代償 25

© 2019 sasori_bi
 少しの間何をか考えて沈黙が落ちた。
 何がそれほどに彼を考え込ませる要素だったのだろうかと先ほどの会話を反芻していると、その内にユキシロは顔を上げた。

「そういえば忘れそうになっていたが、君に恩返しをしなければ」

 まったく予想していなかった話題の変わりように、ユージオは怪訝な顔をする。

「恩返し?」
「耳飾りを貰った」

 耳飾り、とユキシロの言葉を繰り返し、遅れて何のことだか思い出した。
 初めて会った日に耳飾りをなくしたと言ったユキシロに、自分が持っていた耳飾りを渡したのだ。
 恩と言うほどのことではない。どうせ使い道もなく余していたのだ。ユキシロに会うこともなければきっと、失くしていても困りもしなかっただろう物だ。

「必要ない。《錬金術師》の過去問を持ってきてくれただろう」
「そんなことは何の恩にもならない。私はそれが君相手でなくともそうしただろうし」

 そんなことを言っても――と微妙な表情になるユージオに、ユキシロはゆっくりと目を細める。

「報いたいと言うのなら、資格を得ていい官僚にでもなってくれ」

 官僚、とユージオは繰り返した。それを志して受けた試験ではなかったつもりだが、そもそも《錬金術師》の試験がその適性を測るためのものだから、彼がそう言うのも自然なことなのだろう。ユージオにとってもぼんやりと選択肢の一つには入っていた将来だが。
 なぜ自分に言うのだろうと首を傾げる。

「ユキシロの方がなるんじゃないのか。試験を受けているだろう」
「初級はな。上級は受けていない」
「?」

 てっきりとうに受けているものかと思っていただけに、なぜという思いがつい表情に表れた。
 それを見てユキシロは微笑む。どこか青白い顔色はなぜか、触れると溶ける雪を思い出させた。

「私はな、ユージオ。青い血の人間なんだ」

 ――青い血の人間。

 すぐにそれが何だか思い出す。それは、初めて会った日にユキシロがユージオに対して言った言葉だった。

「外見上は同じ姿をしていて何も差異はない。中には差異があったとしても、それは君と同じ『赤い血の人間』に見られるような差異に留まり、何も取り立てて特別なことはない。言語も同じくしている。喜怒哀楽、感情表現も同様で違いはない。ただ、その肌の下に流れているものが違う」
「いきなり……何を言っているんだ」
「この国の人間であることは変わらない。生まれは違えど、育った郷里はここなんだ。魔法があって、豊かで、戦火もない、このガレシアの民だ。でも――私は君とは違う」

 ユキシロは以前言った。同じ礼拝堂育ちのユージオに親近感を抱いているのだと。けれど同じ口で違うのだと線を引かれて、急に突き放されたような思いになる。
 確かに彼は留学生として扱われると言っていた。異国の顔立ちや肌。けれど、それがどれほどに違うのだろうと不思議に思う。
 ユキシロは懐かしそうに目を細める。

「昔は官僚になろうと思っていた。そのために《錬金術師》の試験を受けた。私はずっと才に恵まれていて、当然その資格があると思っていた」

 なぜ過去のことのように話すのかと訝るユージオの一方で、ユキシロは微笑んだまま溜め息混じりに呟いた。

「……いくら知恵が働こうとも、世間知らずの子供でしかなかったんだな。長ずるにつれて、それが間違っていたことに気付いた」
「なぜ。なればいいだろう。官僚に」

 なぜかユージオは焦燥に駆られながら尋ねる。対照的にユキシロは落ち着いていて、それがいっそうユージオの焦りやもどかしさを助長した。
 こんな時に脳裏に過ぎるクランカイトの言葉がある。

『自棄とか』

 ユキシロはどこまでも穏やかだ。もうとうに――何もかも踏ん切りがついているとでも言うように。

「この国では現在に至るまで一度も異国人に官僚の職を与えられたことはないんだ。この学校でもそれは同じで、私は一留学生にしかなれなかった。この国を故郷として育ったにも関わらず」
「馬鹿な。何を理由に」
「理由はない。ただの慣習だ。異国人だからと辛く当たられることはない。ただ排除されるだけだ。何の言葉も悪意もなく、私は異なる者なのだと――ゆっくりと、時間をかけて思い知らされ続ける。同じ言語を持っていようとも私たちは相容れない」

 知らなかった。
 身近に異国の人間がいない。仮に姿を見てもそれは大陸に市民権を持つ異国の人間だ。ガレシアの民として生きる異国の人間がいることさえも、ユージオは知らなかった。異教徒への圧政ばかりに目が行って、どんな立場にあるのか考えたこともなかった。
 ユキシロはふいと顔を背ける。

「なぜ未だ故郷には亡命した私に支援してくれる者がいるのか、わかるか。ユージオ」

 唐突に尋ねられ、ユージオは面食らいながらぽつりと答えた。

「あんたを必要としてる、から……?」
「そうだな。私の血にはまだ利用価値があって、担ぎ出したい人間がいる。そういうことなんだろう」

 ――彼は一体何なのだろう。

 ガレシアの外から亡命してきたと言うからには、命の危険があったのだろう。けれど、一般市民であればとうに母国との縁は切れているはずだ。それが叶わないのはおそらく――母国で未だその価値を持つ血筋の人間だから。
 それがどこかは分からないが。

「見ず知らずの故郷に戦火を振り撒くために担ぎ出されるのか、何も成せないのにただこの国で目的を見失って生きるのか。私にはどちらかしか選べない。何だか私はこの頃ずっと――自分が何なのか分からなくなってしまった」
「……ユキシロ」
「新たな道を作るなどという大それたことは、もう考える気力もない。とうに失くしてしまった。私は正気でいられない――いたくない。生きていて楽だと思えるのは眠っている間と欲に溺れている間だけだ」
「そんなこと!」

 もどかしく声を荒げるユージオへ、ユキシロは微笑んだままゆっくりと首を横に振る。

「怠惰なことだろうがもう、他に道を探そうとも思えない――」

 何も言えなくなってしまった。
 苛立たしかった。
 ユキシロに対してではない。ただ、儘ならないことに何もかも諦めるユキシロをそうさせた――自分も含めた『赤い血の人間』が。そして、未だ私欲のためにユキシロを利用しようとする彼の母国の存在が。
 それでもユキシロはもう、立ち向かう気力もなくなるほどに――充分すぎるほどに自身の自由を奪われてしまったのだ。
 どれほど言葉を尽くそうともきっと、今さら彼には届かない。
 だが、ずっと平気そうだったユキシロが急に表情を曇らせた。

「私は自分が異国人だと思い知ると同時に、恐ろしい考え違いをしていたことに気付いてしまった」
「考え違い……?」
「両親は、大陸の神を信仰していた異教徒だ。それを知ったのは《地の底》で、両親の形見の法具の資料を見つけた時だった」

 ユージオは息を呑む。まさかと思った。いや、本当は彼がこれから何を言うのか、無自覚だが分かっていた。
 だから、続いた彼の言葉が、奇妙に腑に落ちてしまったのだ。

「……実の親を殺した神が育ての親だと――どうして私は考えずにいたのだろうな」

 礼拝堂に育てられてきたのに、その礼拝堂こそが両親の死に加担していた。それを知ったユキシロの想いは果たしてどれほど悲痛なものだったのだろう。
 けれど、次にユキシロが浮かべた表情は、やはり先ほどと同じ諦めの滲んだ微笑みだった。

 ――なぜそんな顔ができるのかが、ユージオにはよく分からないまま。

「実の両親の記憶がないんだ。恨みに思っているわけでもない。けれどもう、礼拝堂を家族だとも思えない」
「恨んでいない、のか」
「よく分からないんだ。……考えたところで、この先どうなるものでもない」

 割り切っているというよりも、投げ出してしまったと思うのは、自身の考え過ぎなのだろうか。
 ユージオ、と彼は自分の名前を呼んだ。――その彼の微笑みが今は、ぞっとするほど儚く見える。

「けだものは案外人間の中のどこにでもいて、人間の振りをして混じっている。排斥されるのは正しく罪が明るみになり自浄作用が働いている証だが、そうではないのは――誰かがけだものを守ろうとするから」

 言いながらユキシロは腰掛けていた机の天盤から降りた。
 衣服を直し、髪を結び直しながら続ける。

「なぜ守るのか私も理由を知りたいと思う。けれどそれ以上に、君に知って欲しいと思う」
「……俺?」
「そうだ」

 ユキシロは今度はどこか嬉しそうに笑った。先ほどまでの昏く影を落とした微笑みとは違う、生き生きとした晴れやかな笑顔だった。

「私の身勝手だ」

 先ほどまでの話などとうに忘れたかのような表情を向けられ、ユージオは沈んだ声色でやるせなく呟く。

「……また、身勝手か」
「そうだな。だから、何にもならなくていいんだ」

 軽い足取りで足場の方に向かう背中を視線で追うと、棚の陰に姿を消す前に彼は一瞥だけ振り返った。

「私は君と会ってから勝手に楽しいだけなんだから」

 そう言ってユキシロはどこかへ立ち去った。


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