代償 12

© 2019 sasori_bi
 アルマナの家に戻って鏡で首元を確認すると、彼女の言う通りユージオの首筋から肩口に掛けて赤黒いような紋様が走っていた。
 覚えのない模様だ。手で擦ってみたが消えそうにない。耳飾りをしていたため、魔法の類ではないと思う。一応血を採ってアルマナに診て貰ったが、この地域に存在するという数種類の毒のどれも、反応は見られなかったという。
 昼餉の鍋を掻き混ぜながら、アルマナは軽く肩を竦めて言う。

「まあ、様子見だな」
「……困ったな」
「彫り物があると何かまずいのか」
「いや……生活に支障はないが」

 置いてきた男に見咎められたら大層目くじらを立てられそうだ。危険はないと言って一人で行ったくせに、そら見たことか何だこのざまはと言われかねない。想像すると頭が重い。
 とはいえ、今すぐのことではない。とりあえず後回しにしていい言い訳を考えることにして、ユージオは気を取り直す。

「レガ神がどうということだと思うか?」
「正直、よく分からん。私はレガ様のことを、願いを聞き届けてくれるような存在だと思ったことはなかったからね」
「え?」

 聞き取れてはいたが、どうにも理解し切れずに顔を上げる。だが、アルマナの横顔は平然としたものだ。聞き間違いかと困惑するが、それもほんの一時のことだった。

「目に見える奇跡を授けてくれることも、災害から救ってくれることも、ないと思っていた。そして今までも、実際になかった」
「それでなぜ祀る?」
「人は弱い。自分の力ではどうにもならない不幸に苦しむほどに、心の拠り所が欲しい。哀れな自分を理解して寄り添ってくれる絶対の何かが欲しいんだ。分かるか」
「……分かる」

 アルマナは寂しげに微笑んで「お利口だね」と呟いた。揶揄でも讃嘆でもない、ただ直截な呟きだった。

「だから神を祀る。心細い時、途方に暮れた時、もう生きて行くことが辛くて億劫でどうにもならない時、いつか救いがあるのだと自分に言い聞かせるための仕組みがいる。苦痛を転嫁する言い訳がいる。それが私たちの信仰でありレガ様――だった」
「仕組み……」
「そう。本当に存在している必要なんてない。天恵をもたらす必要もない。ただ在るということに意義があって、私たちはそのことに感謝をする。祈りを捧げ、何も叶わないことを恨み、自分の空虚を理解されていると信じ、憐れみを請い、絶望しないために利用する」

 アルマナは一度言葉を切り、すぐにまたきっぱりと言い放つ。

「仕組みであり人間の道具だ」

 信仰というものはもっと崇高で格式ばっていて不可侵で、人智を超えた何かを崇めるもの――のように感じていたかも知れない。そんな論理的な捉え方をしたことはなかった。一概にブリード教がそうだとも言い切れないが、別の側面を垣間見たような気がしてはっとした。
 神が人間の道具だとは、いかに不遜なことだろうか。けれど、妙に納得してしまう自分もいる。

「……いないと思いながら祀るわけか」
「そうだ。奇跡があろうがなかろうが成立する。だから正直、あんたのそれが本当にレガ様のもたらしたものなのかどうかは、どうでもいいんだ。私にはね」

 そういえば、ユージオの首元の模様を見ても、アルマナは少しも動じなかった。本心からどうでもいいと思って言っているのだろう。だからだろうか、ユージオの虚言の可能性すらも、確かめようとする気配はない。
 そんなものかと肩の力を抜いて、ユージオは嘆息混じりに言う。

「じゃあ、レガ神はいないし、この首のも何か他の原因があると」
「いないと思うことと、本当にいないということは、違う話だ」
「……うん?」
「目に見えないことは存在しないということと違う。例えば、そこに空気があって呼吸ができるが見えないようなことだ」

 確かに――とユージオは小さく唸った。彼女の言い分も理解はできる。

「いるかも知れないけど見えなければ分からないと」
「いないと証明できない限りは、存在するかもね」
「……そういうことはまあ、少し考えたことがある。目で見えない何かがあって、もしかしたら視認できないけど魔法の代償なんかがあるんじゃないか……っていうのは」

 ――そう、人間の道具というのならば、これも同じことだ。人にしか備わらない魔力も、人智を超える魔法という手段も。知恵の有無にも関係なく、他の動物は一切が持たないものだ。

「魔法か。確かに」
「じゃあ何っていうのは全然分からないんだけど」

 木の器に鍋の中身をよそい、アルマナがユージオの前に出した。同様に自分の分を用意すると、向かい合った位置に掛ける。

「冷めないうちにお食べ」
「……いただきます」

 ユージオは匙を手に取り、とろみのついた汁物の料理を口に運ぶ。湯気に混じる匂いは独特の香りがしていたが、薄い塩味で整えられこそしていても、味はやはり独特だった。

「酸っぱくて苦くて、ちょっと甘い……?」
「不味けりゃ不味いでいいよ」
「えーと……食べたことがない、味……」
「はは」

 かなり湾曲に美味しくないことを訴えると、どうやら想定していた反応だったらしく、アルマナは口元を押さえて笑う。

「そりゃあんた、まだ本調子でないもの。薬草を煮たんだ。我慢おし」

 気を遣って貰ったようだ。味は二の次で、身体を労わった食事なのだろう。アルマナも付き合って同じものを食べるのだから、とても文句は言えない。それに、我慢できないほどのひどい味でもない。
 礼を告げて引き続き汁物を口に運びながら、ユージオはまた尋ねる。

「呪いも……あり得るものか」

 母は呪われたのだという。呪われる理由などないはずだと、信じたくないと思うのに、今の話を聞いて少し不安になった。

「目で見て分からないけれど存在し得るもの……なんだろうか」
「土地に呪われるって話か?」
「それは……もしかすると違うかも。でも、それ以外で……呪われて、病に掛かるとか」
「どうだかな」

 アルマナは珍しく首を傾げた。

「ただ――妙なものは見たことがある」

 ユージオが「妙?」と問い返すと、彼女は何か思い出すように、ただどこか釈然としない表情で遠くに視線を投げた。

「数えるほどだが、獣に黒い靄が掛かっていることがあった」
「……靄?」

 獣に――と思って記憶を探るが、似たようなものを見た覚えはやはりない。この土地特有のものだろうかと思ったが、続く言葉ですぐにそうではないとわかった。

「いつも見えるわけじゃない。ただちらっと視界の端に掠めた時や、気を抜いてぼんやりと景色を見ているような時だ。意識して見えるものではないと思う。人が居合わせた時に確認してみたが、おそらく見えていない。……信じるか」
「信じない理由もない。個人差があるというなら分かる」

 アルマナは顔色を変えず「そうか」と短く呟いた。
 何かのきっかけにか、彼女の目にはたまたま見えたのだろう。それが他の誰かに見えなかったとしても、虚言だと思う理由もない。彼女のことを、好き好んで嘘を吐く性質だとも思えない。

「数日後には、獣は死んでいた。靄は見えなかった。腑分してみたが、異状は見つけられなかった」
「異状がなかった……とアルマナは思ってるんだな」
「そうだな。見落としがないとは言えないが、私はそう思った。他に原因がないとも、あの靄が獣を殺したとも、断言できない。ただ、どうにもずっと引っ掛かっている」

 味のよくない汁物を運ぶ手を止めて、アルマナは納得していないような顔つきで自分の口元に手で触れる。
 見えるかどうかわからない黒い靄。命を蝕むかも知れない何か。

「魔法じゃないのか」
「その内の二度は冬だった。外の人間はいないし、ここらの人間はあんな魔法を知らない。ここで使われる魔法は全て親の口伝だ」
「よその集落から来た女性は」
「それぞれ、何人かは必ず同郷の顔見知りがいる。魔法を使う人間なら分かる」

 アルマナが言うことが確かならば、人間の所業ではないということもまた確かなのだろう。それが果たして本当に、生き物の命を脅かす呪いなのか、確実なことはないが。

「もしもあれを呪いと呼ぶのだとしても、獣がどんな罪を犯すというのだろうよ。生きることしかできない野の獣だ。呪いというのが己の罪業を所以とするなどというのは、人の作った嘘だ」
「嘘……」
「仮に嘘でなくとも、誤解だろう。あれが私の見間違いや脳の異常でなく、本当に存在するのだとしても、己の悪行が祟るのではない。あれはたぶんもっと無差別的で、非合理で――いや」

 言葉に迷うように一度口を噤んで、アルマナは再び言う。

「私たちが考える合理性とは異なる理屈の上にある。そう私は見ている」
「……そうか」

 よかった、と。
 誰にともなく、声にならなかった言葉が思わず口から零れた。

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