代償 24

© 2019 sasori_bi
 不思議がるユージオには何も答えずに、それにしても、とユキシロは首を傾げた。

「アタルヴァで何かあったのか。私に用事があるんじゃないのか」

 尋ねられて、ユージオはすっかり失念していたところの本題を思い出す。

「……ああ、ある」
「聞こう」

 ようやくユキシロが衣服を整え出す。さすがにその姿で話を聞くつもりはないのだろう。同性相手だと分かっていても何だか少し直視が躊躇われたのでほっとした。
 ユージオは手を組みながらぽつりと問い掛けた。

「呪いというのは、あると思うか」

 ユキシロは思案げに一度目を伏せた。少し黙った後、視線を上げて答える。

「君の想定している『呪い』と、私の想定している『呪い』が一致しているか自信がない」
「巷で語られる漠然とした――恣意的な不幸の話じゃない。実害がある。例えば、腑分けして異常が見当たらない獣が死んでいたとか」
「なるほど」

 ユキシロは意外なほどすんなりと頷いた。

「なぜそれが呪いに繋がった?」
「アタルヴァにいた人が、獣が死ぬ数日前に、その獣に黒い靄が掛かっているのを見たと言っていた。彼女ははっきりと呪いだとは言わなかったが、あの土地でしか起きない病がたびたび起きていて、それを呪いと呼ぶ風習があって――そこから色々あって、靄の話を聞いた。彼女は、あれが呪いなのではないかと考えているんだと思う」
「土地の病?」

 ユージオは「それは呪いじゃなかった」と首を横に振る。ユキシロも本題ではないと思ったのか深く追求してこなかった。後回しにしただけなのかも知れない。

「人を害する呪いがあるかどうかということか」
「昔、俺の母親が病で命を落とした時、礼拝堂の巫女たちは『呪いを受けた』と言った。本当に呪われて命を落とすことがあるものなんだろうか」

 母であるアルシーナが病だったのかどうか、今では確かめようもない。亡骸はとうに土に還った。
 呪いがそもそも病であるなら、腑分けして異常がないというのがおかしい。見つからなかっただけかも知れないが、仮にそうだとして、アルマナがたった一度の腑分けでそれを判断するとも思えない。おそらく二度三度、あるいはもっと同じことを繰り返したはずだ。
 ユキシロはユージオへと身体を向けて座り直す。

「『呪いを受けた』なんて物言いは、病と呪いを混同しているな。必ずしもそうじゃない。そもそも、呪われたという物言いも厳密じゃない」
「違うのか」
「そもそも人間に他を呪う術がない。いや、ないと断言するのは尚早だろうが、現時点で私は聞いたことがない。仮にあるとしても魔法との区別が極めて困難だ」

 それはユージオも同じだ。《地の底》を引っ繰り返しても、今のところそんな記述は見当たらなかった。自分の知らないどこかに存在する可能性は排除し切れないが、現時点では知らない。

「だから君の母親が『呪いを受けた』から亡くなったというのは正しくない」
「俺もそう思ってる」
「病のように徐々に人体に影響を与える魔法も……仮に教会が隠し持っているとしても、彼らは戒律に縛られる身だ。不用意に使えない。となると病だったのかも知れないが、呪いでないというのはやはりこれも断言できない」

 呪われたという事実はないにしろ、アルシーナが命を落としたのが病だったのか呪いだったのかは、どちらの可能性も捨て切れないと、ユキシロは首を横に振る。

「そもそも、君の質問であるところの、呪いが存在するかということに対してだが、私には断言できない。少なくとも私の目では見て確認できない。形があるのか法則に近しい何かなのか確かめようがない。それが本当に命を脅かすかどうかも含めて」
「『悪魔』は?」

 ユキシロは少し意外そうな顔をした。

「私の認識では概念的な話になるな。例えば猟奇的な人間に対する蔑称とか」
「そうか……」
「宗教的な象徴としての呼称とか。ただ、そういえばブリード教の経典では一度もその記述がなかった。宗教として多くは、法とは別に正邪の定義を引く。倫理観に近しい。そのために、悪しきことやものを悪魔、あるいはそれに類する名前で呼んで定義するのは比較的定石だ。他の宗教の調べ書きには幾つかその名前が見られたが」
「違う名前になっているのか」
「いいや。ただ対象化していない。あるいは――その概念や超自然的な存在が必要になる記述がそもそもない。意図的か、偶発的なものなのか、どちらかは分からない」

 少なくともその単語は経典の中に出てこないし、同様の概念を持つ言葉も出てこない。誰かが意図して排除しているのか、偶然そうなっているのかは、現時点では判断できない。
 言われてみればとユージオは経典の中身を思い出す。悪魔という記述を見た記憶はない。言葉としては用いられるにも関わらず。
 ユキシロが不満げな顔をした。

「……一度意識すると何だか収まりが悪いな」
「何となく、悪い何かだとしてずっとその言葉は認識していたが。ガレシアではブリード教以外の宗教がほとんど信仰されていないのに、そういえばどこから来た言葉なんだ」
「ブリード教の国教化、つまりガレシア建国以前に多様な宗教があったとは考えられている。その名残かも知れないが」
「ブリード教では使われないってだけのこと……か?」

 単純にそれだけの話なら面倒はない。この話はここで終わりだ。建国以前の古い言い回しが今も残っているという、それだけのことなのだから。
 ――ただどうしても、そうでなければという邪推を拭えない。
 ユージオはどうしようもなくなり溜め息を吐いた。

「ブリード教が出てくるといつも結論が出ないまま行き詰るな」

 ユキシロも首を横に振る。

「君の期待に応えられず済まない」
「誰かと話したかっただけだ。気が済んだ。ありがとう」
「それこそアステリアでなくていいのか?」

 もっともなユキシロの指摘に、ユージオは顔色を曇らせる。
 普段ならそうしていただろう。何かあれば一番に相談するのが彼だ。けれど、今回はその彼のことで疑問があった。

「カイトが……呪われているかも知れないと思ったから。相談できなかった」
「君の母だけでなく?」
「カイトも。……いや、実際何だか分からないんだが、体質が奇妙で、その原因も不明で、もしかしてと思っただけなんだが」

 母も原因は不明だと書いていた。魔力の異常なのだから病とは異なるものだろう。呪いであったら――と頭に過ぎってからずっと落ち着かなかった。

「まあでも……誰かに恨まれて呪われたというのじゃないようだから、それは安心した」

 ユキシロは淡く微笑む。

「心配しているんだな」
「あいつは馬鹿だから、悪魔に魂を売り渡した代償だと、自分でそう言うんだ。……何だかずっと気に入らなかった。自分がそうされて仕方がないように言うのが、腹が立つ」

 フローレインが苦しむ姿を見て、なりふり構わず助けたいと願っただけだ。それを自ら悪し様に言うから気分が悪かった。
 不満げに眉を顰めるユージオに、ユキシロはどこか考え込むように視線を遠くへ投げ遣った。

「悪魔に魂を売り渡した代償……」
「すぐにそういう、自虐的な物言いをするんだ。馬鹿だから」
「いや――」

 それきり口を閉ざして何かを考えている様子のユキシロに、ユージオは不思議そうな視線を向けたまま、彼の中で結論が出るのを待った。


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