代償 5
© 2019 sasori_bi 集落に近付くと、土壁の小さな建物が幾つも建っていた。
王都のような手の掛かった建物は一つもない。今にも崩れそうな小屋がまばらに点在し、家畜を囲む柵がその傍らに設置される。昼間なので中に家畜はいないが、どこか下草のある場所でまとめて放しているのだろう。軽く見回しても、屋根の高い立派な家は一軒も見当たらない。
冬の長いこの土地で、簡素に石を積んだだけのこの建物では、とても寒さを凌げるとは思えない。決して豊かな生活ぶりでないことは、その光景でよくわかった。
ユージオは躊躇いがちに集落の中に入っていく。どこかで子供が遊んでいるのだろう。姿こそ見えないが、高いはしゃぎ声や駆け回る足音が響いていた。
迷うような緩慢さでゆっくりと集落の中を進んでいくと、ようやく人の姿を見つけ、ユージオは足を止めた。
狭い村や町では大方、皆が顔見知りだ。排他的な土地で、いきなりよそ者が入り込んできては、不審がられることだろう。先んじて声を掛けるべきかと、人影を遠巻きにしながら考える。
「あの――……」
だが、声を掛けてすぐ、ユージオは疑問を抱いた。果たしてここが本当にアタルヴァなのだろうかと。
「?」
声を掛けた相手が振り返った。小川の傍にしゃがみ込んで洗濯をしていた女性だ。
だが、怪訝そうなその顔――耳元に揺れた見覚えのある耳飾りを見て、ユージオは言葉が出なくなった。
ブリード教徒の信仰の証。彫り物が施された二連の耳飾りが、その耳元で揺れていた。
――どういうことなのだろう。
言葉を失うユージオに、女性は胡乱げな視線を向けてくる。それに気付いて我に返り、ユージオは慌てて日除けの被り布を下ろしながら言葉を続けた。
「あの、ここはアタルヴァでは――もしかして、この辺りに他に集落が――?」
「……あんたは誰?」
「あ、いきなり申し訳ありません。私はセレストの学生でユージオと申します。あの、少しお聞きしたいことが……」
話の途中で女性はさっと立ち上がり、手を拭いながらそこから立ち去ってしまった。
無愛想な女性に、もしや自分は知らず知らずのうちでも何かしでかして怒っているのだろうか、などと思ったが、考えても仕方がない。そういえば女性が知らない男性と口を利いてはいけない、という文化の土地もあった気がするなと思いながら、今度は誰か男性を探してみようかと再び集落の中を歩き進める。
だが少しして、向こうから何人かの男性が歩いてくる様子が見えて、ユージオは身構えた。
近付いてくる男性たちの手元に武器がないことを確かめながら、ユージオはゆっくりと近付く。彼らはユージオの姿を見つけると、真っ直ぐにこちらへ歩いてきた。
その後方に、先ほどの女性の姿を見つけて、自分のことを知らせに行ったのだなと思いながら会釈をする。
「あの……」
「あんたは外の人間だな。一体この村に何の用だ」
先頭に立つ男性がぶっきらぼうに声を掛けてくる。ユージオは曖昧に頷いた。その耳にもやはり、あの耳飾りが揺れていた。
困惑しながらどうにか答える。
「ユージオ・シアンと申します。学生をしており、アタルヴァという土地を探していたのですが」
「アタルヴァならこの村のことだ。知らずに来たのか?」
「初めて来たものですから、場所がはっきりとわからなくて。突然すみません。事前にご連絡したかったのですが、連絡手段がわからず……こちらを」
ユージオは外套の中から手紙を取り出して男性に差し出した。
それほど長身ではない。代わりに肩幅が広く、体格がいい。日差しが強いせいか、浅黒く日に焼けた肌をしている。他の男性もそうだ。
――ヴェーダたちもそうだった。思えば容貌も少し似ているような気がする。目鼻立ちがはっきりしていて、髪や瞳の色が濃かった。彼らと同じだ。
がさがさに荒れた手が手紙を受け取り、開こうともせず溜め息を吐く。
「悪いが俺には読めない。何と書いてある」
「私が在籍するセレスト校の学長からです。現地調査の協力をお願いする文書です」
「現地調査?」
「私が希望する文化調査です。ご迷惑にならないようにしますので、普段口にしている食事や、こちらの習慣など、他の地域にはない生活のことを知りたくて、直接調査に参りました」
「……セレスト。聞いたことがあるような」
男はようやく手紙を開き、読むというより珍しいものを眺めるような視線を文面に落とす。セレストの押印があるため、身分証明になるかと思ったのだが、そもそも文字が読めないのでは意味がなかったか。
後ろにいる男性たちが不審そうな視線を向けてくる。警戒を解くのは難しそうだと思っていると、急に小さな人影が後ろの方から割り込んできた。
「とーりょー、だいぶ前に来た商人さんが、山の下にそういう大きな学校があるって言ってたことがあったよ!」
見れば、麻布の簡素な身なりの少女だった。華奢な体躯――というより、痩せぎすで、充分な食事が取れていないのだろうという小柄さだ。だが、溌剌とした声はその身の丈から想像できないほど生気に溢れている。
男性は低い声で「シュエ」と窘めるように言った。
「外のお兄さん、がくせーさんなの? 下からずうっと山を登ってきたの? たいへんだったでしょ!」
「ええと……」
「ここまで来た人なんか初めて! ねえねえ、何か大事なご用なの!? 商人さんたちとも違う明るい瞳の色をしてるのね、もっとよく見た……」
「シュエ、子供は向こうに行ってろ」
男性は呆れたようにそう言って、シュエと呼んだ少女の肩を押し退ける。後ろにいた女性が連れて行こうと肩を掴むが、シュエはそれを振り払って男性の服にしがみ付いている。
諦めたように女性が手を下ろし、男性がまた溜め息を吐いた。
「悪い。……ここの頭領のムガンだ。あんたいいとこの学生みたいだな。ここの生活が知りたいって?」
「はい。できれば明後日の朝まで滞在したいのですが、構いませんか」
「酔狂だな。悪かないが、宿がない。……まあ、立ち話もどうかと思うし、それも含めて一度うちに来な」
「とーりょー、私も! 私も一緒に行っていい!? がくせーの話聞きたい!」
「あー、後にしろ。羊を柵に戻してからなら来てもいい」
「うえー。わかった!!」
シュエはぱっと男性――ムガンと名乗った頭領の男の服から手を離し、頷くなり駆け出した。
ムガンはその小さな背を見送って、嘆息混じりにユージオへと言う。
「喧しくて悪いな。物覚えのいいやつだが、外のことにばかり関心があってどうも駄目だ」
「いえ。幼馴染が子供の頃、あんな風に活発で……懐かしいです」
ムガンは「そうか」と僅かに表情を緩めた。だが、すぐに険しい顔に戻り、じろりとユージオを睨み付けた。
「ここの連中は、外と接点が少ない。嫌な思いをさせたらすまないが、よそ者に友好的じゃない。あんたもあまり長居は勧めない。あいつにも余計なことは吹き込むな」
「お気遣い感謝します」
態度は素っ気ないが、もっと邪険にされるのではとも構えただけに、案外すんなりと迎え入れてくれるようでほっとした。踵を返して来た道を引き返す一団に、ユージオは慌てて尋ねる。
「あの、その前に一つ……アタルヴァというのは、ここの他にも集落があるのでしょうか」
ムガンは怪訝な顔をしながら振り返った。どうしてそんなことをと言いたげに答える。
「そう呼ばれるのはここ一帯だけだ。他に集落はない。山頂を超えるとまた別の集落があるが、あそこはスクルと呼ばれている」
「……そうですか」
ユージオは頷いて、再び歩き出すムガンに従って歩き出した。だが、心中では他にも色々尋ねたい気持ちをぐっと堪えていた。
――どうしてだろう。
アタルヴァはレガ信仰の土地だったはずだ。それが、皆ブリード教徒の耳飾りをしている。始めに声を掛けた女性も、現れたムガンも、その後ろにいる男衆も、シュエという少女も例外なく。
ここがアタルヴァなのは間違いない。ヴェーダたちとも服装や容姿がよく似ている。場所を間違えたわけではないし、他に集落があるわけでもない。
それなのに、ここにはブリード教が根付いている。ヴェーダと会った当時は、おそらくまだそうではなかったはずだ。では、古来よりの信仰を、たったここ数年で全員が投げ出したのだろうか。にわかには信じられないが。
焦る気持ちを堪えながら、ユージオはじっとムガンの後ろ姿を見詰める。まだそこまで踏み入った話を聞けるような関係ではない。あまり追求して不審がられてはここに来た意味がなくなってしまう。
まだ時間はある。その間に調べればいい。レガ信仰がどこに残っているのか。なぜブリード教がここまで及んでいるのか。ここに何があったのか。
胸中に揺れる不安を押し殺しながら、ユージオは黙ってムガンの背を追った。
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