代償 18

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 そういえば、先ほど少し気に掛かることを呟いていた。そうアーサーは別のことを思い出す。
 ユージオを運ぶ前にも部屋を出る前にも、クランカイトが水晶を覗き込んでいた。もしやそれで何かしら、自分の魔力の状態を確かめていたのではないだろうか。そう思うと納得するものの、一方でそれ以上にクランカイトの反応に疑問を抱く。

「……さっき、妙な反応をしていたのは、関係あるか?」

 果たしてどこまで踏み込んで聞いていいのか分からないが、隠しているつもりなかったことは分かったのでアーサーはほっとした。それなら別にこれも、聞いて問題のある内容ではないのだろう。

 アーサーは手に持ったままの水晶を覗き込み、もう一対の道具に反応する青色を眺める。
 試しに水晶に自分の魔力を流してみたが、特に変化はない。元々の魔法道具としての機能が変わらず稼働し続けるだけだ。

 しかし、クランカイトの反応はアーサーの考えていたどれとも違った。

「何とも言えん」
「……話したくないなら、いいが」
「そうじゃねえな。よく分からねえと言うのがいいのか」

 アーサーは微妙な落胆からすぐに立ち直り、クランカイトを横目で見る。今日は何だか珍しい。大声を出すのも曖昧な物言いをするのも、どれもアーサーの知るクランカイトとは少し違っている。

「いつもの応急処置したのが四日前だ。そのぐらい時間が経ってりゃ、水晶に見て分かる程度には濁りが出るし、気怠い程度には体調に影響が出る。なのに、そういうのが一切なくなっていた」
「さっきの……ユージオが帰って来た時に変な顔をしていたのは、それか」
「そう。ユージオを担いだ時、妙に身体が軽かった。変だと思って水晶に魔力を込めても、いつもの黒い濁りが一切見えない。もしかしてユージオに何か影響があったかと思って、ユージオの魔力を移して確かめたが、まっさらなもんだ。濁りがどこに消えたんだか」

 どうやらクランカイトの魔力の汚濁は、水晶に黒く反応が出るようだ。クランカイトにとっては通常見えるはずのそれが、綺麗さっぱり消え失せているというのだから、確かにそれは不思議だ。
 大いにアーサーを動揺させた行動だが、ユージオの心配をしてのものだったらしい。不調がどこに消えたかと思い、担いでいたユージオへの悪影響を真っ先に考えたのは、ひとまず納得した。

「まあ、どちらかに悪いことがあったんじゃないなら、よかった。ユージオも無事に戻ってきたし、お前もひと安心だろう」
「……腑に落ちねえけど。まあそうだな」

 まだどこか納得しきっていないクランカイトの反応に、アーサーは苦い顔をしながらまた水晶を覗き込んだ。
 水晶の中を、煙でも閉じ込められているかのようにゆっくりと青色が漂う。歩いて寮に近付いている内に、中の青はどんどん濃く鮮やかに膨らんでいく。単純な作用なのに、やはりどういう理屈で組み上げられた道具なのかまったく見当がつかない。本当に不思議だ。
 連日ぼんやりとこれを眺めていたクランカイトを思い出す。ずっとユージオの安否を気に掛けていたのだ。

 ――仲がいいといえば、その通りなのだけれども。

 フローレインとクランカイトとユージオ、よく三人一緒にいる姿を思い出す。中等部にいた頃、フローレインとユージオが恋人なのではないかという噂が立つほど親密だった。でも、どちらがより、と考えれば、クランカイトとユージオの方が一緒にいたのではないだろうか。高等学校に入った今はなおのことそうだ。
 ずっと気にしたことはなかったが、思い返せば違和感は時々あった。

 ――自分の知る友人と少し違う眼差しは、果たして親しみだけだったのだろうか。

 寮に戻り、クランカイトはユージオの自室に向かった。アーサーはクランカイトの荷物を預かると、自分たちの自室に置きに一度戻り、遅れてクランカイトを追ってユージオの自室に向かった。

 室内の寝台の上にいたユージオは、昼休みにクランカイトが放り出した体勢から微動だにしていなかった。クランカイトは寝台に膝を掛け、俯くようにユージオの寝顔を眺める。その姿を見ていると、何だか無性にいたたまれなくなった。

 ――ずっと、気のせいだと思っていたけれど、いよいよ違和感はその範疇には収まらなくなっていた。

「どうしてそんなに、ええと……仲がいいんだ?」

 ユージオを起こさないようにと、静かに室内に入る。ゆっくりと後ろ手に扉を閉めると、クランカイトの目が冷たくアーサーを見た。
 決してユージオに向くことのない、排他的な瞳だ。

「命の恩人だからとでも言えばいいのか? それとも」

 返る言葉は問いに対する答えではなく、曖昧な質問をするアーサーを突き放す言葉だった。

「もっと違った答えじゃないと納得できないか?」

 ――きっと友人ではないと、尋ねるまでもなく知っていた。

 アーサーは小さく息を吐く。ぐしゃぐしゃと頭を掻いて、部屋の片隅の椅子に掛けた。違和感はすんなりと消え去ったが、どう返事をしていいか分からない。
 困惑しながらも、アーサーはやはり疑問を堪え切れず問い返す。

「……命の恩人とは、何だ?」

 戸惑うアーサーからふいと目を背けて、眠り続けるユージオを見下ろしながらクランカイトが淡々と答える。

「昔、誘拐された時に、助けにきたのがユージオだった」

 それを聞いたアーサーがその出来事を思い出し「ああ」と小さく声を上げた。
 子供の頃、アステリア家の子供が誘拐されたことは周りで少し騒ぎになった。アーサーはてっきり攫われたのがフローレインだと思ったのだが、それは勘違いで、誘拐されたのはクランカイトだけだった。だが、軍が動いての騒動だったからよく覚えている。
 助けられたクランカイトが、怪我をしたユージオと一緒だったということも、確かに聞いた。彼はその時のことを言っているのだろう。

 けれど、クランカイトは嘲るような笑みを浮かべて振り返り、寝台に腰掛ける。アーサーは自分を嗤ったのかと思ったが、それは違った。

「でも、そんなのは建前だ。命を助けられただけで、俺がそんなに恩義を感じるわけがない」
「助けられた『だけ』……?」

 アーサーは眉をひそめる。一生に関わるような重大なことを、どうしてそう軽んじるのか分からなかった。
 だが、クランカイトの言いざまは投げやりでも自棄でもなかった。ただ淡々と事実だと認めてそれを言っていた。

「だって俺は両替商の息子で、周りが自分を助けることなんて当たり前として生きてたんだから。当たり前のことをされたところで、感謝なんてするはずがない。……これを傲慢と呼ぶなら、お前は周囲が見えていなさすぎる」

 次男とはいえ、男爵家の子息だ。長男と比べればどうしても扱いは劣るものの、それでも充分に世話を焼かれて当たり前として生きていた。クランカイトが言う通り、傲慢などではなく事実だ。

「……そうだな。そうもはっきりと言われたことは、ないが」

 静かに同意すると、微かにクランカイトの険しい雰囲気が緩んだ。無機質な声は「でもそうじゃない」と呟いて、軽く首を横に振る。

「自慢じゃないけど俺は何でも持ってたから、その価値が一つもわかってなかった。レインだけが大事で、他は全部がらくたで有象無象で、言葉を選ばないならゴミみたいなもので、なくなっても気にも留めないような存在だった」
「ひどいな……」
「そう、そんな最悪な人間をユージオは助けに来た。それは別に相手が俺だったからじゃない。ただあいつの視界にいたっていう、それだけだ」
「アステリア家の息子だからじゃなく?」

 どういうことかと疑問に思いながら問い返すと、クランカイトはゆっくりと瞬きをして肯定する。
 周囲に助けられることが当然の、アステリア家の息子だからではない。ユージオがクランカイトを助けるのは、ただユージオの視界に映っていた人間が危険に晒されていたからで、それだけなのだと彼は言う。

「目の前で何かが起きれば、魔法の使用が禁じられた礼拝堂の中、平気で魔法を使う。見知った人間が攫われたら助けようとする。相手が悪人だろうと軍人だろうと間違いと思えば糾弾する。正しい行動だと思うかも知れない。でもそれをした自分は? その後どうなる?」
「……あ」
「レインも馬鹿だけど、そこまでひどくない。自分の命の価値はわかってる。だから蔑ろにしない。なのにユージオはそうじゃない。どうなるのか分かっていて、その上で平気でそこらにいただけの他人の二の次にする」

 アーサーは知らず知らずのうちにぞっとした。
 クランカイトの話すどれも、きっと自分には動けない。誰か助けを呼びに行くかも知れないが、自分で行動できるかと言われれば絶対に無理だ。自分の価値がそれほど大層なものだとは思わなくとも、その後自分に降り掛かる災難を想像すれば身が竦んで動けなくなる。

 アーサーは自然とユージオの方へと視線を向けた。彼は違う。アーサーにとって身が竦むようなことを平気で決断するのだ。
 恐ろしくないのだろうか。自分の身がどうでもいいのだろうか。もし何かあった時に、クランカイトや自分がどう思うかなど、何も感じないのだろうか。

 連日のクランカイトの思いの一端を覗いたような気がして身体が強張る。クランカイトは吐き捨てるように呟いた。

「俺にとっては価値が合わない」
「お前がそう思うのは当然だ……」
「違う。結果的な話をすりゃ、セレスト校の中でも特別に秀でていて、それが有象無象の市民と等価だと言うんだったら、それは余りにも物の分かっていない馬鹿の綺麗事だ。何のために特待生として学費を免除されている。それは言い換えるなら投資ってことだ。その価値がある有益な人間だと見なされている証左じゃねえのか」

 アーサーは自分の誤解を自覚した。クランカイトがユージオを特別視しているから、その他と比べて重きを置いているという話ではない。周囲に認められる聡明さは事実、決して月並みな学生と同列ではないのだ。蔑ろにされていいはずがない。
 例え当人であっても。

「それをこいつは平気で投げ捨てる」

 クランカイトのもどかしさが少し分かった。ユージオを待っていた間、彼の感じていたであろう恐怖も。

「理屈に合わないことをするから、傍でユージオを見張っているのか? それは……お前の正義感か?」
「あるかそんなもん。いつからだかもうずっと俺の一部なんだから、それを平然と目の前で踏み躙られたら我慢ならねえよ」

 翠色の瞳が苛立たしげに細められる。顔立ち自体はフローレインに似ていると思うが、表情はまるっきり異なっていて、他人を撥ね付けるような気迫がある。不安の反動からこみ上げる怒りなのかも知れない。

「俺はただこいつの傍にいる理由が必要なだけだ。そうじゃないとこいつはあんまりにも身軽過ぎて、何の罪悪感もなしに、自分の衝動のために簡単に倫理を侵す。命を軽々に扱う。平気でそれができてしまう」

 親がいない。家族や兄弟もいない。ただ一人であまりにも身軽過ぎる彼を、クランカイトはどうにか繋ぎ留めようとしている。

「……恋でも愛でも依存でも執着でも何でもいい。好きだとか愛してるなんて浮ついたこじつけに意味があるなら使う。理由が必要で、誰に何を言われてもどうでもいい。俺は」

 冷たい声とは裏腹に、瞳の翠は燃えるような激しさに満ちている。

「何もかも、こいつが守ろうとするからようやく、それが無価値じゃないんだと気付ける……」

 嘘偽りも掛け値もないクランカイトの本心に初めて触れたような思いがして、アーサーは呆然とした。

「ユージオがいなきゃ生きていたくない」

 少しの間、圧倒されて言葉が出なかった。
 静まり返る室内で、アーサーは少しの間を置いて小さく呟いた。

「それは……」

 恋情なのか愛情なのか、彼の言うようにそれ以外の何かなのかも判別がつかないが、彼がユージオに対して持っている想いは確かに分かった。それが友情ではないこともはっきりした。
 それはおそらく。

「大事にしたいってことなんじゃないのか」

 ふと、クランカイトの怒りが緩んだのを肌で感じた。
 思わず目を丸くしていると、当のクランカイトも少し呆けたような顔をして。

「……そんな簡単な話かよ」
「自分の大事なものを粗末に扱われたら嫌なのは当たり前だろう。例え本人でも。……それが分かっていたから、お前はずっとあんなに心配していたんだな」

 納得しながら答えると、クランカイトはやや気抜けしたように息を吐いた。

「人から言われると腹立つな」
「なんでだ!?」

 思わず大声を出してしまったアーサーを窘めるように、クランカイトは口元に人差し指を立てた。アーサーは慌てて一度口を閉じ、ユージオが変わらず寝入ったままであることを確かめて胸を撫で下ろす。今目を覚ましたら、どんな顔をして彼の顔を見ていいのか分からない。

「でもまあ、そうだな。……それだけなのかも」

 どこか腑に落ちたというような呟きに、アーサーはようやく身体の力を抜いた。
 間に誰も入れないような結びつきがあるとずっと思っていたけれど、こうしてクランカイトが本心を語ってようやく納得した。

「時々、お前たちは不思議な関係だと思ってたから。友達じゃないというのも、その方が理解できる。……だから何か変わるというわけでもないが」

 二人の関係が思っていたものと違ったところで、自分と二人の関係性が今までと変わるわけではない。強いて言うなら、フローレインとユージオがどうという噂に動揺していた過去の自分がいっそう滑稽に思える程度だ。
 そう気付き、アーサーは思わず自分の顔を両手で覆って呟く。

「……そうとも知らず、フローレインとユージオの仲を疑った自分が今は恥ずかしいな……」

 心の底から呟くと、当のクランカイトに「確かにな」としれっと答えられ、果たして責めていいのかどうか分からなかった。



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