代償 22
© 2019 sasori_bi
長期休暇を前に、生徒たちはどこか浮足立った気配で満ちている。
朝から各寮で朝礼が行われ、各寮長からの話があった。大抵は危機管理というのが主旨の注意喚起で、それについては中等学校時代と大して変わりなく、耳半分で聞いていた。しばらくは寮に残るつもりだったし、そうでなくともアステリア家で手厚く保護されている身分で羽目を外すようなことはない。
終わった後、ユキシロを探しに校舎へ行こうと《地の底》への鍵を手に、談話室を出て行こうとした時だった。
それまで前に立って話をしていた寮長のノイシュが声を掛けてきた。
「そこ、厳重注意だ。個部屋だからといって誰か連れ込むのは感心しないぞ」
昨日、自室にクランカイトを入れたまま就寝時間を過ごしていたばかりだ。思い当たる節があり過ぎた。
冗談めかした物言いに、やはり彼の耳に入っていたかと気まずい思いで立ち止まり、ユージオは否定する。
「いえあの……そのことなら、すっかり寝入ってしまっていて、規則を破るつもりは……」
「何てな。クレイオから話は聞いてな。どうせ寝ていたのだし、いないわけでもないからそのまま施錠していいことにしておいた。遠出していたようだな」
急にアーサーの名前が出て、不思議に思ってユージオが部屋にいた彼へと視線を向ける。
目が合ったアーサーは、何か察したらしくこくこくと頷いて見せた。彼の方からノイシュか誰かに事情を説明したようだ。疲れているからと気遣ってどちらも起こさないでおいてくれたのかも知れない。
規則違反かと冷や冷やしていたが、今回は見逃してくれるようで安心した。
「文化調査で少し。先生方には許可を貰っていましたし、外泊届も出していきました、が……」
「一言声を掛けてもくれんとは、何とも水くさいことだ。寮長として己が不甲斐ない思いだ」
「そ、それは……すみません。急に思い立ったもので、慌ただしく出て行きまして……」
わざとらしく溜め息を吐くノイシュにちくちくと罪悪感を刺激される。完全に失念していたが、確かにそれが礼儀だった。
後悔しながら以後は気を付けますと神妙に答えると、ノイシュが「よろしい」と破顔する。
「無事戻ってきたから、あまり喧しいことは言わないが、山は人も気候も色々と難しい場所だ。今後、単身行くのは控えた方がいいかも知れないな」
「肝に銘じます……」
「それでだ、話したかったのはこれでなく」
てっきり第一声が外出がらみの叱責だったので、その話だと思っていたのだが、予想外の言葉にユージオは首を傾げる。
個別に注意されるようなことは遠出の他に思い付かない――と思っていると、すぐにノイシュからはその答えが寄越された。
「この間聞かれただろう。流行病の記述の本について」
ぱっと記憶が甦り、ああ、と思わずユージオの口から声が漏れる。
以前セレストの街へと一緒に外出した際、奇妙な流行病の記述がある本の話をしていた。探してくれるとは言っていたが、まさか多忙な彼が本当に時間を割いてくれるとは思わなかった。
だが、よく考えれば言いっぱなしにするような不義理な人でもない。ノイシュは腕組みをして思案げに低い口調で言う。
「あれなんだがな、結論を言うと現時点では見つからなかった。本の題名も定かではない。今後自力で見つけられる可能性もおそらく低い」
顔色を変えることなく「悪いな」と言い放つ彼へ、ユージオは首を横に振る。端から難しいと思っていたことだ、見つからなかったと言って貰えただけで充分だった。
「いえ。探して頂いたようで、ありがとうございます」
「でもって結論以外の話なのだが」
「結論以外……?」
話はこれで終わりではないのか。
談話室の出入りを塞がないよう扉の前から移動しながら、ノイシュは少し釈然としていない様子で続けた。
「あれは古語で書かれていた。それこそスヴァローグ�T世の治世の時代のものだな。訳しながら読んだせいで厳密な言葉の詳細は覚えていなくて、しかも内容の一部をたった一度読んだきりだ。記憶に間違いがなければ場所は自宅だったはずだが――それっきりあの装丁を屋敷で見掛けたこともない」
「……ご自宅に?」
ノイシュはこくりと頷く。ただ、その表情はやはりいつになく冴えない表情のままだった。
「となると、父か兄弟か誰かが持ち込んだものだろう。皆古語は学ぶからな。だから、自力で見つけられる可能性は低いが、誰かしらに当たってみれば見つかるかも知れない――聞いてはみるつもりだ。だが……」
歯切れの悪い物言い。矛先に迷うような視線。普段の明朗快活な彼からは想像できない沈んだ声色。飛び抜けて彼と親しいわけではないユージオですらも、何だからしくないと思った。
「……もっと詳しく見ておくべきだったのか、寧ろ見ずに幸いだったというべきなのか」
――一体何を思っているのだろうか。
「寮長……?」
そんな反応をされてしまうような頼み事だっただろうかと、今さらユージオは狼狽える。何だかそれが――見てはいけないもののように彼が思っていることが不思議だ。
しかし、次に視線を上げたノイシュの表情は、普段の飄然としたものにすっかり戻っていた。その心情を推し量れずにいるユージオへと、いつも通りの微笑を向けた。
「ああ、無論見つかる方が望ましいと思っているからな。聞いておく」
何でもない様子でそう言われてしまうと、どうしたのかと尋ねることもできなくなった。
ユージオは諦めたように頷くしかできない。
「ありがとうございます」
「何を思ってかたまたま手に取った内容でな。不確かなことばかりですまないが休み明けまで待ってくれるか」
もちろんと答えると、ノイシュは気が済んだようにまた話を変えた。
「用事はそれだけだが――こんな日まで《地の底》に行くのか?」
鍵を手に談話室から出て行こうとする姿を見て、そう推察したのだろう。ユキシロやユージオが持っている《地の底》へ繋がる鍵だ。これがないと出入りができない魔法道具で、学内にも他に何人かはこれを持つ人間がいる。見覚えがあるのだろう。
ユージオはええ、と答えた。
「ユキシロに用が」
「ユキシロ、なら……今日は《地の底》にはいないかも知らん」
ノイシュは嘆息混じりにそう言った。
「大抵あそこはあいつの避難場所ではあるのだが、講義がないなら逃げる必要もないしな。地下図書館の三階を当たってみるといい」
「地下図書館……の、三階?」
一階層と言ってもそれなりに広さがある。手当たり次第に探すのか――とユージオが思っていると、それを見透かしたように「棚の裏に通路があるあの辺りだな」と付け足した。
そして、急に今度は嫌いな食べ物を口にしたような渋い顔をした。
「ああいや、当たってみるといいと勧めはしても、正直行かない方がいいとも思うが……まあ、今さら幻滅するようなこともないだろうし」
ユージオは胡乱な眼差しをノイシュに向けた。今日は何だか嫌に歯切れの悪い物言いばかりする。確かにユキシロに関しては現時点でその素行不良に充分幻滅させられているし、今さら一つ二つ増えたぐらいでどうとも思わないだろうが。
「なんですか、その引っ掛かる言い方は……」
「気にするな。取り込んでいても邪魔してやっていい」
「そんな厚かましいことしなくていいです」
おそらく取り込んでいるかも知れない――ということなのだろうが、今日は講義がないので充分に時間がある。ノイシュがどんな用事を想定しているのかは分からないが、他の用事が終わるのを待てない理由もない。
何の約束もなしに向かうのはユージオの方だ。後回しにされるのは当然のことだろう。
だが、ノイシュはそうではないと首を横に振った。
「優先順位の話だな。明らかに君が上だ」
そう言って、よい休暇をと軽く手を振り、ノイシュはユージオの前から立ち去った。
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