代償 13
© 2019 sasori_bi「ところで」
食事の器を片付けてまた茶を淹れたアルマナは、安楽椅子に掛けて口火を切る。
「?」
「土地に呪われるのは、違うかも知れないと言っただろう。なぜそう思った」
「ああ……その前にちょっと確認したいことがあって」
先ほどと同じ消化にいいという茶を飲み下し、ユージオは筆記具を取り出した。
「俺を治してくれたっていう治癒魔法のことを聞きたいんだが」
アルマナは思い出したように「ああ」と声を上げた。肘掛けに頬杖を突いて、もう片腕でユージオを寝かせていた幕の向こうの寝床を指差す。
「幕の内側に魔法陣がある。室内を調節する小細工だが、陣は代々受け継いでいるものだから、どういう魔法が作動しているのか、私は知らない。あんた、見て分かるなら教えてくれるか」
ユージオは椅子から立ち、幕を捲って織り出された魔法陣を確認する。壁に巡らされた幕にも魔法陣があった。四方囲むようにした魔術式を書き写し、椅子に戻る。
「壁の幕は結界で、幕の内側の一つだけ魔術式かな。古いけど『気』の元素を集める術式で……三方じゃ完全に陣が閉じない」
「不完全か」
「魔術の効果を発揮させるなら四方を閉じるはずなんだが……」
とはいえ、肝心の気を集める魔術式の陣は、魔力を注いだだけひたすら稼働する。ただ無尽蔵に気を集め続けると、結界内の空気だけが異常に圧縮されて身体の外から圧迫される。中にいたら死に至るかも知れない。
「気圧……」
「どうした」
ふと、シュエの無邪気な言葉を思い出す。別の山から越してきた花嫁も、呪いに掛かることはないと言っていた。山の下から登ってくる人間が、時折そうなるのだと。
――気圧が違うだろうか。
「気圧を上げてる……?」
調節のために一方を塞いでいないが、ひたすら魔法陣を稼働させ続ければ三方の結界が隔ててここだけ空気が重くなる。不安定ではあるが、ある意味では均衡を保っている。
アルマナは思い出したように付け足した。
「それだけじゃ足りないから、血の巡りをよくしてやる。頭が痛いか、胃腸が弱っているなら、薬を煎じる。それで一時的には大体よくなる」
「魔法陣は?」
「あー……書いてやる。貸してみな」
筆記具をアルマナに渡すと、不慣れな手つきで幾つか魔法陣を書きこんだ。返された紙を覗くと、見たことのない魔法陣が幾つか記されている。
「俺たちが使うものとずいぶん違うな。不思議だ」
「何せ古いからね」
「いや。下では人間に魔法を使えないんだ。だから、獣を癒やす祝詞の魔法はあっても、人間に作用する治癒の魔法はない。人と獣でこうも違うと思わなかった」
「……あの耳飾り」
もしやという表情で尋ねてくるアルマナに、ユージオは形容しがたい表情で頷いた。
「人の身体に作用する魔法は禁忌だ。少なくともブリード教ではそうされている。信徒もそれを信じているし、耳飾りに施された魔法を調べる物好きも……そうはいない」
「さっき、記憶を消すと言っていなかったか? あれはなんだ」
「ブリード教の聖職者だけが使う魔法だ。禁忌と謳う一方で、秘密に触れた者の記憶を消す。ガレシア軍も承知の上で加担している」
「なんだそいつは。いけ好かないね」
アルマナの率直な感想に、ユージオは笑いそうになり、しかしふと笑顔が凍った。
「……アルマナを危険に晒すつもりはなかった。誰にも言わないでくれるか」
首から提げられた角を服の上から触る。あんな手段を使える連中に彼女が何をされるのか、わかったものではなかった。
ユージオの心配を見て取っているのだろうが、アルマナはやはり深刻そうな様子を見せない。
「言ったところで誰も信じないがね。わかっている」
「……うん」
「疑っているのか」
「いや」
彼女の話すことに矛盾を感じたことはない。首を横に振ると、アルマナは一つ頷いた。
しばらく魔法陣を眺めて、かと思えば筆記具を走らせて計算式を書きこんでいたユージオは、ようやく自分で納得したように筆記具を置いた。
「土地の呪いの正体は分かった」
アルマナが視線で促してくる。ユージオはきっぱりとした口調で断じた。
「軽度、かつ長時間に渡る酸欠による体調不良」
「……酸欠?」
そう繰り返すアルマナは、思いがけないという表情に変わっていた。ユージオは頷いて肯定する。
「頭痛も吐き気も他の不調によくあるけど、息苦しさっていうのが何だろうと思ってて、色々確認してはっきりした。ここはたぶん空気が薄くて、それに慣れていない人間は調子を崩しやすい。元々体力がない人間なんか、特に……」
「ああ……」
確かに体力はなさそう――と明らかに語る視線を受けて、ユージオはそっと目線を外した。事実かも知れないし情けないとは思うが人には向き不向きというものがある。
「正体が分かれば、魔法が使える山の下の人なら命を脅かされる必要はなくなった。身体の周りの気圧を少し調整しながら山を登ればいいんだから」
気圧が何かと尋ねられ、ユージオは軽く説明する。ここではそういう概念がないのだろう。空気の密度が場所によって異なり、高山に行くと薄くなる。説明すると、そうなのかと目を細めながらアルマナは納得した。
「一度理屈が分かれば何だか呆気ないもんだね。まあ、すでに手遅れでなければ、今後は人死にが出ないようせいぜい気を付けるさ」
「そうだな。ムガンにも、困ったらアルマナを頼るように言っておく」
「私が死んだらどうするんだ」
「できればずっと生きてて欲しいけど……」
「はは。無茶を言う」
「誰かに知識を伝えるつもりはないのか」
子孫が代々受け継いできた魔法。アルマナに誰か後継がいるのなら絶える心配はないのだが、生活の様子を見る限り彼女は独りだ。その理由は分からないが。
「私は医者のまがい物であって、医者そのものじゃない。ここに必要なのは医者であって、私のあやふやな知識じゃないよ」
「……でも、医者はいないだろう」
「私が死んだ後もそれが必要だと思うのなら、誰かが知識を乞いに来ればいいことだ。誰も名乗りを上げないのなら、それだけのこと。死んだ後のことまで責任を取る気はないよ」
突き放すような言いざまでも、誰かが知識を求めて訪ねてくれば追い返すことはないのだろうと、そう何となく思った。でなければ見ず知らずのユージオにあれこれと質問されて、嫌な顔一つしないはずがない。
確かに、死んだ後のことなど彼女にはどうにもできないのだから、責任も何もない。
「もう長いこと、ずっとここの連中の面倒を見てきた。どこに行くこともなかった。ずるずると、ただひたすら求められるまま薬を作って、自分の衣食住を整えて、勉強も何もしなかった」
「……何かしたいことがあったのか」
「ないよ。生きるだけで精一杯だもの。でも、そうだな」
濁った灰褐色の目でじっとユージオを眺め、ふと柔らかく目を伏せた。
「一度くらいは山を降りて、どんな場所なのかを見てみたかったかもね。字が読めたらうんと楽しかったかも知れない。ただもう身体も動かないし覚えも悪い。手遅れだ」
「遅いことなんてない、降りればいい。俺の後見人の家に招待するから」
なぜだろうか。アルマナと話していると安堵する。クランカイト相手ともまた少し違っていて、落ち着かない気持ちになることはなく、ずっと穏やかな思いがする。匂いも声も。
――薬師だった母を思い出すからだろうか。
縋るような思いでユージオが告げると、否定や肯定よりも先に、アルマナは不思議そうに「後見?」と首を傾げた。
「あ、ああ。親代わりの、幼馴染の家族。俺が子供の頃から世話になってる人たちで」
「そうか。独りで山にくるなんて、学生にしちゃずいぶん身軽だと思ったけど、根無し草かい。あんたも」
「……そうなんだろうか」
確かに、家族がいるなら誰かしら一緒に着いてくるかも知れないし、そうでなくとも誰か随行を頼むか。学生一人をよく知りもしない遠方へ出歩かせたりしないかも知れない。
ただ、ユージオ自身はそれほど自分が身軽だとは思っていなかったため、少し驚きながら答えた。
「家族……みたいな人間はいる、つもりだけど」
「そう思ってるならもう少し自分の扱いに気をつけな」
ぎし、と安楽椅子を軋ませて、アルマナはゆらりと身体を揺らす。視線はユージオではなく、どことも定まらない場所へ向いていた。
「その人間にしてみれば、あんたに目の届かないところでのたれ死なれちゃ、後悔してもし切れないだろうよ」
「いや、今回のことは、不慮の事故というか……」
「それが一等嫌なものだ」
まさか山を登るだけであれほど負荷がかかるものだとは思わなかった。いや、体力的な心配はもちろんあったが、酸欠による死に至る可能性まではさすがに心配していなかった。自分の判断とはいえあの一瞬は、正直クランカイトを置いてきたことを少し悔いた。
返す言葉もなく黙って茶を啜っていると、アルマナはくっと小さく笑って目尻の皺を深める。
「さっきの話は、気持ちだけ受け取っておく。さすがに身体がついてこないんだ。山を降りるなんて想像だけで億劫で仕方ない」
ユージオは残念に思いながら、堪えきれなかった本心をぽつりと呟いた。
「……でも、できればまた会いたい」
「そんな子供みたいな顔、おしでないよ」
頬杖を突いて苦笑しながら、アルマナはゆらりと椅子を揺らして。
「本来なら、会うこともなかったんだから。レガ様に感謝して、元に戻るだけだと思うだけだ」
素っ気ない口調で軽くそう言い放ち、ただユージオを見て優しく目を細めた。
© 2019 sasori_bi
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