代償 17

© 2019 sasori_bi
 ユージオの自室に本人と荷物を送り届けてすぐに引き返し、どうにか昼休みの内に学舎まで戻ることができた。が、その前に起こった出来事があまりに衝撃的だったために、放課後までアーサーはすっかり放心していた。

 クランカイトは肩に担いでいたユージオを、彼の自室の寝台に放った。そして、何を思ったか寝台に乗り上がり、ユージオを無理やり揺さぶって起こしていた。
 寝かせてやればいいのではと思いながら、アーサーも続いて部屋に入り、適当な場所に荷物を下ろす。そして、おもむろにクランカイトの方を振り返り、引き返そうと声を掛けようとしたところだった。

 無理やりユージオを起こしたクランカイトは、一体何を思ったか魔力の移譲をユージオに求めていた。

 ユージオは半ば寝ぼけたような状態のまま、曖昧に返事をしてクランカイトに手を握られるまま、彼に魔力を移しているようだった。
 そう長い時間ではなかったが、クランカイトの『もういい』という声に応じて手を離すと、ユージオはすぐに寝入った。一方のクランカイトはまた水晶を覗き込んで、何を思っているのか分からないような表情をしていたが――

 なんて心臓に悪いことをするんだ、と一連の記憶を思い返しながら、アーサーは一人頭を抱える。
 他人と魔力のやり取りをするなんて考えられない。親子、それも小さな年頃の子供ならいざ知らず、いい年をして、しかも人目をはばからず平然とあんなことをするなど。一体何を考えているのだろうか。

 当のクランカイトは何事もなかったかのようにけろりとしている。別の教室にいたルシンがやってきて何事かを話しているが、未だに動揺が収まらず話に加わることができない。
 そうしていると、ルシンがアーサーに気付き、不思議そうな顔をした。

「どうした、アーサー。腹でも痛いのか」

 アーサーはいっそう深刻な顔色になる。
 どうしたもこうしたも、どうかしているのはそっちの平然としたクランカイトの方なのだがと切に訴えたい。
 だが、クランカイトは見透かしたように軽く笑った。

「悩み多き年頃だろ。ほっとけ」
「ああ……大変だな」
「違うが!?」

 勢い任せに否定するが、ルシンは生暖かい微笑みで頷いて、そのまま立ち去った。どうやら彼の用事は終わったらしい。
 クランカイトを見ると、手紙らしきものを鞄に押し込んでいるところだった。聖宮にいる例のご令嬢にでも向けて送る手紙だろう。そういえば昨晩、クランカイトもフローレイン宛ての手紙を書いていたようだったので、一緒に送るようだ。

「帰らねえのか」
「か、える、が!」

 慌てて立ち上がり、鞄を抱えて立ち上がる。
 クランカイトも今日はユージオが戻ったため、すぐに寮へ戻るつもりなのだろう。並んで教室を出るが、やはりアーサーの内心は穏やかではなかった。

「……な、なあ」
「なんだ」
「俺の思い違いであれば謝る、が……もしかしてさっき、魔力を移譲して……いなかったか」
「ああ、した」

 アーサーはやっとの思いで疑問を口にして、少しほっとした。
 そうだろう、そんな馬鹿なことはしていないだろう。あれは俺の思い違いで、実際はいつも通りよく分からないことをしていただけで、かといって魔力を移譲していたわけでは――
 と、聞き逃しそうになっていたクランカイトの返答が急に意識の片隅に引っ掛かり、アーサーはやはり呆然と問い返す。

「した?」
「した」

 迷いのない即答に、頭を殴られたような思いだった。勘違いなどではなく純然たる事実だった。アーサーはこめかみを押さえる。

 ――したのか。

「いいい、いくら親しいとはいえだ。礼儀というか、一線というか、そういうのは……何というか、はしたないんじゃないだろうか。いや、はしたないというか……一般的にはしない行為であってだ。ましてや人前でそんな……わきまえもせず」
「お前何言って……あれ?」
「何とは何だ。俺はただ至極真っ当な一般論をだな」
「あー……分かった」

 クランカイトは特に何を気にする風でもなく、ただ何か納得したようにアーサーをまじまじ眺める。アーサーはばつの悪さに目も合わせられず、思わず顔を背けるが、聞こえる声はやはり平静を保っているから余計に混乱する。

「言ってなかったっけ? 俺の魔力の話」
「? 魔力、が……何だ?」
「その反応はそうだよな。忘れてた」

 と、クランカイトは手に持っていた水晶をまたアーサーへと放った。強制的に視界に映り込んできたものをとっさに受け止め、アーサーは怪訝な顔でクランカイトを見る。

「……魔力、が、どうしたんだ」

 あれだけ慌てふためいたのに、クランカイトがあまりにも動じないので少し落ち着いてきた。
 手にした水晶をどうしていいか分からずに握っていると、クランカイトはその手を指差す。

「俺の机の脇に、水晶が大量に入ってる箱が置いてあるだろ。あの邪魔くさいやつ」
「箱があるのは知っている。が、中身が水晶だというのは知らなかった」

 何しろ、いつもどんな悪事を働いているのか分かったものではないので、箱についても絶対よからぬものと決めつけて触れずにいた。箱が開いていたらなるべく視線を向けないように背けていたし、近寄らないようにすらしていた。
 そんなアーサーの心中を見透かしたように、クランカイトは薄く笑う。

「別にまずいもんなんか入れてねえよ。あれは、俺の体質に必要な薬みたいなもん。何だろうな、昔から魔力が濁りやすくて、水晶に濁った魔力を移して遮蔽して処理すんだ。放っておくと魔力が濁り切って、体調が悪くなる」
「魔力が濁る?」
「自分の身体を循環してるとどんどん濁っていくんだよな。汁物煮てると段々煮詰まって濃くなってくるみたいな。あんな感じ」
「その例えではあまり分かりたくないな……」
「かといって、魔力が切れるまで常に魔法を使い続けるわけにも……レインほど並外れてねえけど、俺もそこそこ魔力の量は多い方だし。拝火でくべるとやたら爆ぜて火傷しそうになるし。人の魔力を移すと濁った魔力が薄まるから、応急処置でよくやる」

 聞いたことのない症状だ。だが、今回はクランカイトが自分を謀っているとも思えない。言われてみれば確かに、同室の自分はクランカイトが水晶を手に持っている姿を多く見かけていたし、ごくたまに具合が悪そうな――今思い返せばという程度で、その時はほとんど気に留めないほどささやかな片鱗でしかないが――姿も見た。すぐに体調を取り戻してけろりとしているので、彼の体質が変わっているなど、今まで一度も思ったことはなかったが。

 アーサーは今度は別の意味で呆然とする。一方のクランカイトは、やはり悲壮感の欠片もなく、あっけらかんとした口調だったが。

「だから、あんまり魔力の移譲にどうこうっていう感覚がねえんだよな。俺にとっては処置みたいなもんで、ひと目なんか気にしたことなかった。悪かったな、驚かせた」

 およそ悪いとは思っていないような態度ではあるが、クランカイトの口から謝られるなど、思いがけなかった。
 アーサーは慌てて首を横に振る。

「詫びなくていい。……知らなかった」
「言い忘れてた」

 そんな大事なことを言い忘れるということが、あるものだろうか。
 今度は別の意味で頭が痛くなるが、とりあえず理由は分かった。

「理由も訊かず、勝手に動揺して済まない……。何というか……お前たちはとても親密だから、あの……あんなことをするから、ただならぬ仲なのではと思ってしまった。そんな事情があるとも知らず」
「なんかちょっとかなりの乖離があるようなんだけど、お前ら的に魔力の移譲ってどういう感覚なわけ? 性行為ぐらい?」
「こんなところでそんな言葉を口にするな……!」

 思わず周囲を確認するが、幸いなことに廊下ですれ違う誰かの耳に留まることはなかったようだ。
 ほっとしながら息を吐き、アーサーはどこかぎこちなくクランカイトの疑問に答える。

「そ……そこまでじゃない。が、ええと……他人の体液に触る、ような? そんな感覚が近い、だろうか……」
「なるほどな。確かに親密じゃなきゃやりたくねえわ。友達でもちょっと」
「理由はよく分かったが、今後も目の前では慎んで貰えると……心臓に悪い」

 クランカイトは果たしてどのぐらいアーサーの動揺を理解しているのか、呑気に「どうりでやたらユージオが渋るわけだ」などとのたまっている。そういえば、クランカイトは色めいた話に動じない性格だが、ユージオは下品な話題を好まない方だ。それが、寝ぼけていたとはいえよく魔力の移譲など許可したものだ。
 クランカイトの性質についてとうに承知しているのだろう。だからいくら口で渋ろうとも拒絶しないのだ。



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