代償 15

© 2019 sasori_bi


 色々と考えてしまい、その夜もあまりよく眠れなかった。翌朝、ムガンが起きる時間には目が覚めて、またムガンと同刻に寝床から起き出した。荷物も昨晩の内に纏めていたため、やることもなく上掛けに包まっていた。
 夏ですらこんなに肌寒いのに、冬になればどれほど冷え込むのだろうと、昨日と同じことをまた改めて身に染みて思った。

 ムガンの顔をよく見れば、確かにどこかヴェーダと似ているかも知れない。始めはてっきり同じ集落の人間だからかと思っていたが、そうではないのだと昨日の話ではっきりした。血の繋がりがあるのだから当然だ。
 シュエはヴェーダの娘だった。叔父であるムガンの家に頻繁に出入りしているのだろう。シュエの上には、自分と同じ年頃の娘がいて、その子供は昔に亡くなっていた。ヴェーダはそれをきっかけに山を降りて、そして――命を奪われた。
 ここでは病なり天候なりが要因で、命を落とす人間が珍しくないのだと彼らは言う。けれど、だからといってその哀しみまで軽くなるわけではない。

 ヴェーダの死を改めて知らせるのがいいのか、正直分からない。事故であればまだどうしようもなかったと思える。けれど彼らのことは違う。殺した相手がいる。そんなこと、知りたくないと思うかも知れない。
 仮に知ったところで、この集落の人たちは復讐心に駆られて山を降りたりはしないと思う。けれど、何も思わずにいられるはずがないのだ。

 リッカが朝餉の支度をしている間、ユージオは二人に断って林の中へと向かった。深く霧が掛かっており、危うく道を外れそうになりながら、何とか奥にあるアルマナの家へとたどり着く。
 扉を叩こうとしたが、霧の中にある動く人影に気付いて、ユージオはそちらにふと声を掛けた。

「アルマナ?」
「あれ。ずいぶん朝早くに来たんだね」

 すぐにユージオと気付いたのか、霧の中から籠を背負ったアルマナが現れた。集落にも数えるほどしか人の姿がなかったのに、アルマナももう外に出て働いていたようだ。

「おはよう。何か採ってたのか?」
「朝が一等薬効の高い草がある。昨日の刺青もどきは平気か」
「なんともないみたいだ。もうすぐ発つから、御礼を言いに来た」

 ああ、とアルマナは無感動に言う。下山については昨日の内に伝えていたことだし、土地柄別れなどよくあることなのだろう。そんなものかと苦笑いしていると、アルマナが一度家に入るよう言う。
 彼女が先んじて入っていくのに従って、ユージオも彼女の家に入った。彼女は薬箱の引き出しを漁り始めている。

 だが、別れの挨拶ではない方の目的を思い出し、慌ててユージオは持ってきた銀貨を取り出す。

「礼以前に、治療費を払っていなかった。山の下の相場になるが、受け取って貰えるか」
「何? いいよ、そんなもん」
「貰ってくれ。そうじゃなくちゃ山を降りてもずっと気にかかる」

 意固地だねとアルマナは呆れたように言いながら、小分けにされた紙の包みをユージオに渡す。どうやらそれは薬のようだとすぐに気付いた。

「食事の後に飲みな。途中で具合が悪くなっても困るだろうし。あとこれは頭が痛む時に」
「ありがとう。……皆親切だな」
「親切と言うわりにしけた顔をする。また具合が悪いのか?」

 不思議そうに顔を覗き込まれて、ユージオは一瞬、言葉に詰まる。付き合いは短いのに、どうしてそこまで見透かされるのだろうと思いながら、隠し切れずに呟いた。

「……ムガンが、亡くなった人の親族だった」

 ぽつりと呟くユージオに、アルマナはやはり顔色を変えない。わかっていたのかも知れないと思いながら、苦く続ける。

「何と言っていいか分からなかった」
「言わなくていい。あの連中も納得してる」
「……シュエが気の毒だ」

 アルマナは小さく息を吐きながら、布で銀貨を包んで引き出しに仕舞った。

「言ったって言わなくたって同じことだ。連中は戻ってこないし、知ったところでシュエが救われるわけでもない。放っておおき」
「……頭では分かるけど」
「馬鹿だね。そんなことで辛気臭く落ち込んでたなんて」

 呆れたように肩を勢いよく叩かれた。
 じんとした痛みに顔をしかめていると、アルマナは腕組みをしてじっとユージオを見据える。そこに慰めようという気配はやはりない。

「どうしても心配で、一縷の希望に縋りたいと思うなら、自ら山を降りて探しに行く。それをしないってことは、同じことだ。気にすることじゃないともう何度言えば納得するのやら」
「それは……詭弁じゃないのか」
「詭弁でも何でもない。事実だ」

 迷いのない口調でばっさりと言い切られ、ユージオはそれ以上何も言えなかった。そうなのかも知れないと少し思って、小さく息を吐く。
 決して大事に思っていないわけではない。帰ってこない不安や悲しみが浅いわけでもましてない。でも、自分の生活を投げ出すこともできないから、ただ待っている。それは、山を降りる大変さと天秤にかけて、自分の生活を取ったことになるのかも知れない。

 アルマナはそんなユージオをじっと眺めながら尋ねてきた。

「そんなことより、あんたは。ここに来た目的を果たせたのか」
「……うん。アルマナがいなかったら、わけが分からないまま立ち去ってたと思う」

 ただ困惑しながら帰ることになっただろう。アルマナは「それならいい」と目元を和らげた。無愛想ではあるのだろうけれど、存外優しい目をするからほっとする。

「いてくれて本当によかった。どう感謝していいか分からない」
「大袈裟だね。何もしていない」

 そう笑うアルマナをじっと見上げて、ユージオはやはり黙っていられずまた言う。

「アルマナは億劫だと言ったけど、もし山を降りることがあれば連絡してくれ。必ず迎えを遣るから」
「またその話か。無理だと言ったはずだけど」
「ここにアルマナが必要なことはよくわかる。でも、ムガンが誰か人を遣ると言っていたから。知識を分け与えたら、ここを離れることもできるだろう」

 と、ユージオは思い出して悪戯めかして付け足した。

「いつでも、いくらでもいい。一冬を過ごすのも暖かくていいと思うし」
「そういえばそうか。……まあ、頭の片隅には入れておく」

 寒さを引き合いに出すと、途端にアルマナの返答が和らいだ。やはり寒さは相当堪えるだろうし、出来ることなら暖かく過ごして欲しい。ユージオは「いつでも待ってる」とゆるやかに微笑んだ。
 朝餉の支度もあるだろうし、長居はできない。そう思って特に何も言わずに建物の外に出ると、アルマナも一緒に外へ出てきてくれた。だが、やはりもう話も済んだし、用事も済んでしまった。

 名残惜しくてどうにか話を探してみたが、見つからない。迷ったままそこに留まっていると、アルマナが先にぽつりと言った。

「何度も言ったことだ。あんたには何の責任もない」
「……うん」

 何度も同じことを言わせてしまったなと思いながら、ユージオは今度こそすんなりと頷いた。アルマナが本気でそう思っていることも、きっとアタルヴァの人なら同じように考えるだろうことも、もう充分理解できた。

「心残りも罪悪感も一緒に置いておいきよ。それはこれからのあんたには必要のないものだろう」

 もう忘れろと、言外に優しく宥められる。そんなアルマナの気遣いも充分に理解できた。確かに今さら何もできない、どうしようもないことだ。後悔ばかりしていたって仕方がないし、忘れてしまった方がいいのだろう。
 しかし、ユージオは「いや」と首を横に振った。

 ずっと引きずって生きてきたものを、今さら捨てて身軽になろうとは思えない。あの時、礼拝堂で魔法を使われてもどうにか自分だけは忘れずにいられたのに、それを自分から無為にするようで堪えられない。
 ――あの死を無意味にすることはできない。

「これまでもこれからも、俺には必要なものだったから。……それはしない」

 アルマナの気持ちはよく分かる。ユージオのために言ってくれているのだ。でも、あの記憶がなければここに来ることもなかった。

「あんまり抱え込むんじゃないよ」

 アルマナはそう困ったように笑った。




 土地の呪いの正体について話も済んだ。一度断られはしたがどうしてもと言い張って、ムガンたちに謝礼も渡した。途中まで送っていくかと訊かれたが、それも丁重に断って礼を告げた。また来た時には訪ねてこいとまで言ってくれて、感謝しきりだった。

 ただ、他に魔法で何か礼をと思ったが、ここの生活を不用意に荒らすような気がして、結局控えた。
 ここはほとんど魔法が浸透していない。よかれと思って魔法を使ったとして、その魔法に生活を依存させていずれ使えなくなったのでは、いっそう不便をさせることになる。

 過ぎる謝礼も仇になりかねない。結局味気ない礼ばかりになったなと思いながら外に出ると、向こうからシュエが駆け寄ってくるのが見えた。

「ユージオ、もう行くの!?」

 転がってしまわないかとはらはらしながらシュエを待つと、彼女は息を切らしながら駆けてきて、ユージオの足にぶつかる寸前で止まった。
 肩で息をするシュエに、ユージオは屈んで目線を合わせる。

「そう。少しの間だけど、色々教えてくれてありがとう」
「うー……寂しい。また来てくれる……?」
「大丈夫だよ。すぐに寂しくなくなる」

 ぐずるシュエに微笑みながら、ユージオは宥めるような声音で尋ねる。

「アルマナのことは聞いたか」
「うん」
「すごく色んなことを知ってるから、よく聞いて覚えるといい。たくさん覚えないといけないから、寂しいなんて思う暇がなくなる」
「大丈夫かな?」
「うん。アルマナは無愛想だけど優しいよ。俺みたいなのも怖がらなかったんだから、シュエなら大丈夫」

 言い聞かせるように答えると、シュエはほっとしたように笑顔を見せた。結局他の子供は遠巻きにするばかりでまったく近付いてこなかったので、きっとここではシュエが珍しいのだろう。ムガンの家に来客を呼ぶと行っていたから、接する機会も多いのかも知れない。

 ……ヴェーダにどこか似ているだろうか。よくよく眺めてみてもあまりそう感じないので、もしかしたら母親に似たのかも知れない。
 やはり胸が痛むのを堪えられない。気にすることじゃないとアルマナは言ってくれたが、気の毒だと思ってしまうのも事実だ。

「……そうだ。これ」

 ユージオは襟から紐を引き出し、首飾りを外した。紐に提げられた白い角を手のひらに乗せると、シュエに手を出すよう促す。
 恐る恐る差し出された小さな手に、首飾りを収めてやった。

「これ、何?」
「昔、知り合いが持ってた物。……きっとシュエのこと守ってくれる。大事にしてくれるか」

 シュエは自分の手のひらに乗せられた首飾りをじっと見下ろして、少しの間何も言わなかった。
 どうしたのだろうと思いながら沈黙していると、シュエがぽつりと呟く。

「……どこかで見た気がするの。どうしてかな」

 ユージオは少し寂しいような思いで笑う。
 父親が持っていた物すら忘れさせられたのだと思うと、理不尽さにどうにもやりきれない。でも、記憶を奪われてもどこかに残っていたのだと思うと、少しだけ救われるような思いもある。どちらが勝るとも言えなかったが。

「どうしてだろうな」

 シュエはユージオの表情を不思議そうに見据えて、やがて紐を頭から通した。

「大事にするね。ありがとう」
「……いいや。貰ってくれてありがとう」

 きっとそうした方がいいのだろう。
 例えレガ信仰など覚えていなくとも、形見の一部でも家族の傍に戻せたのだから。意味がなくなったりはしない。
 首飾りに集中するシュエから気落ちした気配がなくなったので、ユージオはほっとしながら立ち上がる。
 改めて挨拶しようと振り返ると、外に立つムガンとリッカの姿があった。ムガンが先に口を開く。

「じゃあな。もうこんなところに無駄な時間を使うなよ」
「無駄じゃないから大丈夫だ。わかった」

 屁理屈だなとムガンは呆れて、すぐに言う。

「山を降りるのも時間がかかる。早く発った方がいい」
「ああ。世話になった。リッカも、料理美味しかった」

 ムガンの言うように、長居をしてもいいことはない。後ろ髪引かれる気持ちはあるが、客一人にいちいちそこまで思い入れたりはしないだろうし、いつまでも渋っていては却って邪魔になる。

 迷いながら踵を返そうとして――途中でユージオは動作を止めた。

「やっぱり一つだけ」
「?」

 ムガンへと振り返り、手のひらを差し出す。
 カシャン、と音を立てて、その手の上にカゴが現れた。中には小さな光が幾つも集まり、やがてゆっくりと形を成していく。
 光が収束したカゴの中には、一羽の赤い鳥の姿があった。

「カゴから外に放てば、一度だけ、一日ほどは雲を散らす。雪雲でも雨雲でも」

 ムガンの手へとカゴを渡して、ユージオはおもむろに言った。

「鳥の姿はしているが、術式で構成された魔法道具だ。何も食べないし、カゴに入れっぱなしでいい。色が薄くなったら、拝火のように時々魔力をくべてやってくれ」
「道具? これが?」
「一度きりだ。天則を捻じ曲げるのは容易いことじゃない。それでも、たった一度の奇跡に縋りたいほどに、悪天候で命の危険に晒された時に」

 ユージオはゆっくりと後ろに下がって、ムガンから離れる。ただ一度きりの希望が、その後彼らを苦しめるかも知れない可能性をわかっていても、どうしても思わずにいられない。

「一度の奇跡ぐらいの加護があったって、責められないだろう……」

 そのたった一度で失われない命があったかも知れないのだ。
 果たして彼らがそれをどう使うのかは分からない。二度目を望むかどうかも想像ができない。自己満足に過ぎないと言われれば否定もできない。
 これは礼などではなくて、祈りなのかも知れない。何かに縋りたい時の希望が、たった一つでもあるように。
 ムガンは不思議そうな顔をしながら、カゴを手に提げて黙っている。ユージオは苦しげに微笑んで、荷物を背負い直した。

「ありがとう。来てよかった」

 そうして改めて感謝を告げると、ユージオはようやくムガンとリッカ、シュエと別れて集落を出た。
 たった二日足らずの間。短いような長いような、不思議な時間だった。



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