代償 6
© 2019 sasori_bi 案内された建物は他より少し大きい外観で、隣に家畜の柵がなかった。中に入ってみると少し暗く、窓が小さいので圧迫感がある。ただ、火の気があってほんのり暖かい。見れば、入り口のところに灯火台がある。
ムガンは一緒にいた男衆を中に入れず、先に建物の中にいた老人たちも外に遣った。空いた広い机は六人分の椅子を収めているが、それでも足りないのかもう一つ机が並べられ、不揃いな椅子が置かれている。ムガンはうちと言っていたが、老人たちが集まっていたところを見る限り、ここは家族用の卓というより集会所のような印象だった。
ユージオは勧められるままその内の一脚に腰掛け、ひっそりと深く息を吐いた。ここまで歩き通しで、脚が痺れて感覚がぼんやりしていたのだが、椅子に座ってようやく自分の脚の痛みを思い出した。脈を打つたび脚から全身を巡る痛みに、自分の疲労ぶりを知る。
正面に座ったムガンは手紙を改めて机に広げる。
「真贋は確かめようがないし、あんたのことを信用する理由にはならないが。……こんなところで物取りに入られる貴重品もないし、人を殴れるようななりにも見えないしな」
とりあえず危害を加えるような人間でないと見做されたらしい。それで他の男たちを入れなかったようだ。
元々建物にいた女性が、奥から出てきて茶を出してくれた。ユージオは礼を言うと、それを一口飲み下す。発酵させた独特の渋みと香辛料の香りがして、じんわりと身体に沁みた。
「荷物を改めますか? 妙な物は持っていないかと……刃物なんかも、持っていませんから。魔法道具は幾つかありますが」
「わかった。持っていないならそれでいい。……お喋りでもないしな、詐欺師の心配もなさそうだ。まあ好きに動いて貰っていい」
「不要なご心配をお掛けして恐縮です。有難うございます」
愛想のなさや世辞も言えない態度が却って信用に足ると思ってくれたようだ。喜んでいいのか微妙だが、クランカイトのように器用に人心に付け入るような言葉は残念ながら持っていないので、幸運だと思っておくことにした。
ただ、愛想のなさといったら彼も大して変わりがないとユージオは思う。
「こんな辺鄙な土地を調べたって、一銭の価値もないだろうに。学生ってのは暇な物好きだな」
「仰る通りです。でも、どこに価値が転がっているかはわからないものですから。分子科学の研究の延長で作った魔法道具を、国中に普及させた人なんかもいますし」
「難しい話はわからん」
「そうですね。勉強なんてしている余裕がなかったら、私もそう考えたと思います」
彼は決して皮肉を言っているわけではないのだろう。思ったまま率直に物を言う人なのだ。だからユージオも思ったままを答える。
寝る場所に苦慮することも、食べるのに困ることもなかった。時々食事に物足りない時はあったが、アステリア家が面倒を見てくれてほとんど不足がなかった。勉強する暇があったのは決して自分の力ではない。
淡々としたユージオの返答に、ムガンは怪訝な顔をした。
「そりゃ生まれの違いだってか」
「違う場所で育ったなら、考え方も違うものかと」
「考え方の違い。物は言い様だ」
「腕っぷしの強さが優劣になる場所なら、勉強したところで何にもならないでしょう。私のいる場所では、勉強が生活に必要だというだけかと思います」
学校もない、生活するのに手一杯の環境だ。おそらくここに住む皆が字を読めず、教えられる者もいないのだろう。そんなことより羊を放し、獣を追い、食べる物を得る方法の方がずっと必要になる。反対に、いくら学があるからといって、ここでユージオが役に立てることなどそうはないだろう。
ムガンは眉をひそめて溜め息を吐いた。
「賢い奴の考えることもよくわからん」
「こら! 頭が悪いからって若いのに絡むんじゃないの!」
「うるせえな。わかってる」
先ほど茶を出してくれた女性が、布で仕切られた奥から叱責の声を投げてきた。ムガンはうんざりしたように返事をする。
ユージオは「奥様ですか?」と軽く奥を振り返って尋ねる。
「そんな立派なもんじゃないがな。口うるさい茶出し女だ」
「いなきゃまともに生活できないくせに、でかい口を叩くんだから」
「あーわかったわかった。悪かった」
ムガンは手を振りながら素っ気なく詫びて、無理やり話を終わらせた。いつものやり取りなのだろうなと思いながら、ユージオは再び茶を口にする。馴染みのない味に、後でこれの作り方を聞いておこうなどと考えていた。
「宿はここでいいか」
急に尋ねられ、ユージオは少し慌てながら問い返す。
「ここに? ご迷惑では」
「大したもてなしもできないし、人の出入りが多くて落ち着かない場所だろうが。よそ者は大体いつもうちで世話をしている」
「あの、礼拝堂があるのでしたら、そちらでお世話になろうかとも思っていたのですが。皆さんはブリード教徒……ですよね。でしたら近くに礼拝堂があるのかと」
先ほどここに集まっていた老人たちも、皆耳飾りをしていた。奥にいるムガンの妻もそうだった。見掛ける誰もがそうだから、どこかに聖火を祀ってあるはずだと思っていた。
だが、ムガンは首を振って意外なことを言う。
「堂はない。そこに火が焚いてあるだろう。ここがそうだ」
「あ……」
そこでようやく、入り口の灯火がただの照明ではなく、祀られた聖火なのだと気付いた。自分の鈍さを少しだけ恥じながらも、同時にユージオは納得する。
「だからここに人が集まっていたんですね。司祭様がおられない」
「こんな田舎だからな。誰も来たがらん。ここがその代わりだ。近所の爺婆が茶を飲みに集まってくる」
まさか聖職者がおらず、信者が自主的に聖火を管理しているなどとは思いもよらなかった。だが、説明されればなるほどと思う。こんなところにまで聖職者が駐留するとは思えない。それに見合うような信徒の数でもないのだ。
宿もないし礼拝堂もないのであれば、他に選択肢はない。ユージオは軽く頭を下げた。
「ではお言葉に甘えて、お世話になります。疑問があれば都度質問させて頂いてもいいですか」
「そうだな。だが女子供には聞くな。俺が許可して入れた客だ。俺に聞くようにしろ」
「はい。有難うございます」
女性や子供をよく知らないよそ者に近付けたくはないのかも知れない。保守的な場所ならそれも仕方ないだろう。それに、何かあればよそ者の自分の責任をムガンが持ってくれるつもりでいるのかも知れない。
話が終わったと言いたげにムガンは椅子から腰を上げた。ムガンの妻がいる場所とは別に、奥に仕切り布で区切られて部屋があったのか、ユージオへそちらに荷物を置くようにと言う。
布を潜って奥を見ると、敷布が敷かれて居心地の良さそうなところだった。部屋数からいって共有の部屋になるのだろうと思うと少し憂うつになるのは、一人になれる時間がないからだが、贅沢は言えない。
記録用の筆記具だけ持って、荷物を置いて戻って来ると、ムガンは思い出したようにまた尋ねてくる。
「そういえば、他に辺鄙な土地は幾らでもあるだろうに、なぜここに?」
他意のない不思議そうな問い掛けに、しかしユージオの心臓はどきりとした。
一瞬言葉に詰まった後、どうにか取り繕った答えを口にする。
「ええと……以前、卒業生がアタルヴァについて記した研究資料を見つけたんです。それで、少し興味が」
「ここに? いつの話だ」
「二つあって、新しい方の資料の日付は六年前でした。どなたか覚えてらっしゃる方がいるかと思ったのですが」
「六年前だったら、誰かしら覚えてそうなもんだが……誰もそんな話はしてなかったな。俺も覚えがない」
奥から現れたムガンの妻も、首を横に振っていた。彼女もまた知らないのだろう。ユージオは釈然としないながらも「そうですか」とどうにか返事をする。
「そういえば先ほどの女の子も、私のような者は初めて来たと言っていました」
「登山者や商人なんかは、時々宿代わりに立ち寄っていくが、確かに学生は珍しいな。前に誰かしら来たんだったら、忘れてなさそうなものなんだが」
「もしかしたら登山者だと言ったのかも知れません。それで誰も心当たりがないのかも」
「ああ。あり得るかもな」
謀っているような気配はなかった。本当に心当たりはないのだろう。
レガ信仰についてはかなり詳細に記載されていたが、それ以外のことは記していなかった。だから、本当に登山の途中に立ち寄って、たまたま興味深かったからそこだけ詳細に聞き取って記した。そういうことなら、彼らも覚えはないかも知れない。登山者ならたびたび訪れている様子なので、その内の一人であれば印象も薄いはずだ。
だが、ユージオの頭の中にはある嫌な可能性が浮かんでいた。
(本当に誰も覚えていなかったなら……)
だとしたらそれは、もしかすると。
そんな不穏な想像を、ユージオは軽く首を振って頭の外に追い遣った。
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