聖宮の巫女 28

© 2019 sasori_bi

「もしかして寮長は、この地に馴染みがおありですか」

 案内される先々で、店の主と気さくに会話するノイシュの姿が何度も見られた。単純に馴染みの学生という以上に親しみを感じて、そのたび不思議に思っていたが。
 案内人であるノイシュに連れ回されるままユージオが尋ねると、軽く肩を竦めて彼は微笑む。

「種明かしの前に暴かれてしまったか」

 悪びれもしない肯定に、やや肩を落としながらユージオは呟く。

「何も隠さなくとも」
「驚かせようと思っていたんだがな。まあ、ここまで来てしまえばもう驚かせるも何もない」

 ユージオとクランカイトは何とはなしに視線を交わす。ここまで――という彼の言葉の意図するところがわからない。すでに色々なところを連れ回された後だが、ノイシュが次にどこに向かっているのかもよくわからないまま、ただ彼に従って歩き続けていた。
 ただ、進むにつれて住宅街のような街並みに変わっていく気がしていたのは、気がかりといえば気がかりだったが。

 と、ノイシュが唐突に立ち止まった。振り返る彼に怪訝な視線を向けると、彼はある門扉を手で示しながらにっこりと笑った。

「ようこそ我がノイシュ家の別荘へ」

 ノイシュが示す先を見上げると、趣深い一軒の邸宅があった。
 貴族の邸宅というほど大きくはないが、老舗の宿のような佇まいで、街並みに馴染んでいる。木と煉瓦が組み合わせられており、決して凡庸な造りではなく、簡素ながら趣味の良さが表れていた。
 鉄製の門扉を構えるその邸宅を見上げ、ユージオはやはりと思いながら息を吐いた。

「想像はしていましたけど。貴族のご令息でらっしゃいましたか……」

 これが自宅でなく別荘というのなら、貴族令息以外の何だというのか。
 とはいえ、彼がそれ以外であったなら、もっと意外に思ったし驚いたことだろう。奇妙な納得と安心を抱きながら呟くユージオに、ノイシュは門扉を押し開けながら答える。

「そんな大層なものではないが。歓迎しよう。ぜひ晩餐に招かれてくれ」

 扉の先で、待ちかねていたように使用人が玄関から出てくるのが見えた。開いた扉から橙色の光が灯っているのが見えて、暖かさを感じさせるその色に、ユージオは僅かながら委縮を解いた。





 贅に物を言わせた内装も予想はしていたが、外観からの想像を大きく裏切らない、落ち着いた設えだった。
 暖色で統一された外観そのままの内装には、木製の家具が多くを占めている。玻璃がはめ込まれた木棚もあるが、金細工のような置物などは見当たらない。貴族の邸宅を想定して足を踏み入れたユージオは、その光景にずいぶん気が抜けた。
 晩餐も、いい食材ではあるのだろうが、飛び抜けて珍しい料理というわけではなかった。卓上は上質な家庭料理という印象の皿で埋められ、それきり給仕は退室していったし、振る舞いに気を遣う必要もなかった。各々好きに食べて、気楽に話をできる空気があった。

「……何というか、ずいぶん予想とは違いましたね」

 食後のブドウ酒を傾けながら思わずそうユージオが零すと、ノイシュが可笑しそうに煉瓦色の目を細める。この館の色と同じだなと、ユージオは内心呟いた。

「物足りたか?」
「とても。美味しかったです」
「豪商アステリア家の令息に出すには今一つだったかも知れん。畏れ多いな」
「たかが成金ですよ? 寮長の考えているような生活はしていません」

 肩を竦めるクランカイトに、声を上げてノイシュは笑う。クランカイトはそう言うが、ノイシュ家よりもアステリア家の方が総じてずいぶん豪奢な印象だというのを、口に出さないまでも、ユージオは心中で少し思っていた。だが、ノイシュの方は冗談か本気かわからない。
 と、わずかに酔いで上気した様子の彼は、思いがけない問いを掛けてくる。

「ユージオ、君はノイシュ家がどんな立場にある家か知っているか?」

 問い掛けの真意がわからないまま、ユージオは曖昧に首を傾げた。貴族ということは、大抵ある程度の所領を得てその立場にあるはずだ。

「? 領主なのでは?」
「はは。勉学に熱心なのはいいが、周囲の人間への関心が薄いな君は」
「……違っていたのでしたらすみません」
「いや、入学からそう長くないのもあるしな。一部は合っている」

 面白そうにブドウ酒をまた一口傾け、ノイシュは卓上に頬杖を突いた。ユージオは知っているかと問うようにクランカイトに目配せするが、彼もまた知らないようで、首を横に振っていた。
 ノイシュは酔いを帯びた微笑みのまま、彼にとっては世間話に過ぎないのだろうというような、軽い調子で言い放った。

「俺の家――ノイシュ家の当主は、魔法協会の理事長でな。代々の当主も、長ではなくとも魔法協会の理事を務めてきた。だから、そちらの役職が主で、通常の貴族のように所領というのをそれほど多く持っているわけではないんだ」
「魔法……」

 協会、と続けようとして、しかしユージオは思わず言葉を切ってしまっていた。クランカイトもまた同様に、少しの驚きと気まずさが入り混じった表情を浮かべている。それは二人にとって、苦くも憶えのある名前だった。
 幼馴染でクランカイトの妹、フローレインを聖宮の巫女に推挙したのは二か所。一つはユージオの育った礼拝堂。そしてもう一つがたった今名前の挙がった魔法協会だった。……フローレインは後者の推挙を受けなかったが。

「? どうした」
「……い、いえ……」

 だが、ノイシュはそれを知っていてその話を切り出したわけではないようだ。そうわかったユージオとクランカイトはそっと安堵の息を吐く。思うところがあるわけではなかった。ノイシュにとっては本当に他意がないのだろう。

「魔法の発展でいっそうガレシアの繁栄を目指すというのを主な目的に掲げて、王の認可の下で組織されている――などという話は、セレスターには必要なかったな。とにかくまあ、あまり派手な立場じゃないし、収入も似たようなものだ。貴族の中ではかなり目立たない方なんじゃないか?」
「……魔法協会の役職であれば、伝統ある立場です」
「伝統ってのは金にならんな」

 身も蓋もない言いざまにユージオがこっそり肩を落とし、クランカイトが軽く声を上げて笑う。本意ではなく、冗談めかした言いざまであることには救われるが。

「ブリード教の勢力に負けて末席に追い遣られている身だ。悲しきかな、金も頭数も圧倒的に及ばない。貴族といえども日陰者だ」
「……なぜブリード教に。目的も組織系統も異なります。同列に語られることはない」
「……言わずもがな、君たちは知っているんじゃないか?」

 核心を突いたノイシュの問い掛けに、ユージオは隠したものを暴かれたような思いで俯いた。なぜ魔法協会が、他協会でなくただの国教によって脅かされているのか。そのことをユージオもクランカイトも知っている。――もう何年も前に。
 だが、その問いにどう答えていいか迷っていると。

「俺はこの国が好きだよ」

 ふと、ノイシュが柔らかに呟いた。小さな子供を慈しむような物言いに、ユージオは先ほどとまた違った感情で、息が詰まりそうなほどに驚いた。
 臆面もなく言い切ってしまえるノイシュに圧倒されていた。ユージオにしてみれば、複雑な感情を抱く国だ。どれほど美しい景色と繁栄した文化を持っていても、輝くほどその裏に大きな影を落としていることを知っている。
 戸惑いながら、ユージオはどうにか短く問い返した。

「……急に、どうしたんです」
「例えこの魔法と信仰で発展するガレシアの国が、それ以外のものをたくさん置き去りにしながら歪に進んでいるとしても。……それでも俺はもうずっと、子供の頃からだ。初めて自分で魔法を使った時から、これを手放すことはできないと思った」

 そう言うノイシュの瞳は光を取り込んで輝いていて、ユージオは目が離せなかった。
 困惑はいっそう深まるばかりだった。歪だと彼が称するものが何を指しているのかは、おそらく考えている通りだろう。ブリード教が望むほど教徒が無知ではない。気付かないはずがないのだ。それなのに彼はその上でも、無邪気に好きだと言い放つ。その表情は、何も知らない少年のように一切の翳りがない。
 そんなひたむきな気持ちを、もうずっと感じたことがなかった。忘れてすらいた。――遠い昔、記憶に埋められて沈んでいた感情が、わずかに浮かび上がってくるのがわかる。

「魔法が未発達なために、経済的に格差が生じた地域があることも知っている。だが、そういう場所にこそ魔法が発展すべきだ。魔法は人が餓えて死ぬためにあるわけじゃない。その逆だ――少なくとも俺はそう思っている」
「……なぜそうも魔法を万能と見なせるのか、俺にはわかりません」
「万能でないからこそ。……研究して、魔法の仕組みを明るみにしなければならないだろう。刃物が危険だから使うべきではないというのは思考の停止だ。万能ではない、だからこそ特性を理解して使い方を知らなければならない。我々は、今よりもっとだ」

 ノイシュの言葉には徐々に熱が込められる。その熱に中てられるようにユージオの胸中が熱くなっていく。

「そして、それが広まったガレシアの国を、俺は見たい。魔法が危険だからと敬遠されることも、一部の人間にしか魔法が使えないこともない。ガレシアの万民が貴賤なく、格差もなく魔法を共有できるのなら、この国はもっと発展できる。その余地があると思っている――そう信じたい」

 目を伏せたノイシュの耳飾りがゆらりと揺れる。祈りのような呟きに呼応するようで、何の皮肉かと思いたくなった。
 また一口ブドウ酒を傾けると、息を吐いたノイシュは、少しばかり熱が冷めたように。

「……まあ、これは父親の持論でもあるがな」
「俺は!」

 自嘲するようなノイシュの表情に、ユージオはとっさに自分でも驚くような大声を上げていた。
 隣のクランカイトが目を瞠るさまが視界の端に映る。ノイシュも僅かに眉を上げて、驚きを滲ませた瞳をユージオに向けてくる。
 それらの視線を受けて、急に自分の反応に恥じ入りながら、ユージオは前のめりだった体勢をそっと戻した。それでも、ノイシュが自身を嗤うような真似をどうしても許したくなかった。

「……その考えが、魔法協会全体に共通のものなら、俺は」

 羞恥に下げていた視線をそっと持ち上げて、ノイシュの瞳を見据える。返される温かい煉瓦色の瞳が、ユージオの言葉の先を促した。

「きっと……協会を支持すると、思います」

 知らず反発心を持っていた自分を恥じながらもそう告げると。

「ありがとう」

 飾り気のない、しかし紛れもなく誠意を返されたことに、ユージオは固くしていた身体の緊張をふっと解いた。






© 2019 sasori_bi

prev / next