手引書異変 2

© 2019 sasori_bi
 点呼が終わって外から施錠された物音を聞いて、隠れていたクランカイトが姿を現した。施錠された扉をちらりと一瞥して、狭い寝台に仰向けに転がる。
 消灯時間になると寮の各部屋を寮監が確認して、外から鍵を掛けて回る。寮生が揃っているかどうかの確認であって、余計に人がいるかの確認ではないので、この一人部屋ではユージオがいれば確認は完了する。
 室内の灯りを消すと、月明かりでぼんやりと部屋の輪郭がわかった。それを頼りに移動しながら、ユージオはひそめた声で尋ねる。

「あんたの部屋は?」
「外泊届出てるから、アーサーがいれば問題なし」
「……そうか」

 どうやら外泊ということにしたらしい。嘘ではない。それならクランカイトの不在も大きな問題にはならないだろうと安心して、ユージオはこっそり息を吐いた。
 時々こうして、人目を忍んで寮の自室にクランカイトが尋ねてくる。時折施錠後に窓から抜け出してであったり、アーサーに偽装工作を頼んだり、その手段は色々らしい。月に二、三あるかという頻度だ。幸いにして、まだ脱走疑惑は掛かっていないようだが。
 身を固くしながらそろりと寝台に上がるユージオに、クランカイトが手を伸ばす。

「髪解いていいか」

 返事もしない内、髪を結った紐の端を掴んで、しゅるりと結び目を解いた。髪に絡まないよう抜き取ると、起き上がり寝台の傍らの引き出しの上に置く。
 赤い髪紐は、クランカイトが似合うからと押し付けてきたものだった。自分に必要なくなったからというのもあるだろう。だが、質のいい上等な品は、思いがけず丈夫で勝手がよく、便利に使ってしまっていた。
 だが、今はそれは問題ではなく。

「返事してない」
「まあでもどうせ解くだろ。……嫌そうな顔だな」

 クランカイトは可笑しそうに笑って、ユージオの髪の先に口付けた。気取った仕草を苛立たしく思いながら、ユージオはいたたまれず目を伏せる。

「……あんたのそのやけに楽しそうな顔がむかつくんだ」
「はは。それはまあ、しょうがねえかな」

 手のひらから髪をするりと落として、そのままクランカイトが前髪に触れてくる。上体を倒して、軽く髪を掻き上げながら額に口付けられる。
 触れられる寸前、怯えのように身体が竦んだことにもきっと気付かれているだろう。戯れのような軽い口付けだったのにほっとしたことも。
 ――怖いとか嫌だとか、そういう類のものではないのだ。ただ、この後何をされるのか身を持って理解をしたからこそ、やたらと構えてしまうのかも知れない。数を重ねるごとに自分の知らない自分がちらついて、それがどれほど醜悪なことかと正気に戻るたびぞっとする。
 いくら言葉で宥められても、自分が自分を受け入れられないのだからどうにもならない。
 そして、そんな自分が彼に我慢を強いていることもまた、等しく受け入れがたいことで。

「なに、今日は何か嫌なことでもあった?」
「あった。あんたが今日も馬鹿だってことだ」

 とっさに答えて、口から出たしようもない八つ当たりに頭を抱えたくなる。そうじゃない――と心底思いながらも、幸いクランカイトは真に受けず軽く笑ってあしらった。

「そうだな。馬鹿で成金の息子で性格が悪くて悪いな」
「そこまで言ってない……し、別に、嫌なことも……」

 訂正しようとしたものの、クランカイトの「知ってる」という軽い言葉に片付けられてしまい、それ以上強く言葉を続けられなかった。
 迷っている内、ぷつぷつと寝間着の釦を外されて、平たい上半身を晒される。はだけられた服の裾を捲られ、下肢に身に着けていた服に腰から指を差し入れられた。軽く肩を押されて尻をつくと、それに合わせて容易くすべてを引き下ろされる。肩から上着も滑り落とされ、抵抗もできないままクランカイトの手に従ってすべての衣服を手放した。
 迷いのない手際が異様に腹立たしく、同時に一糸纏わない自分の身体が妙に心許ない。室内が暗いことはせめてもの救いだったが、クランカイトは寝間着を少しも崩していないから増して不安感が募った。
 いつからだろうか、クランカイトの調子に任せている内に、自分の衣服だけ脱がされていることが増えた。自分だけすべて曝け出しているような感覚が妙に心細く、思わず手足を丸めて縮こまってしまう。自分も同じようにすればいいだけのことなのに、とても難しいことのように感じてしまい、逡巡のせいで余計に動作が鈍る。

「っあ……!?」
「ほら、でかい声出さねえ」

 急に軽く肩を押されて、あっけなく寝台に仰向けにされた。ふわりと漂った甘い香りは、よくこの時に使う花の油で、うわ、と思った瞬間にはもう脚を抱えられ、奥に指先が触れていた。
 一瞬の忌避感の中、指先がぬるりと押し込まれた。浅い場所をなぞって、確かめるように奥に進む。何かが隔たっていたように感覚の鈍かったその場所が、今はもう固い爪の感触と柔い指の感触の違いがわかってしまう。その変化がいたたまれなかった。
 広げられる粘膜が、指で探られる内にじんと痺れを帯びていく。それとは対照的に感覚ばかりは鮮やかで、もう少しもぎこちなくない指先がもたらす快は、知りたくない自分を呼び起こすようで恐ろしい。
 じっとしていられずもがくように動く脚に、クランカイトの寝間着の感触が擦れて、何も身に着けていない自分がまた急に不安になる。

「なん……で……」
「なにが『なんで』?」
「う……っ」

 どうして自分だけと尋ねるより先に、指先が粘膜の中の僅かな隆起をゆるりと押し上げた。途端、内側からせり上がってくるような快に、堪えきれなかった声が思わず漏れる。
 引っ掛けるようにして作った隙間から、もう一本指が押し込まれる。軽微な神経毒のように甘い香りと甘い痺れが増して、身体の中を侵される。明度を増していくその感覚が少し怖い。

「もう、い……」
「んー、まだだな。全然固いし無理……試しに自分で触るか?」
「いやだ」
「じゃあ我慢だな」

 くすくすと笑う声と共に、指が奥へと進んでくる。強張る身体を宥めるように腰を擦られ、指の付け根まで深く押し込まれる。固いというクランカイトの言葉が本当なのだろう、動かされる指のきつさに、自分の身体が軋むのがわかった。
 片手で宥められながら、ゆっくりと拡げられる。奥まで入れたまま、もう一本指を含まされて、花油が馴染むように中を指で擦られる。
 異なる体温が身体にじんわりと馴染んでいくほどに、どうしても息が上がっていく。呼気に混じりそうになる声を必死に殺しながら、蠢きそうになる身体をどうにか気を散らすことで律しながら、じりじりと増す痺れを堪える。
 けれど、屈んだクランカイトに首筋や胸元を唇で愛撫されると、あちこちに気が散って簡単に冷静でいられなくさせられる。固い質量を持っていたはずの意識が、触れる体温でどろどろに溶けていきそうになる。
 ――このままでは。今日こそはと思ったのに。

「……カ、イト」
「?」

 そうだ、今日は――と思い出して、ユージオはのろく起き上がり、両腕を持ち上げた。自分のそれが鉛のように重たく感じる。
 訝しそうに顔を上げるクランカイトの両肩を掴んで、そのまま倒れるように全体重を掛けた。というより、体幹の鍛え方の差か、全体重を掛けてやっとクランカイトの身体を倒せたという方が正しいかも知れない。
 下敷きにしたクランカイトに何かと不思議そうに見上げられ、ユージオはますます眉間の皺を深くした。息が上がっているせいで、話す言葉は掠れている。

「そのまま……動くな。動いたらいいか……ただじゃおかないからな」
「なんで急に脅迫?」
「うるさい。……本当にうるさい」

 クランカイトの「そんなに言ってなくねえか?」という怪訝そうな声を聞きながら、ユージオは重い身体を引き摺るようにじりじりと膝を擦って後ろに下がる。素肌に擦れる布の感触もまたもの慣れず、知らずますます顔をしかめながらクランカイトの両脚を跨いだ。
 だが、寝間着の下に手を掛けると、さすがに再び困惑の声が上がる。

「えっ……本当どうし……」
「黙ってろ」
「はい」

 ほとんど無理やり会話を終わらせて、ユージオは下着ごと寝間着を引き下ろした。
 顔を伏せ、思い切って唇を解き――迷って、また噤んで。二、三度それを繰り返した後、もうどうにでもなれという気持ちで、手で握ったものを舌でなぞる。クランカイトが息を呑んだのが音でわかった。
 してくれと請われたことがなかったし、当然のように自発的にすることもなかった。それに甘えてされるがままで、それでいいのかと思いもしていたが、今日あの低俗な本を読んで――やはりまずかっただろうと思い直した節があった。
 ただ、やはり頭で考えるほど、行動は伴わない。いくらもたもたと舌で刺激してみても、硬さを増していくような感触はあるものの、達する気配はまるでなかった。口に含んで、歯を立てないように擦り立てる、という理屈は理解できたはずだったが、実際はどうにか先端が口に含めるかどうかという程度だった。
 足りないならせめてこのぐらいは、と思ってのことだったが、その内自分の呼吸が辛くなるのが先で。

「なに、今日はやけに珍しいことしてくれんな」

 先端を咥えて、しかし声を掛けられた途端、歯が当たりそうになって口を放した。顔を伏せてクランカイトの視線を避けたまま、怒りを帯びた声で低く脅す。

「噛まれたくないなら黙ってろ……」
「どういう心境の変化?」
「どう……も、こうもない。さっさと出せ」
「いやぁ……無理だな」

 きっぱりと言い切られ、ユージオは徒労にがっくりと肩を落とす。言外に下手だと断言されたようで腹立たしく、不甲斐ない自分への落胆もあった。
 この意味のない行為をまだ続けるべきか――と迷っていると、クランカイトが上体を起こした。両手をユージオの頬に添えて、親指が軽く下唇を押し下げる。

「まーでもせっかくだからもうちょっと。――無理しねえ程度で頑張って貰うかな」
「ん、ぅ……!」

 開かれた口腔に、先端がゆるりと押し入ってくる。驚いてとっさに頭を上げようとはしたのだが、クランカイトの両手にやんわりと押さえ込まれてそれは叶わなかった。

「入んないだろうから、後は手で擦って。唇……はいいや。口ん中、舌使って」
「っ、……んう、……ッ」
「ふ。……くすぐったいから、もうちょっと手ぇ力入れて」

 咥え切れなかった茎に添えた手を、上から重ねられてこのぐらいというように力を込められる。指先に生々しい体温を感じて思わず短い悲鳴を上げそうになり、しかし塞がれたもののせいで小さくくぐもった。
 口の中と、手のひらと。どちらも感覚の鋭い器官だからだろうか、とくとくと脈打つ感触までが伝わってきて、慣れない感覚に追い付けない。
 必死になって、クランカイトに導かれるまま口淫を続けてみるが、もたもたと続けている内ふと反応が気になって顔を上げた。そして、楽しそうなクランカイトの顔を見つけて、ユージオは思いっきり顔をしかめた。

「悪かったな。……拙くて」

 もう駄目だと切り捨てて、伏せていた身体を起こした。これ以上続けたところで劇的に技巧が上がるわけでもなんでもない。無駄なことをした――という後悔でひどく馬鹿馬鹿しい気持ちだ。
 だが、てっきり拙い自分を面白がっているかと思いきや、ユージオの言葉を聞いたクランカイトは困ったように眉尻を下げた。

「んー……じゃなくて」
「世辞も鬱陶しいからいらない」

 クランカイトの笑声混じりの「言わねえよ」という返答を聞きながら、ユージオはまたクランカイトの肩に手を掛けた。
 体重を掛けてまた元の寝具の上に押し倒す。



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