代償 14

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 日が暮れるまでずっとアルマナについて回り、ようやくムガンの家に戻ると、シュエが机に突っ伏してすうすうと寝ていた。
 待たせていたのだなと思うと申し訳ない気持ちだったが、起こすのもまた忍びなく、寝かせたままにしてリッカに言い付けられた豆の殻むきをまた進めた。リッカはまだ夕餉の支度を始めないようで、机に座ってユージオと共に豆の殻を剥き始めた。

「アルマナ婆さん、どうだった?」
「山の下にもなかなかいないな。凄いと思う」
「おや。優秀な学生さんが言うなんて、よっぽどだね。……あの人もねえ。大変だったと思うんだけど」
「大変?」

 ぽつりと言ったリッカの言葉に思わず問い返すと、リッカは曖昧な顔で首を傾げる。

「うーん……昔のことだから、私もよく知らないんだけどさ。一度結婚して、別の集落に行って、子供も授かって。男の子だったみたいなんだけど……亡くなってね」
「!」

 思わず弾かれたように顔を上げると、痛ましそうに顔を歪めてリッカは作業の手を止める。

「事故だったそうだよ。山を滑落したらしい姿が見つかって、もう息がなかったと。結局その夫と離縁してここに戻ってきて、薬師をしていた家を継いでくれたんだ。ここの皆の頼りだよ」
「そうなんだ……」

 ――あんたに目の届かないところでのたれ死なれちゃ、後悔してもし切れないだろうよ。

 あの言葉は必ずしも、ユージオの不用心を咎めたものばかりでもなかったのだろう。
 確かに独り身でここにいるというのが不思議だった。ここはどうしても男手が必要な土地だろうに、女性一人でどうしているのかと思っていたが、そういう経緯だったのだろう。
 だが、リッカはいっそう顔色を曇らせて言う。

「なんだけどねえ。近頃は何というか……親しかった人ともあまり関わりたがらないようだし、素っ気なくて。年のせいだか、たまに変なことを言うし、どうしていいやら」
「……親切だよ。見ず知らずの俺なんかも拾ってくれたし。しばらく居たけど邪険にされたりもしなかった。それに変なことを言ってるとは、少しも感じなかった」
「そう。まあ確かに、困った時に頼って追い返されたことなんかなかったね」

 ふとリッカが安心したように笑う。その反応に少しほっとしてユージオは頷いた。
 アルマナが素っ気ない態度をとる気持ちも理解できるし、アルマナに困惑する集落の人の気持ちも分かる。どうしようもないことで互いに壁が出来てしまったのだろうと思うと残念だ。

「俺が口を出すことでもないが。誰か、アルマナに薬や病の知識を教えて貰った方がいいと思う。このままじゃ、病の時に知識のある人がいなくなる。アルマナも……」

 どこにもいけないままだ。
 それが彼女の願うことなのかそうではないのか分からないが、集落にとっても今の状態はあまり望ましくないはずだ。どちらにしても彼女一人に頼り切っている状況は改善すべきではないかと思う。
 リッカも薄々そう思ってはいるのだろう。

「そうだねえ。わかってはいるんだけど。どうにもアルマナ婆さんの話は難しくって、私らには分かりそうもなくて……」

 と、リッカが物音に気付いて視線を向けた。その先で、入り口の幕が捲り上げられ、ムガンがのそりと入り口を潜って入ってくる。
 ユージオの姿を見て軽く目を細めた。

「戻ってたのか」
「ムガン」

 担いでいた籠を奥に置いて、また奥から出てくる。困った様子のリッカに気付き、不思議そうにユージオを見遣った。

「どうした」

 ユージオは先ほどの話を今度はムガンに繰り返す。彼は特に困った様子はなく、見せる反応は淡々としたものだ。

「そうだな。一応考えてはいるんだが」
「それなら差し出口だった。すまない」
「いや。わかってはいるんだが、少し迷っていて……」
「?」

 リッカが椅子を立って、奥の方へ戻った。夕餉の支度にムガンの帰りを待っていたのだろう。
 ムガンの方は椅子に座らないまま、机の傍に立った。

「シュエを遣ろうかと思ったんだが、まだチビだしな。あの婆さんとうまくやれるか分からんし、嫁がせもせずここに残らせるとも勝手に決められん。どうしたものだか迷う」
「ああ。……そうか」

 机に伏して寝入っているシュエを見下ろし、ユージオは首を傾げる。覚えがいいとムガンが言っていたし、子供なら吸収も早いだろう。ただ、代わりにシュエがいなくなった時にまた皆が困るとなると、シュエはここから離れられない。だからといって、アルマナに何人も面倒をみられるかは不明だ。

「シュエはよそ者の俺にも物怖じしないし、アルマナとも委縮せずに話せると思う。アルマナとうまくやれないってことは心配要らないだろうが」
「そうだな。……一応シュエと母親にも聞いてみるか」

 ムガンが何気なく呟いた言葉に、ユージオはふと抱いた疑問を尋ねる。

「父親は?」
「シュエの父親は、昔に山を降りたきり戻ってこない。もしかしたら、死んだのかも知れないな」
「……え?」

 うまく呑み込めず、ユージオは顔を上げた。そこには何の感情も浮かんでいないムガンの顔があった。
 言葉に詰まって何も言えなかった。表情を凍らせるユージオを見下ろして、少し不思議そうにムガンは繰り返す。

「聞こえなかったか。山を降りて、ずっと戻らない」
「それは……いつ、から」
「何年になるかな。まだ十年は経っていないだろうが」

 頭から血の気が一斉に引いていくのが分かった。指先が冷たくて動けなくなる。何も言えなくなったユージオの異変に気付いているのかいないのか、ムガンは普段と変わらない態度で言葉を続けた。

「シュエの親父は、俺の兄でな。本来ならここの仕切りをするのはあいつの役目だったんだろうが。……ひどく天候の荒れた年があって、冬の寒さも厳しかった。シュエの上に娘がいたんだが、あの年はどこも満足に食わせてやれなかったな」

 心臓の音が全身に響いて、ムガンの声が遠くに聞こえる。

「飢えているところに病が重なって、あの娘はあっさり命を落とした。あの年は一人だけじゃなかったな。他に何人も死んだ」
「…………」
「生きていたらお前ぐらいの歳だったかな。何を思ったか、あいつは男手を集めて、商売を起こすのだと山を降りた。反対したけどな、よほど娘を失ったのが堪えたんだろう。シュエと母親を残してでも、貧しさに抗いたかったのかも知れないが」

 はあ、というムガンの小さな溜め息が耳に突き刺さる。

「……結局そのまま音沙汰がなくなった。何にもならなかったな」

 ユージオはそっと息を吐き出した。深く吐き出して、ようやく息を吸い込んで、身体の強張りを解いた。

「その人の、名前は」

 震える声で尋ねた。視線がゆっくりと落ちて、机の天盤に向かう。ムガンの表情は見えない。
 果たしてどんな表情をしているのか。短い返答だけが、ユージオの深く心臓を貫いた。

「ヴェーダ」


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