代償 30
© 2019 sasori_bi どういうことかと思いながら、フローレインはノヴァリスの言葉を待ってじっと口を噤む。
「昔、スヴァローグ�T世の治世が始まった頃のことです。スヴァローグ�T世は魔法の扱いに長け、その術を国民に授けることに熱心でした。ガレシアの国は魔法によって食物に富み、皆が着飾り、生活の負担は楽になりました。……ほんの一時的には」
「……一時的」
そのまま今に至るという話ではないのかと、戸惑いながらフローレインは繰り返す。ノヴァリスはどこか悲しそうに目を伏せた。
「……すぐにその代償は国に降り掛かりました。魔法の起こした歪みは呪いとなって、それ以上の災いをもたらしました。天災、干ばつ、争い、原因不明の流行病――国中が、富んだ以上の貧しさに、そして病に苦しみました」
たくさん人が亡くなった、と囁くような声でノヴァリスは呟いた。
歴史の講義でさえ聞いたことがない。
建国の祖、スヴァローグ�T世。彼が魔法を広め、ブリード教の振興に努めたということはよく聞いた。だが、その中に今のようないたましい災厄の話はなかった。流行病が起きたことすら――何も教えられてこなかった。
フローレインは青褪めながら呆然と呟く。
「原因不明、の――」
ノヴァリスはその反応に少し不思議そうな表情をしながらも、話を続けた。
「ごく一部の人間には、黒い靄のようなものが見えていたそうです。――それが国中を覆っていたと」
今も魔力が見えるという人が一部にはいますから、とノヴァリスは付け加える。
「疫病に掛かった人も、はっきりとした異常は見られなかったそうです。倦怠感や発熱、意識障害など症状は様々で、特効薬もなく、一度回復してもまた同様の症状が出る。体力がない人からどんどん衰弱し、死に至らしめる。何の規則性もなく、無差別に――」
「……疫病なら、感染性のものでは?」
「本当のところは分からない。禁書にはそう書かれている。当時の混乱の中で、それを調べる人がいたかどうかも、分かっていないの」
フローレインはそれを聞いて思い詰めたような表情になる。だが、不思議そうにノヴァリスに名前を呼ばれ、すぐに平静を取り戻した。
「ただ、どうあっても国に広がった呪いはどうにかしなければならなかった。スヴァローグ�T世は己が引き起こした惨事に慄きながらも、ある方法でこれを収めました」
「何か方法が?」
「ブリード教の普及です」
フローレインは僅かに面食らった。
「神頼み……ではありませんよね」
「ええ。ブリード教というのは、これもやはり仕組みなのです」
「信仰ではなく?」
「その側面も持っているもの」
フローレインにとっては信仰以外の側面があることすら知らなかった。だが、ひた隠しにされていたのなら当然なのかも知れない。
「もともとブリード教は古代に大陸に伝わっていた拝火の教えではあったのですが、厳密には人に与えられた火を尊び祈るものであって、聖火を祀るものではありませんでした。ですが、スヴァローグ�T世と初代宰相、ドルト・ヘイムダルは、聖宮に祀られる原初の火を聖火として分け与え、ブリード教という教えと共に国中に広めたのです」
「……はい」
「病に苦しむ国民の信心に添うように、それはあっという間に国中に普及しました。……神に祈りが通じたかのように、呪いは国から消え失せました」
それは――ブリード教の“仕組み”によってだ。
「……聖火?」
ふと思い付いてフローレインが呟くと、ノヴァリスは頷いた。
「あの聖火は呪いを浄化する装置の一部。信徒から魔力を集めて稼働し続ける魔法道具とも言えるわ。その装置の中枢がこの聖宮で祀られる『原初の火』――各地に散ったすべての聖火の源で、各地の聖火を司る操作装置とも言うべきもの」
フローレインは驚きを滲ませながら尋ねた。
「拝火の儀式は、魔力を集めていたのですか」
「毎日膨大な呪いが生まれ、浄化のために膨大な魔力を必要としている。一人二人の魔力ではとても足りない。……今後さらに魔法が発展していくのは分かるでしょう。そうなれば今よりもっと魔力が必要になる」
「ガレシアにブリード教以外の信仰が少ないのは、そのためですか」
ノヴァリスは「ええ」と静かに答えた。
「私たちはブリード教を守らなければなりません。これは神などという目に見えない存在を冒涜するからという理由ではなく、ブリード教という仕組みが呪いへの対抗措置であるからです」
異端への風当たりが嫌に強いとは感じていた。いっそ過激に感じるほどだ。なぜそうするのだろうと不思議にも思っていた。だが、ようやくその理由が分かった。
信徒の信仰が他に移ろうことを危惧しているからだ。集める魔力が減れば、浄化装置の効力が薄れてしまう。呪いが溢れ、国は病みつく。魔法で得られた繁栄以上の災いとなってガレシアを襲う。
国を維持するためにそうしてきたのだ。
「……夜に街灯が街中に輝き、必要な時いつでも水が手に入り、衣食住に困窮することもほとんどない。聖火の加護に守られて身の危険も少ない。すべて魔法が作り出した豊かさです。この豊かさを手放して、魔法が存在する以前の生活に戻れと言われて、どうしてそれが叶うものでしょうか」
「……そうですね」
「私たちは豊かになろうとするほどに、苦痛から逃れようと足掻くほどに、どんどん歪になっていく……」
ひどく悲しそうだった。
ノヴァリスが何を思ってそんな表情をしているのか、フローレインには分からなかった。だが、何か現状を憂いていることはさすがに分かる。
思わず疑問が口を衝く。
「必ずしも信仰と併せる必要があるのでしょうか。他に手段があるのでは」
「浄化装置は不可侵のものでなければなりません。悪戯に危害を加える者が現れないように、害してはならない神聖なものであると、子供にも理解させるのに適しているのです」
ノヴァリスは毅然とした態度を取り戻し、強い口調で続けた。
「どれほどに非難されようとも――私たちは呪いの脅威から国を守るために、ブリード教を守らなければなりません。例えそれが自分たちの首に枷をつけるようなことであろうとも。私たちは、聖火を手放して生きることなどできないのです」
ノヴァリスの言っていることは分かる。
国を守るために聖火が必要で、それを守るためにブリード教が必要なのだ。いや、他に可能性があるのかも知れないが、現状そうして均衡を保っている。聖宮も巫女もそれを維持しようとしている。
けれど、それで歪みが生じていることは彼女の表情から感じ取れる。実際、市井に暮らすユージオやクランカイトが疑念を抱いたように、他にもブリード教に対して疑問を持つ人間はいるはずだ。
それを思いフローレインは食い下がる。
「なぜ真実を知らせないのですか。事実を明かし、呪いへの対抗として国民に助けを求めてはいけないのですか」
「真実を知らせて、当然予想される混乱が起きることを避けるためです」
「……必ずそうなると思っているのですね」
「人間がそれほどに善良ではないということを、私たちは信頼しています」
フローレインは苦々しく顔を歪めた。心の中で吐き捨てる。
――そんな悲しい信頼があっていいものか。
だが、ノヴァリスの悲痛な表情を見れば、その思いを口に出すのはさすがに躊躇われる。
これ以上問い質すことも後ろめたく、フローレインは小さく息を吐いた。
まだ腑に落ちない箇所はある。と同時に、今までの違和感が解消された思いもある。どちらともつかない複雑な思いのままだ。
ただ、衝撃は拭えない。
「私たちが手にしているものは、神聖な神の力などではなく、世をほしいままにしようとする悪魔の力……なのですね」
改めて言葉にして、フローレインは力なく項垂れた。
そんなものを軽々しく使っていた自分にぞっとする。そして、そんなおぞましい力を称えられてきたことに嫌悪感が湧く。どれほどの呪いを無自覚に世に振り撒いてきたのだろう。
フローレインの呟きに、ノヴァリスは悄然と頷いた。
「人に信じられているような万能の力でないことは、事実だわ……」
「……魔力は。保有している量に個人差があるのは……理由があるのでしょうか」
自分がこれほどに多量の魔力を保有していることは、何か恐ろしい理由があるのだろうか。
不安に駆られて聞かずにいられなかった。だが、ノヴァリスは落ち着いた様子でゆっくりと首を横に振る。
「魔力について隠していることはないわ。生まれつきの遺伝や素養によって差があるだけ。それは本当よ」
「そう……なのですか」
「ええ」
そしてようやくノヴァリスは硬かった表情を和らげ、静かに言った。
「話はこれで終わりよ。……いずれ他の巫女にもこの話をするわ。一人で抱えているのが憂鬱なら、誰かに話しても構いません」
来てくれてありがとう、という言葉を受けて、フローレインは覚束ない足取りでノヴァリスの執務室を後にした。
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