代償 26

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 議会が閉じた夕刻、王城の広間は歓談の場として貴族や官僚たちの姿で賑わっていた。議会が開催されている期間のいつもの光景で、夜の間中、楽師の演奏と大量のブドウ酒が垂れ流され続ける空間だ。
 広間を彩るのは着飾った良家の子女や妻女たちだ。見慣れない顔があるとたちまち噂話の対象になる。だから、わざわざ自分から尋ねなくとも氏素性はそれとなく知れるし、もれなく下卑た噂話もついてくるのだから、小一時間いるだけでもういいというほどの世間話に埋もれた。
 疲れて一息吐くために歓談の輪から抜けようとしたイージアスだったが、それより早く後ろからしゃがれた男の声が掛けられる。

「ロードレッド候」

 振り返ると、恰幅のいい派手な身なりの男性が立っていた。
 メディナ伯爵と、若い娘――今年城に上がったばかりとの噂の対象になっている彼の娘だった。
 逃げそびれた――と心の中で悪態を吐きながら、イージアスはメディナ伯の方へ身体を向ける。相手は例の娘をイージアスの前に押し遣った。

「今年初めて城に連れてきた娘なのですが、ぜひあなたにご紹介を」

 まだ初々しさを残した顔立ちは、成人してそれほど経っていないように見える。
 紹介されたところでこの場を去れば顔すら忘れるようなものだがと心中ではぼやきながら、おくびにも出さずにイージアスは尋ねた。

「おいくつにお成りですか」
「アリュシアと申します。十七でございます、ロードレッド候」

 未だ独り身であるイージアスに対して娘を紹介する貴族たちの思惑などは、大方知れているものだ。
 イージアスの質問に答えて丁寧にお辞儀を見せる少女から視線を外し、メディナ伯へと薄く微笑む。

「歳なら私の義子との方が近いでしょうね。話も合うでしょう。呼ばせましょうか」

 善意を装いながらも、少女への関心がないことをまるっきり隠さずに尋ねると、さすがに少女の微笑みは戸惑った表情に変わった。
 メディナ伯もわずかに困惑を滲ませて答える。

「いえあの……娘は侯とぜひお話をと」
「仕事の話でしょうか?」
「世間話ですよ。いけませんか?」
「生憎と仕事漬けの身で、年若いご令嬢を楽しませられるような話題もありませんが」

 取り付くしまもないようなイージアスの返答に、居た堪れない様子になった少女は、メディナ伯に向かっていいというように首を横に振る。
 一歩後ろに下がった少女の代わりに、メディナ伯がイージアスに近寄り、周囲を憚るような抑えた声でぽつりと尋ねてくる。

「……誠に彼に家督を継がせるおつもりですか」

 彼と言うのはウルスラのことだ。
 ウルスラがいずれロードレッド候を継ぐことについて、皆が懐疑的な立場だ。こうした質問を受けることも一度や二度のことではないし、ウルスラを養子にした直後などは議会で糾弾さえされた。彼らに言わせればイージアスが貴族の責務を放棄したことになるらしい。
 家の存続を投げ出したと責められるのも今さらのことで、イージアスは顔色を変えなかった。

「何か問題が?」
「前例がないでしょう。王がお認めになるか」
「養子として迎える際に伺いを立てました。特に何も問題はございませんでしたよ」

 孤児を引き取ると言ったし、少なくとも表向きはブリード教徒だ。生国がどこで、何の血を引いているのかなどは、当人さえ知らないのだから答えようがない。王には孤児に慈悲をかけたと見られて深く問い質されることもなかった。
 だが、メディナ伯は納得していないようだ。

「そうは言っても、大陸の出身。彼が金銭に目が眩んで母国と通じていないと、なぜ断言できますか。お考え直しになるのがよろしいのでは」
「幼少の頃より放浪して母国も知れず、はるばるガレシアまで金で売られてきた元魔法兵が、一体どこと通じるのだと? このまま大人しくしていれば金も地位も手に入るものを、はした金に目が眩んで国を売る? 考えられない話ですね」

 そもそもはした金で動くような真っ当な輩であれば、ここまで手を焼くこともないだろうに――とイージアスは内心苛立たしく呟く。ウルスラはあのよく分からない、拗れて歪んであちこち外れた思考回路の中で、自らの関心の赴くまま動く人間だ。金や地位欲しさに行動するなどという簡単な発想がいっそ羨ましかった。
 一度でいいからそんな夢が見たい。
 だが、メディナ伯は怪訝な顔を隠さずに尚も言う。

「そうでもなければなぜ軍属に下りますか。肚の内がどうかなど見ただけでは分からないでしょう」
「古巣に立ち戻っただけだそうです。四六時中家にいられても鬱陶しいので働けと言った結果があれです」
「次期ご当主を軍属にということは、やはり候は彼を家督に据えるつもりがないのでは? 今からでも仕事を学ばねばならない御身が、軍属とは妙な話」

 妙な邪推まで飛び出してくる始末で、イージアスはいよいよ不機嫌が隠せなくなる。頭が痛い。ただでさえ疲れて下がろうとしていたところを呼び止められ、身勝手な考えばかりを押し付けられて嫌気が差していた。
 後ろに立ち尽くしていた少女が、険悪な空気を察して顔色を曇らせる。だが、冷ややかな視線を向けるイージアスには気付かず、メディナ伯は驚くような言葉を口にした。

「まさか候御自らが大陸と通じているなど、ありえないとは思うのですが……」
「……今何と……」
「失礼」

 その場に割って入った男の声に、イージアスはゆっくりと視線を巡らせる。そして、そこに現れた予想外の人影に、イージアスはきつく吊り上げていた眦を緩ませた。
 仕事があると言って朝からいなかったウルスラが、軍服姿でこの場に立っていた。

「楽しくご歓談されているところに恐縮です。殿下がお待ちになっておいでですが、どうなさいますか」

 殿下と言われてイージアスが思い付くのは一人しかいない。
 ウルスラが伸ばした手の方向には、広間の扉がある。広間に入っては来ないらしい。
 今まさに論争の原因となっていたウルスラは、薄く浮かべていた笑みをイージアスから逸らし、メディナ伯を冷ややかに見据える。ウルスラの視線を受けてメディナ伯が慌てて後ずさった。

「で、殿下からのご用命とあらば、私が引き留めるわけにも参りませんね。これにて失礼いたします」

 メディナ伯と少女が一礼し、慌てて踵を返して立ち去る。
 ようやくほっと息を吐いたイージアスも、彼らに背を向けて扉の方へ向かう。

「逃げたな」
「自分の娘を宛がいたかったご様子ですね」

 嫌なところで察しのいいウルスラの呟きに、イージアスは不機嫌顔で何も答えなかった。
 と、気が付けば扉の方からひょっこりと顔を覗かせていたロキが、意外そうな顔でメディナ伯と連れの少女の背を眺めていた。

「よさそうなご令嬢じゃないか」
「殿下、あれ見目で拾われてきたって噂の養女ですよ。政略結婚の手駒です。明日には殿下に聖宮に入れないかと声を掛けてきますよ」
「なるほど」

 それは困るなと言いながら、扉から離れてイージアスとウルスラを廊下で迎える。
 歓談の喧騒を遮るように扉を閉め、ロキとウルスラを伴って人気のない場所を求めて歩きながら、イージアスは悪態を吐いた。

「あと十秒遅く来ていたら、あの男に二度と話し掛けたくないと思わせてやったものを。何が楽しく歓談だ」

 のうのうと口を挟んだウルスラの言葉を思い出して不満を露わにするイージアスに、ウルスラは上辺だけの怒りを面に表した。

「ジオ様を怒らせるなんて、まったくけしからない太鼓腹ですね。明日には城の池に肉食魚と一緒に泳がせておいて差し上げましょうか。さぞ食いでがあることでしょう」
「ついでに服もひん剥いて、あの腹立たしい禿げ残しを剃り落してお……本当にやりかねないから止めろ」

 ロキが困ったように笑って「物騒だな」と漏らす。叔父のような存在であるイージアスと、気兼ねせず話せるウルスラの言葉が過ぎるやり取りも、ロキにとっては聞き慣れたものだった。
 イージアスはロキを見下ろして不思議そうな顔をする。

「ロキは私に用事が?」

 尋ねられたロキは少し悪戯めかして笑う。

「仕事中のウルスラにちょっかいを掛けていたら、ジオが広間にいると聞いてな。せっかくだからとジオにちょっかいをかけにきた」

 比較的歳が近いことと、世間のことに詳しく話題が豊富なためウルスラに対しては親しみを持っており、姿を見掛けると何かしら声を掛けるのが常だ。仕事で城の警備に回っている間もそうで、今日はそのまま護衛という名目でウルスラを連れ出してきた。
 だが、それを聞いたイージアスは少し嫌そうな顔をする。

「こんなのにちょっかいをかけるとは、さては悪だくみだな。協力者の相手は選んだ方がいいぞ」
「ウルスラはずいぶんジオからの信頼がないのだな……」
「こんなにも一心に尽くしておりますのに不思議ですよね」

 イージアスはウルスラの言葉をまるっきり無視した。ロキもウルスラの発言がいささか引っ掛かり首を傾げて否定も肯定もしなかった。
 ロキは「それにしても」と思い出したように後方の扉を一瞥してから、改めてしみじみと呟く。

「相変わらず嫁御の斡旋が切れないな。ロードレッド候ほどの家ならば娘を嫁がせたい者など幾らでもいるだろうし」
「義子より歳若い女を紹介される気分の悪さときたら……こんな年上に興味があるわけないだろう、馬鹿なことを」
「ジオ様、言うほどお年を召されているわけではないのですけどね」

 妻子は持っていて当然の年齢ではあるが、孫までいるような年齢が珍しくない中で、一回りは若い。確かに成人したばかりの少女の相手には年嵩だが、彼があり得ないと吐き捨てるほどの歳の差ではなかった。
 だが、イージアスは首を横に振る。

「義子で納得しないなら、今度は義理の妻でも連れてくればいいのか? つくづく面倒な……」
「あらまあ。俺、立候補しますよ」
「余計に話がこじれるから黙ってろ」
「義理の妻とは一体……」

 聞いたことがない、とロキが苦笑いをする。当然のことイージアスも本気ではないのでそれ以上は言わなかった。
 しかし、代わりにロキは不思議そうな顔をする。

「あの貴族――何だったか」
「メディナ伯」
「そう言うのか。彼も、別に異国の人間だからと要職に就けない法があるわけでなし、なぜ頑なにジオに妻帯を勧めて、ウルスラを継嗣として認めたがらないのだろうな。却って不思議だ」
「思考停止の慣習だ」

 イージアスはきっぱりと吐き捨てるように言った。

「異国と繋がっている人間が迂闊に議席に就くのは確かに問題がある。下手をすると国が乗っ取られかねないからな。ただ、異国の血を引いていても生まれ育ちがガレシアだという人間を排除しては、諍いの火種になりかねない」
「区別ができないのではないか」
「そうだな。だから異国の人間をのべつまくなしに登用するなという言い分は分かる。懐疑的に見るべきだという考えも」

 いずれ玉座に就くべき人間に、一方的に偏った意見ばかり伝えることはしなかった。ウルスラを議席に着けることが、危険視されて然るべきことだという自覚もある。言葉で何と言おうとも、本当に肚の内など見て分かるものではないのだから、平行線になることもある意味では仕方がないことだ。
 イージアスは首を横に振る。

「たが、現時点でどれだけ反発があろうと、一度前例を作ってしまえば後続が楽だ。無能でもどうでも、とりあえず議席に座っておけばいい。それだけで意味がある」
「そして私は異国人代表として矢面に立たせられるわけです。つくづくひどいお人ですね」

 議席を一席埋めて前例を作るのは、貴族のみならず、軍人や官僚に異国の人間を登用する前例になる。市井の中にも少なからずそれは影響を与える。
 ――現状、ウルスラの気が向くかどうかも大いに関わってくることだったが。

「それが気に入らないなら、とんでもない大量虐殺者にでもなって世に汚名を轟かせるか? 世間からたいそう非難された挙句に、後ろ百年ぐらいはそこが空席になる。意趣返しにしても充分釣りが来るだろう」

 彼が本気で嫌だと思って行動に移すのであればの話だが。
 ウルスラは顔色を変えずに答える。

「ありですね」
「どうする?」
「気が向くかも知れないので、検討しときます。まああなたの目が黒いうちは自重しておきますが」

 あり得ないと言い切らない危ういところが本当に彼らしい返答だった。そしてまた、ある日突然ガレシアが嫌いになって気が向いたのだと笑顔で言い出しかねないと想像して、どこか寒気がした。
 あなたに嫌われたくありませんしね、と冗談めかすウルスラに、隣でロキが複雑そうな表情をした。

「気が向くのは私に代替わりした後の話か……?」

 不安そうな呟きに、イージアスはあまりにも穏やかでないことばかり言ったと反省しながらウルスラを窘めた。

「お前が滅多なことを言うからロキが怯えているだろうが」

 ウルスラが片眉を上げて「ええ?」と腑に落ちないような声を漏らす。

「ジオ様が言い出したんじゃありませんか。責任転嫁なさいますか」
「否定をしないお前が悪い」

 ロキが黙って首を傾げている。しかし、言われたウルスラの方は急に神妙な顔つきになって、胸元に手を当て殊勝に言う。

「それはすみません。俺の口が思ってもいない出まかせの過ぎる口なのが全部悪いです。ご安心下さい殿下。殿下に害は及ぼしません」
「それも思ってもいない出まかせの可能性があるわけか……」
「ありますねえ」
「ウルスラ」

 何を言ってももう信用できる要素にならない。もう黙ってくれという願いを込めて名前を呼ぶと、ウルスラはまた薄い微笑みをゆるりと浮かべて何も言わなかった。
 顔色を曇らせていたロキは、やがて何か思いつめたような呟きを漏らした。

「私は王太子として、本当に無力だな。物を知らなさすぎる……」

 聖宮で生まれ育って、城の中で教育を受けてきた。それでもできる仕事は限られていて、繋がりのある人間も制限されている。議会にいる貴族の半分も名前を知らない。市井のことすら話で聞くばかりだ。
 このまま玉座に据えられて、一体何ができるようになるものか。
 そう不安に思っていると、イージアスが「ロキ」と静かに呼び掛けてくる。

「物を知っていることだけが王の仕事じゃない」

 ロキは訝しく思って首を傾げた。

「……それで……大丈夫なのか?」
「物を知っていて、偏らず教えてくれる味方がいればいい。そういう人間を傍に置くこともまた資質だ」
「……味方か」
「助け支えてくれる人間を見つけるといい」

 ロキはああ、と小さく声を漏らした。
 イージアスのように偏らず物事を教えてくれる人間。ウルスラのように歯に衣着せない言葉で接してくれる人間。そういう人間が周りにいることが、きっと物を知っているよりも必要なことだと彼は言うのだろう。
 自分にとってはそれを言ってくれるイージアスこそが味方であれば心強いと思うのだが――彼は将来、自分を助けてくれるのだろうか。

「ジオは?」
「私は……」

 何気なく尋ねた問い掛けに、返事が切れた。
 ロキが顔を上げると、視線の先で蒼い瞳が迷うように揺れていた。
 困らせるようなことを言ってしまったと思い、ロキは苦く微笑んだ。

「すまない。……何でもない」

 イージアスは首を横に振るだけで、やはり答えてくれることはなかった。


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