魔法使いとブリード教 2

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 思った通り、壁際には石積みの階段があった。上っていくと吹き抜けの上階部分へ繋がっている。円状の二階をぐるりと回っていくと、彼の後ろ姿を見つけた。

「いーけないんだ」

 小さな後ろ姿に小声で呼び掛けると、彼は弾かれたように振り返った。背中に流れる濃紺の髪が、尾のように揺れる。
 橙色の瞳が、クランカイトを見て丸く見開かれた。抜け出してきたところで声を掛けられるとは思わなかったのだろう。わずかばかり動揺が見られたのは、彼自身に後ろめたい気持ちがあったからではとクランカイトは推察したが、どうでもよかった。

 知らない相手だった。おそらく同じ学校の同級生だろうとは思うが、同級生の半分以上の顔がまだ曖昧だ。その曖昧な部類に入る同級生ならば、同じ教室内にいたとしてもわからないだろう。
 彼は警戒をむき出しにクランカイトへ向き直る。

「な、何だよ」
「これから大事な初儀礼だっていうのに、こんなところで何してんだ?」

 クランカイトは彼との距離を詰めて似たような背格好の少年へ問い掛ける。
 彼はクランカイトの問いに眉をひそめた。

「……こんなところにいるのは、お前もだろ。いい子ぶって、俺のこと大人に言い付けるつもりか? そうしたいなら好きにすればいいだろ」
「ふ」
「?」

 開口一番、険のある物言いをぶつけられたクランカイトは、一瞬呆気にとられ、それから口に手を当ててくすくすと笑い出した。

 ――少しからかってみただけなのに、ずいぶん真に受けられてしまったようだ。
 どうやらかなり警戒の強い類の少年のようだ。どちらかというとクランカイトは見知らぬ相手に臆することのない気質だったため、声を掛けて返ってきた第一声がこうも刺々しかったことはない。そのためか少年の反応がやけに物珍しいものに感じられて、驚くと同時にやけに可笑しくなった。

 相手はクランカイトの思いがけない反応に怪訝な顔をしている。クランカイトはその顔を見て悪戯っぽい問いを掛けた。

「何してるのかって聞いただけなのに、そんな冷たいこと言われるとは思わなかったな。俺には何してるのか聞いてくれないのか」

 ずいと距離を詰めて馴れ馴れしい態度で話しかけるクランカイトに、少年は怯んで言葉を濁らせる。

「……な、何だよ」
「俺は退屈だから抜けてきた。学校で何度も聞いた話をまたさらに聞かされるのはさすがに鬱陶しいし。儀礼ってのももともとそんなに興味ないし。……って言ったら大人に怒られそうだけど、退屈してたらお前が二階にいるのを見つけたから」

 それをきっかけに抜けてきた、とにこやかに笑い掛けると、冷たい視線が返ってきた。優しそうな橙色の瞳がやけに冷ややかだ。

「フシンジンモノ、って言うらしいぞ」
「そういうお前は?」

 ふん、と少年は鼻を鳴らす。小首を傾げた拍子に、片耳にある耳飾りがゆらりと揺れた。

「あんたよりさらに何度も同じ話を聞かされて、飽きたどころか、この話を聞くとキョゼツハンノーが出る。ついでに言うと拝火の儀も済ませてるから本当は来る必要もない」
「もう済んでる? それはまたなんで」
「ここに住んでるから。って言えばわかるか」
「……もしかして親がいないのか?」

 クランカイトの問いに、少年は返事をしなかった。しかし、それが答えだろうと思い、クランカイトも追及しなかった。
 礼拝堂に住んでいる子供といえば、大抵が親のいない孤児だ。両親とも死んだか、あるいは親が育てられずに預けていったか。少年がどちらだかはわからないが、おそらく、ろくな理由でここにいるわけではないだろう。

 なるほどそれで聞く気も起きないわけだと納得しながら、クランカイトは一階を見下ろした。下では相変わらず子供たちが興味津々といった態度で座って、司祭によるブリード教についての説教を受けている。少年にしてみればこれが毎日のことなのだろう。

「それじゃ、今さら聞く話なんかないよなあ」

 最高神アスラが降り立った場所に起こった火は『原初の火』と呼ばれ、今も王城内で大切に守られ続けている。その火を分けたものが、国内各地の礼拝堂で祀られる御霊代――司祭の後ろで今まさに燃え続ける聖火だ。
 司祭のそんな話を耳半分で聞きながら、クランカイトは柱に寄り掛かる。自分ですら耳半分で聞くのが限界なのに、自分よりさらに聞いているとなると、当然嫌気も差すというものだ。

「拝火の儀って、あの火に魔力を注ぐ、ってだけのことだと思ってたけど、合ってる?」
「合ってる」
「ものすごいことが起きたりはしないのか」
「しない」

 少年は白けたような目鼻で答えた。大したことはないとでもいうかのような態度だ。実際、その通りなのかも知れない。

 初めての儀礼だなんだと仰々しく捉えていたが、何のことはない。持っている力を少しばかり注ぐという、少しだけ重い荷物を持ち上げるだけのような、その程度の作業だ。これからはそれが三日に一度の通例になる。

「なんで三日に一度?」
「毎日はしなくていいけど、程々にはした方がいいから――だと思ってるけど。そのぐらいがちょうどいいってことなんだろう」
「ゆるいのか厳しいのか」
「よほど熱心な家にいるんじゃなけりゃ、大抵の信徒のやることなんていうのはせいぜいそのぐらいだ」

 あとは、と少年が動いた拍子に、またゆらりと耳飾りが揺れる。右の耳に付けられた、木を削った耳飾り。信徒の証としてガレシアの国民の皆が身に着けているものだ。

「この耳飾りぐらいか」

 細い三角形の木が二つ揺れる耳飾りだ。三角形のシンボルの中に細かい文様が刻まれているが、これが何を意味する文様なのかまでは詳しく知らない。

 これは生まれた時に祝福として礼拝堂から贈られ、生涯を通して肌身離さず身に着けるものだ。そのため、この礼拝堂に集まった子供たちのみならず、外を歩く大人たち、クランカイトの両親も皆が身に着けている。
 ブリード教を信仰する上で、日常に関わる決まりはその二つだけだ。

 だが、クランカイトは思わずぼやいた。

「魔力かー……魔法はそんなに得意じゃないなあ」

 魔力は本質的に身体能力に近しく、子供の内はその力の調節が不安定だ。生来の得手不得手も大きく関わり、調節が難しい子供の内は魔法を使わないようにと親から言われている場合が大半だ。
 クランカイトの場合は不得手だという意識が先行する要因が大きいだろうが。
 少年は両手のひらを上に向けながら言う。

「難しいことじゃない。こう、両手から水が溢れて、その水を火にゆっくり注ぐ――みたいな、言葉じゃうまく説明できないけど」
「魔力のやり取りはできるんだっけ? じゃあ俺の手を代わりにして、試しに魔力を流して」

 クランカイトは少年に手を差し出した。
 少年は目を丸くして固まった後、クランカイトの不用心さに呆れ返る。

「……兄弟でもやらないぞ」
「気にしなくていい。頼めるか」

 気にするしないじゃなくて――と少年は言い掛けるが、心底呆れてその言葉すら途中で絶えたようだ。
 クランカイトも一応理解はしている。他人と魔力のやり取りをするなど、親が加減を教える時ぐらいで、それもよほどでなければしない。教師もそんなことはしないし、兄弟ですら基本的にやることではない。そんなことをさらりと初対面の相手に許すクランカイトに何を思ったか、少年はふいと顔を背ける。

「……俺なんかにそんなこと頼んでいいのか」
「お前に頼んでるんだが。他に誰もいないだろ」

 再三の頼みを受けて、少年は渋々というようにクランカイトの手を取った。
 神経を集中するために深く呼吸を繰り返し、落ち着いたところでそっと目を瞑る。

 クランカイトは手からそろそろと流れてくる魔力を感じて目を閉じた。
 一定方向で流れていた水に合流した支川が流れをかき回すように、違う流れが混じる。
 始めは探るようにほんの少しずつ、それがゆっくりと量を増していく。神経を尖らせながら流し込まれる少年の魔力が、じわりと身体の中を巡る。不思議と不快はなかった。むしろ、身体の中に元々あった何か苦しいものが、混じった気に薄められ、呼吸が楽になったかのように感じて――

 量はゆっくりと絞られて、やがて流れ込んでくる魔力が消えた。

 クランカイトはほっと息を吐く。

「……なるほど、わかった」

 加減がわかったので、これなら自分でも問題なくできそうだ。
 どうしても知りたいなら親に尋ねればいいことだろうが、興味がなかったので聞かなかった。ひねくれているのか、大したことがないと言われてやっと興味を抱いたというところだ。
 少年は振り払うように手を離す。

「自分でやって覚えることだぞ」
「そんなもんか……あ、話終わったみたいだ」

 急に子供たちの会話で溢れて、礼拝堂の中は一気に雑然とした空間になる。大人の指示に従って子供たちが列を成し、聖火の前に並び始めた。いよいよ始まるらしい。
 司祭がそばに立って見守る中、子供たちは順番に聖火へ手をかざす。魔力の流れは視認では確認できないが、子供たちが力を流すたびに聖火の火先がゆらりと不安げに揺れる。かわるがわる子供たちが儀礼を済ませていき、そのたび火が風に吹かれたように微かに左右に揺るぐ。

 ――本当に大したことはない。

 しばらく入れ代わり立ち代わりに聖火に魔力を注いでいく子供たちを眺めていたが、やがてそれも限界が来てクランカイトは深く嘆息した。

「つまらん……」

 思わずぼやくと、少年がまた冷たい眼差しを向けてきた。

「それであんたはいつ戻る気だ」
「なんかもう今日わざわざやらなくてもいいような気がしてきた」
「……気のせいだろ」
「いや違うな。やっぱり今日じゃなくていい。今日はやったことにしといて、また三日後でいい」

 一人で断じて少年の方を向き、クランカイトは興味の矛先を少年に移す。
 こうしてまじまじ見ても、やはり覚えがない。そもそも同級生の顔を覚えようという気概がないので、見覚えがないのも当然といえば当然なのかも知れない。
 夜空の濃紺の髪に、夕焼けの橙色をした瞳。珍しいといえば珍しいかも知れないが、この国では取り立てて目を引くような突飛な色ではない。そもそも多様な色をしているため、どんな色であっても滅多に浮くようなことはないのだが。

「ところですっかり聞きそびれてたんだが、お前って普段どの授業を取って――」

 言い掛けたクランカイトは、急に言葉を切った。嫌が応にも耳に届いたたくさんの悲鳴を聞いて、二人は弾かれたように顔を上げる。

「何が起きた!?」
「わからない」

 クランカイトは首を横に振った後、騒ぎの方向へ視線を巡らせる。
 見下ろした一階に、火に巻かれた少女の姿があった。
 聖火は急に高く火柱を上げ始め、先ほどとは比べ物にならない大きさに膨れ上がっていた。司祭や巫女たちが慌てふためいて聖火に駆け寄っている。その一方でローブや長い髪に火が燃え移り、混乱しきった様子の少女――

「あれは……」

 クランカイトは少女を見た途端に血相を変えた。身を乗り出す勢いで手摺りに寄り、引き裂くような悲鳴を上げる。

「――ッレイン!!」

 紛れもなく、フローレインが急に激しく燃え出した火に巻かれていた。

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