聖宮の巫女 31

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 一週間と空けずに寮と聖宮を行き来していたネヴィンだったが、ふと気が付けば音沙汰がない。
 フローレインは訝りながら、鳥の影もない窓を開けて外を覗き込む。おやつに出された木の実をこっそり自室に持ち帰ってきたので、ネヴィンが次に来た時にあげようと思っていたのだが――聖宮の周りに連なる並木に目を凝らしてみても、やはりネヴィンらしき姿どころか、鳥の影すら見当たらなかった。

 前に放したのが確か、二週間ほど前のことだろうか。普段ならば返信を持って窓辺に留まっているはずなのに、その気配がまるでない。向こうでそこまで引き留められているというのもあまり考えられない。となると、寮と聖宮との往路の中ではないか。

 ――怪我を、してしまったのだろうか。

 その可能性に気付いた瞬間、一気に血の気が引いていくのが自分でもわかった。
 あり得ない話ではない。ネヴィンは特に、人の手で育てたせいで他のカラスと相容れない。群れる習性を持つ鳥に集団で襲われれば、余計な荷物をつけられていて逃げ切れない。大型の鳥一羽でも、相手によってはとても太刀打ちできないだろう。
 鳥以外にも、獣に襲われる可能性だって充分にある。

 せめて寮まで辿り着いていれば、二人が手当てしてくれているだろうに、それを知るための肝心の連絡手段がない。久しぶりに連絡手段を絶たれた心細さは、顕著なほどに不安を増長させた。

 フローレインは自分の手甲をずらして、手首に巻かれた結紐を引き出した。
 魔法なら使える。けれど、身の回りにないものをどうすれば確認できるだろう。
 空中を飛んでいってしまうので、痕跡などは残っていない。時間を戻す魔法もない。もしかすると遠見の魔法は使えるかも知れないが、場所の見当がつかなければ意味がない。
 どうしようかと、思案に沈んでいた時だった。

 扉が叩かれる音がして、フローレインは顔を上げる。
 ただの物音ではない。部屋の外に人の気配がある。何となくそれだけははっきりとわかった。誰かが自分に用事があって、部屋に訪ねてきている。

 ――誰が、ということに関しては、まるっきり心当たりもないままだったが。

「どうぞ」
「失礼するわ」

 張りのある艶やかな少女の声がして、扉がゆるりと押し開かれる。

 動く扉の奥から姿を見せたのは、同じ修道服を身に付けた少女だった。神部の巫女だ。顔に見覚えはあったが、面識というほどのものではなく、言葉を交わした記憶もない――と一瞬思ったが、すぐに思い当たって考え直した。

 一言だけ、会話というほどのものではないが、言葉は交わしたことがある。

『……失礼いたしました』

 長い亜麻色の髪の巫女だ。よそ見をしていたせいで、曲がり角でぶつかったことがある。あの時は疲れていたせいか、その後おかしな幻覚など見た気もするが、彼女については幻覚でも何でもない。
 紫檀の色の瞳を見て、間違いなくあの時の彼女だと確信する。だが、同時に困惑が胸の内にじわりと生まれる。一体自分に何の用だろう。

 と、彼女はそれまで両手で抱えていたものを部屋の卓上に置いた。布が被せられていて中身が何だかわからなかったが――カサリと物音がして、フローレインは訝り首を傾げた。

 ――中に一体、何が?

 そう思ったのは一瞬で、すぐに少女は被せていた布を取った。

「!」

 中を見た途端、フローレインは目を瞠る。大きなカゴだった。その中の黒い影――一羽のカラスだった。

「ネヴィン……!」

 悲鳴のような声を上げて駆け寄ろうとするが、少女がそれを制止するように手のひらを向けてきた。
 とっさにその場に踏み止まったフローレインへと、少女は非難げな視線をまっすぐに向けてくる。

「やはりあなたのカラスね」

 凛と響く美しい声は、規則正しい発音をしていた。貴族の令嬢なのだろうと、あの時にも感じた印象を深めながら、フローレインは眉をひそめる。――声に滲む敵意に気付いていた。
 慎重にネヴィンの様子を窺うと、羽の一部が赤黒く膠着している。翼は折れてはいないようだが、血が出たのだろう。致命傷には至っていないとは思う。が、カゴに捕らえられているということは、飛行できない状態だったか、あるいは未だに飛行できないままか。

 ――捕縛されたのか。

「……だとしたら、何」
「この手紙も」
「!」

 懐から取り出した小さな紙切れをかざした少女に、フローレインは否定すらできずに口を噤んだ。
 外部とのやり取りが禁じられていることを、巫女であれば知らないはずがない。無論それは、フローレイン自身も例外ではない。処罰を伴う重大な規則違反で、過去それを行った巫女がどんな処罰を受けたかまで含めて、聖宮に入った時点で厳しく言い聞かせられている。例えノヴァリス少副であろうとも、これが耳に入れば、庇ってくれる可能性はない。

 ――こんなに早く露見することになるなど。

「外との連絡を取ることは、仮に未遂であっても重い処罰の対象よ。それに、処罰は何も当人に限らない。巫女全体に咎めが及ぶわ」
「……それを確かめるためにネヴィンを捕らえたの?」
「そうかも知れないわね」

 少女は素っ気なくそう言い放ち、紙切れをカゴの隣に置いた。

「金輪際こんなことをしないで貰えるかしら。あなた一人の責では済まないの。周囲にどれほどの迷惑が及ぶかもわからないほど愚かだとまでは、さすがに思っていなかったわ。悪いけれど見方を変えることに……」
「ネヴィンに何をしたの」

 少女の言葉尻を遮るように、フローレインは低く押し殺したような問いを投げた。

 自分でも思いがけない、冷たく尖ったつららのような声音だった。微かに殺し切れなかった怒りまでもが滲む。
 少女はほんの少し臆したように顔色を曇らせた。が、それも一瞬で、すぐに落ち着き払った佇まいを取り戻して答えた。

「見えている通りよ。カゴに入れて連れてきた。カラスなんて不気味で、自分の部屋に置いてなんておけないもの」
「捕えて、怪我をさせたわね」

 少女の返答も取り合わずに、フローレインは再び問いを重ねた。少女が今度は一歩後ろに後ずさる。怯んだように手の中の布をきつく握り締めていた。

「……だとしたらどうだというの」
「人の咎を暴いて正義面したいがためだけに、ネヴィンに傷をつけたのだとしたら許さない」
「自分の責を棚に上げて、他人のことを咎めるつもりなの? 次期大史っていうのはずいぶんといい御身分なのね」
「責については認めるわ。私は危険なことをしてた。けどネヴィンは私の家族よ。それを無為に傷付ける権利が自分にあるとでも思っているなら、そっちこそずいぶんな思い上がりだわ」
「巫女は他人だから処罰されても構わないと?」
「連帯責任の巫女の処分は謹慎でしょう。掠り傷一つつかないわよあんなの」

 唇から漏れた嘲笑に、自分はこんなに荒んだ笑い方をする人間だったのだなと、どこかで他人事のように思った。ひどく可笑しい気分だ。謹慎など、一体何回受けたことか。
 あんなしようもない、取るに足りないものと比べられては堪らない。

 真っ直ぐに見据えた紫檀の瞳に、自分への恐怖が揺れるのが見て取れた。

「カラスが家族だなんて。……笑わせるわ」
「二度目にはあなたの家族を同じ目に遭わせるわ」

 フローレインが迷わず言い切った。その声音の無機質さに、少女がびくりと肩を震わせた。また一歩後退り、フローレインから距離を取る。

「……強がりね。聖宮を出られない、魔法も使えないのに」
「あなたとは違う。こんな結界、私には何の縛りでもなんでもない。――造作もないわよ、そのぐらい」

 フローレインはゆらりと左手を持ち上げた。

 聖火の加護がどれほどのものか知らないが、そこらにある椅子でも飛ばしてやれば、その妨げには合わない。そんなことは誰もが知る常識だ。やろうと思ってやれないことはない。その後どうなるのかは、考えるだけでも憂うつな目に遭うのだろうが――
 ただ、不思議とそれでもいいような気がしている自棄な自分もいて、ほんの少しでも触れば傾く天秤ほどの差で、その二つの想いが釣り合って拮抗していた。

「それとも今すぐ、あなたが代わりになる?」

 本来なら虚勢にしてもずいぶんな大口だ。聖宮で魔法が使えないのだから、何を言っても明らかで滑稽な虚言にしかならない。彼女だってそう思っているはずだった。

 ――けれどなぜか、目の前の彼女は本気の怯えを纏っていた。

「?」
「っ手紙もカラスも返すわ。忠告もしたわよ、二度と勝手はしないこと……!」

 少女は叫ぶなりぱっと踵を返し、慌ただしく私室から飛び出していった。
 フローレインはほっと息を吐いて、すぐに机と駆け寄った。卓上のカゴを外して、中にいるネヴィンを解放してやる。

「傷はどう、ネヴィン……?」

 手を差し出すと、軽やかに跳ねてフローレインの指に掴まった。血が固まっている付近をじっくりと目で見て確かめると、それらしきかさぶたが隠れてはいたが、ほとんどすっかり快癒している。
 指から離れ、腕に留まり直す羽ばたきの様子から見ても、ひどい怪我の形跡は見られなかった。

「大丈夫そう。よかった。……心臓が止まるかと思ったな」

 今になってひどい動悸が襲ってくる。息が上がり、フローレインは立っていられず机に縋るようにずるずるとその場に座り込んだ。怒りに囚われてずいぶんな物言いをしてしまったし、彼女も――不思議なことにあれを真に受けているように見えた。

「私、そんなにひどい顔してたかな……」

 ネヴィンの軽傷を確認した今になって思うと、掠り傷で大騒ぎしてしまった――という自己嫌悪が重く圧し掛かってくる。後から陰で何を囁かれることだろう。ついでに、安い脅し文句にあんなに怯えられるとは、思いの他ご令嬢というのは繊細なのかも知れない――などとぐるぐる悩みが頭を巡る。

 が、腕に止まっていたネヴィンが、フローレインの髪をくちばしで摘んで引っ張った。
不思議に思って顔を上げると、ネヴィンが何事かを訴えてくる。

 しばらく座り込んでじっとそれを受け止めていたフローレインは、やがて慌てたように勢いよく立ち上がった。腕に止まっていたネヴィンを卓上に移させ、走って私室の扉から飛び出して行った。


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