魔法使いの青少年 11
© 2019 sasori_bi 日が落ちて、城内はくまなく照明の光が満たす。
食事と酒が振る舞われる。着飾った女性たちが広間の中を鮮やかに彩り、男たちは談笑しながら静かに火花を散らす。時折、広間から姿を消す男女の姿も見られるが、何事もなかったかのように広間の歓談は続く。使用人たちは忙しなく料理や酒を持って行き来する。議会が催される期間の王城内での、毎晩行われる見慣れた光景だ。
そんな人間の感情渦巻く、きらびやかな明かりから逃げるように、イージアスは薄暗い自室に引き返した。その際、疲れたような溜め息の一つも漏れる。領地からの長旅を経て王都に上って早々、夜会にまで付き合っていられるほど開けた性格ではない。
だが、無人のはずの自室の中に人影を見つけたイージアスは、目を瞠った。
それは一瞬のことで、人影の正体に気付いた途端、すぐにまた藍色の瞳は気だるげに瞼を被る。
「怒っているか」
おもむろに掛けた問いに、青年が非難げな声で答えた。
「拗ねています。飼い犬を置き去りに自分だけ領地に帰る主人だなんて、毎度のことながら薄情さがほとほと身に染みますね」
ウルスラだ。軍服ではなく部屋着姿で、明かりもつけずに腕組みして待ち構えていた。アイスグリーンの瞳を物言いたげに細めて、ありありと不満顔をしている。もう二十歳を超えたいい大人だというのに、置き去りにされた子供のようないじけようだった。
「お前がやると言って軍に戻ったんだろう。放り出して帰るなんて許さないからな」
「もおー! こんなことならもう辞めます! 元々ちょっと暇だったから遊び心で入っただけですし……!」
「馬鹿なこと言ってないで働け。愛人呼ばわりされるヒモを養ってるより百倍いい」
イージアスは溜め息を吐きながら、脱いだ上着を椅子に掛ける。香水や食べ物や酒の匂い、言葉や感情すらも混ざり合って染みついているような気がして、とても着ていられない。
それほどにこの場所は、人の負の感情が解けないほど複雑に絡み合って満ちている。昼間に到着して一息吐く間もなく、王侯貴族に取り囲まれた。議会は始まり、どうにか付き人に荷物を部屋まで運ばせたものの、荷解きすらされていない。
――と思っていたが、背中から上着を羽織らせてくる男の手に、イージアスは瞬きする。
「そうは言っても、さすがにあなたがお出でになるとあっては、仕事をしてもいられませんで。早めに切り上げて、荷解きの方を済ませておきました」
いつも室内で使っている上着だ。荷物の中に紛れていたはずだが、片付けのついでに出しておいてくれたのか。見れば部屋の中も片付いて、荷物そのままのものは一つもない。
いつものことで手馴れてきたのだろう。
「きっとお疲れで戻られるかと思いましたので」
「褒めてつかわしてもいい」
「でしたら寝台で」
「調子に乗るな」
そう吐き捨てて振り返ったイージアスは、ウルスラの服の胸元を掴む。
成長著しいこの青年は、優にイージアスの背丈を越えている。わずかに背伸びをしなければ届かないのが業腹だ。そう思いながら踵を浮かして、ウルスラの唇に自分のそれを重ねる。
音を立ててすぐに離れれば、追い縋るようにまた唇が重ねられた。唇を舐めた舌が、ぬるりと口腔に入り込んでくる。潜んでいた舌を絡め取られ、じゃれつくように甘噛みをされる。
その傍ら、髪の結い紐を解かれ、髪を掻き乱された。うなじから髪に指を差し入れ、解けた髪を梳いていく。この男はどうもイージアスの髪が好きらしく、気が付くとよく髪で手遊びなどしている。
唇を離したウルスラは、縋るような潤んだ目つきでイージアスの目を覗き込んだ。
「……明日一日は閉会日なの、知ってますからね。一日、お時間下さっても罰は当たらないと思いますよ」
「お前、仕事は」
「非番合わせてきました」
すかさず答えてくるウルスラに、イージアスは顔を背けて嘆息する。毎度のことながら、置き去りにした男の機嫌取りに一日も潰されることになるとは、情けないというか時間が惜しいというか。自分も自分でそれを毎度許しているのも、甘いというか何というか。
だが、素直に応じるのも癪で、イージアスの返答は素っ気なくなる。
「不在の間の報告をしろ」
「……お預けにもほどがあるのではないですかね」
先ほどの縋るような哀愁を帯びた目つきから一転、すぐにまた非難げな表情に戻ったウルスラに、ほだされかけた自分を恥じた。催促する「さっさとしろ」という言葉にも力が入らない。
イージアスの上着を片付けながら、ウルスラはまるで世間話でもするかの調子で首を傾げる。
「報告と申しましても、そうですねえ……。あ、そういえば殿下にはもうお会いになりましたか?」
「いや、まだだ」
「あなたが城に上がったら、すぐ教えてくれと。一応、登城の日取りが今日だとは伝えてあるのですが」
イージアスは一瞬、身動きを止めた。
「……ウルスラ」
「まさかこれから会いに行くなんてお言いでありませんよね?」
咎めるようなウルスラの目つきに、その通りだと答えるのも良心が痛む。――いや、そもそも良心など持ち合わせた善人かというと悩ましいところだが、閉会中の数ヶ月、ウルスラを王都に置き去りにすることに対しては多少気が咎めるところはある。
が、そんなことも言っていられない。
「甥のようなものだ。心配して何が悪い」
「それを言ったら俺なんて息子じゃありませんでしたかね。もう少し俺の心配もして頂けません? というか、俺が残ってたんですから、心配するようなことはなかったんですけど」
怒涛の勢いで食って掛かってくるウルスラに、イージアスは疲れたような言葉を返す。
「ほんの一時の間だ、そのぐらい待て。万が一、明日訪ねて来られて後悔するのはお前だぞ」
「……いいでしょう。明日はお時間を下さると見做します。その時になって文句は聞きませんからね」
明日丸一日を引き換えに、とりあえず目先の短い外出は許されたようだ。安堵半分、憂い半分の溜め息を吐きながら、イージアスは着替えを探す。彼に会いに行くのに室内着では失礼に当たる。
ウルスラがそれを察知して着替えを出してきた。
「もう御年、十四にお成りですので。そろそろ東の宮が開けられるとおっしゃっていましたよ。本日も勅令が公示されて、近衛兵たちが娘を口説きに仰々しく出掛けていきました」
上着に袖を通すと、ウルスラが上着を着せてくる。前に回ってきて釦を止めようとする手は、さすがに制した。
「今回は魔法協会からの報告だったそうですから、担当区の礼拝堂はさぞ歯噛みしていることでしょうね。吠え面を拝みたいものです」
巫女を推選した礼拝堂は、選んだ巫女の出世如何によって優遇を受けることがある。そういう理由で礼拝堂は巫女の推薦に熱心だが、今回は協会に出し抜かれたようだ。さぞ腹立たしく思っていることだろう。
が、ウルスラの下世話な言葉には、いくら事実だとしてもさすがにイージアスは眉をひそめた。
「悪趣味だな」
「聖女を囲っておこうなんていうしきたりほど悪趣味じゃございませんて。……いつまでそんな古臭い慣習を続けるつもりなのでしょうかね、この国は。俗世から切り離されて、聖宮の中に閉じ込められて死ぬのを待つばかりの女は、あまりに気の毒だ」
イージアスはそれについて答える言葉が出なかった。
建国以来続く代々の慣習だ。聖宮に集められる巫女は、いわば大きな魔力を有する御子を産むための母体だ。聖宮を守り、かつ御子を産む。王の血以外が混じることは許されない。聖宮の聖職者はそのために女でなければならない。
が、ウルスラの表情は同情から一転、嘲笑の色に変わる。
「ま、同情もできない性根のひん曲がったような女が大半ですけどね。それとも、聖宮にいるから性根がひん曲がるんでしょうかね。とてもまともな人間のいられるところじゃなさそうで」
「余計なことは言わなくていい」
イージアスは呆れながらウルスラをたしなめ、上着の前を留める。鏡を覗き込み、そこに映った髪の乱れた自分の姿にか、嘆息混じりに呟いた。
「ガレシアを支えるのに必要なことだ」
「あなたは本当に、それでよいとお思いなのですか?」
イージアスが顔を上げる。ウルスラの思いがけず真剣な目と視線がぶつかった。アイスグリーンの瞳は冷たくイージアスへと現状を突き付ける。
「国内ではまた異端者が殺されました。ガレシア軍の手によって。……こんなことが続くような国で、本当にあなたはいいと思っていらっしゃるので?」
時折、ウルスラは今と同じようにイージアスの意見を質してくる。
イージアスはその問いに、いつもと同じ答えを返した。
「……王のご意思だ」
「俺はあなたのご意思を伺っているのですが」
「義憤か?」
「まさか。俺はただ、そういう古臭くてかったるい戒律のせいで思い悩むあなたが嫌なだけです」
軽やかに言い放ち、壁に凭れて腕を組む。言葉通り、ウルスラの表情からは義憤もなければ、同情心も窺えなかった。本当にウルスラにとっては、イージアスが思いわずらうことしか眼中にないようだ。
イージアスは見透かされたような思いで顔を背ける。ウルスラがなぜそんなことを尋ねてくるのか、わかっている。実際に悩み、憤っているのがイージアス自身だからだ。
ウルスラが調べて報告してくる国の現状は、表向きの平穏からはかけ離れていた。内密に次々殺される異端者と、秘密を知った人間の記憶を思うまま操作するブリード教。軍や国民の異端者への弾圧は、水面下で悪化する一方だ。まるでそのものが罪であるかのように。
その事実を知るほどに、思い悩む。このままでいいはずがないのだと。だが、もっと大局を見るのであれば、他に手段はない。人間がこれほど愚かでさえなければと思うしか。――国を守るためと言い聞かせるしかない。
「あなたが国を変えたいとおっしゃるなら、俺は現王を弑しても構わないのですが」
驚くような言葉に血の気が引いた。弾かれたように顔を上げる。
「ウルスラグナ」
イージアスは鋭く彼の名前を呼んだ。どうしても苛立ちを含んだ声になったのは、ウルスラへのというよりも、現状に対するもどかしさのせいだろう。
だが、それを差し引いても彼の不穏な言葉にはさすがに肝が冷えた。
「……冗談でも言うな」
「失礼をいたしました」
ウルスラは顔色を変えずにけろりと答えた。まるで自分がどんな悪さをしたのか自覚のない子供のように。実際、ウルスラは自分の言葉に対して露ほども罪悪感を持っていないのだろう。
育て方を間違えたなどと、偉そうなことは言えなかった。彼がかつてどんな境遇に置かれていたかを考えれば、罪悪感などと高尚な感情が欠如していることぐらい、予想の範疇でなければならないのだ。
「俺は国を守るためにできることをやるだけだ。それは、今現在のこの国をより良くしようというだけのことで、今の国を壊して作り変えるような乱暴な手段じゃない」
イージアスは言い聞かせるように言い遣る。自分にできることなどはたかが知れていて、領地内ならいざ知らず、こと国全体のことなどは自分の力の及ばないところにある。それは遥か高み、王の手中にあるもので、それについて口出しするのもおこがましい立場でしかないのだ。
「そこまで身の程を知らないわけじゃない」
結い紐で髪を括りながら、イージアスは言う。ウルスラはやはり顔色を変えずにけろりと返してきた。
「そこまで価値のある国ですかね、この国ってのは?」
「……価値があるとか、ないとかいう問題でもない」
そこに人間が生きて、生活している限り、それを揺るがす脅威は除かなければならない。――それが自分であってはならない。それだけのことだ。
「頼むから、今の俺を否定するようなことを、思っていても言ってくれるな。不甲斐なくなる」
「……失礼をしました」
そこまで言ってやっと、彼は言い過ぎたと思ったのか、眉尻を垂れ下げた。
その顔を、少しばかり穏やかな気持ちで眺めながら。
「帰りの足で、湯浴みをしてくる。戻ったら抱け」
短く言って彼の前を通り過ぎる。後ろで明らかに動揺する様子が伝わってくるのを、内心ひどく可笑しく思った。
「よ……喜んで? え、いやでも……ど、どうなされたんです、か」
「むしゃくしゃしてきた。要らん悩みはさっさと忘れるに限る」
余計なことに心を乱されて、こんな気持ちを引き摺って時間を過ごすのは不毛だ。さっさと切り替えて他のことに時間を費やす方がよほど建設的だろう。
「悪さしないで待ってろ」
明らかに血相を変えたウルスラを一瞥して、イージアスは自室を後にする。
扉を閉めて歩き出したイージアスの耳に、部屋の中から響いた悲痛な声が届く。
「気晴らしに使おうだなんて、ひどいお人ですね……!」
久々に会った男の情けない声に気をよくしたイージアスは、自室から離れる歩みを止めないまま、当人にわからないようにこっそりと相好を崩した。
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