魔法使いの青少年 4
© 2019 sasori_bi 石造りの礼拝堂は入ると火の気でほんのりと熱が籠っている。空気はいつでも乾いて、塔の中には必ず巫女が一人二人、代わる代わる火を見ていた。祝詞を上げる時には司祭が出てくるが、そうでなければここで司祭の姿を見ることは基本的にない。
――特別な魔法を使うようなことがなければ。
クランカイトとユージオは礼拝堂の中へ足を踏み入れる。広い吹き抜けの塔は帰りの足でやってきた信徒が並んでおり、粛々と火を拝んで帰っていく。
順番を待って、灯火具の上で揺れる大火に手をかざしたユージオが、目を伏せてゆっくりと魔力を流す。その様子は目で視認できないが、微かに炎が音を立てて燃えるのを合図にしたように、彼はかざした手を下ろした。
クランカイトを振り返ったユージオは、周囲をはばかりながら小声で問い掛けてくる。
「大丈夫か、魔力」
クランカイトの魔力が濁りやすい性質を気に掛けてくれているのだろう。体調に異変がないとはいえ、濁った魔力を使うのにどんな悪影響があるのか完全にはわかっていない。
おそるおそる尋ねてくるユージオに、クランカイトは思い出したように呟いた。
「そういえば処置して貰ってないな」
「自分で浄化しろ。水晶、足りてるだろ」
「安かねえんだよなあ」
「うるさいクソ金持ち」
クランカイトの魔力の濁りは水晶に吸わせ、水晶は払魔の葉に包んで自然に浄化されるのを待つ。だが、石の浄化が終わらなければ葉を解くこともできないし、石の浄化が濁りに追い付かない。自然、濁った魔力を浄化した石は溜まる一方になり、次々に新しい石を買わなければならなかった。
薬代とほとんど同義だが、ユージオの処置の方が安上がりで済むのは事実だ。だが、それが年を追うにつれ、なぜかユージオが妙に嫌がるようになった。現に今も素気なく暴言を残すと、クランカイトを置いて塔の外へ出る。
ユージオ同様に聖火に手をかざして儀礼を済ませると、後を追うようにして塔から出てきた。そこには待っていたユージオの姿がある。
「送ってくれんなら、ついでになんか買って行こうぜ。腹減った」
礼拝堂に住んでいるユージオが、わざわざ礼拝堂の外に出てくる理由を考えれば、他にない。自分を案じてくれているのだろう。
そう推察するクランカイトに眉をひそめ、ユージオは冷たい返事を寄越してくる。
「……あんたのは無用の体力を消耗しているからだと思うが」
「ああ、賭け勝負のことか。なんか面白くなってきて、止め時がわかんねえんだよな。何でああなったのか忘れちまった」
「シスコンって知ってるか」
「身に覚えはある」
臆面もなく堂々と答えながら、クランカイトはユージオを伴って帰路を歩く。昔は大通りともなると往来が多く、子供の背丈では埋もれてしまうほどだったが、さすがに背が伸びて人波でも互いの姿を見失うことはなくなった。
クランカイトは近くの馴染みの露店に立ち寄って、焼き立ての軽食を買い付ける。
「ほら、焼きパン。お前の分」
小麦粉を練った生地に具を詰めて焼いたものだ。油でついた焦げ目が香ばしい。夕食前の軽食にちょうどいい大きさだった。
二つ買って、包みの一つをユージオに渡す。昔は一つを三人で分けていたりしたのに、それではすっかり足りなくなった。彼は呆れ顔でそれを受け取る。
「……礼拝堂ならともかく、あんたの家の夕飯が足りないわけがないんだから。夕飯まで待てばいいだろうに」
「あ。飯と言えば、お前、うちで飯食っていかねえのか。母さんたちが会いたがってたぞ」
礼拝堂の食事は質素なもので、食べ盛りには少しばかり物足りない内容だろう。それを心配した母のシグリや、父親のクラウディアスが何かとユージオを食事に招きたがっていることを、ユージオは知らないだろうが。
「試験合格の祝いをしようとさ。ついでに泊まってきゃ、実験の続き、付き合うけど」
「……身の危険を感じるから嫌だ」
「賢明だな。まあそれはともかく、ちょっと気になったんだが」
ユージオが泣き言のように「否定しろ」と呟くが、クランカイトはその言葉を無視した。
「例の魔法式を解いてどうする気だ? 必要がなきゃ、人に魔法なんか使いたくないんだろう。なら、解いても使い道がないんじゃねえか」
むぐむぐとパンをかじっていたユージオが、嚥下したのちにやおら答える。
「……だって気になる」
「それだけか」
そんな好奇心だけのために、何日も頭を悩ませてものを考える必要があるのかと、クランカイトは少し不思議に思った。
だが、ユージオのそれは単純な好奇心だけとも一概には言えないようだった。
「理由がないなんて思いたくない。何もかも。……だから知りたい」
茜色の瞳が物悲しそうな色を帯びる。その感情の理由をすべてクランカイトが知って、理解できているわけではないだろう。けれど、わかることもある。
ユージオの横顔の、その耳元で耳飾りがゆらゆらと揺れる。
「例えばこの魔法式だって、今は大雑把だけど、改良すれば攻撃性のある魔法だけを遮断して、治癒が使えるようになるかも知れない。そうしたら病気の治癒の魔法が発展するかも」
「ブリード教がこの魔法式に手を加えるのを許すとは思えねえけどな」
ユージオの言葉をばっさりと切り捨て、クランカイトはさらにたたみ掛ける。
「迂闊に何か変えようとして、加護の仕組みが信徒に広がりでもしてみろ。お前が考えるような反魔法式を組み立てて、どうにかして人に危害を加えようとする輩が出る。それに対応して加護の精度をさらに高めても、反抗する魔法がさらに巧妙になる。不毛ないたちごっこが始まるだけだ」
結局、下手に禁忌をつつけば争いの火種になる。だからブリード教としては、信徒がなるべく無知である方が望ましいのだ。かつてブリード教の司祭が、クランカイトとフローレインから人体への魔法に関する記憶を消したことを考えても、余計なことを知っているべきではない。
「魔法でなくても、どうにかして耳飾りを奪おうとも考え出すだろう。そういう連中はきっと、もともとはどんな手を使っても人を害するのに変わりないだろうが。そこに魔法が使われるようになれば、大勢を一度に殺すのも楽かもな。……本当にきりがない」
「えぐい想像をするな」
「俺ですら考えることを、他の誰かが考えないわけがない。これは神の御業の範疇で、人間が手を加えられるもんじゃない、ってことにしておく方が、よほど話が簡単だ。だから禁忌なんだろう。そもそも知らなくていいことだったんだ」
気付いてしまえば単純な仕掛けだ、もしかしたら耳飾りのことに気付いている者もいるだろう。ブリード教、あるいはガレシア軍がそういう人間の口を封じている。そう考えると腑に落ちるものもある。そして、ユージオのやっていることを考えれば、その口封じの手が今度はユージオに伸びるであろう可能性も、クランカイトは考えていた。
何をされるかわからない。そんな危険を冒している自覚が、本当にあるのだろうかと。
「もう一度聞くぞ。知ってどうなる」
仕組みを解いて、この国の諍いの火種を握り、命を危険に晒す。そんなことと引き換えるほどに知らなければならないことではないのではないか。
そう尋ねるクランカイトに、ユージオは唐突に声を荒げた。
「あんたが言ったんだ!」
「……俺?」
「俺の母さんが、俺を残して死ぬつもりなんかなかったって。そういうことが……何もなかったら俺はきっと、知らないままだった」
クランカイトが誘拐されて、異端者と呼ばれた人間に関わって。そういうきっかけで知ったことがある。
「知りたくなかったとは思わない。思いたくない。だから」
ユージオが切なく眉をひそめる。その表情にどれほどクランカイトの胸の内が騒ぐか、きっと知りもしない。
「どんなことでもいいから知りたい。それが意味のないことだと俺は思わない。知ってどうなるかは……わからない、から」
少しの間口籠り、そうかと思えばユージオは捨て鉢に呟く。
「その時考える」
「投げたな」
「……うるさい」
知っていたことだが、後先考えずに行動するというか、考えた上でも結局その場の勢いで動くのでさらに性質が悪いというか。
「昔っから、そういうとこが気に入ってるんだけど」
だからそれについて非難する権利は、きっと自分にはないのだろう。
クランカイトがわかることを、ユージオがわかっていないはずはない。それでも承知でやろうとしているなら、クランカイトが無理やり止めさせる理由はない。
パンをほとんど平らげると、クランカイトはユージオにひらりと手を振った。
「見送り、ここまででいいぞ。門限近いだろ」
「…………」
「どうした」
振り返って帰してやろうと言葉を掛けると、足を止めたユージオがうち捨てられたような顔になる。
クランカイトが首を傾げるさまに、はたと我に返ったような顔に変わったが。
「……な、なんでも、ない」
なんでもないことがあるだろうかとクランカイトは首を傾げたままだったが、ユージオはさっと踵を返して駆け出していく。
その後ろ姿に向かってクランカイトは声を上げた。
「また明日」
「ああ。また明日」
返された返事はいつも通り、毎日顔を合わせることが当然になっている二人の、毎日の決まり文句だった。
© 2019 sasori_bi
prev / next