聖宮の巫女 24
© 2019 sasori_bi ノヴァリス少副が着任して以降、ゼズルカ大祐はその権限をすっかり取り上げられたように見えた。ノヴァリス少副の指示を受けてそれに従って職務は果たしているようだが、表立って東の宮の巫女の指導を行うことはなくなった。
ノヴァリス少副はというと、時に淡々と職務をこなし、時に砕けた言葉で語りかけ、時に深く巫女に共感を表し――まるでそういう仮面をいくつも持っていて、状況に合わせて次々付け替えているかのようで、驚くほどあっさりと神部の巫女たちに受け入れられていた。特別扱いしないという始めに言われた言葉の通り、フローレインに対しても他の巫女と同様の接し方で、いずれ大史を任じられるからと別講義だけは課されているが、ゼズルカ大祐の時のような悪辣な言葉を投げられることももちろんなかった。
ここにノヴァリス少副を配置したリュース大副という巫女については、相変わらず不明のままだが。
とはいえ、考える余裕ができると、それなりに別な疑問や悩みが浮かんでくるもので。
「以来、アスラがこのガレシアの地に降り立ったその日に祭祀が催され、皆がよく知る国を挙げた例祭が……アステリア?」
呼び掛けられ、フローレインはぱっと顔を上げた。気が逸れていたことをノヴァリス少副に悟られてしまったのだろう。後ろめたい気持ちで恐る恐る答える。
「……すみません。考え事を」
「悩み事? それとも講義の質問?」
「私の立場に関する質問、でしょうか」
私的な悩み事でもなければ、講義についての質問でもない。曖昧な返答になるフローレインに、ノヴァリスは不思議そうな顔をして、フローレインの正面の椅子に掛ける。
「構わないわ。私の答えられる範囲なら聞くけれど」
「……今さらこんな基本的なことをお尋ねして、お恥ずかしい限りなのですが」
誰も答えてくれなかったから――というのは言い訳にならないだろうが、このまま知らずにいるよりかはここで恥を晒した方がマシだろう。その恥を許してくれる相手がようやく現れて、それでこんな初歩的な件についても考える余裕もできたわけだが、フローレインは気まずさを拭えない表情でどうにか続ける。
「……なぜ私が大史に任じられると決まっていたのでしょうか?」
聖宮に入ったその日から当たり前のように決まっていた。というより、聖宮に入るまでフローレイン本人に何の事前の報せもなかったのに、聖宮では皆がそうだと考えているようだった。
ノヴァリスは怪訝そうに首を傾げる。
「あなたはどう思っていたの?」
「私は……その、個人的に栄典を賜っておりましたので。それが理由なのかと」
「半分正しいわ。……『白鴉の魔法使い』と呼ばれていたのでしたね。あなたの母校に縁のあった魔法協会の貴族が、たまたま入学式典に参列して見掛けたそうよ。素晴らしい魔法だったと」
そういう経緯であったことは知らない。魔法協会を通して――とは聞いたような記憶もあるが、あの時も自分の知らないうちに、関係のないところで決まった叙勲だった。今も当時も、自分のことのはずなのに、自分のあずかり知らぬ場所で物事がいつも決まっている。
冷めた思いになるフローレインとは裏腹に、ノヴァリスが語る口調は柔らかだ。
「あまりのことに、圧倒されたのですって」
「過ぎたお言葉です」
美しい以外何の価値もない、ただの見世物に過ぎない魔法だった。ユージオに眉をひそめられながら褒められた記憶がまざまざと甦った。まるで今が夢で、あちらが現実かと思うほどはっきりと思い出すことができて、可笑しいような気持ちがふと起こった。
ノヴァリスは他意のない様子でぽつりと呟いた。
「機会があるのなら、私もいつか見てみたいわ」
「不勉強で恐縮なのですが、巫女が魔法を用いる機会というのはあるのですか?」
「そうですね……例祭などではその機会がないのですが、宮の管理に時々そういうことはあるかしら。特別な聖杖があって、あれは聖宮の中であっても限られた魔法だけ使えるようになっていますから」
あなたにはもしかするとその機会があるかも、とノヴァリス少副がフローレインを見る。結界があって魔法が使えないことにはなっているが、限定的にその禁を逃れる魔法が組み込まれた聖杖があるということだろう。フローレインの腕にある、魔法式が組み込まれた結紐の魔法の範囲を狭めたような感じだろうか。
「もう半分の理由――というか、通常は魔力の量で決まります。一番秀でている巫女が、始めに代表として任官されるしきたりなだけ」
それだけなのかと呆気に取られるフローレインに、ノヴァリス少副は微笑む程度に表情を和らげた。
「家柄を気にする人もいるけれど、そう堅苦しく捉える必要はないわ。祭祀で少し役目があるぐらいのこと」
「……そう言って頂けると気が楽になります」
「と言っても、このまま東の宮に殿下がお渡りにならない限り、地位の変動が起こらないのですけれど……」
「?」
ひとりごちるような呟きに首を傾げたが、その言葉の意味を深く理解するより先にノヴァリス少副はまた何気なくというように尋ねてくる。
「魔法協会もあなたを巫女として選出していたのですが、あなたは礼拝堂よりの話を受けたのでしたね」
確かに叙勲を授けた魔法協会ではなく、礼拝堂からの打診で聖宮に来た。結果としては同じことだろうが、立てる顔が変わってしまったことが良かったのかまずかったのかはわからない。
「礼拝堂は……私の、家族ともいうべき恩人がいる場所でしたから。魔法協会から話が来ていたとも、礼拝堂の先生には聞いたのですけれど……と、これは個人的な事情ですね。少副のお耳に入れるような話ではありませんでした」
喋り過ぎたかと我に返ったが、ノヴァリス少副は興味深そうに目を細めた。
「家族……恩人? 礼拝堂に? 興味があるわ」
「お話するのは構いませんが……では、少副のご家族の話も伺いますよ?」
「ええ、構いませんよ」
自分の事情ばかり踏み荒されるようで少し構えてしまったが、あっさりと頷かれたフローレインは拍子抜けする。こんなに自分が疑り深い性格だっただろうかと自己嫌悪にこっそり息を吐いた。他意があって探りを入れているというわけではないようだ。
「幼馴染です。身内が亡くなって、礼拝堂に住んでいて……頭のいい幼馴染」
「女性? 男性?」
「男性……男の子です。同じ年で、飛び抜けて優秀でした。私は彼に助けて貰って、それがきっかけで知り合いました」
「好きだった?」
フローレインは面食らった。まさかノヴァリス少副の口から色恋沙汰のような話題を振られるとは思わなかった。
問い掛けられた質問より、ノヴァリス少副のような大人の女性からそういった話題に触れられたことに、何だかひどくどぎまぎした。同年代の少女たちとのそれよりも、もっと背伸びをしているような気がしてしまう。
「ええと……好きですけど。同じ年の兄のような。そういう感じでした」
「そうなの? 助けられて好きになってしまったりしなかった?」
「その時は本当に子供でしたから」
憧れの恩人というような存在だっただろうか。さすがに中等学校に上がってからは噂も立てられたし、まったく考えなかったかといえば嘘だが、やはりそういう恋情とは違っていたと思う。
――それにどうせ、二人とも私を一番だと言ってくれたけれど、特別は他にいるのを知っている。それでよかった。……そんな二人が一番好きだった。
「恋をしたことは?」
「その――……残念ながら」
いつだったかクランカイトにも同じようなことを聞かれたかと思いながら苦笑と共に答えると、ノヴァリス少副は曖昧な表情で微笑んで。
「そう、それは……幸いなような、気の毒なような」
「?」
ノヴァリス少副が俯いた。長い黒髪が頬に掛かってその表情を隠してしまう。けれど、囁き声のようなその言葉は、何とも言えずもの寂しい。
「好きな人がいるのに巫女にならなければならなかった娘は、ここにはたくさんいるから。巫女だなどと大義を謳っても、気の毒なことなことに変わりはないのに」
礼拝堂の巫女は、自ら望んでその職務に就く。だが、聖宮の巫女は違う。一度選ばれてしまえば自分の意思で辞退することもできず、二度と俗世に戻されることもない。
もしもフローレインがあの時、誰かに恋焦がれていたのなら、きっとそんな思いをしたのだろう。無理やり想いを殺されたことだろう。
「……ごめんなさい。私の勝手な意見だわ」
「いえ……」
きっと今この東の宮に集められた神部の巫女の中にも、そんな少女はいたのだろう。自分がそれを知らないだけで。
他の巫女一人一人と深く打ち解けていないので、何となく全体で考えると東宮の巫女たちにいい印象を抱けていないのが現状だが、もしかすると――と思うと少し胸が痛む。家族との別離以外にも、それに近しいほどの別離がもう一つあったということなのだから。
「少副は? ご家族や、好きな方とか」
無理やり話題を変えるように尋ねると、顔を上げたノヴァリス少副は、また淡く微笑みを浮かべた。
「自慢じゃないけれど、小金持ちぐらいの家でしたね。片田舎の領主で、ささやかながら爵位も賜っていて。両親と、よく慕ってくれる弟妹がいて。……もうずっと顔も見ていないから、私が知っている両親よりずっと年齢を重ねているでしょうし、弟妹も……もしかしたら結婚なんかしているかも」
懐かしむように目を細めて、だがまたすぐにその面からはすうっと笑みが消えてしまった。寂しそうな横顔は、遠く未来を憂うかのようで。
「好きな殿方もいなかった。子供を産んだこともない。だからきっと――生涯恋を知らないで死ぬのかも知れないわね」
長く聖宮にいるとそんなもの悲しいことを考えてしまうのだろうかと、フローレインは急に不安に駆られてきつく胸元を掻いていた。
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