代償 19

© 2019 sasori_bi


 どれだけ深く寝入っていたのだろう。
 ふと気が付いて薄らと瞼を開くと、部屋の中がすっかり暗くなっていた。
 まだ日の高い内に戻った記憶はあるのだが、疲れて眠り込んで、今はすでに夜だ。霞む視界でぼんやりと天井を見上げてそう理解すると、ユージオは全身の強張りを解くようにして寝返りを打つ。

 そして、視界に飛び込んできた金色に、それまで霞みがかかったような意識が急にはっきりした。
 隣にクランカイトが寝ていた。

「カ……」

 名前を呼ぼうとして、とっさに思い止まった。意識がはっきりしているとはいえ、この状況がよく分からない。
 動かないようにゆっくりと視線を巡らせて、自室であることを確認していると、ユージオの身動ぎに反応したのか、クランカイトがうっすらと目を開いた。
 目が合った、と思ったが、どこか焦点は合っていない。ただ、ユージオが目を覚ましたことは理解したのか、眠たげな声音で尋ねてくる。

「起きたのか。……起こそうか迷ったけど」

 その内に寝ていたと、欠伸を零しながらクランカイトは言う。が、まだ双方起き上がろうとはしないまま、もぞもぞと寝台の上で伸びをする。何しろ狭い寝台なので肘が脚がどうしてもぶつかった。

「消灯時間は」
「過ぎてるんじゃねえかな。寝てるから放っておかれたのか」
「……それは」

 この状況を見られたということでは。
 そう思ったが、衣服はちゃんと着ているし、今回についてはやましいことはない。二人揃って疲れて寝ていただけの話で、同じ寝台にいるのも、個室で一つしか寝具がないので言い逃れはできる範疇だ。いや、そうであってくれ――と半ば祈るように自分を納得させる。

 疲れ切って深く寝入っていたせいか、まだ身体は重い。視界ははっきりしてきたが、どうしても億劫でなかなか身体を起こせない。身体の痛みも少しも癒えていないどころか、緊張が解けていっそう痛んでいる気がする。

「腹減ったな。軽食持ってきてよかった。鍵閉められてそうだし」
「……無断外泊で怒られないといいが」
「施錠番が起こしてくれりゃいいだろ。怒られんのはさすがに納得いかねえな」

 クランカイトは先に身体を起こして深く息を吐く。
 ユージオの場合は自室で寝ていただけなので咎めがないとは思うが、この状況は自分が寝ていたことが原因なので、クランカイトだけ叱責を受けるのも心苦しい。
 そうであって欲しいと思いながら、ユージオは思い出したようにぽつりと呟く。

「……ただいま。って、言ったか」
「聞いたな。おかえり」
「渡したのは? あの草。帰ったら調べようと思ってたんだが」
「開口一番に聞くことじゃねえんだよな」

 尋ねた後に寝入る前の記憶が蘇り、そう言えば怒鳴られたなと思い出す。詫びるべきだろうかと今になって冷や冷やしたが、すでにクランカイトが怒っている素振りはない。どころか、植え替えてあるとどこか可笑しそうな返答があった。

「で、どうだった?」

 寝ていた名残で跳ねた髪を直しながら、クランカイトは何気なく尋ねてくる。
 ユージオは少し考え込んだ。たくさん話したいのに、話したいことが多すぎて詰まってしまったようにすぐには出てこない。

「……色々と、思うところはあるが」
「?」

 考えた後、結局何の目的であの場所に行ったのかを思い出し、端的に説明する。

「結論だけかいつまんで言うと、レガ信仰が消えて、ブリード教信仰だけがあった。あったはずのレガ信仰の記憶も、集落の人間にはなかった」

 クランカイトは怪訝な顔をした。
 どういうことかと言いたげな表情だが、その気持ちもよく分かる。アタルヴァで耳飾りを着けた集落の人間たちを見た時のユージオと、おそらく同じ気持ちだろう。

「確証はないから絶対とも言えないが、おそらく魔法で記憶に干渉してレガ信仰の記憶をブリード教信仰に置き換えている」
「……俺とレインの記憶を弄くったっていう、礼拝堂の魔法か?」
「可能性はあると思う」

 まったく同一の魔法かは分からないが、ユージオが知っている、人間の記憶に関わる魔法はあれだけだ。未だ《地の底》でさえ人間の記憶に干渉する魔法の記述は見つかっていない。存在しないとも言い切れないが、一番可能性が高いのはやはり聖職者が知る何らかの魔法だ。

「レガ信仰があったはず、っていうのは、間違いないのか」
「集落から離れた場所にレガ信仰を知っている人がいた。彼女だけがレガ信仰を覚えていて、ある時から急に皆がブリード教を信仰し始め、ずっと昔からそうだと言い始めたのだと話していた。集落には聖職者や巫女がいなかったから、彼女がそこに住んでいることに気付かなかったのかも知れない」

 集落から離れて、林の中に隠されていた。ユージオもアタルヴァに泊まらずに帰っていたら、きっと気付かずに立ち去っていただろう。
 ――何年も前のことだと彼女は言っていた。
 ただ、その口振りからは十年は経っていないのだろうと思った。だから、ある考えがふと頭を過ぎって、それきり染みついたように離れなくなった。

「……これは本当に、推論でしかないが」
「どうした」

 ユージオは顔色を曇らせる。あんな険しい道のりを越えてまで、わざわざあの場所に足を伸ばした理由を考えると、他に思い付かなかった。
 彼らが殺されてから、まだ十年は経っていない。だが、何年も前だというのもまた事実だ。

「ヴェーダたちの一件をきっかけにして、アタルヴァへ……聖職者や軍人が向けられたんじゃないか、と……」

 思わず目元を腕で覆う。自分が冷静な顔ができているのかどうか自信がない。
 ヴェーダたちの騒動があったがために、アタルヴァに根付く他信仰を放置しておくことができなくなった。だから、アタルヴァの人間は記憶を消されて、レガ信仰が消え去ったのでは。そう思ってしまった。

「そうじゃなくちゃ、あんな、辿り着くのに困難な場所へ、行く理由が……なくて……」

 ――仮にそうだとするならば、引き金を引いたのはやはり自分だ。

 自分がフローレインに報せを遣ったがためにヴェーダたちが殺されて、シュエの家族を奪って、信仰のことでアルマナを孤独にした。確かに彼らの故郷のことが知りたくてアタルヴァへ向かったが、これほど取り返しのつかないことになっていたとは思いもしなかった。
 クランカイトが小さく息を吐く音がした。衣擦れの音がして、寝台から降りる気配がする。

「それで? そこの連中がお前を恨んでいるって言ったのか?」
「……言わなかった」

 クランカイトはあっけらかんと「だよな」と答えた。

「覚えていないものを恨みようがないだろう」

 まったくもってぞんざいな態度だった。
 だからといって他人の大切にしていたものを奪ったことに変わりはないのに――と複雑な気持ちで思っていると。

「ほら。晩飯抜かれたろ。食った方がいい」

 机に置いていたらしく、クランカイトがユージオの鼻先に軽食を差し出してくる。
 面食らってクランカイトを見上げながら呆然とそれを受け取り、ユージオは「ああ」と間の抜けた返答を口にした。クランカイトも自分の分を齧りながら言う。

「どうせ遅かれ早かれ同じことしてたろ。それでもお前が悪いと思うなら、記憶を戻す方法でも探した方が有益だ。食って落ち着け」
「……そうだな」
「しっかし、無事に帰って来て何よりだ。道中夜盗に襲われたり獣に襲われたり崖から落ちたりしてんじゃねえかとさすがに冷や冷やしたからな」
「………………そうだな」

 辛うじてそう返事をしたものの、返ってきたのは不審がるクランカイトの視線と沈黙だった。


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