聖宮の巫女 35
© 2019 sasori_bi ユージオが書いた魔法道具の組み立ては容易だった。
適当な瓶を用意して、蓋の内側に魔法陣を組んでおく。この陣については片方でしか動作しない仕組みになっていて、瓶の中に手紙を入れて陣を起動させると、陣を通って向こうで用意された瓶の中に手紙が届く。
受け取る場合には、フローレインの方でまた瓶の魔法陣を起動させると、向こうの瓶の中身がこちらに移る。そのため、いつまでに手紙を入れておくというような連絡がいつも入っている。フローレインの方で必ず魔法を起動させる必要があるため、向こうがすでに手紙が用意していたとしても、魔法陣を起動させない限りわからない。
確か、空間転移の魔法の応用になっているという。ただ、結界のせいで外側から内側に向けて扉を開くことができない可能性があるという理由で、起動だけはフローレインの方で行うように設計されているらしい。
なんにせよ、やり取りできる文章もずいぶん自由が利くようになったし、ネヴィンの心配も減った。ときおり散歩がてらネヴィンが姿を見せることもあるが、手紙も括られていないし、顔を見せるとすぐに帰っていく。クランカイトたちと寮の方にいるのだろう。その方がずっと安心だった。
約束の日時、自室に戻って机の引き出しから空の瓶を取り出したフローレインは、魔法道具を起動する。
陣を経由した紙の束が、瓶の底に当たってコンと固い音を立てた。
今日も約束の日までに入れておいてくれたのだなと思いながら、蓋を開けて手紙を取り出す。
そして、驚愕に目を瞠るソフィアの方へ振り返り、中に入っていた自分宛てではない手紙を差し出した。
『灰色の目をしてる』
どうしても疑問を堪え切れず尋ねると、ソフィアが驚愕に目を瞠っていた。図星だったのだろうと、その表情ですぐに気が付いてしまった。
――ああこれは、気味が悪いと蔑まれても仕方がないかも知れない。
そうも思った。そして、勝手に人の心当たりを見透かして、そんな自分をどうかしているとも思った。
だが、ソフィアはすぐに冷静になって、あの取り澄ました表情に戻った。
『ああ――そうね。噂になったもの。知っていても、おかしくはないわ』
『噂?』
『シャレット家とイングリッド家の破談なんて、どこで書き立てられても無理はないわ。……あなたもそれで知っていたんでしょう?』
尋ねられて、フローレインは曖昧に頷いた。よくわからないがそういうことにしておこう――という自衛心が働いたせいだ。彼女が納得してくれるのなら、どんな理由でもいい。敢えて真実を語って白い目で見られたいわけでもない。
フローレインの首肯に納得した様子で、ソフィアはゆるりと視線を下げる。
『別にいいわ、本当のことだもの。巫女に選ばれたから婚約が破談になったの。でもいいのよ、親が決めた婚約だったというだけで、お互い恋情があったわけでもないのだし――』
『嘘』
だが、気が付けば口から零れていた。
直後、はっと我に返り、一体自分は何を知ったようなことを――と自己嫌悪に陥っていたが、堪えきれず言葉は続いた。
『私にはあなたが本心から別にいいって思っているようには感じない。どうして意地を張るのかわからないけど、好きだったのではないの? どうしてわざわざ嘘を?』
純粋な疑問だった。
好きだったのならそう言えばいいのに。ここでのほんの雑談ですら真意を零せないとは、どれほど窮屈なことだろう。
例え自分たちが本心を晒し合えるような関係を築いていなくとも、いや、そうでないのであればこそなおさら、偽る理由が理解できない。
『何を知ったようなことを……』
『そうね、わからない。……待っている人がいるのにどうして平気でここにいられるのかも、私にはわからないわ』
故郷に心残りを持ったまま、こんなトリカゴのような不自由な場所に来る気持ちが理解できない。
だが、フローレインの疑問はソフィアの不興を買ったようだった。彼女の冷ややかな視線が向けられる。
『おめでたい子。……好きでここにいる巫女がいるとでも思っているの?』
『……まあ、嫌なところだけれど。少なくとも私は自分で決めてきたな。私にはここ以上に、私じゃなければいけない場所はなかったもの』
アステリア家にはクランカイトがいればいい。心を寄せて将来を誓った相手もいない。自分が必要とされている場所があって、自分でそれを選んだのだ。思いのほか味方のいない場所だったことは誤算だったが――それでも外に強い未練があるわけでもない。
そして、自分と彼女が違うということもわかった。
『でもソフィアには、ソフィアじゃないといけない場所があったのではないの?』
外で、本来自分が在るべき場所で。そこに居たかった理由が、居なければいけなかった理由がまだあるはずなのに。
『少なくとも――ソフィア自身はそう思っていた場所があったのではないの?』
今も変わらず、想いをそこに残したままこんな窮屈な場所にきたのなら、そんな辛いことはないはずなのに。
『馬鹿を……言わないで……』
吐き捨てるようなソフィアの声は、しかしどこか震えていた。
『巫女に選ばれたのだもの……拒んだところでどうなるのよ。親にも、向こうにも……ルシンと、それにイングリッド家に何をされるかわからないじゃない。知っているわよ、宮入りを拒んだ娘の家が、お取り潰しに遭った話』
『そうなの?』
『そんなことも知らないなんて、ますますおめでたいわね』
微かな怒りを滲ませながら、ソフィアはきっとフローレインを睨み付ける。その瞳が輝いていたのは、薄らと目尻を濡らした涙のせいだとすぐに気付いた。
『ルシンに――私のために全部捨ててくれだなんて……そんな割に合わないこと、願ってはいけないのよ。だって……私は』
長い睫毛が震えるように瞬きするたびに、目の縁に涙が溜まっていく。ああ綺麗な少女だったのだなと、こんな状況にも関わらずしみじみと見惚れてしまっていた。
『家が決めた婚約者でしかなくて――私のことを大切にしてくれているだなんて思い上がりで、私の都合の良い勘違いで』
細い顎をひとすじ涙が伝い落ちる。自分の腕に食い込むほど白い手が掴んでいるのを見つけて、フローレインはそっとその手を解かせた。
――好きな人がいるのに巫女にならなければならなかった娘は、ここにはたくさんいるから。
ノヴァリス少副の言う通りだ。自分のように何の心配もなくここにきた、お気楽な娘の方が少ないのだ。何かを我慢して――人によっては誰かを捌け口にしたくなるほどに。
『ひどいことだって言って――それなのにまだ好きだなんて、結ばれもしない、他の男の妾になる女が、あの人に待っていてくれだなんて、そんな図々しいこと……言えないわ』
震える手を握ってやると、弱々しく握り返される。その手がどこか縋ってくるようでいたたまれず、フローレインは両の手を添えて強く握った。
ソフィアがとうとう泣き崩れて、座り込んだ。フローレインの両手に額を押し付けるようにしながら、悲痛な声を上げる。
『私がルシンの幸せの邪魔になるようなこと、言いたくなんてないのよ……!』
ルシンという彼への気持ちが、痛いほどにわかってしまった。
『ごめんなさい、ソフィア』
自分も混乱していたとはいえ、ほとんど直感で無遠慮なことばかり言ってしまった。慌ててフローレインも床に膝を突いて目線を合わせた。
『私、よく知りもしないで勝手なこと言ったわ。……あなたを傷付けるつもりではなかったの』
ソフィアのもう片方の手も取って、包むように手のひらに握りながら。
『泣けるのなら、泣いた方がいいわ。気が晴れるから』
そのぐらいはせめて、彼女が我慢をしなくていいようにと願った。自分の家も、相手も、その家も。彼女は自分が我慢すれば害が及ばないと思って、ずっと堪えているのだろうから。
手の甲にぽつりぽつりと熱を帯びた滴が落ちる感触がする。それを美しいと思いながら。
『あなたの我慢を踏み躙るつもりもなかった。自分のために我慢していたわけでないことも、よくわかったわ。……あなたはすごいのね』
――それでも。
『でもごめんなさい。……私にはあなたの我慢がどうしても許せないのよ』
激情を堪えた小さな小さな呟きは、ソフィアの啜り泣きの声にすら掻き消された。
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