聖宮の巫女 33

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 普段なら放課後はまっすぐに《地の底》と通称される学校の地下に足を向けているところなのだが、あそこはユージオにとって誘惑が多すぎる場所だった。
 漁れば漁るほど、卒業生たちが残していった研究が無数に出てくる。いくら時間があっても足りないほどだ。時間が許す限り入り浸りたくなってしまうし、それを近頃、クランカイトに快く思われていない節もある。――いや、気が付いたら寮の門限ギリギリで、それを知らせる鐘の音が鳴ってようやく気が付いたなどという日もあったので、自分に非があることには間違いなかったが。
 今日という今日は、大人しく寮に戻って試験のために勉強をしなければならない。いい加減。そう思いながらユージオは自分の鞄を背負った。

 ――ああでも、昼休みに見つけた魔法素粒子の応用研究、まだ途中までしか目を通していなかったか。

(いやいや駄目だ)

 思わず《地の底》への通用路を開く鍵を襟元から引っ張り出そうとしていたが、その手を戒めのように握り締める。無自覚の内なのがなおさら性質が悪い。諦めて帰って自室で勉強しよう。

 改めて決意を固め直しながら、学内にあるはずのクランカイトの姿を探し歩いていると、彼は校庭にいた。制服の上着を脱いで剣を握っている。

 他にも訓練中と思しき学生たちと外に屯していたが、校門から出てきたユージオの姿を見つけると、立ち上がって近付いてきた。

「帰るのか?」
「そのつもりだけど、あんたは――……」

 だが、問い返そうとしている最中、カイトの不思議そうな視線に気付いて口を噤む。

「お前、耳飾りは?」

 カイトの視線はユージオの左耳に向いていた。
 問われてはたと気付き、自分の左の耳元を手で探る。そして本来そこにあるべき耳飾りの感触がないことで、ユージオは愕然とした。自分で自分が信じられない。

「……失くした」
「なんで失くす?」

 呆れたようなクランカイトの視線から顔を背けて、ユージオはここに至るまでの自分の行動を振り返る。朝は付けていた――付けてから寮を出た。それは間違いない。そこから授業の間は触りもしていない。休み時間にちょくちょく《地の底》に出入りしてはいたものの、耳飾りを外すような機会は――あったか。なかったか。どっちだ。いやなかった――はずだが。

「心当たりがない」
「大丈夫かお前。……ま、学校の中に礼拝堂があるし、そこで貰ってから帰るか」
「……耳飾りの紛失で礼拝堂に顔出すの、これで三回目になる」
「そろそろやばいから気ぃ付けような」

 生暖かい善意が滲むクランカイトの忠告に、大いに呆れているだろうことがひしひしと伝わってきた。麗しいという言葉が相応しい微笑だが、造り物めいているというだけのことであって、その目はまったく笑っていない。ユージオは何と言っていいかわからない表情で曖昧に頷いた。

 今まで耳飾りを失うことなどなかったのだが、その原因については完全に思い当たる節がある。あの《地の底》に出入りするようになってから、耳飾りに付与された魔法が邪魔で一時的に外すことが増えた。そして、実験に夢中になっている間にそれを失念して、ついでにそのまま寮に戻ったりして、気が付くと失くしているのだ。あるいは、身に付けない時間が長くなると耳飾りにをつけた際に違和感が起きて、自分でも気付かない内に鬱陶しくなって外している――ということも。
 どうりで初めて会った日、ユキシロも耳飾りを失くしていたわけだった。あの時は一体なぜと思って呆れたものだが、すっかり自分も他人事ではなくなってしまった。

「上着と鞄拾ってくる。帰るんだろ」
「俺に合わせなくてもいいんだが」
「そうでもしないとお前最近、どっか行って顔も見ないしなー」
「……悪かったって。門限だろ。気を付ける」
「耳飾りも。何があるかわかんねえから、ないよりマシってこともある。……逆に、俺が耳飾り失くしたらどう思う?」
「ど……」

 思いがけない返答が、ぐさりと深く刺さった。クランカイトがユージオを傷付けようという意図でそんな問い掛けを寄越したわけではないだろう。だが、予想外にユージオの方がいたく罪悪感を刺激されていた。

 それはもちろん、心配するに決まっている。耳飾りがない時に、彼に危険が迫ったら――そんなもしもを考えるとひやりと背筋が冷たくなる。いつも当然のように身を守っている加護がないだけで、こんなに不安になるとは思わなかった。
 本来ならばこれが当たり前の状態なのに。

「……悪い……」
「まあでも必ずしも耳飾りである必要はねえんだよな。適当に術式刻んでおきゃ、それでいいんだし」
「……どっちにしても外したりするから、耳飾り共々失くす可能性が」
「……まあ、怪我だけはやめろよ」

 もう何を提案するのも諦めたかの、投げやりな返答が寄越された。完全にしくじった――という盛大な後悔で頭が重い。心配されているのに、二度と失くさない約束をできないわが身が後ろめたかった。
 上着と鞄を拾いに行くクランカイトに、何を言っていいかわからないまま粛々と後ろを付いていく。

「最近、レインも連絡寄越さねえしな。何事もなきゃ、それでいいんだが」
「あ……まあ、ネヴィンがそろそろ気の毒だし、連絡もやっぱり取りづらいし。魔法がどうこうって前にあんたが言ってた連絡手段の話だけど、ちょっと思い付いたことが」
「ん? なんかいい方法思い付い――」

 が、急に口を噤んだクランカイトが振り返り、歩いていた先の方向を指差した。

「あの人、もしかして知り合い?」
「ん?」

 クランカイトの指す方向へと視線を投げると、こちらに向かって大きく手を振っている小さな人影があった。
 誰だ――と思って目を細めてその姿を確認し、その相手が誰か理解したユージオは滅多になく取り乱した。

「ユキシロ!?」

 言っているうちにどんどんこちらに近付いてくる人影は、普段は外どころか校舎内ですらほとんどその姿を見掛けることのないユキシロだった。

 ――先輩だなんて呼ばなくていい。

 そういう彼の意思に従って、以前から呼び捨てるようになったし、当の本人もそれを当然として受け入れているため、むしろ隣でそれを聞いていたクランカイトの方が変な顔をしていた。が、それに気付かないままユージオはユキシロの方へと駆け寄る。
 そして、まじまじと彼の顔を確かめると、どうしても噤み切れなかった本音を零した。

「外であんたの顔見るの、正直初めてなんだが……天変地異の前触れ?」
「なんか失礼なこと言ってるな。そんな大げさなものじゃない」

 そう言いながら、ユキシロはユージオの胸元を叩くようにして本を押し付けてきた。思わずそれを受け取ったユージオは、ユキシロの用件を理解して「ああ」と声を漏らす。

「上級の試験を受けるんだろ。地下で埋まってた過去問見つけたから持ってきた」
「びっくりした、ありがとう。そのためにわざわざ来たのか」
「暇だからな。無用な心配とは思うが、くれぐれも落ちたりするなよ」
「暇って。授業は」

 尋ねると、ユキシロは曖昧な微笑みで答えなかった。こいつ……と思いながら何か言おうとしたのだが、それより先に追い付いてきたクランカイトの方に意識がいく。
 そういえば初対面だったということに、不思議そうなユキシロの視線で気が付いた。

「アステリア家のクランカイト。と、《地の底》に誘ってくれたユキシロ……先輩」

 それ以外に何と言っていいかわからない。
 困ったようにユージオがそれぞれを紹介するが、二人は気にした様子もなくじっと視線を交わしていた。

「初めまして。こいつが世話になってるって聞いてます」

 クランカイトがそう軽く頭を下げると、ユキシロは変わらず興味深そうな視線でじっとクランカイトを眺めたまま。

「ユージオがよく話している『カイト』か。初めまして」
「話してるのか?」
「後見の馬鹿息子で幼馴染だって話を」
「悪口じゃねえか」

 他にどう説明できるかわからない――と返事をしようとしたが、先にユキシロが口を開いた。

「そうでもない。私は君に対して悪い印象がないから」
「? ……そんないい話した覚えはないぞ」
「内容じゃないな。ユージオが彼のことを話している時、とても親しみが込められてるから」

 そう言うユキシロがクランカイトに向けている表情も、珍しく親しみの込められたものだった。
 これ以上この話を続けたら何だか恥ずかしい話が双方に伝わりそうだと察知し、ユージオは「とにかく」とそれまでの話を切った。憔悴を抑えながらユキシロに詰め寄る。

「昼休み、地下で見なかったけど。ちゃんと授業出たのか?」
「またノイシュみたいなことを。口うるさくなって、悲しいな」
「せめて悲しそうな顔して言え。嫌だからな、あんたと同級生なんて」

 ノイシュからユキシロの留年の話を聞いて以来、《地の底》にいて授業に戻る時、動こうとしないユキシロをよく引っ張って戻るようになった。鬱陶しがられはするが、ユキシロ自身もしかするとそうした方がいいとは思っているのかも知れない。渋々ながら一緒に校舎に戻ってくれるので、その後はノイシュに引き渡している。

 が、放課後までその話をされてはさすがにくどかったようで、ユキシロは嘆息混じりに踵を返した。

「せっかく恩を売りに来たのに、小言が返ってくるんじゃたまらないな。退散する」
「真面目に授業に出ていれば、小言になんてならないはずなんだが。……礼は言っとくけど」
「どういたしまして。まあ、話に聞いていた彼の顔も拝んだのでよしとする。それじゃまた」
「……また」

 そんなに興味深い顔でも――いや外見は整ってはいるだろうが、この顔を見て何か得があるわけでもないだろうに。おかしなことをと思いながら、ユージオは深々と溜め息を吐く。
 隣のクランカイトが手元を覗き込んできた。

「過去問?」
「ああ。……上級《錬金術師》試験」
「そういえばいつだったか手続きしてたな。試験いつだ?」
「長期休暇明け」

 もうそんな時期か――と隣で呟くクランカイトを、ユージオは何とはなしに見上げた。なんとなく気恥ずかしいというか後ろめたいような心持ちがしているのは、先ほどのユキシロの言葉のせいか。
 そんなに態度に出ていただろうかと思い、知らず眉根を寄せながら尋ねる。

「どうだった?」
「どう?」
「ユキシロ」

 初対面だったはずだ。ユージオが初めてユキシロに逢った時は色々と衝撃的すぎて、とても一言で表せなかった。その後寮に戻ってクランカイトに『どうだった?』と訊かれ散々返事に迷った記憶は未だ古びていない。

 彼はどう思っただろうと思って確かめてみると、クランカイトはほんの少しだけ押し黙った後にユージオへと視線を返した。

「お前と似てる」

 と、言われたユージオはもちろん、それを言ったクランカイトも釈然としないというような顔をした。

「……俺と? どこが」
「ぱっと見……背格好とか歩き方とか。向こうから歩いてきた時、雰囲気がお前に似てたから一瞬、後ろにいんのにどういうことかと」
「そう言われても……自分じゃわからない」
「まあなあ」

 クランカイトは鷹揚にそう返事をしながら、木陰に置いていた荷物を拾い上げ、上着を羽織る。その後ろで未だ釈然としないまま首を傾げていると、戻ってきたクランカイトに肩を叩かれた。

「行かないのか」
「ああ。……行くけど」

 歩き出すクランカイトに従って、ユージオもゆるりと動き出す。ふと気付けば、その背中の影にすっぽりと覆われるような状態だった。
 華奢で少女と見紛うような線の細い少年だったのに、いつのまにか背幅のある青年の背中になっていた。腕の力も到底及ばない。力自慢の男たちに混じれば細い体躯ではあるだろうが、その見目からは想像できない腕力を備えているのだから侮れない。
 昔は同じぐらいの背丈だったのにと思いながら。

「ユキシロが、礼拝堂で育ったって言ってて、俺と境遇が似てるって」

 昔のことを思い出したついでに、ユキシロの話がふと思い返された。振り返ったクランカイトがへえ、と興味のあるのかないのかわからないような返答を寄越す。

「お前もそう思うのか」
「わからないけど。ユキシロほど自由奔放にはなれない」

 授業を欠かしたり、規則を破ったり、留年したり。その時々の欲求に任せて動いて、後に来る責任を取れる気が自分にはしなかった。
 けれど。

「……自由なんかね」
「?」
「自棄とか。わかんねえけど」

 そう言って肩を竦めるクランカイトに、その可能性を少しも考えなかったなと思いながら。

「……どうだろう」

 そうかも知れないと考えると同時に、悪寒のような何かを覚えていた。


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