代償 3
© 2019 sasori_bi 夜通し城の警護についていたため、勤務が終わった現在、すでに朝日が城下街の家々の屋根の上に覗いていた。これから一日が始まるであろう、忙しなく動き出す城の使用人たちの一方で、ウルスラはようやく眠りにつこうと自室を目指して城内を歩く。
――しかし、すっかり目が冴えている。仮眠でも取れれば上等というところだろう。
そんなことを思いながら、広い廊下のただ中でウルスラが隠さず大きな欠伸を零していると、議会へ向かう貴族の一団が向こうに見えた。
議会が始まり、王城は各領地から一斉に貴族が集まっている。普段から人で溢れている王城に、さらに人が溢れ返って城下まで賑わせていた。その内の一体何人がまともに政治を語る気があるのか知らないが、自分の主人もまた例外ではなく城に上がっていたので、それほど白けた気分にはならなかった。むしろ、自室に戻れば主人がいると思えば浮ついた気分にもなる。
廊下の端に留まり静かに一団が過ぎるのを待っていると、その内の一人がウルスラに気付いたようだった。
「あれは、ロードレッド候の……」
声を潜めたところで遮るものもない、三歩と離れない距離だ。覚えのある名前が聞こえてきたが、ウルスラは微動だにしなかった。
ロードレッド候――ロードレッド領の辺境伯、ウィンデル家のイージアス。彼が異国の血を引く子供を養子に迎えている、という事実は王城内で広く知られている。ついでに、妻子のいないロードレッド候を惑わせその座を掠め取ろうとしている――そうも語られているため、ウルスラに対する王侯貴族たちの視線は冷ややかなものだ。おおかた、自分たちの息の掛かった娘をイージアスに差し向けようとしていた連中が、思惑を潰されて苦々しく思っているせいだろう。
通り過ぎざま、他の貴族たちの無遠慮な視線が向けられる。
「異人の男娼が軍人の真似事か。怪しげな異人を城に手引きしなければいいが」
「そんなことを言っていいのか? いずれは彼が『ロードレッド候』なのだぞ。世辞の一つも売っておくべきじゃないのか」
「世辞? 口説き文句の間違いじゃないか」
嘲笑の混じった揶揄の言葉を交わし合う後ろ姿に、ウルスラはやおら視線を上げた。
青磁の瞳に、嘲る貴族たちの後ろ姿が映る。
「まったく、異国人を貴族にだなど、何の冗談かと思いたくなるな。ロードレッド候も酔狂なことを。――いや」
見覚えのある男が顔色を曇らせた。ああそういえば、彼はイージアスの主義と頻繁に敵対していた男だったなと、ウルスラが貫くような冷ややかな視線を向けながら思っていると。
「以前から突飛なことばかり仕出かす若造だとは思っていたのだ。あまり分が過ぎるといっそ目障りにもなって――」
「物騒なこと考えてるんじゃなくって? いけないわよ」
傍に立った、害意のない気配がそう口を挟んだ。その声に遮られ、耳をそばだてて聞いていた一連の会話からぷつりと意識が途切れる。
しかし、ウルスラは特に動じることもなく、凍り付く無表情に仮面を被せるかのようにして、振り向きざま笑顔を浮かべて一礼した。
「ご機嫌麗しゅう、リュース大副。本日もまたお美しいことで」
恭しい態度を向ける先には、黙ってウルスラの傍に立った気配の主――神祇官庁の大副、ケリドウェン・リュースがいた。
官僚でもあり王の寵姫でもある、二つの立場を持つ聖宮の巫女。彼女はおそらく議会に出席するためにここにいるのだろう。
議会だというのに悩ましいほど艶やかに着飾って胸元を露出したケリドウェンは、翡翠の瞳を笑みに細め、ぱっと開いた扇を口元に翳した。
「主と同じく、見え透いたおべっかを使うのね、ウィンデル卿。それとも今日は軍人さん?」
「本日の私めはしがない平軍人でございますよ、大巫女様。神聖なる宮に住まわれる清らかな巫女様より直々にお言葉を賜れるとは、恐悦至極にございます」
ケリドウェンはぱちんと扇を閉じた。紅の乗った唇が鮮やかに微笑んでいる。ウルスラの軽口のような世辞にも、顔色一つ変えることはなかった。
「お前のそういう白々しいところは気に入っているわ。いくら主を貶されたからって、軽々しく殺しては駄目よ」
ウルスラも笑みを浮かべたまま「残念です」と声音だけは粛然と答えた。思っていないと否定しなければならない相手ではない。どころか彼女は、思っていようがいまいがどちらでもいいのだろうから、ウルスラも投げた返事で片付けた。
ケリドウェンは手袋に包まれた手の中にある扇をひらひらと振る。
「お前の顔を見て思い出したわ。いつぞやお願いを聞いてあげたのだから、ここで会ったついでにその貸しを返して頂けるかしら」
ケリドウェンの微笑みと共に口にした言葉について、ウルスラにも心当たりはあった。だがしかし、心当たりがあるからこそなおのこと、ウルスラは思案げに首を捻る。
――少し前のことだ。ロキが東の宮の内情について零したことがあった。
話しの内容から、どうにも東の宮の監督役が機能していないと踏んで、ケリドウェンに新しい監督者の手配を頼んでいたのだ。どうやらその対応が済んでいたらしい。
ロキが心配していた悩みの種ではあったが、彼は聖宮――東の宮に行っていないことになっている。イージアスからの指示ではあったので彼の名前はケリドウェンに告げているが、元はといえばロキの心配だ。借りを返すべきなのは果たしてウィンデル家の人間になるのだろうか――という疑問は抱く。
「それはこちらの借りになるのでしょうかね」
「こちらの監督不足に非があったとはいえ、少副を遣わしたのだから過ぎるほど充分でしょう。貴重な使える駒なのだから、手放すのは痛手だったわ」
悲しげに白い手を頬に添え、眉尻を下げて悲痛げに言う。かと思えばころっと演技の表情を取り去って、「それに」と扇を開いて口元を隠す。弧を描く翡翠の瞳はひときわ悪戯めいて輝いた。
「東の宮の監督が甘いだなんて、一体どこから聞いたのかも訊かないでおいて差し上げる。だから貸し一つよ」
口止め料の方だったか――とウルスラは笑顔の下で苦々しく思う。失言一つ迂闊に晒せそうにない。
「お望みは何です」
「主と同じくせっかちね。そんなに怯えなくても平気よ。お前のところのバラを卸して欲しいだけだから」
ああ、あれですか、とウルスラは急に白けたような、気の抜けた口調になる。
「俺、アレ嫌いなんですけどね」
「あら、どうして? まさか候が情熱を傾けるバラにまで悋気だなんて言わないわよね」
ロードレッド――『バラの赤』を意味する地名の由来は、昔からそこでバラの生産が盛んだったことにある。港が作られる以前にはそれが主要な産業だった。
とはいえ昨今はそれほど目立った利益はなく、生産が盛り返したきっかけはここ十年ほどの間に作られた新しい品種のバラにある。そのバラはイージアス――当時はまだ領主ではなかった――が襲爵前に生産者との共同研究で作り出したものだ。領主に就いたイージアスが流通に力を入れていたこともあり、すぐにそのバラは貴族の間で広まって、高値で求められるようになっていた。希少性について解消されれば、じき城下にも広まっていくことだろう。
とはいえ、イージアスが力を入れている産業を共に活発化させていく気はあれど、面白くないのもまた事実だった。
「草花に妬いたりはいたしません。ただ温室の管理者が、頻繁にロードレッド候にバラを届けに来るもので。絶対に何か思惑があります」
「馬鹿ねお前は。仮にあったとして感謝以外の何があるというの」
「承知しております」
「わかっていてそれなの? 馬鹿な子ほど可愛いのかしら。それにしたってお前はずいぶん育ってしまったから、可愛らしいというには少し厳しいと思うけれど」
長く付き合いのある美女は眉尻を下げながら、面と向かって遠慮なく扱き下ろしてくる。
「あの方がそういう、何か変わった研究がお好きな方なのはわかっているでしょ」
「もちろん承知しております。……とはいえ、あの花でしたらわざわざ弱みに付け込まずとも、リュース大副が依頼すればすぐに卸しますよ?」
「わたくしが言っているのは藤色のバラの方」
ケリドウェンがこともなげに言い放った言葉に、ウルスラはわずかに目を細めた。
「……どこからお聞きになったのか、非常に興味がありますが」
「わたくしの口を割らせたい? 無駄よ。いいこと、真っ先に卸してちょうだい。以前軽くつついてみたけど、これについては中々手強かったから、お前から上手く言っておいてね」
イージアスが近頃熱心に入れ込んでいる、新しい品種の開発は、じきに市場に出せるというところまで至っていた。ケリドウェンの言う通り、藤色の花弁のバラだ。だが、それはまだ温室の一角で密かに管理されており、それを知るものもごく限られている――そのはずだった。
ウルスラは堪えかねてわずかばかり顔色を変え、歯切れ悪く返す。
「そのー……そこそこ研究費もかさんでおりますので」
「もちろん相談して貰うわ」
「うぐ……」
その『相談』が、弱みに付け込んで無理やり値を下げさせようとする『相談』であることは、確認するまでもなかった。費やした研究費を鑑みながら価格を取り決めなければならないところに、とんだ障害が立ち塞がったようだ。
監督者については確かめようもないが、対処をしたというケリドウェンはおそらく嘘を言っていない。事実を確かめればすぐに割れる、虚偽の申告で強請るような不確かな手段は使わない。実際、聖宮で人の移動があったかどうか問い合わせれば、東の宮の監督者が変わったことが事実であるとすぐにわかるだろう。そこが増して性質が悪いのだが――
「話は終わり。その顔を見るに、これから休むところなのでしょう。邪魔して悪かったわ」
顔色については、一体誰のせいだろうかとは言わなかったが。
扇をひらひらと振りながら、ケリドウェンはウルスラに流し目の一瞥を向けて軽く言う。
「ごきげんよう。主が相手してくれない時は、また遊んであげてもいいわよ」
嫌な話を蒸し返してきたな――と心の底で思いながら、ウルスラはケリドウェンの後ろ姿に恭しく一礼した。
「お気持ちだけ有難く頂戴いたします。ごきげんよう、大副」
自室に戻ると、身支度をしている最中のイージアスの姿があった。
しかめ面がすっかり身に付いてしまったせいか、厳粛な雰囲気を帯びてはいるものの、顔立ちはまだ若さを残している。年若くして領主となったのだから、それも当然だろう。実年齢でいえば他の貴族たちと比べても、一回りか二回りは若いのだ。だが、それにも関わらず重要な地位にあることは、議員や官僚ならば誰しも承知している。
朝餉は済んでいるようだ。彼もこれから議会に赴くところなのだろうが、やけに支度に手間取っている様子だ。それもそのはずで、手袋をつけた後に釦を留めたりタイを結んだりするのは難しいのではないだろうか――と思いながら、ウルスラはすぐに彼の身支度を手伝い始める。
「今戻ったのか」
「ええ、残念ながら。ですが、あなたの顔をひと目見られて嬉しい限りでございますよ」
「黙って寝ろ」
タイを結ぶウルスラの顔を頑なに見ようともせず、イージアスは大人しくウルスラの手伝いを受けている。一度つけてしまった手袋を無精して外しもせず、もたもたと身支度をしていたところを見られたのが気まずいのだろう。そう察しながらウルスラは素気ない態度に微笑みを返す。
「後で寝ます。手袋は最後になさった方がいいかと存じますけれどね。――残念なご報告が二つございまして」
浮かない顔色に戻ったウルスラに、ようやくイージアスが視線を上げた。何かと伺うような青い瞳に促され、気まずい思いで言葉を続ける。
「一つはリュース大副より。いつぞやの東の宮の情報源について目を瞑る代わりに、借りを返せと。ご所望は例の藤色のバラだそうですよ」
「……狙っていたのは薄々知っていたが……一体どこから」
「『無駄』だそうです。相談をご希望です」
「あれにいくらかかったと思ってるんだ。初っ端からそうそう価格を下げられたら商売を潰される……!」
イージアスの悲痛な声に、ウルスラも心中同意する。
しらを切り通すべきか迷ったが、あの分では確証を掴まれていると判断したので諦めた。あの場で他に打つ手はなく、すごすごと戻ってくるしか選択肢はなかったが、案の定イージアスは頭を抱えている。
「最悪だ……あの性質の悪い魔性に借りなんて作るもんじゃない」
「本当に。ケツの毛まで毟られそうですよ」
「お前いつだったかあの女に引っ掛かってたな。もう毟られてるんじゃないのか」
「えっと、色々ありまして……あの頃の話はお許し下さい」
ウルスラが今よりも若い頃に、彼女の遊び相手の一人に加わったことは周知の事実だ。だが、その頃はイージアスに相手にされていなかったし、そうでなければ他の誰と火遊びなどするものか。それに、子供だったから目零しされていた当時の自分の至らなさを思うと、あまり思い返したくない記憶だった。
心底気まずい思いで許しを請うが、イージアスの怒りは冷めない。
「若気の至りであんな性質の悪い女に遊ばれて、どこまで馬鹿なんだお前は。朝っぱらからクソみてえな話ホイホイ持ち帰って本当にこの大馬鹿……!」
「それは俺に罪があるわけじゃないのではありませんかあ」
「もう一つの報告は何だ、俺が怒る前に早々に吐け!」
「もう怒っているのでは……もう一つは殿下よりの伝言です」
と、先ほどまでのイージアスの勢いが急になくなった。
イージアスが懇意にしている王太子、ロキウス・スヴァローグからの伝言だ。その名前を聞いて怒りが冷めたらしい。複雑な思いでウルスラは言付かった内容を伝える。
「『彼女の新しい手掛かりは見つからなかった』とのことでございました」
少しの間押し黙った後、イージアスは「そうか」と短く呟いただけだった。
上着を羽織らせると、イージアスの支度が整った。他に不足はないかぐるりと彼の身なりを確認して、ウルスラはこくりと一つ頷く。
それでもイージアスは動かない。浮かない顔色でその場に立ったままの彼に、その心境をどう推し量っていいか判断しあぐねて、ウルスラは軽い口調で投げ掛けた。
「アルテミシア様、でしたっけ。ずいぶん長く探してらっしゃいますね」
ウルスラには面識がなかったが、ロキとイージアスのよく知る女性だと聞いている。ある時を境に姿を消し、今はどこにいるのかわかっていない。ロキは彼女を探し続けているが、目ぼしい情報は手に入らない。
「見つかる当てはあるんですか? 国外に逃げているという可能性は?」
「……国外に出るすべての商船に触れは出ていたはずだ。そこに同乗して逃げたとはとても思えない。いたとしたら必ず誰かしらの目に留まる。ついでにそこらの小船で海に出るような無謀を犯すとも思えない」
「国内にいる様子もありませんけれどね」
それだけ長い時間探し続けて見つからないなら、国内にいるとは思えない。国外に逃れているわけでもない。ならばもう――
その続きをウルスラが口に出すより先に、イージアスが思いがけず淡々と言い放った。
「もう見つからないと思っている。――だから正直言うとロキも、もう諦めてくれて構わないのだが」
情があるのかないのかわからない口振りを珍しく思いながら、ウルスラは問い掛ける。
「あなたからそう仰ってみては?」
「気になることがあると言っていた。……彼自身が探したくてしているだけだ。だから好きにさせればいい」
イージアスは自分の身形の違和感を自分の手で軽く直し、椅子に預けていた荷物を掴んで歩き出す。
「もう行く。朝からご苦労だった」
身支度の手伝いの礼なのだろう。ウルスラは微笑んでイージアスの向かう方向から退いた。
「それでは行ってらっしゃいませ」
「ああ」
お休み、と子供に掛けるような優しい声がした。驚いて振り返り、その背を思わず呼び止めたくなって、どうにか堪えた。
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