代償 27
© 2019 sasori_bi
もう目と鼻の先まで祭日が近付いている。
東の宮の中にも非日常が訪れ、大した作業を与えられているわけでなくともどことなく全体の雰囲気は覚束ない。
巫女は聖宮から出られない代わりに、使部の少女たちが頻りに宮を出入りする。式典の道具を運び出す姿を窓から日に何度も見た。
本殿と王城を繋ぐ渡り廊下はあるらしいが、東の宮は直接王城と繋がっていない。東の宮と本殿を繋ぐ渡り廊下は普段閉ざされているため、どちらに行くにしても使部は必然的に外を通ることになるのだろう。
それをフローレインが知ったのは、一昨日のことだ。例祭の後の叙任を控え、その説明のためにノヴァリスに案内された先は、東の宮の奥だった。普段誤って迷い込めば、たちまち使部に先を阻まれていた場所。
そこに案内されて、驚いた。
――両開きの鉄扉に、ガレシアの国章が刻まれている。竜神アスラを模した意匠。神を祀る国の証。
まるで来たことがあるかのように、見覚えのある場所だった。
叙任式はその先に続く本殿で行われるのだとノヴァリスは言っていた。
『普段は向こうとこちらに鍵が掛かっているから、双方の鍵を持っている人が揃わないと出入りができないの』
こちら側の鍵はノヴァリスが、向こう側の鍵は別の誰かが持っているのだろう。
フローレインは自分の動揺を悟られないように押し殺してその場をやり過ごしたが、今思い出しても動揺を堪えられない。
現実味のある夢だとは思っていたが、本当に存在するとなると話は別だ。自分が夢だと思っていたものは、一体何なのだろう。
ぼんやりと思っていると、すぐ近くで声がした。
「明後日には例祭ね」
ソフィアだ。手に何かを持っている。
フローレインの視線に気付き、ソフィアが持っていた何か――白い布のようなものを渡してくる。
「祭祀用の服よ。前夜祭から着なさい、ですって。あなた先刻いなかったから、代わりに預かっておいたわ」
「あら嬉しい、ありがとう。おかげで誰ぞに悪さをされずに済んだわ」
「笑えないわよ。服に悪さされて祭日に一人だけ黒い修道服なんて」
手で持って見える範囲で確かめると、普段の黒い修道服とほとんど同じ形だ。黒い布か白い布かの違いしかない。汚れが目立たないだけ黒い修道服の方が勝手がいい気がするなと思いながら、フローレインは僅かに広げた服をおざなりに畳む。
本当に着飾るとは無縁の生活だ。
「別に綺麗な服に興味もなかったけど、ここまで味気ないと不満も溜まるものかも知れないわね」
「最悪よ。一年中喪中みたいな修道服だもの、気分が沈むのだって無理もないわ」
ソフィアは確かに華やかな服装を好みそうだし、それが彼女に似合いそうだ。ソフィアの愚痴に苦く笑う。
「貴族令嬢って何を着るの。走れない服?」
「どうして基準が走れる走れないなのよ……信じられない」
「裾が長くて重そうだなっていう想像。そんなに呆れないでよ」
「いい服着てたわよ。確かに走れないけど。走る必要がそもそもないの」
やはり走れないようだ。森の中を駆け回って育った自分には想像ができない。
ソフィアはフローレインを横目で見た後、あからさまな溜め息を吐く。
「あなたは……いい服を着てもすぐ汚しそうね」
「ご明察だわ。今貰った祭祀用の服を見て、私『すぐ汚しそう』って思ったもの。気が合うわね」
「庶民出らしくて結構だわ。食事の際にはせいぜい気を付けることね」
「出た、お嬢さまヅラ。いっそ清々しいわ」
あまりにも話が合わないのが却って可笑しくて、近頃はわざとそういう育ちに絡んだ冗談が持ち出される。軽口めかした言葉にフローレインが悪態を吐くまでが一区切りだ。
だが、フローレインは急に不可解げな顔つきになる。
「まったく、庶民庶民言うけど、私の家だってそこそこお金はあったのよ。私が野生児だっただけ」
「目に浮かぶわ。カラスが友達なのだし」
「言っておくけどネヴィンはあなたのことも友達だと思っているわよ」
不本意そうなソフィアの視線を無視して、フローレインはまた釈然としない表情で首を傾げる。
「でも不思議なのが、兄も似たような遊びで育ったし顔だって似たようなものなのに、兄だけやたら上流階級ヅラなのよね。納得がいかないわ」
「上流階級ヅラ……。聞けば聞くほど顔が見たいわ、あなたのお兄さ……」
ソフィアが途中で言葉を切った。鋭い破裂音のような音に遮られたためだ。
フローレインとソフィアが視線を見交わし、足早に音のした方へと向かう。廊下の角を曲がると、その先に巫女が何人か立っていた。
彼女たちが取り囲んでいるのは、使部の少女だ。髪を肩の上で切り揃えた、少し年下らしい面差しの少女だ。その少女が廊下に座り込み、口元を拭っている。
その手には赤く血が擦りつけられていた。
「無視だなんて一体何様のつもりよ、使部風情が!」
甲高い、悲鳴にも似た罵声が響く。揉め事が起きているのは明白だが、無視というのが何かはすぐに分かった。
――使部は口を利かない。
何の理由があるのか、そう強いられているのかは知らないが、何度声を掛けても答えが返ってきたことはない。代わりに首を振ることはあるので、聞こえていないわけでも理解をしていないわけでもないようだ。頼み事があれば聞いてくれる。
ただ、不満を溜め込んだ巫女たちの、怒りの矛先が向くきっかけになったようだ。
「黙っていないで、何か言ったらどうなのよ!? それとも使部は口が利けない人間がやる仕事なの? どうかしていますわね」
「悲鳴一つ上げないなんて、気味の悪い」
他の巫女たちが口々に同意の言葉を上げる。
フローレイン一人に向けられていた不満が、今は色んな場所に向いていることは感じていた。自分でない他の神部の巫女だったり、こうして使部の少女だったり、一定ではないが確実に広がっている。ノヴァリス一人の監督で抑え切れる状態ではないのだ。
――本当に、見ていられない。
「レイ……」
名前を呼ぼうとしたソフィアに応えず、フローレインは動いた。
「あなた本当に余計な世話焼きね」
ソフィアのそんな溜め息を聞きながら、フローレインは二歩、三歩と前に出る。
使部を囲む巫女たちの手前で止まって腕を組み、そのまま何も言わずにその光景を眺めた。
やがて、巫女の一人が睨み付けてくる。
「何よ」
ソフィアが呆れ顔でフローレインの隣に並んだ。フローレインは眉をひそめ、明らかに冷ややかな声音で言う。
「ごめんあそばせ。ただ私も彼女に用があるのよ。戻ってきた洗濯物に皺が残っていて、とっても立腹しているの。彼女が持ってきたのよ」
「はあ? あなたの都合なんか知りませんわ」
ソフィアが笑いを堪えるためにか顔を顰めて、隣で頷いている。フローレインは手の平を上に向け、僅かな苛立ちを込めながら続けた。
「邪魔なんかしないわよ。ただ、まだ続くのだったらここで順番待ちをさせて頂くけれど、いけないかしら。席を外さなくては駄目? ただでさえ腹が立っているのに、どのぐらい待てばいいかしら」
靴底を鳴らすように一歩強く前に足を踏み下ろし、フローレインは腰に片手を当てた。
「教えて頂ける?」
巫女たちがそれぞれ憎々しげにフローレインを睨んだ後、一人が声を荒げた。
「もういいわ! 好きにすればいいじゃないの!」
「ありがとう」
隣でソフィアが笑いを堪えている。その場を立ち去る巫女の背中を見送りながら、フローレインは小声で尋ねた。
「どう、私のお嬢さまヅラは」
「落第点だわ。順番待ちなんて庶民のやることね」
「じゃあお手本を見せてよ」
「『とても気分が優れないの。お先にごめんあそばせ』。有無を言わせないのよ。軽く顎を上げて当然の顔で割り込むの、特権階級は」
それぞれ嘯きながら、フローレインとソフィアが使部の少女に近寄る。
床に座り、懐から手巾を出して少女の手や口元を拭った。口元に擦った血の跡が残っている。
フローレインは眉をひそめた。見るからに痛々しい有り様だ。
「口の中を切ったかしら。腫れてくるかも。冷やした方がいいかもね」
「擦り傷もあるわ」
爪が当たったのだろう。わずかに皮膚がめくれている。血が出ていないのが却って治りが悪そうだ。
ソフィアが立ち上がり言う。
「ノヴァリス少副に報告してきましょうか。さすがに使部に怪我をさせたとあっては、見過ごすわけにもいかな……」
「わッ」
フローレインの悲鳴に、ソフィアが慌てて振り返る。
二人の目の前で、少女が床に額を擦り付けるように頭を下げていた。フローレインは慌てて少女の肩に手を掛ける。
「嫌だ、顔を上げて! どうしてそんなことするの!?」
ソフィアは落ち着いた声音で、慌てるフローレインへと言う。
「あなたが服の皺一つに難癖をつけるからじゃないの?」
「ええ!? いえ服の皺はあの、昨日洗濯が終わって受け取った服に、珍しく少しだけ皺を見つけたの。それで私、いつも皺なんか一つもないぐらい綺麗に洗濯して貰っていたのに気付いて、却って驚いて、怒るなんてとんでもないのよ。いつもありがとう!」
ソフィアの指摘に早口でまくしたて、フローレインは少女の身体を起こさせた。巫女たちの手前、あまり庇い立てるような姿勢も後々拙いだろうと思ってああ言ったが、まさか真に受けられてしまうとは思わなかった。
顔を上げた少女は、少しも顔色を変えていない。感情が読めないと思いながら、フローレインは思い出したように慌てて付け加えた。
「それに毎日ご飯が美味しい」
「出た、ご飯。卑しいわね」
この食いしん坊、とソフィアにからかわれ、フローレインは苦い表情で反論する。
「ご飯作るのって大変なのよ。私苦手なの。そんな大変なこと、やって貰ったらありがたいでしょう」
「まあ、味は浅いけど、不満はないわ。よくやっていると思う」
「彼女、素直じゃないから、精一杯の褒め言葉がこれなの。気を悪くしないでね。ちゃんと可愛げがあるところもあるのよ」
「何好き勝手言ってるのよ」
だが、少女は何を思っているのか、フローレインの手巾をそっと押し返して立ち上がった。二人に向かって軽く頭を下げ、さっさと廊下を歩き出す。
取り残されたフローレインは呆然と呟いた。
「行っちゃった……」
まだ頬を冷やしていない。腫れてくるのではないかと心配は拭えない。
だが、行ってしまったものを追い掛けていいものかどうか迷っていると、ソフィアが溜め息混じりに声を掛けてくる。
「まずノヴァリス少副に報告でしょう。これ以上できることもないのだもの」
そう言って手を差し出される。困惑していたフローレインもその手を取って立ち上がり、ソフィアの言葉に頷いた。
あの少女にとって自分の傷の手当てより、仕事の遂行が優先なのだろう。それを妨げても気の毒だ。
そう思ってノヴァリスを探しに行こうとした途端、その場に足音が聞こえた。
「私に御用?」
現れたのは当のノヴァリスだった。
ノヴァリスへと振り返ったソフィアが、毅然とした口調で言い放つ。
「巫女の暴力で使部が負傷しました」
「今の使部はキーリね」
「そういう名前だったのですか。存じませんでした」
使部と呼んではいるが、個人を判別するための名前すら知らない。聞いたところで名乗らないだろう。
ソフィアは少女――キーリが立ち去った方に視線を巡らせる。
「これが横行しては使部の無用な負担です。処遇をどうなさいますの? 少副」
だが、ノヴァリスの表情は冴えないものだった。
「……使部はね、神祇官の所属ではないの」
フローレインとソフィアは首を傾げる。神祇官はおおよそ聖宮と同義だ。聖宮にいるのだから当然聖宮の人間だと思い込んでいたのだが、どうやらそうではないらしい。
「他の組織から遣わされている扱いで、かといって所属元が管理をしているわけでもなくて……何か対応を考えてくれることはないかも知れない」
「なぜ管理されていないのですか? 管理者がいないのですか?」
「彼女たちは難しい立場で……管理者がいないというのも、一つの理由ではあるのだけど」
問い掛けられ、ノヴァリスもひどく暗い表情で答える。
思うところはあるのだろうと充分に察せられた。けれど、今に至ってもまだ事態が改善されていないのは、働きかけていないのか、そうしても無駄だったからか、どちらか――おそらく後者かも知れない。
そう思いながらフローレインは視線を下げる。
「もちろん本殿から報告は上げるけれど、解決は難しいかも知れないわ。ごめんなさい……」
「殴られたのに?」
「ええ。……でも、また同じようなことがあれば、必ず報告して頂戴。私から巫女に厳重注意をいたします。どこであろうと傷害は罪であるべきよ」
「……承知いたしました」
ソフィアは不承不承というようにそう答えた。フローレインもどうすることもできないのを理解して、渋々頷く。
ノヴァリスは神部の巫女たちの名前を確認して、手元の紙に書きつけていた。ノヴァリスならば今の言葉を翻すこともないだろう。完全に呑み込めてはいないものの、ひとまず肩の荷が下りたような気分だ。
「そういえばノヴァリス少副はどこかに行かれるご予定でしたか?」
何か用事があってここを通りかかったなら、足を止めさせてしまったかも知れない。
そう思いながらフローレインが尋ねると、ノヴァリスは「あなたに用だったの」と思い出したように頷く。
首を傾げるフローレインに、ノヴァリスは少しだけ堅い表情を見せた。
「夕餉の前に、少し私のところに来て頂戴。任官前に伝えなければならないことがあるの」
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