異端者達 18
© 2019 sasori_bi 日が暮れていくに従って、紙に書かれた文字は読み取れなくなっていく。
自然、目を凝らしている自分に気付き、ユージオは渋々起き上がって古いランプに火をつけた。敷いて寝転がっていたローブは、せっかくシグリが綺麗にしてくれたのにまた埃と砂にまみれている。
溜め息を吐きながら、ほとんど荒らすようにして床一面に広げた紙の束をユージオは拾い上げる。そろそろ礼拝堂の門限が近い。これを片付けて戻らなければ――と憂鬱な気持ちだ。
だが、物音を耳で拾って、ユージオは顔を上げた。誰かが木戸を開ける音だった。
そこに立つ人影に、ユージオは目を丸くする。
「……どうしてここが?」
入り口を潜って姿を見せたのは、クランカイトだった。
学校が終わって、いなくなったユージオを探しに来たのだろう。フローレインの姿はないが、先に帰したのだろうか。でも二人にこの場所を教えたことはなかったはずだし、そもそも誘拐されて早々、こんなところに一人で来るとは少し不用心なのでは。
クランカイトは紙を踏まないように中へ足を踏み入れる。
「たまにお前がこの辺でいなくなるから。近くの家の人に『薬師の家』って聞いたら、ここを教えられた」
「……そっか」
「どうして今日、いなくなったんだ」
クランカイトに問われ、ユージオは机に避けておいた一枚の紙を手に取った。母の手跡を荒らす最中に見つけたもの――いや、ふと思い立ってクランカイトの名前の頭文字の列を探して、案の定棚の中から探し当てたものだった。
内容はすでに二、三度、目を通している。
「『クランカイト・アステリア。年齢不明。性別・男。王都周辺の森の中にて、倒れているところをユージオが発見。意識なし。呼び掛けに反応なし。外傷なし、発熱なし。心音異常なし、呼吸正常。病歴・薬歴等不明』」
「…………」
ユージオの母、アルシーナが残した患者の状態の記録だ。
小難しく書かれているので当時は読めなかったが、読むだけなら今はもう問題なく、アルシーナが独自に使っていた記号以外ならば、意味も大体は理解できる。
そこにはクランカイトの身体の異常について触れられていた。
「『外的な異常見られず、疾患・外傷以外と判断。触診にて、異常な魔力の汚濁が認められる。検査のため自宅へ搬送。検査結果・陽性』」
クランカイトは何も言わなかった。否定しないところを見ると同姓同名の別人ということはないようだ。
その反応を確かめながらユージオはさらにその先を読み上げる。
「『処置・外部からの魔力の投与。今回は応急処置として同質と思しきユージオの魔力を一時的に患者に投与。汚濁を薄める目的のため』」
何年も前のことなので、覚えていない。おそらく母に言われてやったことだろうが、その後、拝火の儀の時にも同じことをした覚えはある。奇しくも意図せず二度同じことをしていたとは、笑っていいのか何なのか。
「『処置後、意識回復。魔力異常の原因は不明。魔力異常の一時的な浄化の方法を説明。現在その根本的な治療法は――』」
「『見つかっていない』……だろう?」
クランカイトが言葉尻に重ねるように続けた。ユージオは沈痛な顔つきで頷く。
ここにも書いてある通り、処置は一時的なものでしかない。継続的に浄化を行わなければならないこと、浄化の方法、汚濁の有無の判断方法、魔法を使う場合の注意点。薬の処方は行わなかった旨も書かれている。一通りアルシーナは書き残して――それが一枚しかないということは、一度きりの診療だったようだ。
ユージオは記録を机の上に置いて、床の上の紙の整頓に戻る。
「ここで診たことがあったんだな」
「そうみたいだな。……教えて貰った浄化の方法は今でも役に立ってる。てっきり医者なのかと思っていたが、薬師だったんだな」
「覚えてないか」
「あの頃、何が原因かわからないから医者から呪い師まで散々変なのに診せられたもんで、どれが誰やらって状態だ。けど――礼拝堂で会った日に、魔力のやり取りをしただろう。それが――なんだか懐かしくて、すごく息が楽になった。二度目だったんだな」
いや、この時の場合、応急処置にしたって当人の同意もなしに、息子にこんなことをやらせる母とはどうなのか――とユージオは気まずい思いになりながら、ぼそぼそと話題を逸らす。
「……その時、魔法が苦手って言ってたのって、もしかして」
「そう。魔力が濁るせいか、陣がちゃんと閉じないんだ。反作用が大きくて、上手く行かないことの方が多い。浄化した後はだいぶマシなんだが、濁りがひどい時なんかは絶対うまくいかなくて」
思えばクランカイトはあまり魔法を使おうとはしなかった。実技の授業では使っているところを見掛けていたので、あまりそのことに対して疑問を持つことはなかったのだが――それ以外で一切使わないことに、ユージオは今の今まで気が付かなかった。
気が付いていれば、ヴェーダたちに攫われる前、一人になどしなかったかも知れないのに。
「心当たりは?」
悔しさを噛み殺して冷静に尋ねると、クランカイトは自棄を感じさせる笑みを浮かべた。
「さあ。俺は――悪魔にでも憑かれてるからだと思ってるけど」
「馬鹿なことを」
「あながち冗談でもないんだな」
むしろ、冗談以外の何があるのかと問い返しそうになったが、クランカイトにそんな素振りが見られないために口を噤んだ。
クランカイトはそこらの椅子に腰掛ける。ユージオはその存外に真剣な顔を見て、片付けの手を止めた。床に座り込んだままクランカイトを見上げる。その、自嘲が入り混じる笑みを。
「誘拐されたのは、今回が初めてじゃない」
「?」
急に一転した話題に首を傾げるユージオに、クランカイトは一応というように説明をくれる。
「俺の魔力に関係すること、だと俺は思ってる。未遂が一度と、監禁されたのが一度。監禁された時は、レインも一緒だった」
ユージオはクランカイトの話に耳を傾けることにした。
「二人一緒に監禁されたのか。身代金目当て?」
「そう。その時は――たぶん融資を断られた腹いせだったかな。そんな会話を聞いたと思ったけど、今はもう真相はわからない」
なぜ、とユージオは尋ねなかった。二人とも今こうして生きているなら、無事に解放されたということだ。犯人が何を思ったかなど、知りたくもないしどうでもよかった。
クランカイトの話は淡々と続けられる。
「その時は飯も満足に食えなくて、一週間ぐらいずっと閉じ込められて。あの時、もう死ぬんだって思った。でも、隣で俺よりももっと弱っているレインを見たら――それが許せなかった」
「……うん」
だから、とクランカイトは目を伏せる。身動ぎに反応して、耳飾りがゆらりと不安げに揺れた。
「死にもの狂いで願ったんだ。神様でも悪魔でも何でもいいから、レインを助けてくれって。俺は死んでもいいからレインだけは生かしてくれ、これ以上何もひどい目に遭うことなく、無事に家に帰してやってくれって――心の底から本気で思った」
「馬鹿なことを……」
どうしてそれで、自分は死んでもいいことになるのだろう。仮に願った通りになって、残されたフローレインがどう思うのか、クランカイトは考えていない。
悲しい気持ちで呟くが、クランカイトは苦い笑みを見せた。
「もう、まともにものを考えることもできなかったから、考え方も究極まで行ってて。……それができないなら、あの連中を殺す手段を俺にくれと思った。皆殺しにしてでもレインを生かしてやるんだって。あの時、俺は、レインが生きてくれるなら、人を殺すぐらい平気だった。どんな残酷なことでもできると思った」
「……あんた」
「普通じゃないよな。でも、俺はそういうことを考えられる人間らしい。仮に魔法が使えて、人間にそれが効くんだとしたら、俺はきっと――そうしてたと思う」
ユージオは息を呑む。気圧されたように身動きができなかった。クランカイトに対する恐怖も少しあり、そして――それ以上にこの男がそれほど苛烈な激情を持つことに驚いた。
燃え盛る炎よりも、暴れ狂う海よりもよほど激しく。自分の執着のために、命を投げ打つことも厭わずに、何かを願って――
「そうしたら――偶然にしては出来過ぎた話だ。野犬の群れが家の中に飛び込んできて。犯人を次々噛み殺した」
「野犬……?」
ユージオは怪訝な顔で問い返す。クランカイトもユージオの反応を至極当然というように頷いて見せた。
「結構な数だったな。犯人は皆死んだらしい。その騒ぎに乗じて、俺たちはそこを逃げ出して――近くにいた人に助けて貰って、家に戻れた。俺もレインも衰弱してはいたけど、どうにか生き長らえて、こうして生きていられた」
半ば信じられないような思いで呟く。
「そんなことがあるのか」
「軍人たちも言ってたな。白昼、野犬が民家に入ってまで人を噛み殺すなんて、初めて見たって。こんなことが起こるものなのかって」
どう考えても不自然な事態だ。夜の森の中ならいざ知らず、白昼の民家に野犬が攻め入ってくるなど、あるものではない。それではまるで、本当に二人を助けるための何かの力が働いたとしか思えない。
クランカイトもそう思ったのだろう。
「――悪魔と取引してそんなことをするのなんて、俺しかいない」
長い睫毛が伏せられて、翠玉の瞳に昏く影を落とす。その横顔は無性にユージオの胸を騒がせた。
「その頃からかな。魔力がおかしくなったのは」
「!」
やっとのことクランカイトの話の前後の関連が見えて、ユージオは顔を上げる。少なくともクランカイト自身は、そのことを関連付けて考えているのだろう。ユージオは客観的にそう推察しながら話の続きを待つ。
「頻繁に倒れるようになって。医者に診て貰っても、原因がわからなかった。色んな医者を呼んだけど、理由がわからず仕舞い。それまではなんともなかったし、魔法も普通に使えてたんだけど――ひどい時には、三日寝込んで目が覚めないぐらい」
この紙にも書かれている。森の中で倒れていたと。魔力の汚濁が原因で体調を崩し、気を失ったところだったのだろう。どうやら自分がそれを見つけて母に知らせたようだが、さすがにその記憶は残っていない。
「終いには母さんがおかしげな呪い師まで呼んできて――お祓いだのなんだのと、変なものを買わされて、俺も変な儀式に巻き込まれて」
「藪医者とインチキ詐欺師しか呼んでなかったようだな」
「そうみたいだ。それか、ユージオの母さんがよほどの腕だったか」
ユージオは「どうだか」と短く答えた。母を褒められて気恥ずかしい気持ちを隠すために、どうしても言葉は素っ気なくなる。
そんなことよりも、それが本当に悪魔の仕業だとクランカイトが思っていることが意外だ。
「悪魔を見たとかいうわけじゃ、ないんだろう」
「そうは言っても、願ったのは本当だ。軽蔑するか? 縋る相手が神様じゃなくて」
「しない!」
ユージオは弾かれたように否定の声を上げる。
その返事にクランカイトは少し安堵を見せた。あの不穏な表情は消え、苦い笑みだけを見せている。それは、いつものクランカイトの表情にとても近い。
「悪魔と取引した代償にしては安いもんだ。俺の魔力は濁りやすくて、そのせいで魔法もまともに使えない。でも、信じなくてもいい。俺も自分で言ってて冗談みたいだと思うし。だから変に気を遣ったりはしなくてい……」
「信じるよ」
ユージオは泣きそうな思いで答えた。
はっきりと言い切られて驚いたのか、クランカイトが目を瞠る。その顔を真っ向から見据えて、ユージオは勢いよく立ち上がる。
嬉しかったのだ。クランカイトが母の話を聞いてくれたことが。噂に上る黒魔女ではない、ユージオが知るアルシーナのことを聞いてくれたのは、クランカイトだけだった。
それなのに、せっかくクランカイトが話してくれたことを嘘だなどとは思いたくなかった。
「嘘じゃないって信じる。でも、あんたが悪魔と取引したなんて話は、信じない。あんたがどれだけ本気でそうだと思っても。あんたの――レインを守りたいって気持ちが、悪魔に付け入られるようなよこしまな気持ちなはずないって、俺が断言してやる」
クランカイトに詰め寄って、ユージオは涙に詰まる声を絞り出す。
無性に泣きたい気持ちだった。フローレインを助けようとしただけで、どうして悪魔に魅入られたりするものか。それに、クランカイト自身がそう思っていることも許せなかった。
涙がぽつぽつと床に落ちる。止めようと思ってもどうしても止まらなかった。
「あんたがどれだけ信じなくても、俺は絶対に違うって言う。きっと証明だってしてやる。それで、あんたが信じてくれるまでずっと、違うんだって言ってやるから。だから」
「ユージオ」
「あんたも――レインを助けようと思うぐらい、自分のことも助けようと思ってくれ。攫われて仕方ないなんて……一人で逃げろなんて、言わな……」
悲しかったのだ。
ヴェーダたちに誘拐された時も、その前も。クランカイトは自分が生きようとするためには、誰かのためほど頑張ってくれない。もしそれで死んだ時、周りの人がどんな気持ちになるかなど想像してくれない。もう誰かに置いて行かれるのは嫌なのに、誰かに置いて行かれたことのないクランカイトは、そんな気持ちをわかってくれない。
クランカイトは、泣いているユージオの頬に触れてくる。涙を拭う指先が温かくて、いっそう涙は止まらなくなる。
ぼやける視界の中で、クランカイトが苦く笑うのが見えた。
「やっと泣き顔見れた」
「あんたのためじゃないし、見世物でもない」
「そうじゃない。泣いて欲しかった」
お前、陰口言われても、母親の話をする時でも、泣かなかったから。
クランカイトは優しい声音でそう言う。揶揄されたのかと思ったが、どうやらそうではないようだ。慈しむように触れてくる手がそれを証明している。
と、クランカイトは先ほどのユージオの懇願に答えた。
「お前に助けられた命だ。そうする」
クランカイトの他人任せな返答は、ユージオの癇に障った。ユージオは思わず悲しさを忘れ、かっと湧き上がった怒りに呑まれて返していた。
「言われなくても、そうしろ!」
「わかった。一人で逃げろなんて言わない。約束するから」
苦い笑みで答えると、クランカイトは穏やかな目で、思いがけず真摯な声を出した。
「だからお前も、一人で悩んだりしないでくれ」
「!」
はっとして思わず後ずさる。その手を掴んでその場に留め、クランカイトは笑みを消した。
何のことを言っているのか、ユージオには当然のこと覚えがある。クランカイトが言っているのはそのことだろう。
「学校で、様子が変だった。いや、もしかするとユージオにとって、様子が変だったのは俺たちの方だったのかもな。……どうしてだ」
「……言えない」
「言えないけど、何かわかってるって顔してる」
見透かしたように言われて、ユージオはふいと顔を背けた。本当に、どうしてこうも何でも伝わってしまうのか。それこそ本当に悪魔の読心術でも持っているのではないかと忌々しく思った。
クランカイトはどことなく非難げに言う。
「一人で逃げろって言った時、お前が俺に言ったんだ。頼まれても一人にしないって。俺もそうするから。頼まれても一人にしない」
要らないことを言わなければよかった――といささか後悔したが、もう遅い。それに、後悔よりも安堵の方がもっと大きい、そんな自分がクランカイトを責められる立場でもない。
「一人で悩ませたりも、しない」
そう言ってユージオの涙を拭ったクランカイトは、翠玉の瞳を細めてしたりというように笑った。© 2019 sasori_bi
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