代償 7
© 2019 sasori_bi その後、拝火に訪う人が何人かいたのは覚えているが、いつの間にかユージオは仕切りの奥で眠っていた。
ムガンは外に出て建物や橋の修理をし、始めはユージオもそれについて回って歩いてみたが、すぐに体力が尽きて建物へ戻った。慣れない傾斜の道を歩き通して足はすっかりボロボロになっていて、一度腰を下ろすともう動けなくなった。火が焚かれた暖かい室内にしばらくいると、うとうとと眠気が襲い、堪え切れず少しの間仮眠を取った。
目が覚めると、ムガンの妻のリッカが夕餉の支度をしており、仕切りの奥までいい匂いが届いていた。羊を柵に収めたらしきシュエも来ていたようで、ユージオが目覚めるのを待ち構えていた。結局、ムガンを探しに行くのを諦めて、ユージオはその家に留まった。
「いいなー、学校。私も行きたいな」
椅子に掛けて、浮いた足をぷらぷらと揺らしながら、シュエはそう口を尖らせる。
「勉強したいのか?」
「うーん……わかんない! なんかねえ、しょーにんさんが、皆行ってるよーって言ってたから。私も行きたいなって」
「じゃあ山を下りるか?」
「下りれないよー」
ユージオは苦く笑って頷いた。どうしてもというのなら山を下りて、寮のある学校に入るという手段もあるだろうが、今のままでは入学試験に通らないだろう。ムガンが困る気持ちもわかった。
シュエと豆の殻を剥きながらそんな話していると、入り口にちらちらと子供の影が揺れる。そっとそちらを窺うと、何人かの子供が落ち着かない様子でこちらを遠巻きにしていた。
ユージオは軽く手を振る。
「用事なら、中に――……」
だが、声を掛け終わるより先に、子供たちが一斉に走り去っていった。
何だろう――と思っていると、子供たちと替わるようにしてムガンが入り口を潜った。
「放っておけ。知らない奴にはいつもあんな感じ……」
と、言いかけて途中で言葉を切った。いつの間に採ってきたのか、香草の入ったカゴを片手に抱えている。だが、ユージオを見る表情は訝しげだった。
「何をしている」
「力仕事の手伝いは厳しそうだから。リッカに頼んで、手伝わせて貰ってる」
「……そんなことしなくていい」
溜め息と共にそう吐き出して、カゴを厨のある仕切りの奥に置いた。
奥からリッカが「女の人の仕事だもんねえ」と笑う声がする。それで、ムガンの奇妙なものを見るような視線は、女の仕事をする男なんて珍しいからかと納得した。
ここでは男女で仕事が異なるのかも知れない。後でムガンに確かめてみようかと思っていると、水瓶から水を汲んでムガンが振り返る。
「疲れているなら休め」
「いやでも、世話になるんだし。黙って座ってるのもどうかと思うんだが」
敬語を使われるとむずむずする――などと言われて口調を改めていた。ぶっきらぼうで愛想もないが、案外と細々面倒をみてくれる。先ほどもユージオが疲れて息切れを起こしていたためか、建物内に戻るよう促してくれたのはムガンだ。
ムガンは水を飲み干すと、小さく息を吐きながら壁に凭れた。
「山の下から来た連中は、よく土地に呪われて体調を崩す。お前、平気か」
心配というより、観察という言葉が似合うような視線を向けられ、ユージオはきょとんと首を傾げる。聞き覚えのない言葉につい「土地に呪われる?」と問い返した。
「俺たちの間じゃそう言ってる」
「俺のところも、病に掛かることを『呪いを受ける』なんて言うけど、土地に呪われるっていうのは初めて聞いた。どういうことだ?」
「さあ、お前にわからんことなら俺たちにもわからん」
そんなことはないと思うし、彼はどうも学生というものを勘違いしている気がする――と思いながらも口に出さなかった。ムガンの淡々とした言葉が続く。
「ただ、ここらで生まれ育った連中はそうなったことがない。息が苦しくなって、頭がひどく痛む。吐いたり、身体が痺れたり、飯が食えなくなったり、倒れて……下山すると治るのだと、何度か来た連中は言っていたが。その前に死んだ連中もいる」
「……何だろう」
「体調を崩したら早めに言え。途中までなら送ってやれる」
「わかった。ありがとう」
呼吸困難、頭痛、嘔吐、手足の痺れ、消化不良、昏睡。下山をすると治る。
出しっぱなしにしていた紙に軽く書きつけ、首を捻る。土地に呪われるなどと理屈に合わないことは考えにくい。
――母なら何かわかるだろうかと、埒もないことなどがわずかに脳裏を過ぎって、すぐにその思いを手放した。
「ここの生まれ以外は皆そうなるのか?」
「みんなじゃないよ! ほかの村からお嫁に来た人とかも、そういうのないの」
思わず口にした疑問に、シュエが弾んだ声で答えた。ユージオは「他の村?」とまた首を傾げる。
シュエはさやから零れて卓上を転がる豆を押さえながら続けた。
「うん。女の人はね、向こうの山とか、隣のスクルとか、ほかの村からお嫁に来るの。うちで育った女の人もね、よその村にお嫁に行ったりして」
「なるほど。ここで育ったわけじゃなくて、他の山で生まれ育った人か」
「そう!」
では、よその人間が例外なくこの土地に馴染まないわけではないということだ。土地が呪うなどと、ますます考えにくい。
他の集落とも、婚姻などで交流があるのだなと少しだけ考えを逸らして、すぐにまた思考を引き戻す。
「山の下から来ると全員体調を崩す?」
「ちがうよー。よく山にくる人でも、たまにあるよ?」
「たまにか。あまり山に馴染みのない人は多い?」
「うーん……そうなのかな? 言われてみると、そんな気もするかな……?」
「土地が合わないだけのことだろう。そんなに細かく聞いてどうする」
呆れたようにムガンが切り捨てる。それに対しユージオはゆっくりと首を横に振った。
「呪いだなんて、あるはずない。そんな言葉で片付けるのはどうしても嫌だ」
「?」
母のことを思うと、無条件に反発してしまう。
ただ、納得できないが、理屈に合わないことも確かに存在する。魔法という手段を使う自分たちは、すべてが自分たちに理解できる世界にはなっていないことを、身を持って知っている。
けれどこれが果たしてその領域なのか、まだ見極められる状態でもない。
「……いや、気になるから。もう少し原因は考えてみたい」
他の山の集落でも同じことはあるのだろうか。男女は関係するのか。亡くなった人は何が違ったのだろうか。聞きたいことが幾らかある。
固い口調でそう呟くユージオに、ムガンは根負けしたように息を吐く。
「そうか。好きにしろ」
表情こそ鬱陶しそうな様子だが、放り出されたりはしないので、怒っているわけでもなさそうだ。怒っているような顔にも見えるが、そうでないのだなとしみじみムガンの顔を眺めて思う。
と、奥からリッカが木の器を持って出てきた。
「ほら、皆揃って小難しい顔してないで、ご飯だよ!」
「ご飯……あれ、リッカ、この豆は?」
「それは一年中使うから、いくら剥いてあっても困らないの。助かったよ、ありがとね」
てっきり夕飯に使うのかとせっせと剥いていたのだが、単にユージオがすぐできる仕事を与えられていただけらしい。
苦笑いをしながら選別した豆をリッカに渡し、代わりに彼女が持ってきた器を並べる。ムガンは手を出さないらしく、黙って椅子に座っただけだった。
「シュエ、あんたどうするの? 食べていく?」
「うー……お母さんに叱られるから帰るう……。ユージオ、まだいるよね? 明後日までって言ったよね?」
「いるよ。また来たらいい」
ユージオがゆるりと笑ってそう言うと、ぱっと表情を明るくしてシュエが頷いた。
すっくと立ち上がると、ぱたぱたと明るい足音と共に外へ飛び出していく。その後ろ姿を見送った後、リッカに確認を取り、ユージオは入り口の幕を下ろした。もうこの時間から訪ねてくる者はいないらしい。ムガンの家もリッカと二人だけらしく、入り口を開けておいたところで、外気で冷えるだけだ。
夕餉の献立は豆と干し肉のスープと、ライ麦を練ったパンだった。香草のためか、馴染みのない香りや味だが、塩気が効いていて美味しかった。
「塩はどうしてるんだ。商人から買うのか?」
「いや、少し離れたところに洞窟があって、岩塩が採れる。ちょくちょく潜ってるな」
「そっか。これ美味しいな」
来客のために今日はリッカが普段より手の込んだ料理を作ってくれたのだという。普段の食事も気になるので明日からはいつも通りでと頼みつつ、晩餐の作り方もリッカに尋ねた。
何かあればムガンにと言われていたが、彼に尋ねても夕餉の献立の作り方がわかるはずもない。平地ではあまり干し肉を使わないのだが、スープに入れてあったものは味が良かったので、それについても色々と尋ねた。ムガンは「そんなことを聞いてどうするんだか」と終始呆れ顔だったが、かといって止めさせようという様子もなかったので、ユージオは「色々」と軽く答えた。
寝室はやはりムガンやリッカと同じ部屋だったものの、仕切りの布を垂らしてくれたのであまり人目を気にせず寛げた。寝る間際までムガンにあれこれと生活について尋ね、ユージオはムガンが寝入ってしまうまで延々書きとめを続けていた。
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