代償 28

© 2019 sasori_bi

 休暇に入ると学生はどんどん寮から姿を消していき、普段の喧騒から遠ざかっていく。
 クランカイトはルシンとの約束があり、寮の外に出掛けていった。ルシンはソフィアからの手紙を待って寮に留まっているのだろう。その合間にクランカイトと遊んでいるので、その間は一人で勉強できて静かでいい――とは、思ってもさすがにユージオも本人には言わなかったが。

 アーサーは家で家庭教師を雇ったらしく、家からの迎えもあって慌ただしく帰っていった。寮長は近くの住まいと行き来をしているため、この寮に寝泊まりで残っているのはもう十人もいない。

 ユキシロはもう成人しているため、育った礼拝堂には戻れないと言っていた。だから、休暇の間中を寮で過ごすか、誰かの生家に世話になるかどちらからしい。結局どうするつもりなのか聞いていないが、帰ったという話は聞いていないので、まだ寮に留まっているはずだ。一緒に帰らないかと声を掛けたいが、ユージオはアステリア家で世話になっているので勝手なことも言えない。
 ただ、気がかりなのは、先日地下の図書館で会って以来、彼と顔を合わせていないことだ。

 休暇の間も《地の底》に入り浸っているか、地下図書館かどこかにいると思っていたのだが、どちらに行っても姿を見掛けない。寮に訪ねて行くと荷物はあるそうなので、ただ留守にしているだけのようだ。初めて迎える長期休暇で、ユキシロの行動が読めなかった。自分が知っているユキシロは大抵《地の底》にいるものだと思っていただけに、いないとなると落ち着かない。

 結局探す先もなく、ユージオは首から下げていた鍵を取り出した。
 自室の部屋の鍵穴に差し込んで、扉を押し開ける。すると、本来そこに続いているはずの廊下はなく、薄暗がりの《地の底》の入り口に続いていた。

 鍵を外して扉をくぐり、《地の底》の中へ入っていく。
 いつもと同じく少し湿っぽい、薄暗い地下空間だ。カビの匂いもする。たまに誰かが我慢の限界を迎えて掃除して隅々まで拭き上げていくらしいが、それが誰なのかすら知らない。出入りしている人間は、基本的にそれらに興味がないからだろう。
 部屋に入り、また物が動いているなと思いながら、埋まっている長椅子の場所を空けようと近付く。が、ユージオはそこで異変に気付いた。
 机の上にぽつんと覚えのない封筒が置いてある。

「……ん」

 封筒にはユージオの名前が書かれていた。
 自分が書いたものではない。見覚えのある荒い筆致は、ユキシロのものだ。自分に見せるために用意したものなのだろう。
 ユージオの名前以外にも簡潔に文字が書かれている。ユージオは封筒を上から覗き込んだ。

「……『恩を返す』。何だそれ。直接渡せばいいのに……」

 思わずぼやきながら、ユージオは封筒を手に取った。中には厚みのあるものが入っている。おそらく本だろう。
 封筒を開けて中を引っ張り出すと、想像通り本が一冊入っていた。
 題名はない。丈夫な皮革の装丁だ。
 ユージオは怪訝な顔のまま、長椅子の場所を空けて座った。膝の上に置いた本の頁を捲る。
 そして、そこに書かれた文字を見て、また首を傾げた。

 ――古語だ。

 すらすら読み解けるほど慣れていない。結局また立ち上がって《地の底》に置いてある辞書の発掘を始める。適当に積まれた本や紙束の山を引っ繰り返し、そこにないとようやく本棚を一通り物色する。が、その途中でユージオはまた別の違和感に動きを止めた。

 大体ユキシロの定位置のように使われている机は、今日は片付いていた。いつも見掛けていた私物らしきものも消えている。残っているものは、ぽつんと置かれた古語の辞書が一つだけだ。
 ユージオが使うと思って置いておいたのかも知れない。ただ、それ以外でユキシロが馴染んだ私物はない。
 どこか寝泊まりする場所が決まって、持って行ったのだろうか。
 そんなことを思いながら長椅子に戻り、何とはなしに辞書を片手に例の本を再び開く。

 だが、読み進めるほどに、ユージオは顔色を変えていった。
 頭の中に、ユキシロの言葉が思い返される。

『けれどそれ以上に、君に知って欲しいと思う』

 先日のノイシュの浮かない表情も。

『……もっと詳しく見ておくべきだったのか、寧ろ見ずに幸いだったというべきなのか』

 すらすらと読み解けないことをもどかしく思いながら、ユージオは荒っぽく辞書の頁を捲る。また古語の文章に戻り、焦燥を堪え切れないように次の頁を捲る。

 ――記された内容は、衝撃的なものだった。

 ノイシュの言葉をまた思い出す。

『あれは古語で書かれていた。それこそスヴァローグ�T世の治世の時代のものだな』

 そうちょうど、この本に書かれた言葉がその時代のもので。

『王都で原因不明の病が流行ったことがあったらしい』

 その答えも、ノイシュが言っていたように自然に収まったわけではなく。

 ――数多の知りたかったことが、その中には書かれていた。

「ユキシロ……」

 最後の頁まで読み解いて、ユージオは半ば呆然と呟いた。読み進めるほどに動悸がひどくなり、息が整わない。思わず胸元を掻きむしる。
 ユキシロがとんでもないことをしたのだと、本を読んでいる内に気付いてしまった。

 ――ここにあるのは礼拝堂の禁書だ。

 それを確信しながら本を閉じようとして、裏表紙の内側に貼り付いていた紙切れの存在に気付いた。
 そこにもユキシロの筆致で短く記されている。

『血の掟を破る贖罪の他に、私の心残りはない』

 それを見た瞬間、一気に全身から血の気が引いていくのを感じた。
 ユージオは逸る手足で立ち上がり、ユキシロが使っていた机に飛び付く。引き出しを乱暴に開け、その引き出しの底にぽつんと収められていたものを見て、息を呑んだ。
 ユキシロが使っていた、紫色の紐がついた《地の底》への鍵がそこに置かれていた。

 ユージオは慌てて封筒を手に取り、その中に本を無理やり押し込んだ。それを抱えて自分の首元から鍵を取り出し、扉の鍵穴に押し込む。
 扉にぶつかるような勢いで押し開いて《地の底》を飛び出し、ユージオは寮の自室に戻って窓に駆け寄った。そして、そこで探し人の姿が見つけられずに踵を返し、封筒を放り出して自室を飛び出す。

「ユキシロ……ッ」

 彼が何をするつもりなのか、はっきりした想像はできなくとも。

 ――いやな予感がして止まらなかった。

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