魔法使いの青少年 10
© 2019 sasori_bi ユージオがまとめた話によると、こうだ。
聖宮はブリード教の総本山であり、王の妃候補の女が集められ、その中でのみ生活する。王子を産めば、晴れて王妃に。あるいは神祇官として高い地位が与えられる。そうでなければ生涯、男を知らずに狭い聖宮の中で生きる。
聖宮の中に立ち入れる男は王族のみ。世話のための出入りの女性はいるが、聖宮の巫女は外に出ることができない。外との連絡を取ることもできない。粛々と戒律を守りながら聖宮の決まりに従って生活する。あるいは儀式の主体を担い、執り行う。世俗の享楽と完全に切り離された世界だ。
「中には、聖宮の巫女に選ばれて、逃げようとした女もいたらしい。結婚を約束した男がいたとかいなかったとか。だが、揃って反逆罪に問われた――真偽はわからないが、そういう記述もある」
「…………」
ユージオが疲れたように呟く言葉を、クランカイトは無言で聞いていた。
想像に難くない話だ。王のためだけの聖女。その栄誉を拒絶するなどあってはならない。より優れた子孫を残すため、聖宮の中に閉じ込められて生涯を終える。――ただ王のためだけに。
「レインは聖宮の巫女になるしかなくなった。王の勅令を拒否できるとは思えない。あんたの両親が納得するまで近衛兵は来るし、レインと引き換えに信じられないほどの大金が降ってくるだろうな」
「魔法みたいな?」
先日のユージオの話を思い出して、クランカイトは軽く尋ねた。得体の知れない、莫大な金。魔法はそれに似ているという。
だが、クランカイトの軽薄な態度に、ユージオは嫌な顔をした。
「こんな時に茶化すな」
「茶化さないとやってらんねえ気分だ。うちをなんだと思ってんだ。両替商のアステリアだぞ、金なら腐るほど持ってる。それをいくら積まれたところで、大事な身内の対価になるかよ」
「…………」
冗談めかしたクランカイトの言葉が本音だと、気付いているのだろう。いつもの「クソ金持ち」という暴言すらなく、ユージオは何も言わずにただ憂鬱そうに目を伏せる。頑張って明るい話を探そうともしてくれたのだろう。だが、ざっと調べてその上で見つからなかったに違いない。
「大体、王なんてもういい歳だろう。それが、ガキもいいところの女が欲しいって? とんだ変態ジジイだな」
「不敬罪だぞ。レインの場合、王の妃候補じゃなく王子の方だ。俺らと似たような歳の王子がいる」
クランカイトは何度か瞬きをして、考え込む。聖宮に入ることが出来るのは、王と、その血族でも将来を期待された男子。――平たく言えば継嗣の王子だ。
フローレインが聖宮に呼ばれたのは、厳密には王の妃候補としてではない。ユージオはそう考えたらしい。
「確か今は王の子供が母親違いで五人いて……三人が王子で、二人が王女。後継者としての王子が一人いて、その母親が今代の王妃。継嗣として見込まれてるってことだ」
「王子は聖宮に入れるわけか」
「王妃の息子が十五で成人すると、聖宮の一角がその王子に解放される。レインはたぶんそっちだ。その……だからその、変態……とか、そういう、変な心配は要らない、けど」
ユージオは言い辛そうにもごもごと鈍い口調になる。色事に関係する話だと、急に口が重くなるのか。
その反応を見て少しからかってみようかと思ったが、止めた。不意にユージオの顔色が曇ったのを見つけて、クランカイトは口を閉ざした。
「……うまくすれば王妃ってだけで、それが幸せとも限らない。そうじゃないのが大多数なわけで……」
聖宮の中で後継者を産み、王妃になるのはたった一人だけだ。ただ、王妃の地位は子供の優劣に左右されるものであって、王の寵愛の深い証などではない。王妃であっても、普通の夫婦のように伴侶として愛されることとは違う。
悲しい思いをする女がそのほとんどだ。
「女の気持ちなんか、わからないけど。……たぶん聖宮では、継嗣を産むための存在価値でしかなくなるし、それができないなら、もう……あんたたち家族と引き離されて、その生死もわからないような生活で」
茜色の瞳が耐えられないというように閉じられる。その内に起こったものは、母を亡くした時の喪失感だろう。クランカイトは自然とそう思った。
「――完全な孤独だ」
ユージオが味わったものと同様の孤独。自分という存在を愛してくれる人を失うことと同じだ。愛情に飢えながら生きていくことになるのだろう。
その思いを一番知っているユージオは、フローレインのこの先を思って悲しそうな顔になる。
「そんな思い、させたくは、ない。けど」
「……難しそうだな」
「その……レインの性格なら、戒律に縛られる生活なんていうのは、窮屈なだけだろうし」
少なくとも王侯貴族のような家柄の娘ではない。両替商の娘として多少の窮屈な思いはしただろうが、それを差し引いても思うままのびのびと育った方だと思う。そんなフローレインに聖宮などという窮屈な場所が合うとは、ユージオには思えなかったようだ。
「レインはどう思うだろう……」
痛ましい顔色で指を組むユージオに、クランカイトは少しの間押し黙る。
日が傾いて、書庫は暗く影が落ちる。ユージオの夕日色の瞳が伏せられて、鈍く光を失う。その顔をじっと見下ろして、クランカイトは嘆息混じりに問い掛けた。
「……行きもしないうちから、ずいぶん心配するんだな?」
「当たり前だろう。昔から見てるんだぞ」
「うまくすりゃ王妃だぞ。レインもその気になるかも」
「レインが王子に憧れるような性質だったとは思えないんだが……」
胡乱げな視線に、クランカイトは渋い顔をした。ユージオの言う通り、王子様がどうと憧れるような年頃に、森の湖でネヴィンの餌になる虫を捕っていた女だ。クランカイトも自分で言った言葉に自分で『ないな』という否定が入ったことは事実だ。
少しの沈黙が下りる。その後、クランカイトはぽつりとユージオに釘を刺した。
「うっかり連れて逃げてみろ。国中で指名手配を受ける」
「誰がそんな恐ろしいこと、できるか」
「考えもしなかったって俺の目を見て言えんのか」
「…………」
ユージオは答えない。だが、クランカイトもユージオを責めなかった。それを考えたのは自分も同じだ。フローレインを連れて逃げる。きっと逃げおおせることは叶わないだろうと知ってもいたけれど。
クランカイトは不毛な会話を打ち切るように立ち上がった。
「まだ聞いてもいないレインの代わりに、俺らがあれこれと心配したって仕方ないだろう? 今日はもう帰るぞ」
そう言うなり、クランカイトは話を切り上げて積まれた本の山を持ち上げた。
書庫の照明がぽつりぽつりと灯り出す。外も暗くなってきた頃だろう。早く片付けてしまわなければ帰れそうにない。
だが、立ち上がったユージオは片付けのために動く気配がない。不思議に思って振り返ると、照明の光を映し込んだ茜色の瞳が潤んで輝いて見えた。一瞬だけ泣いているように見えたのは、クランカイトの杞憂だったようだが。
「……あんたは」
震えるユージオの声に、クランカイトは身体ごと振り返ってユージオを向く。担いだ本の山を持ったまま、ユージオの視線を真っ向から受けて首を傾げた。
「俺?」
「今の話を聞いて、困ったと……思ったんじゃないのか」
「何だそりゃ」
「さっき言ってただろう。困ったって。俺の今の話を聞いて、余計に困ったんじゃないのか」
クランカイトは微かに考え込むように目を瞑る。書庫に来る前にそんなことを言ったような気もするが、どうしようもないことがわかった以上、困ったところでどうしようもない。
そう結論付けると、クランカイトは目を開いてあっけらかんと答えた。
「ま、今心配しても仕方ない」
「俺が心配してるのは、レインだけじゃなくて……」
言い掛けてユージオは唇を噛む。もどかしく苛立つ子供のような表情に、クランカイトは続きを急かす言葉を掛けた。
「何?」
だが、求めた返答が得られることはなく。
「……この、大馬鹿野郎」
消え入りそうな言葉の意味を問い質す前に、ユージオは本を持ってさっさと階段を下りて行ってしまった。
© 2019 sasori_bi
prev / next