異端者達 3

© 2019 sasori_bi
 まだ帰るには早い。
 クランカイトと別れたユージオは、礼拝堂には向かわずに街の外周を歩いていた。
 ぽつりぽつりと民家が離れ建っているが、街の中ほどの人の往来はない。畑が並び、庭先に犬が寝そべっている。のどかな景色だ。
 ゆるゆるとのろい足取りで進んでいたユージオは、ある一軒の民家の中へ入っていく。

 半ば森に埋もれるように建っていた、こぢんまりとした民家だ。土を固めた頼りない壁が囲っている。屋根にはツタが生い茂り、木の枠でできた入り口に目隠しのように垂れている。他の民家からも離れた場所で、物寂しい雰囲気をしていた。

 入り口をくぐると、染みついた生薬の香りが鼻をつく。そして、それに混じって埃やカビの臭いがしていた。誰も住んでいない空き家特有の、止まった空気だった。

 ここは昔、ユージオが母と暮らしていた家だ。
 壊されずにかろうじて残っている。だが、今はユージオ以外誰も使わないし、患者が訪ねて来ることもない。母が生きていた頃に使っていた薬の材料などはすべて残っているが、ほとんど干からびて使い物にはならないだろう。

 ――懐かしい匂いだった。

『教えに仇なす異端者め』
『気の違ったおそろしい黒魔女』
『だから、呪いを受けて病で死んだ』

 ユージオはギリ、と歯噛みした。
 適当なことを好き勝手言う連中だ。母は棄教しただけで、呪いを受けなければいけないような罪など犯していない。それを、もっともらしく母に罪を被せようとする連中の方がよほどおそろしい。
 ただ信徒でないというだけで迫害し、差別されなければいけない謂れがどこにあるというのだろう。そんな宗教がなぜ絶対的正義かのように語られるのか理解に苦しむ。黒魔女などより盲信者のようがよほど悪魔か何かのようだ。

 そんな悔しい思いを抱えながら、ユージオは一人、古びた木の丸椅子に腰かけた。
 棚に入っていた、古びた洋紙の束を取り出す。古ぼけたインクで文字が走っていた。母の手跡だ。
 薬の分量、精製の方法、調合の仕方。時には魔法でその作用を変えたりする。母は患者のもとに出向いて、容体を診て薬を合わせたりしていた。患者ごとにそうした様子を書き留めていたものが、棚いっぱいに残っている。
 時折こうして無人の生家に入っては、母の字を見て温かかった日々を懐かしむ。

『魔法があっても、こうして誰かに縋るほかないのだから。人間は、一人で生きていくことは、できないのよ』

 そう言って緩やかに微笑むのだった。

 そんな彼女がユージオを一人きりにしたのは、皮肉と言うべきことかも知れない。
 母が信仰者であれば、これだけ辛く当たられることはなかったのでは。本当に時々、心の中でそんなことを考えることもある。ユージオには信徒であるようにと言い含めた彼女が、なぜ自身は信徒を止めようと思ったのかがわからないからだ。思い返すほど彼女はユージオに優しく、そして同時に、何も語ることをしなかった。

 ユージオは突き上げ戸を持ち上げて屋内に風を通した。淀んだ空気が、新鮮な空気に押し出されていく。
 机に頬杖を突いて、ユージオは何をするでもなくただ風に当たる。

 ここに来るのは久しぶりのように感じた。近頃はずっとあの二人と一緒にいて、一人になる時間がずいぶんと少なくなっていた。以前は拝火の儀よりもよほど熱心にここに通ってきていたというのに。

「バカだよな、本当」

 別れ際のクランカイトを思い出してくすりと笑う。

 母のことを聞かれたのは初めてのような気がした。皆好き勝手な噂話ばかり立てて、本当のことを聞いてくることはなかったし、事実にも興味はなかったのだろう。ユージオが知る彼女について興味を持って聞いてくる物好きなど、クランカイトぐらいのものだ。あまつさえ泣くのを期待しているかのようなことを言ってくるのだから、本当にろくでもない。

 しばらくそのまま時間を過ごした。

 門限にさえ間に合えば問題ないのだから、急いで帰ることはない。そう思って、そこでのんびりと羽を伸ばす。ここには白い目で見てくる聖職者も、口さがない同級生もいない。誰かの目を気にする必要もなく、いつまでもいられる。

 そうして、何も考えずにぼうっと無為に時間を過ごしていたユージオは、急に鳥の羽音で我に返った。

「なんかうるさい……?」

 やけに外が鳥の鳴き声で騒がしい。怪訝に思いながら億劫げにのろのろと外へ出ると、急に黒い影が覆い被さってきた。

「うわっ……痛っ、えっ、いたたたた! 何!?」

 ギャアギャアと鳴き声を上げながら、一羽のカラスが襲ってくる。鋭利なくちばしや爪を避けるように腕を上げ、ユージオは慌てて姿勢を低くする。

「な、何だこいつ、ちょっと……痛い、っていうか、えええ?」

 何の目印もない、ごく普通のカラスだ。だが、普通のカラスに突然襲われるなどという経験はない。ここまで平然と人間のそばに寄ってくるカラスなど、一羽しか心当たりがない。

「何するんだ、ネヴィン!」

 呼ぶと返事をするようにカァと鳴くあたり、どうも見間違いではないようだ。

 フローレインについて帰ったはずでは。というか、なぜ急に襲ってきているのだろうか。
 困惑しながら首を傾げるが、ネヴィンはユージオの髪をくちばしで銜えた。ばさばさと羽を動かし髪を引っ張ってくる。明らかに普通の様子ではない。

「いたたた、止めろバカ、野犬の餌にするとか言ったのもしかして根に持ってたのか? にしたって今さら復讐だなんて一体どういうつもり……」

 しかし、ユージオの髪を離したネヴィンは、ばさばさと羽ばたきながら依然ユージオの前から離れようとしない。
 こういう時、フローレインならわかるのだろうが――と思いながら、ユージオはネヴィンへ手を伸ばす。

「何でお前、俺のとこ来たんだ。用事ならレインかカイトの方に行けば……」

 いや、と嘆息混じりに吐き出した。

「苦手とか言ってられないか。ネヴィンお前、ちょっと協力しろ」

 差し伸べた腕に留まったネヴィンは、まるでユージオの言葉を理解したかのように鳴き声で返事をする。思わず脱力しそうになりながらも、ユージオはおそるおそるというように魔力をそっと紡いだ。

「『“善なる霊”の赦しを以て、御魂の言の葉を隔てたる障壁は崩れる』」

 ネヴィンを囲むように、空中に小さな陣が現れる。ネヴィンは大人しく留まったまま、ユージオの魔法を受けている。
 フローレインには不要のようだが、動物との意思疎通を可能にする魔法がある。使ったことはないが、いきなり本番だ。ユージオは緊張でごくりと喉を鳴らす。

「『砂塵となり、風を巡らせ。この時、この場において』」

 魔法を使うのにはまだ少し躊躇がある。特に今は、暴走しても止めてくれる二人がいない。
 乱れた心は魔法を不安定にする。不安を押し殺しながら、ユージオはこれ以上なく慎重に言霊を繰り、そっと魔法を織り上げる。

「――『今再びの、完全性へ帰す』」

 魔法が発動した瞬間、ネヴィンの見た景色がどっとユージオの頭の中に流れ込んでくる。うまくいったらしい――と一息つく暇はなかった。

 目を通さずに直接、場面が頭に流れ込んでくる。屋根の上かどこかに留まって見下ろした景色だろう。金色の髪の少年は見紛うはずもなくクランカイトだ。見覚えのある景色はクランカイトの帰路で、家からそう遠くない場所だった。
 彼を囲むようにして、男たちが立っていた。
 一人が後ろからクランカイトを押さえ込み、そばにある荷馬車の中へと引き摺り込む。別な男はクランカイトの腕に魔封じの戒めを嵌め込んで、そのまま一緒に荷馬車へと乗り込んだ。

 荷馬車はクランカイトを乗せて走り出す。その周囲は偶然にも人がいない――いや、死角が多く人目に付きにくい場所だ。偶然ではない。待ち構えていたと考えるのに無理はない。

 ユージオはよろけるように座り込む。慣れない意思疎通に一瞬めまいが襲う。しかし、それどころではない。ネヴィンの記憶が確かなものであれば、クランカイトが。

「攫われた……どう、する」

 ユージオは混乱の最中に自問する。別れてからまだそれほど時間は経っていない。こうしている間にもクランカイトはどんどん荷馬車で遠く運ばれていく。今追っていけば、もしかしたら。

「ネヴィンお前、探せるか」

 尋ねた途端、ネヴィンは羽ばたいて頭上高くに飛び上がる。
 迷っている暇はなかった。助けを呼ぶ暇も。
 ユージオはほとんど反射的に、頭上を飛ぶネヴィンを追って駆け出した。

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