代償 10
© 2019 sasori_bi アルマナの家は、アタルヴァの集落から少し離れた、例の林の奥にひっそりと建っていた。普段はほとんど人が立ち寄らず、集落の人間からも距離を置かれており、病の人間が時折藁にもすがる思いでやってくるだけなのだという。
昔はそうではなかったらしい。今よりもっと集落とも交流があり、アタルヴァの集落の一員として生活していたようだ。けれどある日、寝たきりの病人の診察に林を出ると、集落の様子はどこか変わっていたのだと、アルマナは言った。
「年寄りから子供まで、妙な耳飾りをつけていた。何かと思えば、何とか教の証だなんだと言いよった。私らがずっと信仰していたのはこの土地の神様だろうに、一体何を言っているんだか」
掛けていた椅子をユージオに譲り、代わりに安楽椅子に深く掛けて、アルマナは自棄のように軽く笑う。彼女の困惑は痛いほどによくわかった。
「だが、そう言えば――私の方が呆けたのかと嗤い、終いには怒り出す始末だった。私は妙な信仰をして、奇態な話をする変わり者なんだと。……何の悪い夢かと思ったもんだが、何年経っても覚めやしない。おまけにあの耳飾りときたら、どうしたことか治癒の魔法を妨げる」
邪魔だったらありゃしない――と、彼女は深い溜め息を漏らす。疲れたように肘掛けへ頬杖を突き、灰色の目を伏せた。
「レガ様のことなんてのは、皆すっかり忘れ去っている。私が死んだらもうこの世の誰も知らない。てっきりそう思っていたが……」
視線が動く。アルマナの双眸が自分に向いた。ユージオの胸元にある首飾りをじっと見る。
「あんた、そいつをどうしたんだ」
「山を下りた人たちが持っていた。……亡くなって、しまって。代わりに持っていたんだが」
冷静を装っても、かすかに声が揺れた。殺されたなどとは言えなかった。きつく手のひらを握って答えると、アルマナはゆっくりと頷いた。
「集落のもんが迷惑掛けたのかね。悪かった」
「そんなことは……」
「その連中の名前は? わかるか」
ユージオはあの時知り合った七人の名前をアルマナに伝えた。覚えがあったのかどうか、アルマナは鼻を鳴らして息を吐く。
「馬鹿な連中だ。学もない、山以外の生活を知らんような奴らが、山を下りて何ができるっていうんだか。結局、無駄に命を捨てただけだ」
「そんなことはありえない」
「どうだかね。……どうだっていい」
疲れたように呟いて、器を机に置いた。かまどに火が焚かれ、湯が沸いている。アルマナは立ち上がり茶葉らしきものを手に取った。
「あんたは何をしに山を登ってきたんだ? 死人の縁者でも探しに来たのかね」
「……それもある。ただずっと……心残りがあったから」
具体的にはっきりとこれという目的があったかというと、そうではない。思い返せばただの衝動だったかも知れない。ずっと行き場のない後悔があって、ここに何かがあるかと期待をしたのかも知れない。
今思うと愚かな期待だ。
アルマナは胡乱げな視線でユージオを見る。
「心残り? あんたが連中を殺したとでもいうのか」
「結果的には、そうかも……」
「懺悔をしに来たんだったらお帰りよ。自分の命を懸けるほどのことじゃない。……連中はね、自分で選んで山を下りたんだよ。その結果がどうだろうと、あんたみたいなよそ者が背負おうなんてお門違いもいいところだ」
そうじゃないと言おうとして、やはり何も言えなかった。あの出来事をどう説明していいのか、未だにわからない。けれどただずっと、彼らの死について自分に責任の一端があるような気がして、頭の片隅から離れなかった。
もうきっと、ユージオの他には誰も覚えていない死だ。忘れてしまったら、彼らが生きていたことすらこの世に残らないような気がしてしまう。
――土地神の信仰と同じに。
ふと、ユージオは思い出したことをぽつりと尋ねた。
「アタルヴァの人たちが信仰を忘れてしまう前に……山に誰かが来なかったか」
茶器に湯を注ぐ手を止め、アルマナは「誰か?」と顔を上げた。ユージオは曖昧な表情で頷く。
「例えば……ガレシアの軍人や、聖職者」
あの時。ヴェーダたちが殺された時。
ガレシアの軍人に礼拝堂へと連れていかれた。司祭が得体の知れない魔法を使ったことを覚えている。あれからクランカイトとフローレインはヴェーダたちのことを覚えていない。
白湯を飲み干した器へと、アルマナが茶を注いでくれた。不思議な香りのする茶は、ムガンの家で出されたものと少し違った香りがしていた。
「あんたはその連中が何かしでかしたのかと思ってるんだね」
「確証はない。むやみに口に出すのも、安全とは言えないし……」
「さて、どうだか。何せここは集落から離れてる。もう何年も前のことだし、来客があったかどうかなんて、わかりっこない」
ユージオは僅かに押し黙り、ぽつりと呟く。
「……だから、アルマナだけ覚えてるのかも」
林に隠れた離れた建物。集落を離れたこの場所に気が付かなかった。だから見逃された。
そう思うと納得がいくこともある。
「司祭が妙な魔法を使ったことがある。記憶が抜け落ちる魔法だった。あれを使ったんだったら、誰も覚えていないっていうのも……あり得ないことじゃないと思う」
「それってのは解けるもんなのか」
「わからない。どんな魔法なのかすら、俺にはわからなかったから……」
アルマナは茶を飲み下しながら「そう」と短く呟いた。そういえば、解く方法があるかどうか考えたことはなかった。どんな魔法なのかがわかれば、もしかすると可能なのかも知れない。
だが、アルマナは首を横に振る。
「気にしなくていい。忘れたままでも、誰も困りやしないんだから」
「でも……」
「いいんだ。別にレガ様の信仰を忘れたところで、ここが何か変わったわけでもない。豊かにも貧しくもなっていない。ずっと、今まで通り」
と、アルマナは僅かに口元を緩めて、目を細めた。険しい顔だったのが、微笑みに解けたのがわかった。
「覚えている人がいたってだけで、私には充分だ」
たった一人で、誰とも共有できない記憶を抱えているのは孤独だったのではないだろうか。ユージオ自身、ここが本当にアタルヴァなのかと疑い続けた不安がようやく消えた。その代わりに、胸の中にあった嫌な予感がはっきりと確証に変わってしまったことは、悲しく思ったけれど。
「アルマナ。明日の朝まで滞在の予定だったんだが」
「まだいるつもりなのか。懲りないね」
「……面倒を掛けると思うが。もう少しここにいていいか」
アルマナは顔色を変えずに、また深く安楽椅子へと腰掛けて頬杖を突く。返される言葉は素っ気ないが、突き放すような気配はなかった。
「集落の連中に妙な目で見られる。それでいいなら好きにおし」
ユージオは礼を告げると、アルマナの出してくれた茶をまた一口飲み下した。
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