代償 4
© 2019 sasori_bi いつもならあの金の髪の後ろ姿の隣には、夜のような紺の髪の後ろ姿があるはずなのだが、今日は朝からその姿を見ていない。
というよりも、週末の寮の中でも彼の姿を見掛けなかったように記憶している。アーサーが不思議に思いながら廊下を歩くクランカイトの後ろ姿に声を掛けると、隣にいる青年も共に振り返った。
灰色の瞳がアーサーを見る。ルシン・イングリッド――いつだったかクランカイトに勝負を挑んでいた同級生だ。近頃よくクランカイトやユージオと会話している姿を見掛ける。
始めは困惑したが、もう慣れた。あの人付き合いを好まないユージオが近付いているのだから、懐に入れた人間なのだろうと思ったのだ。アーサーは何気なくルシンに声を掛ける。
「おはよう、ルシン。話している最中だったならすまない」
「構わない。クランカイトに用か」
「用というわけじゃないんだが……」
言い淀むと、クランカイトが腰に手を当てて訝しそうに言う。
「用じゃないなら何なんだ?」
ふと違和感に怯んでしまったのは、何となくクランカイトの纏う空気に刺があるような気がしたからだ。
だが、そんな印象とは裏腹に、クランカイトの口から皮肉や嫌味が続くことはなかった。機嫌が悪いのであれば嫌味の一つも続いておかしくはないので、気のせいだろうかと首を捻りながらアーサーはどうにか尋ねる。
「ユージオを探しているんだが。朝から見つからない」
昨日不在だった時はてっきり外出でもしたのかと思ったが、引き続き今日も姿を見掛けないとなるといよいよ疑問にもなる。
クランカイトは訳知りなのだろう、動じた様子もなく「そりゃそうだ」と呟いた。
「出掛けてるからな」
「えっ……出?」
授業にも出ず――寮からも出掛けているということだろう。クランカイトの様子は落ち着いているし、教師たちもユージオの不在について特に慌てている様子はない。何かユージオの身に不慮の事故があった等ではないと思うが。
「何かあったのか? 身内……あ、すまない……礼拝堂から呼ばれたとか?」
「いや。強いて言うなら現地調査」
「現地……研究か何か?」
ますます困惑しながらアーサーが尋ねると、クランカイトは「そう」と軽く頷いた。
しかし、いくら研究のため現地調査に行くといっても、なぜ今なのだろうと不思議でならない。隣に立つルシンはすでに話を聞いたのか、あまり動揺した様子はなかったが。
「一期の試験が終わったばかりだろう? まだ結果すら出ていないのに」
「見る必要ねえだろ、あいつに限って」
「それは……そうだが」
「調べたいことがあるんだと。ついてくっつったけど、一人で行きたいんだそうだ。夜盗か何かと行き会ってねえといいけど」
微妙にクランカイトの様子が刺々しい気がしたのだが、原因はそのせいか――とようやくアーサーは納得した。二人でいることが多い彼らが、一方を置いてどこかに行くなど珍しい。残されたクランカイトは気が気でないのかも知れない。
ただ近場の街に行くという様子でもない気がして、アーサーの表情にも緊張が入り混じった。
「一体どこに……」
クランカイトの翠色の瞳が冷たく輝く。続く言葉は王都を囲む、険しい山の名を口にした。
「コ・ゼル峰のアタルヴァ」
試験の全日程が終わってすぐに寮を出て、夜の間に寝ながら乗合の車で王都へ向かい、その後は別の車に乗り換えて山麓へと向かった。
朝を迎える頃に山の下の思いの他手前で降ろされ、そこからずっと徒歩で先へ進んだ。見知った場所なら転移魔法でどうとでもなりそうだが、さすがに馴染みのない土地でそれは不可能だ。森を散々歩いた後は、急な勾配の山道に迎えられてひたすら歩いた。けもの道と大差のない、狭く樹木が被さる足場の悪い道ばかりだった。
途中に、おそらく商人たちが使うであろう山小屋を見つけて、その日はそこで夜を過ごした。その頃にはすでに森を抜け、景色は木々のない見通しのいい景色に変わっていた。
二日目も勾配を登った。雲が斜面に這うように地面に降りている光景も珍しくなくなっていた。空が近く感じる。平地からは考えられないほど気温も下がり、上着を羽織ってみたが、それでも肌寒かった。それに何となく息苦しい気がする。
荒い呼吸を繰り返しながら、ユージオは自分の心臓の辺りを外套の上から押さえた。どどくどくと鼓動が激しい。少しその場に立ち止まり、ゆっくり呼吸を整える。
――固い感触が肌に当たっていた。
『アタルヴァのレガ信仰の角か?』
ユージオは再び歩き出しながらも、ユキシロの話を思い出す。
少し前に、ユージオが身に着けている首飾りを見たユキシロがそう言った。詳しく尋ねると、ユキシロはすらすらと言葉を続けた。
『王都周辺にそびえるコ・ゼル峰に、アタルヴァという土地――いや、集落の名前だったか。果たしてどちらだったか定かではないが、そう呼ばれる場所がある。……山は神域。神と生きて、その地の恵みで生きている。古来よりそうして生きてきた子孫だ。高い山々に隔絶されて往来は困難で、近くにありながらまったく別の文化を持つ』
彼も似たことを話していた。
――住んでた山にいるとされる土地神だ。
あの時語られた内容と一致していた。場所もそうだ。王都に近い山岳地。地名は聞いていなかったが、直感的にきっとそうだと思った。
『卒業していった会員の誰かの研究で読んだ。確か……誰かが移動させていなければそこの山とそこの山に埋まっているはず。必要なら探しておく』
ユージオは自分で探すと伝えて礼を言った。その後、ユキシロが指した研究資料の山を探ったところ、それぞれ別々の生徒がレガ信仰を研究した資料が見つかった。資料内に書き起こされていた、獣の角に彫り込まれた紋様も一致していた。
『いちおう言うと、今行くのはあまり勧められない。が、そう思う根拠は特にない』
ユキシロにしては曖昧な物言いだった。それも含めて気になっていた。
彼はあの紫色の瞳でじっとユージオを見据え、意思を伺うように言った。
『それが必要なことだと君が思うなら、好きにするといいだろう』
うっかりすると足元が滑っていきそうな、両側を斜面に囲まれた砂利道をひたすら進む。
麓に王都が近いとはいえ、交易路を外れた山岳地はほとんど人が近寄らない。平面的な距離からは考えられないほど閉鎖された山地は、ここまですれ違う人もなく、動くものは全て鳥や獣だけだった。人の気配はやはり感じられない。
一体どこまで登ればいいのだろう。
日差しを遮る被り布を捲り、額を流れる汗を拭いながら、ユージオは顔を上げた。このまま進むのはまずいのでは、という危機感が頭をもたげ始め、足取りが鈍くなる。
果たしてこの備えのまま、この先を登っていって大丈夫だろうか。一度引き返すべきだろうか。道を誤ったかも知れない。だとすればこのまま進んでも目的地にたどり着くことはない。今は天気が崩れていないとはいえ、このままでは遭難しかねないのではないか。
そう不安になる頃――ふと、遠くにぽつりと集落のようなものがあることに気がついた。
ユージオは目を凝らしてそこをじっと見据えて、やはり建物の屋根があることを確かめ――深く息を吐いた。
「もしかして――あそこか?」
誰にともなく呟きながら、ユージオはしっかりと布を被り直した後、鈍った足取りを再び足早に進ませた。
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