手引書異変 3
© 2019 sasori_bi 翡翠の瞳が見開かれるのを見下ろしながら、膝を擦ってまた場所を変えて――クランカイトの身体に跨って上に乗るような位置取りで、ユージオはこくりと喉を鳴らす。
上に乗って、自分で動く――というのは理解しているものの、どうしても動きはぎこちなくなる。
そしてまた、どうしても気になることが一つ。
「――だからなんでそんなに楽しそうなんだ」
人が必死だというのに、そうも面白そうに目を輝かせられると腹が立ってくる。
だが、言われたクランカイトは少しも悪びれるところがない。
「今日は頑張ってくれんなと思って」
「……そういうんじゃ」
「なんかあった?」
面白そうに手を伸ばしたクランカイトに、頬を撫でられる。体調が優れない時はひんやりしている指先が、今日は温かいことにほっと息を吐いた。時々、動けなくなるほど体調が悪化するまで何も言わないところがあるので油断ならない。
決定的に何かがあったわけではない。ただ、漠然と募った罪悪感を持て余しているだけだ。
「あんたが――たぶんいつも……無理してるから」
「俺?」
「俺が……」
こんな、しようのない意地を張ってしまうような自分が。
「こんなだから。あんたもそれに合わせてるんだろうなと思って……」
頬に触れる熱に手を重ねる。少しでも触れることに慣れたいと思うのに、母親の死からずっと、悪意を帯びた体温しか知らない生き方をしていたから、慣れない愛情の籠った手に過剰反応してしまうのかも知れない。
曖昧な返答になってしまったものの、一応伝わってくれたらしい。だが、それにしてはクランカイトの表情は、少しもユージオの深刻さが伝わっているとは思えないものだった。
「……ちょっと違うな」
少しの真剣さもなく、とはいえ笑うこともなく真顔で、クランカイトはぽつりと呟いた。
「なにが」
「お前がこういうの苦手なのも不得手なのもわかってるし、まあそれはそれとして」
「……それはそれ……?」
人がどれだけ気にしていたと思っているのだろう――と、腹立たしく思って、思わず眉間に皺が寄る。それをクランカイトの指が触って、真剣そのものの表情で。
「めちゃくちゃ嫌そうな顔するじゃん。それが興奮するし好きなんだよなあ」
吐き出された最低の台詞に、一瞬どう答えるべきか本気でわからず固まってしまった。
人が本気で悩んでいたのに、こいつは――気にするどころか、却ってそういうユージオの反応を望んでいたなど。
我に返れば、悪態が口から漏れる。
「変態」
「それ」
自分のクランカイトを見る視線に軽蔑の色が混じる。だというのにクランカイトは、その反応に吹き出すように笑った。
「その顔で続けてくれるのか?」
「気が失せる……」
死ぬほど続ける気が失せそうだった。こんな話をされた今、不快な顔を続けて喜ばせたくもないし、かといって他にどんな顔をすればいいのかわからない。作り物だろうと笑顔を見せるのもまったく違う気がする。
もういっそこの男の視界を塞いでやろうかとも思ったが、例の本の中のそういう嗜好についての記述が頭を過ぎり、その手段も選択肢から排した。何も知らない方が幸せだったかも知れない――と、この時ばかりは自分の知識欲が恨めしくなる。
先ほど花油を馴染ませた場所に、自分の手で彼の熱を宛がう。だが、先端が触れただけで羞恥と躊躇が激しく襲ってきて、身体がそれ以上動かなくなってしまった。
こくりと喉を鳴らして、ユージオはいっそう眉を顰める。
「……」
「普段の仕返しに焦らしたい?」
からかいに答える言葉も出なかった。異常なほど喉が渇く。唇を舐めても、渇きが癒えるどころかいっそう渇きは増した。泣きたい気持ちで深く息を吐く。
「……っ、ぅ」
震える脚をずりずりと崩して、ゆっくりと腰を落とした。先端がくぷりと閉じた場所を抉じ開けていく、言い知れない不快感。下腹から頭の先までぞわぞわとさざ波が立ち、そこからまた身体が動かなくなる。
中途半端に留まったものの、いっそ深くまで受け入れてしまった方が楽だった。それか一度腰を上げてしまえばいい。そう思うのにどちらも選べない。――身体が動かず、どちらにも進むことができない。
浅く呼吸を繰り返していると、クランカイトの手が伸ばされた。涙で滲んだ視界で何かと彼に目配せすると、その腕が首に回される。
そちらの腕に気を取られて気付けなかった。もう片腕が腰に回っていたことに。首に掛けた腕が上体を引き寄せるように動くのと同時に、腰に絡んだ腕が、ぐっと深く腰を落とさせた。
「ッン――――……!!」
身体の芯を穿つように、楔を深く呑み込ませられる。唇を奪われて、舌を吸われ、上がる悲鳴はくぐもった。
全身が逃げるように跳ねるのを押さえ付けながら、口付けを深くされる。上顎を舌で探られ、息が上手くできない。一気に貫かれた衝撃に頭の中でちかちかと光が明滅して、衝撃が快楽と区別する余裕もなかった。
舌を噛まずにいられただけ自分でも上等だろうと思うが、その時は悲鳴を押さえ込むその感触に息が出来なくて、ろくにものが考えられなかった。ひどく感覚の鋭い粘膜の中を柔く侵されて、舌を嬲られて、息が苦しいのにぞくぞくと背中が甘く痺れた。
抵抗しようと握った拳で肩口を叩いたつもりだったが、力が入っていなかったか、抵抗にすらならなかった。首と腰を押さえられて、酸欠にゆっくりと思考が巡らなくなっていくことだけがわかった。
軽くついばむ音を立てて唇が離れた瞬間、滞っていた呼吸が一気に戻る。
「っは……!」
「……っく、はは。何でそう溺れそう?」
喘ぐように息を吸うと、クランカイトが噴き出すようにして笑う。
誰のせいだ、いやお前のせい以外の何物でもないんだが――と心の底から思いながらもう一度拳を振り下ろすが、微塵も効いている気配はない。
額に口付けられ、馬鹿にしているのかと尋ねようとした瞬間。
「鼻から息すりゃいいのに」
「……あ」
おかしそうな呟きに、まったく考えが至っていなかった自分が猛烈に恥ずかしくなった。
声こそ上げないが、潜めた声でくすくすとクランカイトは笑い続ける。未だ羞恥が去らないユージオが、腹立ちまぎれに何度も拳を振り下ろしてみるが、両腕の拘束は一向に解けない。力を入れて突っ張ってみてもわずかでも緩む気配がないのは、ここ数年の間についた圧倒的な腕力差というものだろうか。
むっとしたまま意味もなく再び拳を振り下ろそうとした時だった。
「ッうえ……?」
両腕にぐっと力が込められて、視界が一気に反転した。
寝台に背中がついている。いとも簡単に仰向けに転がされたユージオの視界に、自分を見下ろすクランカイトの姿がある。
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