魔法使いの青少年 5
© 2019 sasori_bi 家に帰ると、書斎にいたフローレインが振り返る。シグリは奉公人と共に厨房に入って夕食の支度をしているのだろう。クラウディアスはまだ帰っておらず、家族が集まって寛ぐ書斎は、今はフローレイン一人だった。
「おかえり、カイト。礼拝堂行ってたの?」
三日前に行ったことを覚えていたのだろう。
何の気なしに尋ねてくるフローレインに、クランカイトは鞄を置きながらしれっと答える。
「そう。帰りは途中までユージオが送ってくれた」
「ちょっと、また除け者にして! っていうかユージオにわざわざ送って貰うとか、何様!?」
「両替商のご子息様」
一筋の間も置かず返すクランカイトに、フローレインがあからさまに苦い顔をする。羨ましさと、除け者にされた悔しさのせいだろう。だが、フローレインをあの小屋に連れて行ったことはないし、あの場所でやっていることを考えると、どうしてもあそこに連れていくことはできない。
制服の上着を脱いでいると、フローレインが持っていた筆記具を放り出しながら身体の向きを変えてくる。教科書を広げている最中だったらしい。
わざわざ身体を向けてくるとは一体何の用だろう。そう思っていると、フローレインは真剣そのものの顔つきになる。
「あのさあカイト、何でユージオと付き合わないの」
投げられた問いは、何の脈絡もないものだった。
クランカイトは顔色を変えず、長椅子に腰掛けてあっけらかんと答えた。
「何でって。ユージオにその気がないからだろ」
クランカイトがユージオに対してどう思っているか、彼女に隠したことはない。むしろフローレインがいてもお構いなしでユージオに言い寄ってきたため、さすがのフローレインでも気付かないはずはなく。昔からクランカイトのユージオへの好意は一貫していたし、フローレインも半ば呆れつつその事実を受け止めていた。
だが、だからこそクランカイトの答えに納得がいかない様子で、フローレインは溜め息混じりにぼやく。
「えーだってユージオってさあ……どう考えてもカイトのこと好きじゃん」
「俺もそう思う」
「その自信どっから来るのか全然わかんないけど」
フローレインが首を横に振るが、撤回しないところを見るとやはり同じ意見に変わりはないのだろう。
「何だかんだ、カイトのこと心配して送ったり、すっごい特別扱いしてさ。……両想いなのに何で付き合わないのか意味わかんない」
明らかに近過ぎる間合いを許す。クランカイトの好意を口ではぞんざいにしながらも、拒絶することはない。幼馴染という関係性を越えて接するクランカイトを、それでも遠ざけずに誰よりも傍にいることを受け入れている。
同情や、寂しさに付け込まれているだけでないことぐらい、見ていればわかる。それでもクランカイトの想いをあしらい続けるのは、ただ感情的な問題ではない。
「まあ、色々考えることがあるんだろうよ」
「何それ、面倒くさい……」
大体の見当はついているが、クランカイトはあえて言うことはしなかった。
フローレインは溜め息を吐いて肩を落とす。その落胆はどうも、クランカイトたちのこと以外の出来事も含まれているようだ。
「好き合ってるのに付き合わないとか、付き合いたいから紹介してくれとか、付き合ってもないのに付き合ってるとか、本当に何でこんなに面倒なんだろう。花嫁修業とか叙勲とか、最近面倒くさいことばっかりだ……」
ぼやくフローレインはずるずると姿勢を崩して机に突っ伏した。どれが何の文句か薄々見当はつくが、それについて慰めの一つも掛けてやる気は、クランカイトにはなく。
ただ疑いの眼差しだけを向けた。
「面倒くさいってぼやけるほどちゃんとやってんのか」
「ウーン……ボチボチデスネ」
「せめてこっち見て言え」
フローレインは顔を伏せたまま投げ出すように答える。心無い返答は真面目に取り合っていない行いが表れた。
初等学校ではただ仲がいいで済んだだけの関係が、中等学校に入った途端に男女の仲を疑われるようになった。そうでなくとも女子生徒たちの関心事の中心なのだろう。色恋に対して未だ感応の薄いフローレインにはぴんと来ない話のようだが。
しかし、そろそろ好きな異性の名前が出てきてもおかしくないはずだ。そう思いながら、クランカイトは一切の躊躇もなく尋ねる。
「お前は。気になる奴いないのか。好みは」
フローレインの反応はやはり鈍い。
「えー……今のところは。カイトより強くてユージオより頭がいい人とかかなあ」
錬金術師より頭がいいとなると、中等学校の中ではほぼ壊滅的だ。ついでにクランカイトの無敗記録が更新され続けている現在、強いという点も加わると、もはや学内で該当の人物はいないと言っていい。
「……まあ、理想は自由だ」
「どういう意味?」
「お前が馬鹿だってことだよ」
「どういうことだか全然わかんないんですけど!?」
吐き捨てるように答えてやれば、嫌味だけはしっかり拾った。フローレインが心外という態度を取るが、なぜ貶されたのかまでは理解が及んでいない。
「言わせて貰うけど私、勉強そんなにひどいわけじゃないから! そりゃユージオやカイトほどじゃないけど、どの授業も平均割ってない!!」
クランカイトは耳に指を突っ込んで「お前の馬鹿は勉強云々とは関係ねえとこにあるんだけど」と言った後に、ついでのように続けた。
「まあそういえば最近、熱心に勉強してるよな。なんかあるのか」
ユージオと同じ授業を取って、あれこれと教えを請っているようだし、今も教科書を広げて何やら考え込んでいたようだ。中等学校へ入ったことをきっかけに、ずいぶん勉学に力を入れ始めたと思う。その理由をクランカイトは知らずにいた。
尋ねられたフローレインは釈然としない様子ながら、しどろもどろに質問に答える。
「なんか今聞き捨てならないこと言われたような……いや別に、なにってわけじゃ、ないけど。い、いざという、アレだよ。飯の種っていうか」
「貰い手付くの、諦めたか。まあいい心がけだと思うが」
「嫌なこと言うの止めてくれる!? そういうんじゃなくて!!」
誰かと結婚するのは諦めて、一人で手に職をつけて生きていく方向に切り替えたなら、それは悪くない判断なのでは。そんな失礼なことを思うクランカイトに、フローレインはすぐさま否定の声を上げた。
クランカイトは冗談で済ませ、改めて尋ねる。
「で、教科書開いて何してる」
「ちょっとわかんないとこあって。ユージオいたら聞きたかったんだけど、捕まらなくて。カイトでもいいよ」
「妥協に付き合うほど暇じゃねんだよな」
「椅子にふんぞり返って何もしてないのに暇じゃないってことある……?」
クランカイトの横柄な態度を上から下までとっくり眺めて、フローレインは得心がいかないという様子で首を傾げた。
机の教科書を持って椅子を立つと、クランカイトの目の前に仁王立ちで教科書を突き付けた。
「いいから見てよ。これなんだけど」
「おっ、三年の授業」
「取ってみた。……けどさすがに難しいや。ユージオと一緒じゃなかったら取ろうと思えなかったかも」
長椅子の隣に腰掛けて、フローレインは疲れたように呟いた。ずいぶん背伸びをしているようだ。色恋沙汰を後回しにしている原因が勉強疲れにあるのではと思ったが、それを指摘することはしなかった。
「解き方教えるから自分でやってみろ」
「優しくないよー……」
「俺はいつでも優しい」
フローレインは鼻で笑って「ほざくわあ」と肩を竦める。クランカイトはそれと瓜二つの表情でにっこりと笑った。
「やりたいことがあんなら、協力してやろうと思ったけど、止めた」
「あー嘘、嘘です! この口が思ってもないことを申しましたごめんなさい!! お許し下さい!」
「で、何がやりたいんだ」
教科書とは別の紙を手繰り寄せてガリガリと解説を書きつけながら、クランカイトは興味なさげに尋ねる。フローレインは手遊びしながらもそもそと歯切れの悪い返事だ。
「いや、その……何がやりたい、とかじゃないんだけど」
「あ?」
何をもごもご喋っているのかと半ば非難するようにクランカイトが声を上げる。
その冷ややかな声に苦く笑って、フローレインはそれでもやはり普段の溌剌さを失った声で、訥々と言葉を続けた。
「カイトたちが、前に言ってたことで……あの、捕まったっていう異教徒、のひとたちのこと……」
「……ヴェーダたちのことか」
クランカイトは持っていた筆記具を下ろして顔を上げた。主犯者の名を口にする彼は、明らかに顔色が変わる。その陰鬱とした表情を見るフローレインの顔色も、やはり冴えない。
フローレインにとっては『クランカイトを誘拐しようとした人間』ただそれだけのはずだ。あの時、ガレシア軍を呼んでクランカイトを助けに来たフローレインは、その後どうなったのかを覚えていないし、事実も知らない。異教を信仰した誘拐犯はガレシア軍に捕縛された。そう思っている。
だが、幾らか伝え聞いた話もあるらしい。
「あれって元々、うちが……その人たちとの約束を、破ったんだった……よね?」
伺うようにフローレインは顔を上げる。金色と水色、それぞれ色の違う瞳が縋るようにクランカイトを見上げる。一体どこでその話を耳にしたのかは知らないが。
「あのひとたちに言わせれば、そうらしいな」
「それがすごく……気になって。異教徒のひとに、どうしてそういうことするのかなって。私、は……」
フローレインの手が落ち着かないようにしきりに動いている。指を組んで、解いて、爪をいじって、また手を握る。俯く横顔はどこか憂鬱げに沈んでいた。
「そういうのやだなって……だって異教徒とか、そういうひとも……辛いとか悲しいとか嬉しいとか、そういうのは私たちと同じじゃん。なのに、約束破られて……生活が苦しくて、悪いこと……するしかなくなった、んだよね」
「悪いことを正当化していいわけじゃない」
「それはわかってる。そうじゃなくて私は、できればそういうひとが頑張ろうとするなら、協力したいなって。お金でもいいし、他のことでも……でもだからって何すればいいかはわかんないから、とりあえず……私がやれることやろうと思って」
ぐ、とフローレインの拳が握られる。思い悩んだ末に出した結論があるらしい。フローレインの横顔は腹を決めたような目つきに変わる。
「今の私がやれることって言ったら、お金持ちだからお金に困らずいっぱい勉強できることかなって……私、生意気かな。勝手に同情したりして、ただの傲慢かな。でも……見えるところで苦しんでるひと見捨てろって言われてもいやなんだ」
自分事でもないことに、ずいぶん思い悩んだらしい。クランカイトは、そんなフローレインの気持ちをいくらかわかっているつもりだった。
誘拐されて、父が仕事でやった仕打ちを知らされた。あの場でユージオが反論してくれて幾分気持ちは晴れたが、それでも衝撃だったことは否めない。フローレインがどんな聞かされ方をしたのかは知らないが、今に至るほど後を引くような情動があったことは確かだろう。
「何もしないで見なかった振りするの、難しい。どうしてもなんかしたい。そんなの見えないところにもいっぱいいるのに、見えるところだけどうにかしようなんて、カイトたちには馬鹿だって言われて仕方ないかも知れないし、結局ネヴィンを育てたのだって、私の自己満足なのかも知れないけど」
傷を負って、そのままにすればやがて死に逝くであろう雛鳥。それが自然だとユージオとクランカイトは言った。自然に逆らって手を出せばその雛鳥は、ただの家畜に成り下がるとも。
それでも頑として譲らなかったフローレインが懐かしく思い出される。似たような出来事が他に何度もあった。あの頃と何も変わらない。
「……異教徒だっていうことは、約束破っていいことにならない。ずっとそう思ってる」
それはたぶん、フローレインの親への反抗心だったのかも知れない。だが、クランカイトはふと思いついた考えをそのままフローレインに投げ掛けていた。
「お前、両替商やりたいのか」
「!!」
フローレインは大袈裟なほどの動揺を見せる。持っていた教科書も筆記具も、その手を滑り床に散らばっていく。そこまで慌てるほどのことかと思わずにいられない。
「そ、そういうんじゃない。……違うから。カイトがやることじゃん、それは。わわわ私、そんな大それたこと考えてないからね!?」
「……まあ、そういうことにしとくけど」
「いや本当だから! 何で疑うの!? 本当にカイトって疑り深くて陰湿だよね!」
「いやまったく疑り深いし陰湿だし根性も曲がってるし性格も悪くて困るな?」
「そんなに言ってない!」
別にそんなことぐらい、隠すようなことでも何でもないのでは――とクランカイトは内心思ったが、口には出さなかった。あてつけがましい嫌味の一つも掛けてやると、フローレインは不本意そうな声を上げる。昔と比べても、見た目が育ったわりには騒がしさが落ち着く気配はない。
クランカイトは考え込むように自分の口元に手を遣った。
「まあでも、お前は知らねえことだろうけど、優しさらしきものがないではない」
「……な、何企んでる?」
クランカイトは揶揄するように「企んでるかもな」と笑ってやる。あからさまに疑って掛かる態度に嫌味の一つも返したくなったが、今回ばかりはそれもしなかった。
「お前が助けを必要だっていうなら、手を貸すぐらいの慈悲は持ち合わせてる。知らなかっただろ」
勝気な笑みで言い放つクランカイトに、フローレインは目を丸くして固まっていた。
口から出る言葉もぎこちない。
「ななななに、トツゼン」
「困ったことがあったら言えよ。俺もユージオも、お前が困ってるの見捨てるほど非情じゃねえつもりだから」
言って、フローレインの頭をぐしゃぐしゃと無遠慮に撫でる。髪を掻き乱されて可愛らしさとは無縁の悲鳴を上げるフローレインは、クランカイトの手を叩き落として顔を上げた。
普段なら怒りを露わにするところが、今日に限っては怒る気も起きないというように眉尻を下げる。両手で髪を直しながら視線を逸らし、ぼそぼそときまり悪そうに答えた。
「……わかってるよ、そのぐらい。カイトもユージオもいっつも除け者にするくせに、初等学校、先に卒業しないで待ってくれてたし」
ユージオもクランカイトも、その気になれば卒業試験を受けて何年か早く卒業することも可能だったはずだ。それでも悠長に一年ずつ進級試験を受けて行ったのは、フローレインを置いて卒業する気がなかったからだった。
言葉にしたことはなかったが、さすがのフローレインでもわからないはずはない。後ろめたいのか、それでも嬉しいのか。どちらもあるのだろう。照れくさそうなフローレインに、クランカイトは笑みを深める。
「空いた時間で剣なんか触ってたただけだ」
「……でもありがとう」
しおらしく感謝を述べるフローレインに、クランカイトは否定も肯定もせずにただ笑っていた。
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