何なんですか」

 尋ねると、ユキシロは缶を机に置いて背もたれに寄り掛かる。

「かつてここに出入りしていた卒業生と、今も在籍する生徒たちが、魔法の研究に明け暮れる、その遺産の集積所か」
「遺産……」

 ユージオはわずかに首を傾げた後、薄らと見当がつき、問い掛ける。

「研究内容が残してある? ここに?」
「すべてではないけどな」

 ユキシロは肩を竦めた。

「各々が好きで研究して、半端に投げ出したものやら、今や国中に普及している魔法道具の原点やら、怪しげな失敗作やら、完成品はあるのにその設計図が見つからないものやら、がらくたと区別がつかない状態で数多ここに置き去りにされている。魔法道具に限らない。新しい魔法の研究、あるいは魔法原理の解明に挑んだ研究、魔術の根幹たる科学原理の研究に――本当に多岐に渡る。中には民俗学研究だの歴史学研究だの生物学研究だのと魔法に関係のなさそうなものもな。そしてそれらは、世に広まっているものの方が少ない」

 ユージオの瞳が微かな光を取り込んだ。

「ここには、俺の知らない魔法がたくさんある?」
「漁ればごろごろ出てくるだろう。きっと君の知識欲を存分に満たしてくれるであろうものが、この学校の歴史の年月だけ眠っている。在学中にすべて浚うことはできないほど、な。この《地の底》に出入りしていいということはつまり、それらを自由に閲覧していい権利を与えられるということだ」

 ぞわぞわと、産毛がそそけ立つような思いになったのは、経験したことのないほどの昂揚感によるものか。

「なぜ、俺を招いてくれたんですか」
「セレスターだったから。それと、私と同じ礼拝堂育ちと聞いたから、たぶん私は君に親近感を抱いたんだろう。理由はそのぐらいか。でも、ただ勉学が優秀であるというだけじゃ出入りを許すことができない」
「……それで、検分……ですか……」
「その通りだ。言ったように、世に知られていない研究がある。と同時に、世に知られてはならない研究もある。外に漏れるようなことがあればそれは《地の底》のみならず、このセレスト校そのものすらも脅かす諸刃の剣だ」

 先ほどまでの高揚感が、どこか不快な恐怖にすり替わった。漏らしてはいけない秘密が隠された場所。――誰に対して、と考えれば、自ずと答えは出る。

「ブリード教の禁忌に背く研究……が……?」

 ユキシロは軽く口角を上げて、肯定も否定もしなかった。

「さて、どうかな。己が探究心のままに行動した結果、そういう内容に触れていたものも、あるにはある。……そういうことにしておけばいい」

 やはり知っているのだ。この国の不自然な歪みを。知っていた上で、やはり彼もブリード教の信仰者の装いで生きている。かつてここにいた生徒、そして、今ここに出入りする生徒もおそらく同じだ。

「外に持ち出すことが危険だから、ここに残して卒業していく?」
「ここに残さず持ち帰って、商売の糧にされたものもあるか。笑えるほどくだらないものもあるから、まあ複数人の趣味の部屋みたいな使い方をしているな」
「趣味の場所を新参に荒らされて嫌な気はしませんか」
「そうだな……得体の知れないものはとりあえず誰でもいいから尋ねてから触るといい、ってぐらいか。嫌というより、好奇心であれこれ触って厄介事を引き起こされると困ったことになるな。以前私は耳飾りなしで迂闊に触って、小一時間ネズミになって戻れなかった上、ここに出入りする連中に追い回された挙句、解剖されそうになった」
「…………心掛けます」
「まあ、動物の身体では本当に魔法が使えないことがわかって、それはそれで興味深かったんだが」

 転んでもただでは起きない人だ。散々に追い回される羽目になったというのに、そんな時でも魔法が使えるかどうかに関心を示す余裕があることが信じられない。というか、小一時間で元に戻れたのならよかった。
 きっと迂闊に下手なものを触ったりはするまいと、固く心に誓った。
 ユキシロはそんなユージオの顔を眺めて、ふと笑みを零した。

「その口振りを聞く限り、勧誘を受けてくれるようで結構だ。ここには君の知識欲を満たしてくれるものが沢山あるだろうし、きっと意味のない場所にはならないと思う。ただ、だからこそ扱いには慎重を期さなければならない。ゆえに」

 ゆっくりと立ち上がり、ユキシロはユージオへと手を差し伸べる。

「血の掟を誓って貰う」

 穏やかでない言葉に、思わず怯む気持ちが起こったのが自分でもわかった。ユキシロの目はやはり笑っていなかった。

「ここで見聞きしたことを外に漏らしてはならない。無関係の第三者の立ち入りを許してはならない。セレスト校の名を貶めるような行動を取ってはならない。ここにある知識の価値を認め、卒業していった名誉会員に敬意を払わなければならない。反国家的な思想でもって過激な活動を行ってはならない。――そして」

 ユキシロの手のひらに小さな魔法陣が現れた。
 昏い光を帯びたそれは、何をするのかと固唾を呑んで見守るユージオの目の前で、自らの手のひらに一線、血が滴るほどの傷をつける。
 目を剥くユージオに、彼は顔色を変えずに。

「それが守られない場合、会員権の剥奪とセレスト校の退学、及び法に則った贖罪によってのみ償われる」

 差し出された手のひらに、覚悟を問われているような思いだった。
 ユージオは耳飾りを外し、机に置いた。
 ユキシロがそうしたように左の手のひらに魔法陣を作り、一線血が溢れるほどの傷を作る。傾ければ床に数滴血を零すその左手を、ユージオはユキシロへと伸ばした。
 熱を持って痛む傷を合わせるように、その手をきつく握り締める。

「……構いません」

 固く手を取って握れば、手のひらの傷がずくりと痛みを訴えた。

 握り返され、そのままゆっくりと離れる。――と思いきや、ユキシロはもう一度ユージオの手を取って、手のひらの傷が見えるように開かせる。
 ユキシロが作り出した魔法陣が現れ、ゆっくりとユージオの手のひらの傷が消えていくのを見て、思わず息を呑んだ。
 人間相手に治癒の魔法を使う――それも、使われる経験など、したことがない。詠唱もせず、少しの躊躇さえ見せなかったユキシロに、畏怖のような思いが無意識の底にこびりつくようで、ユージオは自分がとんでもない約束をしたのではと今になって少し怯んだ。
 だが、ユキシロは何事もなかったかのようにぱっと手を離し、軽い足取りでくるりと身を翻した。

「さて、鍵を持たせないとだな。招待状は一度きりの使い捨てだし」
「あ……鍵があるんですか」
「くれぐれも失くさないようにと言いたいところだが、よければ私が使っている失せ物防止の魔法も教えようか」

 確かに耳飾りの件を見る限り、この調子なら鍵も失くしかねない。どうしようかと迷ったが、失せ物防止の魔法というのが気になったので断らなかった。
 ユキシロはおもむろに部屋の中を歩き、適当な引き出しをガチャガチャと開けて回る。実は物の置き場を覚えるのが苦手なのだろうかという疑念を抱きながら、胡乱げな視線でじっとその様を窺っていると。

「卒業生が置いて行った鍵だ。皆そうして、新しく入った誰かが使う。まあ、新しく複製を作ってもいいんだが、魔法道具だから厄介で」

 ようやく探り当てたらしく、古くくすんだ金色の鍵を放られ、慌ててそれを受け止めた。
 鍵の柄に細かな魔法陣が刻まれている。これを解明するだけでそれなりに面白そうだ。そんなことを思ったが、どこに身につければいいだろうかと迷って、ユージオは自分の制服の襟元へと手を伸ばす。
 首に掛かった紐を手繰り、制服の下からずるりと引っ張り出す。紐に吊られていた白い破片が襟から零れ、ユージオは何とはなしに目を留める。

 一部が黒く変色した紐に、彫り物が入った白い動物の牙。
 それが象徴する土地神を信仰しているわけではなかったが、ずっと身につけていた。この紐に一緒に通していれば、とりあえず紛失することはないだろう。

 そう思って、首から外して紐の結び目を解いていると。

「アタルヴァのレガ信仰の角か?」

 何気なく言い放ったユキシロに、ユージオは弾かれたように振り返った。

「レガ信仰……?」
「アタルヴァという山岳地で、土地神をレガと呼んで祀る風習がある。獣の牙に彫り物をして、身につけるらしいが。……実際に見聞きしたわけじゃないから、詳しいことは私にも……」
「その話」

 ユージオは幽霊でも見るかの驚愕の目でユキシロの方へと向き直る。
 どこか縋るような声は、ぽつりとユキシロに懇願した。

「――詳しく聞きたい」


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