異端者達 5

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「何だ!?」

 突き上げるように激しく揺れて、とても立っていられなかった。
 ヴェーダの手が離れたクランカイトは、打ち付けられるように壁へ身体をぶつける。そのままずるりと床に倒れ込み、起き上がることができない。
 男たちはどうにか踏み止まったようだが、激しく揺れたかと思えば、荷馬車はぴたりと静止する。音も立てず、動き出す気配もない。

 慌ただしく男たちが何人か外に出て行く。外で何事か起きたようだが、それを確かめる力はクランカイトにはなかった。外に出た男たちは何事かを話し合っていたようだが、しばらく荷馬車は止まったまま進まない。
 戻ってきた男が相談を始める。

「おいヴェーダ、道が塞がってるぞ」
「なんだって?」
「ついでに、車輪にツタが絡まって動きやしねえ。一体どうなってやがる?」

 怪訝そうな呟きに、ヴェーダが苛立った声を出した。

「下手だな、道端のツタを車輪に噛んだんだろう。……ナズルの野郎、急いでるって時に。さっさと退けるぞ。全員出ろ」
「ガキは」
「なんだか知らんが、弱ってる。放っておいて問題はねえだろう」

 バタバタと慌ただしく男たちは荷車の中から外へ出る。無人の荷車の中に一人取り残されたものの、意識が霞んで逃げ出すという考えすら起こらなかった。

 ――懐かしい感覚だ。
 クランカイトが両替商の子供として誘拐されるのは、これが初めてではなかった。
 未遂だったものが一度と、本当に誘拐されたことが一度ある。あの時はフローレインが一緒だった。数日の間どこかの家に監禁されて、あの時は本当に死を覚悟した。あの時と同じ感覚だった。
 今回はどうやら身代金が目的ではなく、人身売買で得る金が目的のようだ。果たして順調に身代わりで引き渡されたとして、そこからクランカイト自身が無事で済むかどうか――

「……い。おい、カイト!」

 どんどん遠ざかる意識の中で、名前を呼ばれたような気がした。
 だが、ここに自分の名前を呼ぶ人間はいない。気のせいだろうと思ってると、ぐっと肩を掴まれた。
 無理やり顔を上げさせられて、潜めた声で叱責される。

「何やってんだ、このバカ……!」

 薄暗い荷馬車の中で、燃えるような橙色の瞳が目に飛び込んでくる。

 ――ユージオだ。

 見間違いかと思ったが、何度瞬きしても消えることなく確かにそこにいる。信じられないような思いで翠の目を見開いた。
 目の前のユージオは汗だくで息も切れている。よほど必死だったようだが、一体どうして、どうやってここに来たのか。頭の中は疑問でいっぱいだ。

「ユ……」
「しっ! すぐに逃げるぞ、魔封じは……」

 荒っぽく口を塞がれて、一瞬息ができなくなる。すぐに手は離れたが、ユージオは代わりにクランカイトの腕を掴んだ。

「顔色が悪いな……いや、後だ。今はとにかくこの中から……」
「どうしてここに」
「ネヴィンが見てた。……のを、間接的に見て探したら、幸いなことに荷車が近くまで走ってきてて……そんなことは後でいいから手を出せ」

 手首に嵌められていた魔封じの呪が書き込まれた帯を引き毟り、ユージオは手のひらの中へ魔術の陣を現す。ボッと小さな音を立てて、手のひらの中で帯は燃えた。妨げられていた魔力の流れが戻り、少しだけ息がしやすくなる。

 彼の顔を見た途端、完全な非日常でしかなかった状況が一気に瓦解して身に迫ってくる。これからどうなるかわからないという、ひたすら先の見えない凄まじい恐怖。そして、それをはるかに凌ぐ、助けに駆け付けてくれたことへの安堵だった。誰にも気付かれず、発覚が遅れて手遅れになるのではという心配は薄れ、微かに希望が差してくる。

 息を吐く暇もなくユージオに腕を引かれた。

「立て。走って逃げるぞ」

 だが、身体が重くて一歩すら動けそうにない。腕を引っ張られても、満足に立つことすらできなかった。
 いつ荷台に男たちが戻ってくるとも知れない。こうしている間にもユージオに気付かれれば、本当に状況は悪化する。
 クランカイトはユージオの目を覗き込んだ。

「ユージオ。……お前だけ逃げろ」
「何バカなこと言ってる!?」

 ユージオは怒りにかっと頬を紅潮させる。こんな時まで罵られるのだなと可笑しい思いになったが、今の言葉にふざけた気持ちは少しもない。冷静に考えた上で言っている。

「走れそうにない。……たぶん、逃げてもすぐに追い付かれる。二人とも捕まるぐらいなら、お前だけ逃げて、誰か人を」
「ふざけるな」
「ふざけてない。それが一番助かる確率が高い。こっそり逃げて誰かに知らせて――」

 言葉は最後まで声にならなかった。がつん、と額に衝撃を受けて、めまいと激痛に襲われる。
 胸ぐらを掴まれて思いっきり頭突きを受けたらしい。同じ激痛を受けたはずのユージオは、涙目ながら胸ぐらを掴む手を離さなかった。

「こんな時まで正論を止めろ。怖いなら平気な振りなんかするな。――この状況で怖くないわけ、ないんだから」

 クランカイトの両手を掴んで担ぐように前に回し、ユージオはぐっと脚に力を込める。半ばクランカイトの足は引き摺られるが、どうあってもユージオは手を離す気がないらしい。
 これだけ身体がくっついていれば、その身体が震えていることに気付かないはずがない。それでもユージオは気丈を装って、クランカイトに怒りを帯びた言葉をぶつけてくる。

「頼まれたって一人にするか。あんたはすぐ適当なことを言うから、本当に聞くだけバカらしい。……あんたも一緒に逃げるんだ」

 クランカイトを引き摺りながらも、ユージオは一歩二歩と力を振り絞って進む。
 いつもと変わらない憎まれ口に安堵する自分に気付き、クランカイトは諦めのように嘆息した。
 わかっている。本当は行って欲しくない。一人にしないで欲しい。巻き込みたくないのに、いてくれることが心強い。助けを呼びに行く方が助かる確率は高いとわかっているのに、間違いなくそれも本音だった。自分の身体は動かないのに、一緒に逃げると言われてどうしようもなく心が揺れる。
 そんな自分がいることに呆れながら、クランカイトは力を振り絞って立ち上がろうと足を踏ん張る。縋りたい思いはどうしようもない。逃げたいならば自分の力で走るしかない。
 が、突然ユージオが呻くような声を上げて、ぐらりと前のめりに倒れ込んだ。二人揃ってべしゃりと床に叩き付けられる。
 一体何事が起きたのかわからなかった。

「いた……ユージオ……?」

 どうにか起き上がり、ユージオの上から退いたクランカイトは、自分たちに被さるように落ちた影に気付いて言葉を切った。
 うつ伏せに倒れ込んだユージオの頭から、赤く血が流れていた。被さる影はゆらりと動く。――明らかに生きた人間の影だった。

「どっから紛れ込んだか知らねえが、やっぱり見張りの一人は残しておくべきだったな」

 男の吐き捨てるような呟きも、耳に入ってこなかった。
 板目に沿って赤く血が這っていくのが見える。傷口を手で押さえても、指の隙間からはらはらと赤い滴が溢れて止まらない。手を真っ赤に染めながらも、他に何をすればいいのかわからない。頭の中は真っ白だった。

「ユージオ……ッ」

 堪えきれない混乱がそのまま口を衝いたかのように、クランカイトは悲痛な叫び声を上げた。

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